CHANGE












 全くの見知らぬ相手に、いきなり名前を呼ばれるのは不信感しか感じない。
太朗はどうして目の前の人物が自分の名前を知っているのだろうということには不思議に思いながらも、自分としては出来る限り
硬い声で聞き返した。
 「俺、知らないんですけど」
 「聞かれたことに答えればいい」
 「・・・・・っ」
(うわっ、すっごい上目線!)
 上杉も俺様な物言いをよくするが、彼の言葉には相手に対する愛情があると太朗は思っている。しかし、目の前にいる男の言
葉は全くそういう雰囲気は伝わってこない。本当に相手に対して高圧的にものを言っている感じなのだ。
(どうしよ・・・・・返事した方がいいのか?それとも・・・・・)
 上等のコートを羽織り、革の手袋までしているこの男のいでたちからすれば、太朗がダッシュで逃げ出せば逃げきれるような気が
する。
しかし、ここには自分以外にも大勢の子供達がいて、万が一、その子達に何かあったらと思うと、自分だけが逃げ出すことは選択
肢に加えることは出来なかった。
 「・・・・・そうです、けど」
 明らかに渋々といったように返事をすると、男は太朗の全身を観察するように見つめる。
価値を量るというよりは、始めからこんなものかと思われているような気もするが・・・・・太朗は唇を引き結んで不躾な視線を受け
止め、相手からの言葉を待った。
 「・・・・・雑種だな」
 「は?」
 しばらくして、男の唇から出てきた言葉は全くの予想外で、太朗は思わず聞き返してしまう。
 「雑種って、何、ですか?」
 「お前、犬だろ?」
 「お、俺は人間だ!」
 「人間なのは分かっている、そうやって言葉も話すしな。だが、お前はあいつの・・・・・裕の犬だろう?」
 「裕?・・・・・って、誰?」
 「小田切裕。知らないはずはない」
確かに、太朗には小田切裕という知人がいる。ただ、彼は太朗を犬とは言うはずがないし、第一こんな失礼な人間と知り合いだ
とも思えない。
 「・・・・・俺の知っている小田切さんと同一人物?」
 「・・・・・飼い犬は警戒心が強いな。あいつにしては毛色が違うような気もしたが、こんな馬鹿っぽい子供を見て気分転換する
のも悪くない気がする」
 「!」
(な、何気に酷い言葉言ってるんだよなっ)
 「ちょっと、あんたっ、初対面の相手に向かって失礼過ぎだぞ!」
 さすがに一言言ってやろうと、太朗はそのまま男に詰め寄ろうと足を踏み出すが。
その途端、
 「うわっ、痛っ!」
いきなり腕を後ろ手に拘束され、太朗は何が起きたのか全く分からずに、ただ痛みに呻いてしまった。




 太朗は目の前の失礼な男しか視界に入れていなかったが、少し離れた場所には3人の頑強そうな体格の男達がいて、その中
の1人が素早く太朗の背後に回り込み、その腕を後ろ手に捻りあげてきた・・・・・ようだ。
 「・・・・・っ」
(い・・・・・たっ!)
 多分、本気の力ではないと思う。太朗よりも二周りほど大柄な男が本気を出せば、太朗の腕など簡単に折れてしまいかねな
いが、そこまでの危機感は感じなかった。
どちらかといえば暴れる(実際に暴れてはいないが)太朗を抑えている感じだったが、太朗が身動きできないことをいい事に、先程
まで話していた男は身を屈めてじっと太朗を見つめてきた。
 「お前は知らなくてもいいが、ただの不審者と思われても面白く無いしな。名前だけは名乗ってやろう」
 「・・・・・」
(名前を言うくらいで偉そうにするなよな!)
 「俺は、トウジョウイン ヒロサト」
 「ト、トージョーイン?」
 「馬鹿っぽい言い方は止めろ」
 「何度も馬鹿って言うなよ!」
 太朗は拘束から逃れようと身を捩る。その時、
 「こらっ!そこで何をしている!」
公園中に響くような怒鳴り声に、太朗はパッと視線を向けた。
 「あっ!ムっちゃん!」
 「太朗君っ?」
正義の味方さながら現れたのは、白バイ隊員の服を着た警察官、宗岡哲生(むねおか てつお)だった。




 通学路近くの一時停止違反をした車の調書を書き終わり、再びパトロールに向かおうとした宗岡は、公園の中から不安そうな
顔をしながら出てきた数人の親子連れを見つけた。
 「どうしましたか?」
 何もないかもしれないが、一応バイクを降りて訊ねてみる。すると、白バイ隊員だと分かった母親の1人が、駆け寄ってきて訴え
た。
 「今、公園の中に変な人達が来てっ」
 「変な人?」
 「この先の高校の生徒を大勢で脅しているみたいなんです。本当は直ぐに110番しなくしゃいけないんでしょうけど、私達も怖く
て、家に戻ってから電話をしようと思って・・・・・」
 今の時代、携帯電話を持っていない者の方が少ないくらいで、不審者がいればその場で直ぐに通報が出来るはずだ。
しかし、その場で電話をしたならば、その不審者に見咎められる危険性がある・・・・・そう判断した子連れの母親達の判断は仕
方ないかもしれないと思えた。
 「分かりました。後は私が対応しますので、皆さんはどうぞ気をつけてお帰り下さい」

 宗岡は腰に携えている拳銃に一度視線を落とし、そのまま素早く公園の中に入っていく。こんな住宅地でこれを使うようなことに
ならなければいいがと思いながら進むと、母親達が出てきた出入口とは反対側の出入口付近に何人かの集団を見付けた。
 スーツを着た集団の中に、話に聞いた学生服がチラッと視界に入ってきて、宗岡は直ぐに飛び出していった。
 「こらっ!そこで何をしている!」
公園中に響くような怒鳴り声に、背中しか見えなかった学生服の少年がこちらに顔を向ける。
 「あっ!ムっちゃん!」
 「太朗君っ?」
 それは、宗岡も面識のある高校生、苑江太朗だった。
その存在を確認した瞬間、宗岡の頭の中に浮かんだのは、この少年と愛人関係にあるヤクザ、羽生会の会長絡みの抗争か何
かだ。
 宗岡は太朗の腕を拘束している男の手を引き離し(あまり強い力ではなかったが)、その身体を自分の後ろに隠すようにして男
達に警告した。
 「こんな子供相手に何をしているっ、お前達の相手はもっと別なんじゃないかっ?」
 「・・・・・」
 「今から身体検査をさせてもらう。大人しく両腕を挙げて協力してください」
 「断る」
 「何っ?」
 「そちらが何を勘違いしているのかは分からないが、俺はただこの子と話したいと思っただけだ」
 堂々と言い放つ男に一瞬呆れてしまったものの、宗岡は見逃すわけにはいかないと一歩近付く。
そんな宗岡と男の間に割り込もうとした大柄の男を下がれという一言で止めた男は、胸ポケットから何かを取り出すと、そのまま宗
岡の面前に突きつけた。
 「俺はこういう者だ。何か問題があれば来ればいい」




 突然の宗岡の登場に驚いたものの、太朗がほっと安堵したのは事実だった。
身の危険は感じなかったが、このまま自分がどうなるのかという不安は確かにあったのだ。
 「東條院・・・・・広郷(ひろさと)」
 「・・・・・っ」
(あ、さっきの名前だ!)
 耳で音だけを聞いたが、太朗はそれがどんな文字なのだろうと、宗岡の背中から顔を出して彼の手にしている・・・・・どうやら名
刺らしいものを自分も覗きこんだ。
(うわ・・・・・仰々しい名前)
音だけでもそうだが、こうして漢字で見ると更にその感覚は強い。
その名刺には、当然のように肩書きが書かれてあったが、それは太朗もテレビで見たことがあるような高級ホテルの名前がずらずら
と並べられていた。
(・・・・・仕事、分からないんだけど・・・・・)
 太朗は見ただけでは分からなかったが、宗岡はその名刺と目の前の男・・・・・東條院の顔を交互に見ながら厳しい口調で訊ね
た。
 「ご本人、ですね?」
 「ああ」
 「・・・・・太朗君」
 「あ、はいっ」
 「本当に話をしていただけ?」
 その口調は真剣で、何時もの少し情けないほどに優しい彼を見慣れている太朗にとっては別人のように見える。
(話っていっても・・・・・)
正確には小田切の犬という、よく分からない言いがかりをつけられたのだが、それを宗岡に話してもよく分からないと思った。
 「う、うん、まあ、そんな感じ」
 「・・・・・」
 「では、俺はここで失礼する」
 東條院はチラッとだけ太朗を見たが、直ぐに視線を逸らして公園の外に向かっていく。
その後には当然のように男達も付いていき、まるで見計らったかのように高級そうな大きな車が横付けになって、一同はそれに乗
り込み、立ち去っていった。
 「・・・・・何、あれ」
 まるで一瞬の出来事で、太朗はよく意味が分からない。それは宗岡も同様だったらしく、手の中に残された名刺をまだ見ていた
が、やがてそれをポケットに仕舞うと、太朗を振り返ってようやく人懐こい笑みを向けてきた。
 「今回は何も無かったからいいけど、今度こんなことがあったら直ぐに逃げること。携帯持ってたよな?警察に電話するのも恥ずか
しいことじゃないから」
 「はい」
 太朗は頷く。全てを自分で解決できればいいことだが、誰かの力を借りることも選択肢の中に入れておかなければと、今改めて
自分自身に言い聞かせた。




 上杉は携帯の音に直ぐに顔を上げて取る。
 「俺だ」
それは太朗に付けているガードからだったが、定時報告とは違うその要件に、話に耳を傾けていた上杉の眉間の皺はどんどん深く
なっていった。
 「・・・・・で、タロは?・・・・・犬が?・・・・・ああ、分かった。後で俺から連絡をしてみる。お前達も目を離すな」
 電話を切った上杉は小さく舌打ちを打った。
(いきなりタロに手を出してくるかあ?)
上杉自身は相手がどんな性格なのかはまだ知らなかったが、自分ならばともかく、全く関係ない太朗に相手が目を付けたというこ
とに腹が立った。いや、このことで、相手がこちらの事情をかなり詳しく調べていることも分かる。
(昔の犬に構うほど暇じゃないと思っていたが、相当暇な奴なんだな)
 上杉はそのまま内線を掛けようと受話器を持ち上げたが、ふと思い直して止めた。太朗に一度事情を聞いてから教えた方がい
いだろう。
 「・・・・・どう聞き出すか」
 未だ、自分にガードがつけられていることに気付いていない太朗に、今日何があったのか、そのものズバリ聞いてしまうのは避けた
い。下手にガードの存在がバレて、もう付けるなと言われても困るからだ。
出来るだけ太朗の行動には干渉しないように言いつけてあるが、もしもという可能性を考えたら絶対に外せない。
 「まあ、単純だしな、案外気付かないかもしれないが」
上杉は携帯で太朗の名前を呼び出し、少し考えるように間を置いて・・・・・やがてそのシュミレーションを終えて、ゆっくりと指が覚
えている番号を押した。