CHANGE
20
とにかく来てくれと呼び出した相手は、不機嫌や困惑の表情は一切なく、本当に楽しそうに笑いながら現れた。
「どうなるかなって思ってたけど、予想以上に暴れてくれそうで面白いわ」
「すみませんね、わざわざ呼び出しまして。この人がどうしてもあなたの力を借りたいと言いまして」
「構いませんよ。あそこには私の顔見知りもいるし、ヤクザの親分がいきなり会いに行っても、門前払いされることは目に見えてい
ますしね〜」
「全く、細かなことを気にしないんですよ、この人」
「あら、毎日遊園地気分でワクワクしそう、楽しそうじゃない」
「そちらの海藤会長の方が理性的で、日々勉強になりそうですが」
「お互い無いものねだりってことかしら」
目の前でどんどん話を進める2人を、上杉は無言のまま見つめた。ここで口を挟んだとしたら、数倍になって文句が返ってきそうだ
からだ。
(海藤も苦労するな・・・・・)
小田切ほどではないが、目の前の男・・・・・綾辻もなかなかの曲者だ。その背景もかなり複雑なようで、あの東條院とどういう関
係なのか、上杉は今回初めて知った。
色々と噂のあった男だが、やはり普通ではない、ということだろう。
「悪いな、綾辻」
「いいえ〜、上杉会長の気持ちはよく分かります。誰だって、可愛いハニーが苛められたら仕返ししたいですもの」
「・・・・・」
(ついて行けないノリだな)
房総半島から東京に戻り、その途中で綾辻に連絡を取った。もしかしたら今日中は無理かもしれないと言われたが、この綾辻
という存在のおかげで、日付が変わる前に相手を捕まえることが出来た。
今から向かうのは向こうが指定したホテルの一室だが、多分、裏に関係する護衛が多くいるだろう。相手に指を触れた瞬間、上
杉の身体に銃口が突きつけられる・・・・・そんな可能性は無いとは言えない。
「・・・・・」
上杉は隣にいる太朗を見下ろした。絶対に付いて行くと言った可愛い恋人を、本当にこのまま連れて行ってもいいだろうか。
家には連絡をし、太朗の母親である佐緒里にはチクチクと嫌味を言われたが、それでも明日学校に遅刻しないように送るというこ
とを約束して、今夜は自分のマンションに泊める予定だ。
一般人の、それも子供に手を出すほどの馬鹿ではないと思うが、万が一ということも考えておいた方がいいと思う。
「タロ」
「やだ」
「まだ何も言ってねえだろ」
「分かるよ、ジローさんの言いそうなこと。何年付き合ってると思うんだよ」
「・・・・・」
こんな時だが、上杉はくすぐったくなって、零れそうな笑みを誤魔化すのに咳払いをした。
そう、もう太朗とは2年以上付き合っている。そして、その思いは当初に負けず、更に強くなっていると言ってもいい。手放したくない
と思いながら、何時自分が捨てられるかも知れない付き合いの中、自分達の関係は確かに・・・・・強い。
「俺、大人しくしてる」
「出来るか、お前が」
「だって、今回の話って俺とジローさんのことじゃなくって、小田切さんと東條院さんのことだろ?よく分からないことに口出ししない
方がいいって言うの、さすがに俺だって分かってるよ」
上杉は太朗の耳元に擽るように手を伸ばす。
「よし」
小さく笑う太朗に、上杉は自分の迷いを消した。
上杉の表情から迷いが消えたのを見た小田切は、直ぐ傍にいる男達を見た。
保険で連れて来た東條院はいいとして、あのまま、何も言わずに置いてきたはずの宗岡はしっかりバイクで付いてきた。
(本当に・・・・・面倒だ)
これからある話し合いに宗岡は必要ない。いや、この男が全てのことに目を閉じることが出来ればまだいいが、警察官として妙な
正義感を持っているので、後々言いくるめるのが大変のような気がする。
「どうします?」
小田切は、まず東條院に話し掛けた。
綾辻が来てくれたからには、この男ははっきり言って無用だ。自分にちょっかいを出してきたことには面白くない思いを抱いているが、
根底にある問題に入り込んでくるほどの存在価値もないような気がする。
多分、今後東條院家の方から何らかの通達があるだろうが、小田切にはもう関係のない話だ。
「行く」
「・・・・・どんな処分になるか分かりませんけど」
「それでもいい。わた・・・・・俺は、自分の気持ちを今まであの人にぶつけたことは無かった。今回のことでは俺だって言いたいこと
があるんだ」
「・・・・・」
(おやおや、急に自立心が芽生えた様子だが)
その言動の要因が何なのか、今の小田切にはあまり興味がない。
それよりも・・・・・と、小田切は宗岡に眼差しを向けた。
「哲生」
「分かってる」
「・・・・・」
「付いて行かないから、ここで待ってるのはいいだろ」
「何時になるか分からないぞ。仕事はいいのか?」
「待ってる」
誰も彼も、自分の行動に責任を持ってもらいたいと思う。太朗ほどの子供ならばまだ微笑ましい言動も、宗岡や東條院のように
見掛けだけは立派な大人のそれは・・・・・。
(煩わしいと・・・・・思うはずなんだが・・・・・)
思わず口元に浮かびそうになる笑みは、何年も暮らしてきた相手に対する情なのか。
「風邪はひくなよ。うつされたら困る」
「・・・・・っ、分かった!」
自分の言葉に一喜一憂する大型犬に、小田切はあっさりと背を向けた。
東條院というのは、かなり大きなグループ会社らしい。
太朗の認識ではその程度だったが、連れて行かれた有名ホテルの、足を踏み入れたことのないその階専用のエレベーターから降
りた瞬間、父親のように立派な体格の、背広にサングラスといういかにも身体が資本のような男達がずらりと廊下にならんでいる
と、一体今から会う人間はどんな人物なのかと想像するのも怖くなってしまった。
(どんな人だろ・・・・・?)
白い髭の、頑固な老人か、それともでっぷりと太った中年男か。
「広郷様」
その時、ゆっくりと自分達の方へと歩み寄ってきた男が声を掛けてきた。一見普通のサラリーマン風の男だが、眼鏡の奥の目はと
ても冷ややかだ。
「正紀様はとても残念に思っていらっしゃいますよ」
「・・・・・塚本」
「処分は明朝通達致します」
「・・・・・っ」
どうやら、今回東條院がしたことは既に知られているようで、今から会う人物はその処罰も決めているらしい。
太朗は何だか胸がもやっとした。東條院のしたことをいいことだと思うことはないし、自分だって振り回されたが、それでも本人の言
い分を聞く前に全てを決めてしまうのはおかしい。
東條院が今回のようなことをした原因をきちんと聞いた上で、ペナルティーを科すというのならまだ分かるが。
(絶対、頭の固い頑固ジジイだ)
太朗は眉間に皺を寄せたまま、自分を庇うように前に立つ上杉を見上げた。
(絶対、ジローさんの勝ち!)
「正紀様は、明日の正午には中国に向かわなくてはなりません。面会時間は30分、十分ですね」
塚本という男の眼差しは綾辻に向けられていた。この中で話す価値があるのは綾辻くらいだと思っていたのかもしれない。
まあいいかと、綾辻は頷いた。
「忙しい所、ごめんなさい」
「本当にそう思っていらっしゃるのでしたら、今回のようなことは今後無い様に」
「・・・・・」
「正紀様は暴力団との繋がりを持つつもりはございませんので」
「は〜い」
(よく言う)
代々ということもあるが、東條院家には実業家、資産家という顔とは別に、闇組織の黒幕という裏の顔もある。現当主の正紀
は全くその気配を見せないが、彼の一言で動くヤクザの大物はかなりの数がいるはずだ。
「それでは、どうぞこちらに」
「みんな、こっちだって」
綾辻も理由が無ければ会いたいと思う人物ではない。今回は世話になっている小田切の問題だし、可愛いと思っている太朗に
も係わった話ということで、割り切って顔を出すつもりになった。
(力だけじゃ抑えきれないものもあるのよね〜)
男がある部屋の前で立ち止まる。そこにも、護衛が立っていた。
(・・・・・持ってるな)
ここが日本だということは全く関係なく、男達が拳銃を携帯しているのは一目瞭然だ。本当のプロのガード・・・・・そんな男達は先
ず自分に視線を向けてきた。
「チェック、よろしいですか」
「俺は触る方が好きなんだが」
「・・・・・」
「ほら」
護衛対象のためにボディーチェックをするのは当然だ。上杉は軽く両手を上げ、男達のなずがまま大人しくする。後に続く者も
同じようにチェックを受けていたが、それが太朗を対象にするとなると話は別だった。
「おい」
上杉は太朗の背中に触れようとした男の手を掴む。後ろに捻り上げようとしたが上手く切り抜けられ、反対に眉間に銃を突きつ
けられた。一連の動きはさすがに素早く、上杉は恐怖というよりも感心して口笛を吹く。
「見事だな」
「怪しい動きをされると、このような手段を取らせていただきます」
「そっちの仕事も分からないわけじゃねえが、こっちも・・・・・」
「止めてください!」
上杉の言葉は、太朗の叫び声で遮られた。
目の前で銃を突きつけられている上杉・・・・・そんな光景に動揺しないわけはないだろう、顔色は青褪めていたが、それでも自分
も一歩前に立って、いきなり着ていたコートと学生服の上着を脱ぎ捨てた。
「ズボンも脱いだ方がいいですかっ?」
「・・・・・結構です」
「タロ、お前」
どう見ても一番無害な太朗が、まるで犯罪者のように扱われることが我慢ならなかったというのに、当の本人はいっそ潔く自分の
身体を開く。子供だからといえば話は終わってしまうが、上杉はそんな太朗の男気が眩しかった。
「こんなこと、何でもないよ。だって、俺何も持ってないし」
拳銃も、爆弾も、持っている方が緊張してばれるよと物騒なことを言っても、太朗はそれが目の前の護衛達にとってどんなに危
険なキーワードなのかは全く分かっていないようだ。
しかし、そんな太朗の行動は、意外にも護衛達の雰囲気を一瞬で変えた。
「風邪をひかれます、どうぞ着てください」
その場に落とした服を広い、太朗に渡しながら言う言葉はどこか柔らかい。
「ありがとうございます」
そんな相手に太朗も素直に礼を言って服を着込むと、視線を向けている上杉にまだ少しだけ強張っている笑みを向けてきた。
「行こう、ジローさん」
「ああ」
もしかしたら、この中で一番肝が据わっているのは太朗か。
上杉は頷くと、それまで一連の騒ぎを黙って見つめていた塚本に笑い掛けた。
「その扉、開けてもらえるな」
「・・・・・どうぞ」
塚本がインターホンを鳴らすと、しばらくして中から扉が開かれる。そのまま振り向かずに中へと入っていく塚本を見ながら、上杉
もゆっくりと足を踏み出した。
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