CHANGE




17







 最初に部屋の中に入ってきたのは、小田切の組の組長の男だ。こうして間近で見れば更に精悍に整った容貌が見て取れて、と
てもヤクザという最下層で生きる人間には見えなかった。
自分よりも遥かに堂々とし、少しも卑屈な様子を見せない。それでも、自分が圧倒されているとは思われたくなくて、東條院は強
い視線を男に向けた。
 「育ちの悪い奴はすることも下品だな」
 「・・・・・」
 直ぐにでも吠え掛かってくるかと思ったが、男・・・・・上杉は片眉を上げて皮肉気に口元を歪める。
 「まあ、俺は褒められた育ちじゃねえが、そっちも変わんねえだろ」
 「何?」
 「何の関係もない高校生を拉致って、脅して。育ちの良いお坊ちゃんがすることじゃねえな」
 「・・・・・っ」
ヤクザに言われたくないと思うが、ここで感情的になった方が負けだ。
東條院は拳を握り締めて感情を押し殺すと、続いて部屋に入ってきた男を見て息をのんだ。
 「・・・・・小田切」
 「お久し振り、と、言っていいんですか?」
 「・・・・・」
 「そちらは私と係わったこと自体、無かったことにしたいと思っているはずだと考えたんですが」
 「・・・・・っ」
 口元の笑みに、辛辣な口調。昔はまだ十代だったせいか、言葉遣いはもう少し砕けた感じたっだが、月日が流れ、それなりの経
験も積んできた小田切には少しの隙もない。
 自分の可愛がっていた子供や、同居までしている愛犬に手を出されたというのに、その目の中には怒りというよりも憐れさが色濃
くて、東條院は自分の方が追い詰められている・・・・・そんな気がした。




 無駄な労力は使わない。
吠え掛かられても無視をする。
そんな自分のスタンスに変わりはないが、今後のことも考えてはっきりと引導を渡してやった方が男のためだろう。
(私の責任ではないんだがな)
 いくら生まれが複雑だったとしても、東條院は何不自由のない生活を送ってきたはずだ。物や金銭面での豊かさと、心のそれと
は違うと青臭いことを言う者もいるだろうが、小田切はそうは思わない。どちらが不足しても、または、どちらもあっても、無くても、人
格の形成は本人次第だ。
 東條院は自分自身を育てることに失敗した例だろう。遥か昔に会ったことのある少年の面影をその姿に重ねながら、小田切は
ふと自分を見つめるもう一つの視線に目を向けた。
 「・・・・・」
(馬鹿が)
 大人しく、主人の言葉だけを聞いていれば良いものを、暴走してこんな所にまで自分を引っ張り出してきた。これで太朗に何か
あったら、小田切は間違いなく宗岡を許さなかっただろう。
 いや、この時点でお仕置きは決定だと思いながら、小田切は再び東條院へと視線を戻した。
 「それで?あなたはいったい何がしたかったんですか?」
 「わ、私はっ」
 「どうも、誤解していらっしゃるようなので一言言わせて貰いますが。私はあの人の手から離れた時点で、人間になったんですよ。
庇護される飼い犬を止めてね」
 「・・・・・」
 「あなたは犬犬と気安く言っていますが、本当に最後まで看取る責任感が無ければ犬なんて飼えない。その点、あなたの父親
は立派でしたよ、死ぬ間際に皆を綺麗に解放してくれた」
自分と彼の関係を誰も理解してくれなくても構わなかった。一々説明することもないし、自分達が特殊だというのは十分分かって
いる。
 ただ、わざわざ過去を掘り返す、その思い出を無理矢理捻じ曲げようとするのは許さない。
(見たくないのならば、初めから無視していれば良いものを)
そんなにも見たいのならば、いやというほど現実を突きつけてやるつもりだった。




 小田切と東條院。
どちらが優位なんて考えるまでもない。宗岡はどんな時も綺麗で清冽な印象を与える小田切の横顔を見つめた。
 「宗岡さんっ」
 そんな自分に、太朗が声を掛けながら駆け寄ってくる。
 「良かったですねっ、小田切さん来てくれて!」
 「う・・・・・ん」
これがそんなに良い状態ではないことは分かっている。先ほど一瞬自分に向けられた眼差しには怒りが込められていて、きっとこの
後相当な罰を与えられそうな気がする。
(・・・・・この、後?)
 この後も、小田切は自分を側に置いてくれるつもりなのだろうか。もしかしたら、暴走した自分に呆れて、直ぐにでも荷物を出して
・・・・・いや、自分自身が宗岡の前から消えてしまうかもしれない。
捨てられたくないとその足に縋ることだって出来るが、それさえも小田切が許さないと言ったら、自分は一体どうしたら良いのだろう。
 一瞬のうちに様々なことを思い浮かべた宗岡は、いきなり襟首を掴まれて我に返った。
 「おい、何腑抜けた面してんだ?」
 「ちょっ、ジローさん!」
 「・・・・・っ」
体格は上杉の方が僅かに勝っているが、それ以上に有無を言わせない迫力を感じ、宗岡は直ぐに声を出すことが出来なかった。




 上杉が来てくれて一安心し、小田切も同行してくれているので何とか話し合いが出来るのではないかと思ったのもつかの間、い
きなり宗岡を締め上げた上杉に太朗は慌ててしまった。
 「手っ、手離してってば!」
 「お前、ちゃんと脳みそあるのか?」
 「ジローさん!」
 「自分だけじゃなく、こいつまで巻き込んで。こいつに掠り傷一つでもあったら、お前二度とバイクには乗れなかったな」
 「・・・・・っ」
 「・・・・・・」
 上杉の腕にしがみ付いていた太朗は、その言葉に思わず手を離し、その顔をマジマジと見つめてしまった。
自分に向けては優しい顔を見せてくれて、彼の存在に本当に安堵したというのに、こんな言葉を聞いてしまってはどうしても怖いと
いう思いが生まれてしまう。
 自分に対しては絶対に見せないヤクザとしての顔。それを宗岡には躊躇無く晒している上杉を、太朗はどう止めたらいいのか分
からなかった。
なにより、上杉が怒っているのは太朗の身を案じてのことで、今彼の言葉を否定したらその気持ちまで否定してしまうかも知れな
いということが嫌だ。
 「そ・・・・・れは、悪いと、思ってます」
 「言葉だけならどうとでも言える」
 「・・・・・っ」
 「ヤクザがサツに手を出せないってーのは、俺には通用しないぞ。それも、末端の犬に手を出したからって、俺の手が後ろに回るこ
とはないだろうしな」
(ジローさん、それは違うよ・・・・・っ)
 自分のような普通の高校生は、警察の上の人なんて全く知らないし、どんな人物なのかも全く想像出来ない。しかし、交番の
お巡りさんには挨拶もするし、彼らが一生懸命自分達のために働いてくれているところも見ている。
末端だからこそ、大切な存在なのだと、組員達を大事にしている上杉はきっと分かっているはずなのに、どうしてそんな言い方をす
るのかと悲しくなった。
 「ジローさん!」
 「・・・・・」
 「ジローさんってば!」
 何度も名前を呼んで、ようやく上杉が太朗を振り返ってくれた。その眼差しの中には冷酷さはない。
 「どうした?」
普通に切り替えが出来るということが怖いのだと、上杉は分からないのだろうか。
 「宗岡さん、俺には来るなって言ったんだよっ。それを俺が無理矢理付いてきたんだ!」
 「タロ」
 「俺が勝手にしたことなんだから、宗岡さんに酷いこと言うの止めてよ!」
 「太朗君・・・・・」
 上杉に襟元を掴まれた格好のまま宗岡が名前を呼んでくる。その視線に、太朗はねっと強く頷いた。
 「俺のこと、凄く心配してくれたんだっ。ジローさん、宗岡さんは小田切さんの大切な人なんだよっ?仲間じゃんか!」
 「・・・・・犬だぞ、こいつ」
 「だからー!」
どうしてみんな、人のことを犬に例えるのだろうか。宗岡はちゃんとした人間だし、もしもこのまま人を犬に例えるのなら、
 「それをいうなら、俺たって、ジローさんだって犬だろ!タロジロだ!」
名前からして犬みたいなもんじゃないかと思わず叫ぶと、さすがに上杉は虚をつかれたように太朗を見つめて・・・・・やがて、大きな
声で笑いながら宗岡から手を離すと、一生懸命真剣な表情を作っていた太朗を強く抱きしめてきた。
 「はははっ、全くその通りだな。俺達なんか、そのものズバリ、犬だ」




 「それをいうなら、俺たって、ジローさんだって犬だろ!タロジロだ!」

 太朗の言葉はあまりにも鮮烈で、上杉は宗岡に対して抱いていた怒りが一瞬で冷えてしまったのを感じた。
太朗が本当に自分達のことを犬だと思っているとは思わないが、あえて自分達の名前を例に出したことに思わず笑ってしまった。
それは太朗を馬鹿にしたわけではなく、なんと言ったらいいのか・・・・・とにかく、グチャグチャに頭をかき撫でて可愛いと連発して言
いたいような感情がこみ上げたのだ。
 「はははっ、全くその通りだな。俺達なんか、そのものズバリ犬だ」
 可愛い。本当に可愛いと思う。
自分のような汚れた大人には本当にもったいないほどだが、生憎上杉はこの存在を手放すことは考えていなかった。
 「タ〜ロ」
 抱きしめてその名を囁くと、太朗はしっかりと上杉の背中に手を回してくる。
 「・・・・・怖いじゃんか、バカ」
 「悪い。お前が怖いめに遭ったかって思うとな」
 「ジローさんの方が怖かった」
 「・・・・・ああ、そうだな」
もう、太朗の前では別の顔を見せることは出来ないなと思いながら、そのまま視線を宗岡に戻した。
(お前が呆けてどうする)
 上杉が手を離したままの状態で、どうしたらいいのかも分からないような頼りない表情をしているが、生憎太朗以外に優しい言
葉を掛けてやるつもりはない。
太朗がどんなに宗岡を庇ったとしても、一歩間違えれば危険だったことは事実で、その責任をとってもらうにも小田切にビシッと躾
をさせようと思った。
 「おい」
 「・・・・・」
 「おい、いいのか、お前」
 「・・・・・え?」
 掠れた声が情けなく響く。
 「あいつの側にいなくて」
それが何を指しているのかは直ぐに分かったようで、宗岡は直ぐに睨み合うように向かい合っている小田切と東條院の方へと眼差
しを向ける。それでも、直ぐには足を踏み出さなかった。
 「お・・・・・れは」
 「・・・・・」
 「俺は・・・・・裕さんに、必要ない、し」
 「馬鹿か」
 何のために自分達がここにいるのか、頭の悪いこの男は想像も出来ないのだろうか。
もちろん上杉は太朗を迎えに来るために来たが、小田切は・・・・・この駄犬のためにここまで来たのだ。
 「そんなことを言ってたら、お前本当に捨てられるぞ」
 「・・・・・っ」
 「ほらっ」
 こんなふうに急きたててやるのも側に太朗がいるからだ。その太朗も、自分の腕の中から必死に宗岡に訴えかけている。
 「宗岡さん!」
ここまでされて動かなかったら蹴りでも入れてやるかと上杉が内心思っていると、まるでその声が聞こえたかのようにようやく宗岡は小
田切へと足を踏み出した。