CHANGE




23







 組み敷いている身体は抵抗をしない。
この部屋の中には己以外主人を守るものはおらず、本当ならばどんな抵抗をしてでも上杉を退け、正紀のもとに行くのが正しいよ
うに思えた。
(こいつ・・・・・)
 何時の間にか、正紀は太朗に謝罪し、東條院を切り捨てないということを約束して話は終わろうとしている。
この流れを読んで抵抗しなかったのかと、上杉は胡乱な目で男を睨んだ。
 「お前、本当はダメージ負ってないだろ」
 「・・・・・」
 「俺も馬鹿じゃねえ。相手が自分よりも弱いか強いか、組んだらある程度は分かるつもりだ」
 「・・・・・」
 「今の状況は計算済みか?」
 わざと神経を逆撫でするように揶揄しても、男の表情は変わらない。ここまで徹底的に感情を制御できるのかと半ば感心して上
杉は自分から手を離した。
 「ジローさん!」
 直ぐに太朗が駆け寄ってくる。
その身体を抱きとめながら、上杉は立ち上がった男を見た。改めてみれば、自分よりも逞しい体付きだ。この歳でこれだけの身体
を維持しているのは相当な鍛錬を続けているはずだ。
(うちに欲しい人材だが・・・・・)
 「計算はしていましたが」
 「ん?」
 「とっさに、反撃は出来ませんでした」
 「・・・・・ふ〜ん」
(あまり頭の固い奴を入れても堅苦しいだけか)
 本人はそのつもりはなくても、長い間培われた主従関係はその身に、心に刻み付いている。この男をスカウトするのは無理だろう
と、上杉は軽く手を上げてそれに応えた。




 太朗は焦って上杉の身体を見る。
抱きしめられている状態なので、頭のてっぺんから足先までというわけには行かなかったが、それでも表面上に大きな怪我をした様
子は無かった。
 大柄な男同士が組み合ったのでどうかと心配したが、どうやら互いに受身もきちんと出来ていたのかもしれない。
 「良かったあ」
太朗の呟きに、頭上から笑みが聞こえた。
 「大げさだな。俺が怪我するとでも思ったのか?」
 「だって」
 「悪いが、俺はお前の見ている前じゃ絶対に負けねえな」
カッコつけたいからなと言う上杉の言葉に馬鹿じゃないのと言い返すものの、太朗はその言葉を嬉しく思う。もちろん喧嘩などして
ほしくないが、そう思っていてくれたら太朗としても少しは安心出来た。
 「上杉君」
 そんな上杉に、正紀が声を掛けてきた。
 「今回のことでそちらが被った被害というのはあるのかな?」
 「・・・・・金で全て解決ってわけか?」
 「いいや。もしも迷惑を掛けたのなら、形としてお詫びしなければならないと思ってね」
 「・・・・・ないな。あったとしても、それはこちらの不徳だ。あんたに面倒見てもらわなくちゃならないことは一つもねえ」
 「それなら良かった」
穏やかに話しかけてくる正紀に、そんなふうに喧嘩腰に応えなくてもいいと思うが、大人同士・・・・・いや、組織のトップ同士の話
に自分が頭を突っ込むのも可笑しいかもと、太朗はじっと2人の会話を聞いていた。
 すると、正紀の眼差しが再び自分に向けられる。これは自意識過剰ではないと思うが、正紀の自分に向ける目はどこか暖かい
気がした。
 「私にも君と同じくらいの息子がいてね」
 「え?本当ですか?」
 「少し頑固でヤンチャだが、とても可愛い子なんだよ。機会があったら遊びに来るといい」
 「はい!」
 もちろんと元気良く答えれば、上杉がいいのかと呆れたように口を挟んでくる。
 「こいつは社交辞令って言葉を知らないぞ?遊びに来いと言えば本気で行くかもしれない」
 「構わないよ。だが、その時は苑江君1人で」
にっこりと笑いかけてくれる正紀に、太朗も笑って頷いた。




(・・・・・呆気ない)
 もっと、正紀を慌てさせたいと思っていたが、どうやら歳の分だけ相手も狡猾になったらしい。
小田切は東條院に視線を向けた。まさか自分が許しを得るとは思わなかったのか、まだ当惑した表情をしている。
(私に手を出してくるくせに・・・・・まだまだ子供ということか)
 「広郷さん」
 「・・・・・っ」
 名前を呼べば、弾けたように自分を振り返った。
 「今・・・・・名前?」
 「この場には東條院氏が2人いらっしゃいますからね。区別するには名前を呼ぶしかないでしょう」
もしかしたら・・・・・いや、これは確信だが、東條院の方からアクションを起こしてこなければ会うことはなかったはずだ。
こうして会ったことがこれからの男にとって良いか悪いか分からないが、小田切も多少迷惑を被ったのだ、このままで終わるつもりは
なかった。
 「どうやら、首は繋がったようですね」
 「あ・・・・・あ」
 「私とは、これきりにしますか?」
 「・・・・・」
 東條院は小田切の顔をじっと見る。いや、その視線は自分の唇に向けられていた。
(忘れたわけじゃ・・・・・ないでしょう?)
見せ付けるように、ゆっくりと唇を動かす。どういう風にすれば自分が一番よく見えるか、小田切はちゃんと分かっていた。
 「・・・・・会う」
 「・・・・・」
 「確かに、今回はあんたを俺と同じ所まで引き摺り下ろすつもりで会いにきたが・・・・・本当にもう一度チャンスをもらえるなら、そ
れを土産にまた会いに行く」
 いいだろうと訊ねる口調は傲慢なくせに、その眼差しは可愛い子犬のようだ。
新しいカードが手に入るかもしれない・・・・・小田切はにっこりと笑みを浮かべる。
 「可愛い子犬を追い払うような真似はしませんよ」
東條院が嫌っていたその言葉を言っても、男はしっかりと頷いていて、小田切は笑い出したいのを抑えるのが大変だった。




 「綾辻」
 「はい?」
 「・・・・・今回のようなことに君が顔を出すことは感心しないな。今後の関係のことを考えてしまうよ」
 正紀の言葉に綾辻は苦笑する。こういった言葉を投げつけられることは予想内だったし、多分・・・・・それはここにいる者達に対
する表向きの言葉だということも分かっていた。
 過去、自分の父親が世話をしていた小田切という存在を切り捨てることは容易だろうが、祖父の落とし胤である綾辻の存在を
同様に扱うことは出来ないだろう。
 綾辻の母親は男からの援助を一切断っていたものの、男は愛人とその子のために相当な遺産を残していた。
綾辻自身もその権利は放棄したが、男が子に残したのは金だけではなく人脈も、東條院という家の力もあり、安易に手を離せば
それこそ猛獣を檻から出すのと同じだろう。
 今綾辻は自分の組織のために時折東條院の名を借りているが、それ以上のものを要求することはない。東條院にとって今の均
衡を崩す方がリスクを伴うはずだ。
 「ごめんなさいね、私にも付き合いっていうものがあるから」
 「・・・・・友人は選んだ方がいいよ」
 「結構、スリリングで楽しいんだけど」
 「・・・・・」
 正紀は視線を高畑に向ける。
 「時間は?」
 「既に予定を過ぎています」
 「残念だが、引き取っていただくしかないようだ」
 「・・・・・」
今の時間から急ぎの用件があるとは思えないが、それでもこうして会ってくれた正紀に応えるために、こちら側も当初の約束を守ら
なければならないだろう。
 「上杉会長」
 「ああ」
 上杉もそれは納得しているのか直ぐに頷いた。
 「小田切、いいか?」
 「ええ、私の方は」
 「手間を取らせたな、綾辻」
 「いいえ〜、私は何もしていませんから」
単に立会人としてここにいただけで、自分は何もしていない。
上杉と小田切が納得し、正紀も文句を言わないのならばそれで、自分の役割は全て終わったといっていい。何より、
(タロ君が無事なんだから、いいわよね)
自分達とは全く無関係の普通の高校生である太朗に何も無かったことが一番だと思った。




 連れだって部屋の外に出た時、太朗はおいと呼び止められた。
まだ部屋に残って正紀と話すという東條院はドアの内側に立ったまま、悪かったなと太朗に頭を下げる。
 「お前に不快な思いをさせた」
 「い、いえ」
太朗は慌てて首を横に振った。
 「もう、ちゃんと謝ってもらったからいいです。それに、俺自身に何かされたわけじゃないし、東條院さんが小田切さんと仲良くなっ
てくれたんならそれでいいし」
 「・・・・・」
 「飼い犬のことも、ちゃんと決着つけてくださいね?」
 「飼い犬?」
 なぜか、東條院は首を傾げたが、その直ぐ傍で小田切がポンと肩を叩くと、それで全てを承知したかのように笑みを浮かべた。
 「ああ、大丈夫だ」
良かったと思う。こうして見るだけでも小田切と東條院の間には親密さが出てきたようだし、今後に残るような諍いはないだろう。
(でも、結局今回のことって・・・・・なんだったんだろ?)
 太朗の知らない所で始まり、また知らない所で解決してしまった気がして、太朗は自分が何をしたという自覚も実感もない。
もちろん、何事もなく全てが終わったということはいいことだと思うが・・・・・。
 「ありがとうございましたー!」
 とりあえず、東條院を許してくれたことに対する感謝と、こうして会ってくれたことへの礼を込めて入口から中へと大きな声で叫ぶ
と、笑い声と共に気をつけてという返事があった。
 「良い人で良かったよね?」
 すぐ傍にいる上杉を見て言えば、なぜか複雑な笑みを浮かべている。
 「お前に対してだけだろ」
 「そうかな?」
(誰に対しても穏やかな感じに見えたけど)
 「行くぞ」
 「あ、うんっ」
上杉に促され、東條院にペコッと頭を下げた太朗は、他の3人と共に再びエレベーターへと乗り込んだ。
 「遅くなっちゃった」
 「眠いか?」
 「それほど子供じゃないよ」
 馬鹿にするなと唇を尖らせると、間もなくエレベーターはロビーへと着く。
扉が開いて直ぐに視界に広がる豪奢なロビーには、時間帯のせいかほとんど人影は無かったが・・・・・エレベーターから一番近いソ
ファの影から1人の男が立ち上がって、足早にこちらへと駆け寄ってくるのが見えた。
 「あ、宗岡さんっ」
(わ、忘れてた!)