CHANGE
25
「ねえ」
「ん〜」
マンションに向かう車中で、太朗は少し言い難そうに声を掛けてきた。太朗がこんな言い方をするのは珍しいので、上杉はチラッ
と視線を向けてどうしたと訊ねる。
「・・・・・あのさあ」
「・・・・・」
「・・・・・」
「なんだ、気になるだろ」
早く言えと催促すると、太朗はようやく口を開いた。
「小田切さんと宗岡さん・・・・・大丈夫だよね?」
「・・・・・なんだ、そんなことか」
上杉は苦笑を浮かべる。
何を言うのかと思ったら、自分達のことではなく小田切とあの犬のことを心配していたとは、さすがに太朗と思ってしまった。
自分と一緒にいる時は自分のことだけを考えて欲しいと思うのは、それほど我が儘な願いではないと思う。しかし、そんな上杉の
気持ちはきっと太朗には分からないだろう。
「大丈夫だろ」
「どうして?」
「小田切だからな」
理由はただ一つ、それだけだ。
仕事面に関しても、私生活に関しても、あの男から失敗しただとか後悔しているとかいう言葉は聞いたことがない。
それに、こちらが心配したとしても、笑ってなんでもないですと言い放つ男だ。
「心配するな」
しかし、上杉ほどに小田切という男の裏も表も知っているはずのない太朗は、その言葉を少し冷たいと思ってしまったらしい。
可愛らしく口を尖らして、もっと真剣に考えてくれと言って来た。
「ジローさんの部下じゃん!」
「部下でも、いい大人だろ。大体、人の色恋ごとに口を出す方が馬鹿らしいぞ」
きっと明日になれば、男の精を吸った艶やかな顔で事務所に現れてくるに違いない。
「それよりも、タロ、お前、自分のことを考えたらどうだ?」
「え?」
今怒っていたのに、もう不思議そうな顔をしている。くるくる表情が変わるその様子に、上杉はふっと笑みを浮かべる。
「俺がこのままお前を寝かせると思ってるのか?」
「ジ、ジローさん?」
恐々自分の名を呼んでくる太朗にそれ以上は言わず、上杉は笑ったまま車を運転し続けた。
上杉のマンションに着いたのは本当に深夜という時間で、上杉は直ぐに風呂に入れと言ってくれた。
マンションに置いてあるお泊りグッズであるパジャマと下着を持ち、そのままバスルームに行った太朗は、裸のまま浴室に入り、湯
船に湯が溜まるのをじっと見つめながら考えた。
「・・・・・やっぱり、するよな」
「俺がこのままお前を寝かせると思ってるのか?」
太朗だって、上杉と何年も付き合い、ちゃんとエッチまでしている仲だ。ここまできて何もせずにただ眠るだろうとは思わない。
それに、自分の受験のせいもあるが、上杉とはなかなか会えなくて、更にエッチする時間など出来るはずもなくて、少し・・・・・ほん
の少し、太朗も身体がウズウズすることがあったのだ。
「絶対に、ジローさんには言わないけど」
誰かと身体を合わせることの温かさを、セックスの気持ちよさを知った身体は、自ら慰めるだけでは芯から鎮まることはない。
「・・・・・」
太朗はどうしようかなと思う。
今回、自分のために頑張ってくれた上杉に対し、何をしたらいいだろうか?
「・・・・・難しい」
数学の問題を解くより難しいなと、太朗はずっと唸っていた。
上杉は、もう30分ほどもバスルームから出てこない太朗の心情を想像していた。
もちろん、抱かないという選択は無かったが、太朗の母親である佐緒里との約束通り、太朗を学校に行かせるために濃厚なセック
スをするつもりは無い・・・・・はずがなかった。
「ようは、タロが納得すればいいんだしな」
佐緒里に嫌われることは、この先を考えればあまりしたくなかったし、彼女に連絡を取った時まではただ一度でもこの手に抱けれ
ばいいと思っていた。
しかし、今の上杉の心境は、この手から太朗を手放したくない・・・・・その一言に尽きる。
正紀との緊張感のある対面があったからか、その護衛と手合わせをした興奮からか。いや、そのどれも言い訳に過ぎない。単に
上杉は太朗に飢えているのだ。ここのところ抱くことが出来なかった可愛い恋人を堪能するのに、2、3時間など短過ぎる。
愛を深めるのに、1日くらい学校を休ませたって構わないと思った。
(それを、タロからどう言わせるか・・・・・)
ガチャ
「・・・・・」
(上がったか)
その時、ようやくドアが開閉する音がし、ペタペタというスリッパの音がする。
その足音がリビングの前まで来た時、
「随分長かったなあ」
からかうように言いながら振り向いた上杉は、その太朗の姿に思わず目を見張ってしまった。
「・・・・・どうしたんだ、それ」
「あ、あ・・・・・と」
「・・・・・」
「す、するかなーって・・・・・思って」
語尾が小さくなったその言葉を聞きながら、上杉はソファから立ち上がった。
腿ほどの長さのパジャマの上着だけを着て、下半身は何も身に付けていない太朗の心境を考えれば、上杉も言葉を飾ってはいら
れない。
「ああ、する」
抱きたいからなと言いながらその身体を抱きしめると、太朗は直接過ぎと恥ずかしそうに言いながらも背中に手を回してくれた。
「ま、間が空くと、余計に恥ずかしい・・・・・っ」
(勢いが大切なんだよな、こういうの)
どうせ脱ぐのならばパジャマを着るのも変かもしれないと思い、かといって、素っ裸ではあまりにも恥ずかしくて、女みたいかなと思
いながらもパジャマの上着だけを着て出て行った。
そんな自分を見た時、上杉が少し驚いた後、なんだか楽しそうに目を細めたのが凄く恥ずかしくて・・・・・。
そのまま寝室に連れて行かれるかと思ったが、上杉は軽くキスをしただけで自分もシャワーを浴びて来ると言った。
「どうせ汚れるが、お前に隅々まで可愛がってもらえるためにも綺麗にしておかないとな」
声を落とし、悪戯っぽい口調で言った上杉。その声を聞いただけで、太朗は何だか居たたまれない思いがした。
(い、いったい、何をさせる気だろ・・・・・)
太朗から奉仕をしたことが無いとは言わないが、それでもテクニックがあるとはとても言えない。上杉は自分が奉仕するのが好き
らしく、太朗も直ぐに上杉の手管に翻弄されて、今まで自分から何かするという余裕があまりなかった。
「それじゃ、駄目なんだよ」
(俺だって男なんだし)
「出来たらジローさんを喘がすような・・・・・ん?」
(・・・・・だ、駄目だ、想像出来ない・・・・・)
自分が上杉を翻弄するなんてとても想像出来なくて、太朗はますます居たたまれない思いを抱いたまま、ベッドの上で正座をして
しまった。
「ベッドの上で可愛く待ってろ」
(・・・・・可愛く?)
「・・・・・」
パジャマのボタンを外そうとして、
「・・・・・」
やっぱり、止める。
「う〜」
(早く来いよ〜)
別にセックスしたいからじゃないぞと何度も心の中で言いながら、太朗は寝室のドアが開くのをじっと待っていた。
シャワーを浴びた上杉が、キッチンでミネラルウォーターのペットボトルを手にしてから寝室に入ると、太朗はまるで説教されるの
を待つ子供のようにベッドの上で正座をしていた。
「どうしたんだ?」
「・・・・・落ち着かなくて」
「横になってればいいじゃねえか」
「それも、なんか変だし」
「バ〜カ・・・・・ほら」
上杉がペットボトルを差し出すと、太朗はありがとうと言って受け取り、そのまま口にする。
自分でも気付かないほどに喉が渇いていたのか、半分ほど一気に飲んで、ふうと大きな溜め息をついていた。
「・・・・・」
「ん?」
そのまま太朗がじっと自分を見ているのに気付いて訊ねると、
「・・・・・なんか、ズルイ」
そう、返事を返してくる。
「なんだ、それ」
「・・・・・カッコいいから」
「カッコいい?」
「パジャマの下だけ穿いてる姿」
「ん?これか?」
別に意識したわけではなく、太朗が言ったように今からセックスをするのでわざわざ服を着る必要性を感じずに、それでもさすが
に全裸でウロウロと出来ないので下だけ身に付けたのだ。
(これが、カッコいい・・・・・ねえ)
何気ない様をそう褒められるのは面映ゆい。もちろん、嘘や世辞などを言わない太朗の言葉だからなおさらだ。
「タロ」
上杉はベッドに乗り上がると、太朗が持っていたペットボトルをそのまま床へと投げ捨てる。
「ジ、ジローさん?」
「お前には俺がカッコよく見えるのか?」
「そ、それはっ」
「・・・・・」
「・・・・・当たり前じゃん、好きなんだからさっ」
悔しそうに言うのが太朗らしくて、上杉はくくっと喉の奥で笑う。そんな自分を悔しそうに見ていた太朗は、ふと視線を動かすと、
「あっ」
急に声を上げて自分の身体を押し倒してきた。
「どうした、積極的だな」
「バカッ、これ!」
「・・・・・」
太朗の視線を追い、上杉は自分の身体を見下ろして、ようやくああと納得した。横腹の辺りが少し痣になっているこれを言いた
いのだろう。
(こんなもの、掠り傷と一緒だがな)
「・・・・・痛い?」
「全然。撫でられたのと一緒だ」
数時間前、正紀の護衛と組み合った時に付いてしまった痣だが、痛みは無いし、服で隠れるような場所に少々痣があっても全
く構わないと、上杉は眉を寄せる太朗の髪をクシャッと撫でた。
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