CHANGE












 「・・・・・ダラクしちゃダメなんだよ」
 「ん?どうしたんだ?タロ」
 「ううん、何でもない」
 自習時間、友人の大西仁志(おおにし ひとし)の前の席を陣取り、次の時間の宿題を一生懸命写していた太朗は、自分の
呟きに不思議そうな顔をした大西に向かって笑って誤魔化した。
 「でも、お前が宿題を忘れるなんて珍しいな」
 「ちょ、ちょっと、昨日は眠くなっちゃって」
 「ふ〜ん」
 「・・・・・」
(それ以上突っ込んでくるなよ〜)

 昨日、太朗が散々上杉に喘がせられ、快感を刻み込まれて家に帰ったのは、既に午後8時を回った時間だった。
本当に都合よく、父が夜勤でいなかったから大きな問題にはならなかったが、出迎えた母は太朗の顔を見、続いてその後ろで腰を
支えるようにして立っている上杉に視線を移して大きな溜め息をついた。
 「・・・・・平日にこれじゃ困りますよ」
 「悪い、我慢出来なかった」
 「ちょっ?」
 何を言うんだと、慌てて上杉の口を塞ごうとしたものの、そんな太朗の行動も母の目から見たらじゃれ合いにしか見えなかったらし
い。
 「全く、七之助(しちのすけ)さんが見たら卒倒するから止めなさい」
 「か、母ちゃん」
 「最後まではしてないからな」
 「ジローさん!」
 「当たり前。大人だったらそれくらい考えてください」
 「母ちゃん!」

(あれから5分間くらい、2人の言い合いが続いたんだよなあ)
 表面上2人共笑っていたし、言葉の応酬も激しいものではなかったが、太朗は自分が2人の間でどんな顔をしていいのか全く
分からなかった。
 最後まで2人は、内心は分からなかったが母は比較的穏やかに上杉を見送ったが・・・・・その数十分前まで、とても人に話せ
ないようなことをしていたという負い目があった太朗は、上杉が帰った後どんな顔をして母と話していいのか分からなかったくらいだ。
 「タロは志望校変えないんだよな?」
 「え?あ、うん。そう言えば2つは仁志と一緒だったっけ」
 「だったっけじゃないだろ」
 大西は笑いながらそう言うが、太朗はここにきてまだ自分が受験生だという自覚が薄いままだった。
もちろん、願書を出したり、クラスメイトの中にもピリピリした雰囲気の者がでたりと様子は変わってきたものの、この自分が大学生
になるなんて想像出来ない。
(まあ、合格出来ないと大学生になれないんだけど)
 「あ〜あ」
 「どうした?」
 「高校生になったらもう少し身長伸びると思ったんだけどなあ」
 未だ170センチに僅かに足りない太朗は、1人だけタケノコのように身長を伸ばした悪友をじろっと見た。
 「183、だっけ?」
 「俺?」
 「その3センチいらないだろ?くれよな〜」
 「バカ、バスケやるにはまだまだ足りないくらいなんだぞ?ほら、早く写さないと時間来る」
 「や、やばっ」
今の時期、宿題を忘れてしまったら受験生の自覚がないと、1時間は軽く説教をする物理の教師は苦手だ。同じ怒るにしても、
担任の紺野(こんの)は自分自身が困ったような顔をして、大丈夫かと言ってくれるので・・・・・。
 そこまで考えた太朗は前の黒板を見る。
 「コンちゃん、風邪大丈夫かな」
 「俺達にうつせないって休んでるんだもんな。今日で3日目だし、心配だけど、見舞いは禁止って言われているし」
 「うん・・・・・看病してくれる人がいればいいんだけど」
そう答えた太朗は、ふと、上杉が病気になったらと考えた。太朗に心配を掛けないように行動するあの男はきっと何も言わないだろ
うが、太朗は恋人として絶対に看病をするつもりだ。
(小田切さんにちゃんと連絡してくれるように言っておかないと!)
思い立ったら吉日ではないが、昼休みにでもメールを送っておこうと思った。




 上機嫌に仕事をしている上杉の横顔を見て、小田切はその理由が容易に想像出来た。
(本当に、分かりやすい男だな)
昨日、あまりにも思い掛けないことでつい取り乱してしまったが、小田切はもう落ち着いていた。考えれば自分はもう10代の子供
ではないし、あれからそれなりの場数を踏んで、簡単には屈することもない。
 いや、人はこんな自分をプライドが高いと言うが、小田切は自分が必要であると思えば頭を下げることはなんとも思わない性格
だった。もちろん、あくまでも必要ならば、だが。
 「・・・・・」
 機嫌のいい上杉は、今日の分のノルマはもう達成している。それならばもういいかと、小田切はにっこり笑みを浮かべながらデスク
の横に立った。
 「ご機嫌が良いですね」
 「ん〜?」
 「昨日、太朗君を可愛がったんですか?」
 「ば〜か、昨日は平日だろ」
 「じゃあ、キスだけ?」
 「俺がそんな男に見えるか?」
にっと笑って上杉が言えば、
 「見えませんね」
と、小田切もあっさりと返した。
どちらも大人なので、それにたいして何か思うこともない。
それよりも、上杉はどうも昨日の太朗の可愛さを誰かに言いたかったらしく、それは太朗にとっては人畜無害の小田切にするのが
妥当だと思っているのだろう、聞きもしないことを話し始める。
 そして、小田切にとってはそれ程刺激的な話ではないものの、高校生の太朗にとっては大変だったろう悪戯をした上杉に、小田
切は呆れた眼差しを向けて言った。
 「・・・・・子供相手に何をしてるんですか。淫行罪で捕まっても文句は言えませんよ」
 「タロは男だろ」
 「じゃあ、暴行罪です」
 「おいおい、恋人同士だからいいんだよ」
そんな言葉で全て片付けられるわけじゃないのにと思いながらも、結局は太朗も受け入れたのだろうということも想像出来て(もし
も怒っているなら自分にメールが来るはずだ)、小田切は話題を変えて、はいと上杉の前に数枚の紙を差し出した。
 「何だ?」
 「きっと、あなたが知りたいと思っていることが書いてあると思いますけど」
今日明日にでも絶対に言えと言われる前に、小田切は情報を上杉に伝える。どちらにせよ、今の自分の上司でり、相棒であるの
は、このスケベな男なのだ。




 小田切の言葉が昨日のことを指しているのだと直ぐに悟った上杉は、黙ったまま差し出された書類を見て・・・・・眉を潜めた。
 「お前・・・・・大物くわえ込んでたんだな」
 「その当時は、相手の地位や家柄は全く気にしていなかったんですよ」
 「それでも、金持ち以外は目に入らなかったろ?」
 「お金を持っている人が寄ってきただけです」
 「・・・・・」
(本当に、口の減らない奴)
何を言っても言い返してくる小田切には負けてしまうが、考えたら今でもこれほどの容姿の小田切だ、10代の頃はそれこそ美少
年と言っても良かったくらいだろう。
その上、頭の回転が速く(悪知恵が働く)、大人びた(生意気)という形容詞がつけば、金を持っている道楽好きの老人ならば食
指を伸ばしてくるかもしれない。
 「だが、今の当主は確か40は過ぎていたんじゃねえか?」
 「ですから、長男の現当主ではありません。妾腹の子・・・・・末っ子ですよ」
 「妾腹か・・・・・」
 「あの人はかなりの色好みでしたから」
 「ふ〜ん」
 確かに、そんな噂は聞いたことがあった。ただし、上杉の周りにはその存在と近い人間はいなかったので、詳しい内情までは分か
らないが、華やかな表舞台とは違う、暗い闇の部分を知っている者は少なくないはずだ。
 「・・・・・本当に、お前に接触してくるか?」
 「さあ・・・・・それほど暇じゃないことを祈るしかないですね」
 人事のように言う小田切の横顔を注意深く観察するが、どうやら昨日のような動揺は見受けられない。
(心配はいらねえな)
この男が腹をくくったのならば、大抵のことは涼しい顔をして乗り越えるだろう。上杉は言葉には出さないが安心して、再び書類へと
視線を戻した。




 小田切にメールを送ろうとしたが、やはりこういうことは自分の口で直接頼んだ方がいいだろうと思った。
ただ、事務所まで行くと、また昨日のようなことがあっても困るので、学校帰りにでもどこかから電話をしようと、太朗はまだバスケ部
に在籍している(二学期中まで頑張るらしい)大西と別れて、急いで校門の外へと飛び出した。
 学校からバス停までの間、小さな公園がある。そこから電話を掛けようとした太朗は、
 「・・・・・?」
なんだか視線を感じて後ろを振り向いた。
 「?」
(気のせいかな)
 自分は敏感な方ではないので、きっとちらっと見られただけか、もしくは全然違った視線を勘違いしただけかもしれないと、太朗
は直ぐに気を取り直して公園の中に入っていく。
 時刻は午後3時過ぎ、公園の中には何人もの小学生が遊んでいて、小さな子供には母親達が一緒で、何やらしゃべることに
忙しいようだ。
(女の人って、どうして話が好きなんだろ)
それとも、話すことがたくさんあり過ぎるのかなと思いながら、太朗はそんな一同から少し離れたベンチに腰を下ろした。
 「え〜っと・・・・・お、お、小田切・・・・・っと」
 携帯を取り出し、アドレスを呼び出すために液晶を見下ろしていた太朗は、
 「・・・・・あ」
その視界の中に靴が入ってきて思わず顔を上げると、そこに見知らぬ男の姿を見た。

(・・・・・誰?)
 歳は、多分上杉よりも年下だろうが、自分よりは遥かに上だ。
上杉と付き合うようになって少しは目が肥えたのか、着ているスーツも、コートも、かなりいいものなんだろうなと思うものの、どうして
自分を見ているのかが分からない。
(あ、もしかして)
 「あの、道が分からないんですか?」
 「・・・・・」
 「俺も、この辺に住んでいるわけじゃないから答えられるかどうか分からないですよ?あ、向こうの女の人達ならきっと・・・・・」
 「馬鹿か」
 「・・・・・は?」
 一瞬、聞き間違いかと思った太朗は、思わず間抜けな返事をしてしまった。
(えーっと、今、この人・・・・・)
初対面の相手に馬鹿などと言われたことがない太朗は、聞き間違いをしたら申し訳ないと聞き返してみる。
 「あの、今、バカ・・・・・バカンス?」
 「・・・・・本当に馬鹿だな」
 呆れたのか、それとも蔑んでいるのか分からないが、男は真上から太朗を見下ろしながらもう一度、今度ははっきりとそう言う。
さすがに太朗はムッと眉根を寄せて立ち上がった。
(う・・・・・デカッ)
 太朗が立ち上がっても、男とは随分身長が違う。上杉よりは背は低いが、それでも太朗からは見上げなければならなくて、内心
その余計な身長分を自分に寄越してくれたらいいのにと思ってしまった。
 「苑江太朗、だな」