CHANGE
29
「はあ〜」
太朗は深い溜め息をつきながら、重い足取りで学校の校門を出た。
「母ちゃん、謝っても許してくれないだろうな〜」
言葉で言っても、とてもその可能性を望めるはずもなく、太朗は再び溜め息をつく。もちろんその原因は自分にあるのだが、それ以
上に責任のある男の顔を思い浮かべると、思わず顰め面になってしまった。
あの日、クタクタになるほど上杉に抱き潰された太朗は、夕方になってようやく家に帰ることが出来た。
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・ごめんなさい」
玄関先でじっと自分の顔を見る母親に頭を下げると、大げさだと思うくらい大きな溜め息をつかれた。
「結局、学校は休んだのね?」
「・・・・・うん」
「二ヶ月、お小遣い無し。それと、1カ月は門限8時」
「えーっ?」
最悪門限はいいとして、小遣い二ヶ月無しはちょっときつ過ぎる。
しかし、文句たっぷりという太朗の顔を見た母は、じゃあとチラッと太朗の後ろにいる大柄な男に視線を向けた。
「責任は全て上杉さんにあるの?」
思わずうんと頷いてしまいたかったが、太朗は自分からも上杉を求めたという自覚があるのでそれも出来なかった。平日に、翌日
のことまで考えずにエッチしてしまった責任・・・・・その二割くらいは自分にあるかもしれない。
「・・・・・分かりました」
「上杉さん」
「分かった、門限8時だな。会うことを禁止されなきゃ、問題ない」
あっと、太朗は思わず母親の顔を見上げた。罰だというのならば、確かに会うこと自体禁止するという方が一番ペナルティーとし
て重いとは思うが、そこまでは言わないという母親の気持ちに嬉しくなった。
「母ちゃん・・・・・」
「全く、七之助さんがまだ帰ってなくて良かったわ。いたら上杉さん、半殺し」
「タロのオヤジ相手じゃ、反撃も出来ないしな」
「あら、七之助さんに勝てると思ってるの?」
それからしばらく、太朗は自分の頭の上で読み取り不可能な言葉の応酬を聞いていた。
しかし、上杉も母親もその言い合いをどこか楽しんでいるように思え、大人は分からないと自分だけはまだ子供でいてもいいかと納
得してしまう。
どちらにせよ、小遣いがしばらく無いのは事実だ。父親にねだれば内緒でくれるのは分かるのだが・・・・・後ろめたさもあり、それは
出来ないなと思う。
後は、上杉にたかるしかないが、太朗が言うのはおやつくらいなものなので、返って上杉に馬鹿馬鹿しいほどのプレゼント攻撃をさ
れかねず・・・・・。
(・・・・・駄目だ。しばらくは貯金で過ごすしかないかあ)
食べ盛り、成長盛りと自認している身には辛いがと思いながら歩いていると、太朗はふと動かした視線の先に知った顔を見て思
わず立ち止まった。
相手も、どうやら太朗のことを覚えているらしい。ただ、知った顔を見つけた柔らかな表情ではなく、初めて会った時と同じような気
難しい表情をしている。
「君は、この男と付き合っているのか?」
「それとも、何か弱みを握られているのか?」
言葉の響きは問い詰めるような厳しいものだったが、その内容は太朗のことを気に掛けてくれたのだろうと今ならばよく分かった。
見掛けがいいのに表情でマイナスになるなど、勿体無い。
(もう少し愛想良くしたらカッコイイのに)
強面に慣れ、男の職業も知っている太朗は躊躇い無く近付き、こんにちはと大きな声で声を掛けた。
馴れ馴れしく声を掛けた太朗に、男は黙ったままの眼差しを向ける。
「え〜っと、俺のこと、分かりますか?」
「ああ」
「良かった」
しかし、声を掛けたものの、太朗は何を言おうかと言葉に詰まってしまった。
あの時、自分を待っていた上杉はこの人物に疑われて声を掛けられたのだが、それは太朗自身の言葉で誤解は解けたはずだっ
た。しかし、最後まで訝しげな表情で見られていたと、思う。
「あの、この間の人ですけど」
「照会した」
「・・・・・紹介?」
「データベースで調べた。大東組系羽生会の会長だな?君みたいな高校生が、どうしてあんな大物と知り合いなのか分からな
いが・・・・・」
男は太朗の顔をじっと見た。
「力がいるのなら貸すぞ」
「え?」
男はスーツの内ボケットから何かを取り出し、太朗に差し出してきた。どうやらそれは名刺のようで、普段は使わないような難しい
言葉が並んでいる。
「警視庁、組織犯罪・・・・・対策部第三課、警視正、宇佐見貴継(うさみ たかつぐ)?」
「必要になれば連絡して来ればいい。力になろう」
「は・・・・・あ」
警視正という言葉からも、警察の中でも偉い立場なのだろうとは想像出来るものの、交番のお巡りさんや、それこそ白バイ隊員
の宗岡の方が身近な太朗にはあまりにも遠い存在に感じた。
それでも、自分を心配してくれているのだということは、厳しい眼差しの中にある気遣わしげな色で分かる。そんなふうに思ってく
れるだけで何だか嬉しかった。
「ありがとうございますっ、でも、俺大丈夫ですから!」
あの男は恋人だからという言葉はさすがに言わなかったが、太朗の表情を見ていた人物・・・・・宇佐見は、しばらくしてたった一
言、それならいいと言ってくれた。
「へえ、それでは、しばらく泊まりは無しですね」
「泊まらなくったって、やることはやれるしな」
「・・・・・そうでしょうねえ」
にやっと笑みを浮かべた上杉に、あからさまに揶揄した口調で小田切は声を掛ける。しかし、上機嫌の上杉に小田切の嫌味は
全く効かなかった。
「もっ、小遣い無いって、どうするんだよ!」
母親の佐緒里にそう通告された太朗は、涙目で恨みがましく上杉に言ったが、それでも上杉はその前の言葉が耳に残って離れ
なかった。
「責任は全て上杉さんにあるの?」
「・・・・・分かりました」
そこで全部自分のせいにしてしまえばよかったのに、太朗は自身にも責任があることを佐緒里の前で認めた。
セックスはもちろん合意の上だったが、過ぎるそれは自分のせいで、太朗はちゃんと学校のことを言っていた。それなのに、上杉を庇
うように行動してくれた太朗が・・・・・。
「何ですか」
「ん〜?」
「その顔、人前でしないで下さいよ」
鏡を見ていないのでよく分からないが、相当にやけているらしい。隠すこともないと、上杉は意味深に目を細めて笑う。
「久し振りに抱いたから、タロも結構ノッてな。俺もまだまだ若いってことだ」
「はいはい」
「そういうお前の方はどうなんだ?」
自分だけがすました顔をしていても、あの日何かあったということは間違いないはずだ。
「何のことでしょう?」
一筋縄ではいかない小田切は、先を読ませない笑みを浮かべている。どんな感情も顔に出てしまう太朗とはまるで違うが、今回
のことでは初めてといってもいい焦ったこの男を見ることが出来た。
その顔もすぐに引っ込めてしまったが、上杉は見なかったことにしてやるつもりはない。
(堂々と遊べるネタだしな)
「昨日、昼からの出勤だったらしいじゃねえか」
腰が立たない太朗に付き合い、もちろん自分のせいなので上杉は嬉々として昨日一日休んだが、話を聞けば小田切も午後を
大きく過ぎてから事務所に出てきたらしい。その間いったい何があったのか、上司である自分は聞く権利があるだろう。
「何してた?」
「・・・・・」
「だんまりか?」
すると、小田切は椅子に座っている上杉の後ろに立つと、急に耳たぶを噛んできた。とても軽いとはいえないその痛みにおいと眉
を顰めると、
「こういうことですよ」
と、笑みを含んだ声が返ってきた。
「昨日、昼からの出勤だったらしいじゃねえか」
昨日の休みのことを言えば、反対に楽しそうに自分に問い掛けてくる上杉。
ある程度の予想は出来ているはずなのに、あくまでも自分に言わせようとするのは人が悪い証拠だ。
(太朗君、騙されているな)
純粋な高校生を誑かせてと思うが、当の本人が納得して付き合っているのならば別れさす必要はないし、からかうネタが減っ
てしまっては小田切も面白くない。
「何してた?」
どう答えれば納得するのか。
小田切はふっと笑みを浮かべると、そのまま椅子に座っている上杉の背後に回り、身を屈めて耳たぶを噛んだ。
「おいっ」
明らかにセクシャルな意味を滲ませるその行為に上杉が文句を言えば、
「こういうことですよ」
と、笑みを含んだ声で返してやった。
「セックス三昧」
「あのなあ」
「は、あなたでしたっけ」
「小田切〜」
これ以上はやりすぎになってしまうと、引き際を心得ている小田切はポンと肩を叩き、身体を離した。
体格的には嫌いではないし、上杉のような俺様な性格の男をねじ伏せるのも楽しいが、真に愛する者を持っている上杉は他に
目を向けるはずもなく、小田切自身、上杉と一緒に仕事をする方が楽しいので、このくらいの距離感を保つのがいい。
「私とあなたは違うんですよ。どういったことで喜びを感じるのか、話しても分からないでしょうしね。でも、仕事には何の支障もあり
ませんからご心配なく」
「確かに、俺とお前が違うっていうのは分かるけどな」
「ふふ」
「・・・・・あの犬、手放すのか?」
「心配しているんですか?」
まさか、上杉が宗岡のことを言い出すとは思わず、小田切は思わず聞き返してしまう。
「お前じゃなく、犬の方だ」
「・・・・・聞いていなかったんですか?飼い主は、一度飼った犬は、最後まで面倒見る・・・・・そう言ったと思いますけど」
「・・・・・そうだったか」
上杉はそれ以上深く聞いてこなかったし、小田切も話すつもりは無かった。
(私達の関係を話しても分からないだろうし)
「昨日1日休んだ分の仕事、きっちりと取っていますから」
「あのな、お前だって・・・・・」
「私は昨日処理しています」
今回のことは自分の事情に上杉を巻き込んだ形だが、それと仕事はまた別の問題だ。文句を言いたそうな上杉ににっこりと笑い
掛けて黙らせると、小田切は早速持っていた書類を上杉の目の前にドンと置いた。
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