CHANGE
21
小田切が東條院本家の当主、正紀と顔を合わせるのはそれこそ20年近くぶりだ。
小田切は相手のことを知っていたし、正紀もこちらのことを知っていただろうが、お互いがその存在をないものとしてきたといっていい
だろう。
「私の息子はいい子だよ。いい子過ぎて、少し怖いけどなあ」
彼の言っていた言葉が今更のように思い出す。
確かに正紀の代になり、東條院家は更に圧倒的な権力を持つようになってきた。その反面、表向きは真っ白といってもいいほど
にクリーンなイメージを持っていて、その裏にある闇を知っている者には少々薄ら寒い。
(彼にとっては、あまりにも当然過ぎるのかもしれないが・・・・・)
表の顔も裏の顔も、正紀にとっては眼鏡を掛け替えるくらいの意識しかないのかもしれない。それほどに自然に切り替われる一
般人が、ヤクザ以上に性質が悪いと思うのは当然だと思う。
「・・・・・」
正紀の後ろには、大柄な男が1人控えている。正紀に影のように寄り添い、彼の片腕というよりはクローンのような思考を持つ、
絶対的な服従者だ。
(どんな関係なんだか・・・・・)
正紀のためには笑って命を差し出すだろう男に眼差しを向けながら、小田切はふと下のロビーで待っているだろう宗岡のことを思い
出してしまった。
(・・・・・あれ?)
広い部屋の中、奥のリビングへと通された太朗は、ソファに座っている人物を見て思わず目を瞬かせてしまった。
(・・・・・優しそう?)
部屋に入るまで色々と想像していた人物。そのほとんどは余り良くないイメージだったが、今目の前にいる人物はどう見ても温和
で優しそうな印象だった。
見掛けは40歳そこそこだろうか、少し痩せ気味の、特別に華やかな容姿は持っていないものの、良家の出という育ちの良さを身
にまとった・・・・・いわゆる紳士という感じだ。
じっと見つめていると相手も太朗の視線に気付いたのか、ふっと笑い掛けてくれた。目尻の皺が余計に深くなり、太朗も思わず
笑い掛けてしまった。
「苑江、太朗君、だね?」
「あ、はい!」
どうして自分の名前を知っているのだろうと首を傾げる太朗に向かい、相手はソファから立ち上がると軽く頭を下げてきた。
「今回は私の身内が迷惑を掛けた」
「あ、い、いえ」
「私の目が行き届かなかったことを、本当に遺憾に思っているよ」
「・・・・・すご」
「苑江君?」
「テレビで聞く言葉だ・・・・・」
どう見回しても太朗の周りにそんな言葉を言う人間はおらず、テレビの中の偉い人が言う謝罪の言葉に太朗は素直に感心して、
そんな太朗の様子に相手も更に目を細めて笑った。
「そんな感想を言われたのは初めてだな」
「ご、ごめんなさいっ、俺っ」
「謝らなくてもいいよ。今回は本当にこちら側の不手際だ」
「確かにな」
部屋の中に入ってから続いていたほのぼのな雰囲気は、苦々しい上杉の言葉に遮られた。
「ジ、ジローさんっ」
「いくらそっちが力のある人間だとしても、何の落ち度もない子供を攫ったら世間がなんて言うか・・・・・分かってるんだろうな?」
そんなふうに言わなくてもと太朗は焦った。せっかく向こう側も友好的に相手をしてくれているのだし、このまま話し合えば意外にす
んなりと話は収まるのではないかと思うからだ。
「・・・・・もちろん、広郷の処遇はこちらで厳しく対処する。それ以上、君は何か望むものがあるのかな?確かに今回のことではこ
ちらが迷惑を掛けたが、これ以上のことを望めば脅迫と私が受け取るかもしれないよ」
「上等だな。俺は簡単に許す気なんか・・・・・」
「許します!」
「・・・・・タ〜ロ」
お前なあという上杉を仰ぎ見た太朗は、だってと言葉を続けた。
「東條院さん、始めは俺を連れて行こうとしなかったんだよ?俺が無理矢理付いていって・・・・・だから、誘拐とかいうのとんでも
ないって!」
太朗は目の前の人物にもお願いしますと言う。
「東條院さんを、どうか辞めさせないでください!」
自分達がここに着た理由を太朗は知っているのだろうか・・・・・上杉は溜め息をつきたくなった。
上杉としては太朗の味わった恐怖や不安を、少しでも目の前の男に味合わせてやりたいと思っているくらいなのに、当の本人が誘
拐犯(?)を許してやってくれと言えば自分の立つ瀬がない。
「・・・・・」
どうやらそれは、東條院本人にとっても意外なことだったらしい。
どんな文句を言われても仕方がないと覚悟をしていただろうに、反対にクビが繋がるように懇願されるとは思わなかったのだろう、目
を見張っている。
「・・・・・苑江君、君の気持ちはとても嬉しいが、会社として・・・・・いや、東條院家という家として、広郷にはそれなりの罰を受
けてもらわなくてはならないんだ」
太朗に分かるようにするためか、相手の言葉はかなり分かりやすくなった。
「でもっ、東條院さんはっ」
「私も、東條院なんだが」
「あ・・・・・っと、名前、聞いてもいいですか?」
「正紀、だよ」
「正紀さん、俺、どうしてこの人が小田切さんに対して、その・・・・・悪意みたいなのを持つのか、理由は分かりません。でも、飼
い犬の問題くらいだったら、一度は目を瞑ったって・・・・・」
「飼い犬?」
「・・・・・あれ?違ったっけ?」
不思議そうに聞き返した正紀の声に、太朗は慌てて上杉の服を引っ張る。
小田切や東條院が言っていた《犬》というのは人間を指しているのだと分かったはずなのだが、どうやら太朗の頭の中にはそれは限
定された話で、犬は犬だと頭の中にはあるようだ。
「あのな」
上杉は説明してやろうと思ったが・・・・・止めた。上杉としては、太朗のその勘違いは歓迎すべきものだったからだ。
(人間を犬に例えるなんて、タロの常識の中に無くて当然だしな)
「大きく言えば、合ってる」
「・・・・・ホント?」
「お前の言いたいことは、伝わってんじゃないか?」
そうだろという上杉の眼差しに、正紀は曖昧な笑みを浮かべた。
すると、それまで黙っていた小田切がすみませんと言葉を挟んでくる。
「今回の件では、私も多少なりとも迷惑を被りましたが、その原因はあなたにも少なからずあると思うんですよ。そんなあなたが一
方的に彼に罰を与えるなんて、少々大人気無いと思いますが?」
「・・・・・」
「片親とはいえ、血が繋がっているご兄弟なんですし」
「えっ、兄弟っ?」
この場でそれを知らなかったのは太朗だけで、驚いたように顔を上げて東條院と正紀の顔を交互に見つめている。
正紀には表面上の変化は無かったが、その心の内ではかなり憤慨しているのだろう、表情が無表情になっているのを見て、上杉
はふっと笑った。
(小田切の毒舌を、存分に味わってもらわねえとな)
東條院は戸惑っていた。
自分のしたことは逆恨みといえるもので、散々暴言を吐かれて正紀にその処分を願い出るのが本当だろうと思っていた。それが、
何も知らない子供は別にしても、まさか小田切まで自分の擁護にまわってくれるとは思わなかった。
処分を覚悟し、それでもせめて一言正紀に自分の思いをぶつけたいと思っていた東條院にとって、それはとても意外で・・・・・嬉
しかった。
「・・・・・何か、誤解されているようだが」
一瞬、正紀が自分を見た。その目には冷たい光しかない。
「遠縁ではあるが、兄弟ではない。私は一人息子だしね」
「籍は、ですね」
「・・・・・」
「それでも、血を全て入れ替えることは出来ないでしょう?」
辛辣な小田切の言葉に、正紀の後ろにいる男が少し身体を動かす。
「もちろん、それだけで全てを許せというのが暴言だとは分かりますが、せめて一度や二度、挽回のチャンスを与えるくらいの余
裕があってもいいんではないですか?」
「・・・・・君が上司であってもそう思えるのかな」
「私はあなたではありませんから」
「・・・・・」
「生きる場所も、性格も違う。あなたに出来ることを私が出来るとは限らないし、その逆も然りですが、あなたほどの人なら多少
の余裕があってもいいのではと思いまして」
小田切の口からは東條院を許すという言葉は一度も出ていない。それでいて、正紀にはそれを迫っているのだ。柔らかな口調
ながら相手の気持ちを抉るような物言いに、東條院はようやく・・・・・小田切という男の本質に触れたような気がする。
(俺が敵うはず・・・・・ない、か)
父親の犬だったと蔑む言葉さえ似合わない。
小田切は自ら望んで犬になり、そして気が済んで・・・・・本来の人間になっただけだ。
一度の仕事上の失敗を死ぬほどに悔やみ、後悔したわけではなく、ただその原因を小田切に向けていた自分こそが負け犬だっ
たのだと、東條院はうな垂れるしか出来なかった。
(兄弟かあ)
あまり似た所はないものの、小田切がそういうのならば本当だろう。そして、どうもその弟(年齢から言って)の東條院をあまりよく
思っていないような雰囲気も感じる。
(弟なんか、すっごく可愛いと思うんだけど)
公務員の家庭で育っている自分と、想像もつかないような資産家の家ではもちろん状況は変わるだろうが、それでも肉親に対
する愛情が違うとは思いたくない。
太朗は正紀をじっと目つめ、小田切に何と答えるのだろうかと待った。
「・・・・・グループの仕事に参加させていただけでも、私にとって十分に考慮した結果だ。そして、それに応えなかった相手にチャ
ンスを与えるほどに余裕はないんだよ、私の方もね」
お金がなのか、気持ち的になのか。正紀は言葉を要約するのでよく分からない。仕事相手や部下に話しているのではなく、肉親
に対してならばもう少し・・・・・と、思ってしまう太朗が甘いだけなのだろうか。
「ま・・・・・」
それでもと思った太朗が更に言葉を継ごうとした時、隣の気配が動いた。
(え・・・・・?)
「ジローさ・・・・・」
上杉は、正紀の正面に立った。堂々とした体躯の上杉の前では、細身の正紀は一回り小さく見えてしまう。
「表向きの理由を聞きたいわけじゃないんだよ」
「・・・・・」
「あんた、あいつのことが嫌いなんだろ?失敗して、それこそ手を叩いて喜んだんじゃねえのか?」
「・・・・・少し、言葉を慎んだらどうかな」
「腹が立ったなら、馬鹿野郎の一言でも言ったらどうだ?御当主様・・・・・っ!」
「!」
上杉の言葉は最後まで言うことは出来なかった。
いきなり手を伸ばしてきた正紀の後ろの男が、そのまま上杉の胸倉を掴んだからだ。そして、そのまま床に身体を押し倒して押さえ
つけようとしたのだろうが、上杉も黙ってされる男ではなく、空いている手を動かし、接近した相手の腹を肘で打つ・・・・・が、その肘
は男がもう一方の手の平で受け止めてしまう。
「ちょ、ちょっと!」
いきなり始まってしまった格闘に驚いているのは太朗だけで、小田切や綾辻は笑みを浮かべているし、正紀は無表情でその光
景を見ている。
このままではどちらかが怪我をしてしまう。足や手をくり出すが、防御も完璧な2人の男をどう止めていいのか、太朗は1人焦ってい
た。
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