CHANGE
19
男の濡れ場など興味のない上杉は、腕の中の太朗を更に強く抱きしめながらどうするかと考えた。
今の様子を見れば、東條院が小田切に敵うはずはないことは分かる。大体、あの男に力で勝っても、言葉や精神的に勝てる人
間などそうはいないだろう。
そうなると、今回の太朗と宗岡を連れ去った件はうやむやに納まってしまうかもしれない。
(・・・・・面白くねえな)
何のために自分がここまでやってきたのか。上杉は簡単には東條院を許したいとは思わなかったし、更にその上、なぜ東條院がこ
んな馬鹿なことをしでかしたのか、その根本にいる相手にも文句を言いたかった。
相手は、政財界だけではなく、自分達がいる闇の世界にも顔が利く大きな存在だ。一つの組を背負っているとはいえ、しがない
ヤクザである自分には到底敵わない相手だ。
それでも、自分の最愛の者に手を出された事実に目を瞑ってまで、波風立たせないように大人しくしている・・・・・わけがない。
「・・・・・仕方ねえ、久し振りに腹括るか」
「ジローさん?」
自分の呟きを聞き取った太朗が、目を塞いでいる手を強引に離し、そのまま後ろを振り返った。
「何するんだよ?」
「ん?」
「今、腹括るって」
「言ったか?」
「言った!」
別に隠すことでもない。いや、隠して、太朗がそれを知ろうと暴走するよりも、先に何をするか知らせた方が安心だ。太朗に言え
ば怒るだろうが、その方が抑えることも簡単だった。
「あいつの上に文句を言おうと思ってな」
「あいつって・・・・・宗岡さん、じゃ、ないよな?」
「東條院だよ。あいつが暴走する切っ掛けを作った奴」
手が届かないだろうと、鼻で笑っているであろう相手の喉元に刃を突きつけてやるのも面白いだろうと思った。
なにやら、上杉が楽しそうだ。
ここまで来てくれたことは嬉しいし、どうやら小田切と宗岡の問題も解決するかもしれないと思うと安心するのに、この笑みの意味
を考えると少し怖い気がする。
(あの人の上って・・・・・)
太朗には全く想像がつかないが、これほど上杉が上機嫌なのは・・・・・きっと、それなりに力がある相手に違いない。上杉は対
峙する相手が強ければ強いほどにファイトが湧くようだ。
もちろん、太朗もそんな気持ちが全く分からないと言わない。勉強でもスポーツでも、自分と競うレベルの相手がいると楽しくてワ
クワクする。ただ、そんな自分と上杉では、少々次元が違うだろう。
「・・・・・何するつもり?」
「ん〜、何をするかな」
「余計に問題を大きくしようとしてない?」
「気を回し過ぎだ」
本当にと疑問をこめた眼差しを向ければ、上杉はクシャクシャに髪を撫でまわした。
「こっちだって、丸腰で向かうつもりはないって」
「え?」
「隠し玉もあるし」
「・・・・・」
「ああ、その前に、あいつらをどうにかしないとな」
上杉の中では今の言葉は決定事項になっているようで、後は目の前の小田切達の問題を解決すればお終いだとでもいう口振り
だ。
(・・・・・小田切さんに言った方がいいんじゃないかな・・・・・)
この時点でも事情がよく分かっていない自分よりは、小田切にアドバイスを貰った方がいいような気がする。
そう思った太朗は、上杉と同じように向き合っている3人へと再び視線を向けた。
「私は、勝手に行動したお前を許した覚えはない」
そう言った途端に、目の前の宗岡の表情が変わったのが分かった。
(そんなに嫌ならば、少しは考えて行動したらどうだ)
自分達の関係は付き合い始めではない。もう何年も一緒に暮らしているという事実を、この図体ばかり大きな子供はどう考えて
いるのだろう。
「哲生」
「・・・・・っ」
「お前は私の何が知りたかったんだ?昔の飼い主との関係か?それとも目の前のこの男との因縁か?・・・・・どちらにせよ、私に
とって過去のことでしかない」
今大切なのは現在進行形の関係だ。1人に縛られたことのなかった自分が宗岡を選んでいることに、どうして当の本人が自信
を持たないのか。
言葉が欲しい?そんなものは幾らでも、それこそ、でまかせでもスラスラと口からついて出る。そんな不確かなものよりも目に見え
るものをどうして信じないのか、小田切は宗岡の弱い気持ちを悔しく感じた。
「・・・・・お前は私のことを良く知っていると思ったが・・・・・どうやらまだまだだということだな」
「裕さん、俺っ」
「もっと私を知りたいのなら・・・・・そうだな、先ずは同居を解消しよう」
「なっ?」
「良く知らない相手と同居など出来ないだろう?」
出会って直ぐに身体の関係を持ち、宗岡に強引に押されるようにして同居を受け入れた。その時点で、小田切にとって宗岡は
今までの犬達とは少し違う存在だったのだが、本人にそれが伝わっていないのならば一緒に暮らしている意味がない。
「俺っ、そんなつもりはない!裕さんと別れるなんてっ、俺っ、絶対に嫌だ!」
「・・・・・別に別れるわけじゃない」
これ以上、ここで宗岡と言い合いをしても不毛なだけだ。
さっさとここまで来た理由に決着をつけるかと、小田切は再び東條院に視線を向けた。
目の前で繰り広げられているのはまるで痴話喧嘩だ。とても飼い主に忠実な犬といった様子ではなく、どちらかといえば本当の
恋人同士のようで・・・・・。
(まさか・・・・・っ、男同士だぞっ)
同性も性愛の対象になることはもちろん知っているが、そこに純粋な愛情があるとはとても信じられない。ただ身体の快楽だけを
求める関係としか思えなかった。
しかし・・・・・。
「お前達は・・・・・本当に付き合っているのか?」
「・・・・・」
「お前の犬、とかじゃなく・・・・・て?」
「言う必要がありますかね」
小田切は綺麗な笑みを浮かべるが、自分を見ている目の中に哀れみの色が見える。
言い返そうと口を開き掛けた東條院だったが・・・・・一体自分が何を言いたいのか分からず、そのまま口を噤んでしまった。
(・・・・・くそっ)
始めから、この結果は心のどこかで分かっていたのかもしれない。
自分とは違い、あの男に特別に可愛がられていた小田切は、幼かったあの時点で既に自分に勝っていたのだ。
鬱屈した思いを抱いたまま大人になった自分は、初めて大きな壁にぶつかった時、自分よりも弱い相手として記憶の片隅から小
田切を引き出したが、自分は始めから勝てない相手を選んでしまったということだろう。
「・・・・・」
「謝罪の言葉はいただけますか?」
「・・・・・」
「悪いことをしたら謝る。それは子供でも出来ますよ」
「・・・・・った」
出来ることはまだあるかもしれない。それでも、何をしてもこの男には通用しないだろうと思え、東條院は両手の拳を握り締めた。
「聞こえません」
この男は、多分サディストだ。身体を傷つけるのではなく、心の中に言葉の針を刺してくる。それは見た目は傷になっていなくても、
刺された本人の奥底に、確実に刻み込まれていくものだ。
「・・・・・すまな、かった」
東條院が搾り出すようにそう言うと、小田切はなぜか苦笑を零して溜め息をついた。
「小田切」
どうやら、呆気なく片はついたようだ。
元々、小田切に勝てるような男なら、無謀な喧嘩を仕掛けてくることも無かっただろう。
「俺、このまま行くぞ」
「どちらに?」
何時もと変わらぬ口調で言うと、小田切も今までの出来事が全て無かったかのように普通に訊ねてきた。
(これを聞いても、普通にしていられるか)
今から自分が言うことで、何時も超然としている小田切がどんな反応を見せるのか楽しみだ。上杉は太朗の肩を抱いたまま片眉
を上げてにやっと笑った。
「殿様に会いに」
「・・・・・」
「お前どうする?留守番しているか?」
「・・・・・あなた・・・・・本当に、馬鹿ですね」
呆れたように言う言葉の中にはどんな思いが込められているのか、それは東條院という言葉に特別の思い入れの無い上杉には
分からないことだ。
ただ、一瞬、本当にごく一瞬見せた小田切の無表情の中に、彼にも相当複雑な感情があるように見えた。
「会って、どうするんです?」
「自分の飼い犬をしっかり躾けろって、な」
「親族ですよ」
「それでも、たいして違っちゃねえだろ」
「・・・・・あなたが思う以上に、お化けみたいな所なんですよ?」
「お化け屋敷なんか、中坊以来だな」
そこまで話しただけで、自分の意思が固いことが分かったのだろう。小田切は東條院を振り返り、今度は太朗に視線を向けてか
ら、最後にもう一度確認するように上杉に聞いてきた。
「脅かされるだけじゃ済まないっていっても・・・・・」
「上等」
「・・・・・分かりました」
小田切は頷いた。
「あなたの骨を拾ってあげるためについて行きましょう」
「そう来なくっちゃな」
役者は多い方が面白いはずだと、上杉は小田切の答えに満足した。
お化け屋敷とか、骨を拾うとか。一体上杉と小田切は何を話しているのだろうか。
(例え、だよな?)
宗岡を犬と言っていたのと同じ理屈なのだろうと思うが、太朗はますます分からない。それでも、今からどこかに移動しようというの
は(多分、東條院の上の人の所だろう)分かるので、置いていかれないようにとしっかりと上杉の腕を掴んだ。
「タロ?」
「俺も行く!」
わけも分からないまま、自分だけ安全な場所に置いていかれるのは嫌だ。小田切の普段と違った顔が見えたのも、戸惑いはし
たものの知らなかった頃がいいとは思わない。
自分にとって全てが都合の良い守られた世界ではなく、少しきついと思っても現実を自分の目で確かめて納得した方が断然まし
だと、太朗は上杉に訴えた。
「置いてかないでよ!」
「・・・・・可愛くお願いするんなら・・・・・」
「お願い」
「・・・・・確信犯だな、お前」
小田切に似るんじゃねえぞと言う上杉は、どうやら自分も連れて行ってくれるらしい。
いったいどんなことが待っているのか分からなかったが、太朗はとにかく少しでも早く全てに決着がついて欲しいと思った。
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