CHANGE
24
忘れていたと思った太朗は、思わず小田切を振り返った。
(ど、どうするんだろ・・・・・)
この2人が恋人同士だというのはもう分かっているし、先ほど小田切がかなり怒っていたことも思いだした。
正紀に会うことで、東條院のことは決着がついたものの、この2人の関係はまだこじれたままだったのだと思うと、小田切がどう
するのかと考えてしまう。
先ず小田切のことを思うのは、もちろん太朗にとっては彼の方を良く知っているし、大切だからだ。
「・・・・・」
「・・・・・」
宗岡が険しい表情のまま歩み寄る。それに呼応するように小田切も足を踏み出したので、太朗は隣に立つ上杉の腕を掴んで
言った。
「どうなると思う?」
「さあな」
「さあなって、無責任な言い方しないでよ」
「俺と小田切じゃ思考が全く違うからな。こういう場合にあいつがどうするか全く読めねえ」
「・・・・・」
(ジローさんにも分からないのか)
一流ホテルのロビーで騒ぎ立てることはないだろうが、太朗はいったい今から何が始まってしまうのかと、先ほど正紀に会った時
よりも緊張するような気がしていた。
「裕さん」
「・・・・・」
大人しくここで待っていたことは褒めてやってもいいが、元々小田切がここまで連れて来たわけではない。
むしろ、非番であるものの、警察官の男に自分の個人的なことに関して顔を突っ込んで欲しくなかった。
「・・・・・」
宗岡の視線は自分の顔から足まで移動し、何も変わっていない様子に明らかに安堵したように表情を和らげている。
こんなホテルの中で、相手もこちらも馬鹿な手段はとらないということは分かりきっているはずなのに・・・・・こんな表情を見せる男
は、まだまだ子供ということだろう。
「裕さん」
もう一度名前を呼ばれ、小田切は溜め息をついた。
このまま自分の上司である上杉や、一緒に大人の遊びが出来る綾辻、そして自分のことを慕ってくれる太朗の前で男同士の修
羅場を見せるわけにはいかなかった。
「会長」
小田切は上杉を振り返った。
「申し訳ないんですが、私はここで失礼してもよろしいですか?」
「・・・・・」
上杉はチラッと宗岡に視線をやる。
「明日は休むか?」
「まさか。私にはやらなければならないことが山ほどありますし。あなたは、太朗君を送ってから来られるんでしょう?」
「一応、その予定だ」
断言しないのが上杉らしい。多分、このまま大人しく太朗を寝かせるとは思えないが、それでも一応彼の前ではそう言うのがずる
い大人の考えだ。
「綾辻さんも、今回はご迷惑掛けました」
「とんでもないわ。何時も楽しく遊ばせて貰っているし、あの人があんな顔をするところも見ることが出来たし」
「・・・・・」
「感謝してるかも」
「いいえ、こちらこそ」
自分以上に東條院家・・・・・そして、正紀にも思うところのある綾辻だろうが、彼はもう相手を徹底的に他人と見ている。
そこまで来るのに葛藤はあっただろうが、だからこそ今こんなふうに軽口が叩ける気分なのだろう。
(あなただけは敵にしたくありませんよ)
「では、大変申し訳ありませんが、お先に失礼します」
「ああ、お疲れ」
丁寧に頭を下げた小田切がその場から立ち去ろうとすると、大きな声で名前を呼ばれた。
「小田切さん!」
駆け寄ってきた太朗は、自分と宗岡の顔を交互に見つめ、喧嘩しないでくださいねと言ってくる。
「宗岡さん、本当に小田切さんのこと心配してたんですよ?」
言われなくても分かっている。この男は嫌になるくらい自分に対して一途で、こちらが重いと思うほどの愛情を傾けてくる。
本来は警官など遊びの相手だったはずなのに、何時の間にこんなに深く心の中に入り込んできたのか・・・・・計算出来ないものと
いうのもあるのだなと、小田切は太朗に笑って見せた。
「喧嘩などしませんよ」
自分と宗岡の関係は対等ではない。
小田切が気分を害すことがあっても、宗岡が感情的になっても、その道が交差することはないのだと、そこまで太朗に説明するつ
もりのない小田切は、それでも心配してくれる気持ちをありがたく思った。
「会長、今日は太朗君を泣かせたりしないでくださいよ」
そんな太朗のために上杉に一言だけ注文すると、小田切は今度こそ皆に背を向けて外へと向かって歩き始めた。
「・・・・・」
「・・・・・っ」
自分の横を通り過ぎる時、小田切が一瞬だけ視線を寄越した。
何も言わなかったものの、宗岡はその一瞥が付いて来いという意味だと勝手に考えて、急いでその後を追う。
(・・・・・あっ)
玄関を出る時、ハッと太朗のことを思い出して振り返ったが、小さくなったその姿の直ぐ隣に大柄な男を見て、彼は大丈夫だと
確信した。
(ごめんっ、太朗君!)
それよりも、先ずは目の前の細い背中を追いかけなければならない。このまま一体どこに行くのか、その姿を見失うわけにはいか
なかった。
「・・・・・お前は私のことを良く知っていると思ったが・・・・・どうやらまだまだだということだな」
「もっと私を知りたいのなら・・・・・そうだな、先ずは同居を解消しよう」
「良く知らない相手と同居など出来ないだろう?」
あの言葉が小田切の本心かどうか、あの時はあまりに動揺していたので見極めることさえ出来なかったが、その一挙一動を見逃
してはならないということは分かっている。
小田切は言ったことは必ず実行する男で、にっこりと笑いながら身体の関係を持っていた相手さえも切ることが出来るだろう男だ。
(絶対に、放さないからなっ)
「・・・・・」
「・・・・・」
タクシーに乗り込むことも無かった小田切は、宗岡が後を付いてくるのかどうか全く振り向かないまま歩き続け、ホテルの駐車場
に停められた宗岡のバイクの前で立ち止まって振り向く。
「メットは?」
「一つしか・・・・・」
「渡せ」
「裕さんっ」
「ノーヘルで掴まりたくなかったら、警察がいない裏道を通ることだな」
そう言うと、小田切がさっさとヘルメットをつけて後ろに乗る。
警察官としてノーヘルの少年達を取り締まっている立場の宗岡だが、ここでそれをどうこう言っている場合ではない。後で何を言わ
れても仕方がないとあっさりと良心を捨て去り、宗岡はバイクに跨った。
(・・・・・無事ならいいがな、あいつ)
宗岡のことを心配してやるつもりはないが、今からあの小田切の相手をするのかと思うと少し可哀想になる。
「・・・・・大丈夫かな」
そんな自分とは全く違う、純粋に心配しているのだろう太朗の言葉に、何だかホッと安心出来た。
「大丈夫だろ、あいつらもいい大人だ」
「・・・・・うん」
「綾辻、送ってやろうか?」
「ありがとうございます。でも、お邪魔でしょうから」
意味深に笑う綾辻に、上杉も笑みを返す。
「まあ、そうだな」
「ジローさん!綾辻さん、本当に送っていきますよ?・・・・・って、運転するの俺じゃないけど」
「ありがと、タロ君。でも、本当に大丈夫よ。明日も学校でしょ?早く寝ないとお肌に悪いわよ?」
顔を赤くした太朗の頭を撫でながら言う綾辻にそれ以上無理強いすることもないかと、上杉は太朗の肩を抱き寄せた。
綾辻の前で何をするのかと焦って太朗は視線を向けてくるものの、上杉は自分達の関係を今更隠す気など全くなく、むしろ見せ
付けるように更に手に力を込める。
「帰るか、タロ」
「・・・・・う、うん」
「綾辻、今度酒を奢る」
「高いお酒をお願いしま〜す」
どれ程の酒になるかは分からないが、一度とことん一緒に飲んでみるのも面白いだろう。小田切とは全く違う意味で扱い難い男
だが、あれよりも性格はいい・・・・・はずだ。
「じゃあな」
「あ、綾辻さん、おやすみなさいっ」
「おやすみ〜」
ちゃんと寝かせてもらいなさいよと笑いながら言う綾辻は、やっぱり小田切と同類かもしれない。
ホテルの地下駐車場に向かった2人。上杉の車が目に入った途端、太朗は思わず駆け出していた。
「・・・・・」
「どうした、タロ?」
上杉がそう訊ねてくるが、太朗は無言のまま車の周りをグルグルと回った。
(絶対、傷があるはず・・・・・)
自ら進んで太朗が東條院の別荘に行った時、その門を車で突き破って侵入した上杉。いくら丈夫な四駆の車でも何らかの傷
があっておかしくないのに、あの時は来てくれた嬉しさだけが先にたってそんなことを考える余裕は無かった。
しかし、今駐車場の明かりの下、改めて車を見てみればやはりボンネットの辺りがへこんでいる。それだけではなく、ドアの辺り
も傷付いていて、いったい修理にどのくらい掛かるのだろうかと予想もつかなかった。
「・・・・・気にするなよ、名誉の負傷だ」
太朗の視線に気付いた上杉は笑いながらそう言ってくれるが、元々は太朗が勝手に動いてしまったせいで上杉はあんな場所ま
でやってきたのだ。
(本当なら、こんな傷付けることも無かったのに・・・・・)
「ジローさん」
「ん?」
「これ、俺が弁償するから」
「だから、気にするなって」
「気にするよっ。ジローさんが代理で直したとしても、掛かったお金は俺がバイトして絶対に払う!でも、時間が掛かると思うから
利子だけは負けて」
上杉にとっては気にしない程度のものかもしれないが、太朗には太朗の意地がある。
そんな自分の気持ちを上杉はちゃんと分かってくれたのか、しかたないなと笑いながらも分かったと言ってくれた。
「じゃあ、月々100円くらい貰うか」
「えーっ?そんなの、何時払い終えるか分かんないじゃん!」
ヘタをすれば今の上杉ぐらいの歳になるかもと太朗が眉を顰めると、上杉はにやりと人の悪い笑みを浮かべる。
「少なくとも、その間は俺から離れられないだろう?」
「・・・・・っ、な、なにそれ!お金なんか関係なく、ずっと一緒にいるつもりだよ!」
「ずっと?」
「ジローさんは、そうは思ってなかったわけっ?」
「・・・・・タロ」
「うわっ」
なぜか嬉しそうに笑った上杉は、太朗の身体を強く抱きしめてくる。深夜のホテルの地下駐車場とはいえ、絶対に人目は無いと
限らない。太朗はその腕の中でバタバタと暴れた。
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