CHANGE
6
『俺は超能力者なんだ、お前限定のな』
全く見知らぬ不遜な男、東條院と名乗った男が去って、宗岡に注意するようにと言い含められていた時、太朗の携帯が賑やか
に鳴った。
宗岡に断って見たそれには上杉の名前が出ていて、太朗は思わず通話ボタンを押すなり叫んでしまう。
「ジローさん、グッドタイミング!俺、今・・・・・」
『なんだ、犬にでも間違えられたか?』
「え・・・・・えぇぇぇっ?何で分かったんだよっ?」
たった今起こったばかりの出来事をなぜ上杉が知っているのか不思議でびっくりしたが、上杉が電話の向こうで笑いながら言ったの
がこの言葉だった。
『俺は超能力者なんだ、お前限定のな』
さすがに太朗も小学生ではないので、その言葉を鵜呑みにすることは・・・・・いや、上杉ならありうるかもと思ってしまい、思わず
凄いと呟いてしまった。
『で、何があった?』
「それは分かんないの?」
『全部見えてたら、それこそ俺は地球の支配者だな』
何を言っているのだと思う。もしかしたら、小学生の自分の弟よりもガキっぽい。
それでも、上杉の声を聞くと安心した太朗は、たった今起こったばかりのことをできるだけ詳しく話した。元々、向こうが小田切の名
前を出したことが気になって仕方が無かったくらいで、上杉にあの男の名前を言えば何か分かるのではないかと思ったのだ。
「えっと、東條院広郷って言う、30過ぎたくらいの人がいきなり現れて、俺に小田切裕を知ってるなって言うんだよ」
「えっ?」
「え?」
驚きの声は電話の向こうの上杉ではなく、すぐ傍にいる宗岡の口から零れたものだ。
(あ、そっか、ムッちゃん、小田切さんの知り合いだったっけ)
心の中のあだ名のまま宗岡のことを考えた太朗は、その驚きの意味をいきなり知り合いの名前が出たせいだと思い、うんと頷きな
がら肯定を口にする。
「そ、あの小田切さん」
『それで?』
続きを促してきたのは上杉の声だ。
「え、えっと、それで、なんか、俺のこと雑種の犬とか言ってさ。・・・・・あっ、もしかして、あの人って小田切さんの飼い犬の前の家
の人っ?」
上杉と話して気持ちが落ち着いた太朗は、唐突に昨日の会話を思い出した。
小田切が会いたくない相手が東京に出てくるということと、飼い犬がどうとか、こうとか。もしかしたらあの話と先程の男は繋がるのだ
ろうか?
「ねっ、違う?」
『まあ、遠くはないが近くもないって感じだな』
「何それ!違うってことじゃん!」
『とりあえず、もう何もないはずだから真っ直ぐ家に帰れ。本当はお前に会いたいんだが、昨日の今日じゃお前の母親がいい顔
しないだろうしな。夜電話する』
「う、うん」
(そっか・・・・・会えないんだ)
高校生の自分以上に、一応組織のトップである上杉が忙しいということは分かっていたし、太朗自身も今日は会わないと自分
で決めていたくらいだったが、いざ声を聞いて、直ぐにでも傍に来てくれるのかと期待してしまった自分が少し、恥ずかしい。
(ダメじゃん、俺、ジローさんを頼るなんてさ)
「分かった、じゃあ、夜待ってる」
宗岡は太朗の電話が終わるのを今か今かと待っていた。
相手が誰だか分からないままに傍から聞いていれば、恋人同士の会話そのものだ。けして女の子っぽいわけではなく、元気な少
年といった感じの太朗を、驚くほど大人びて、どこか艶っぽささえ感じさせるような電話の向こうにいる相手が、ヤクザの長だと誰が
想像出来るだろうか。
警察官ならば、本来止めなければならない関係だが、たとえ男同士でも、そして立場が違っても、どうしても惹かれてしまうとい
うことがあることを、宗岡自身よく知っていた。
(あの男・・・・・裕さんの知り合いだったのか?)
「なんか、俺のこと雑種の犬とか言ってさ」
犬・・・・・それは、小田切と親密な関係の者ならばよく知っている言葉のあや、だ。
太朗には全く意味が通じていなかったが、宗岡はその言葉だけでも小田切と東條院という男の関係が見えたような気がした。
「ごめんなさい、宗岡さん」
電話を切った太朗はそう言って頭を下げる。
そんなことはいいよと答えた宗岡は、それでと太朗に問い掛けた。
「さっきの男、ゆた・・・・・小田切さんの犬かって君に聞いたんだな?」
「そうです。えっと、確か正確には・・・・・」
「・・・・・雑種だな」
「人間なのは分かっている、そうやって言葉も話すしな。だが、お前はあいつの・・・・・裕の犬だろう?」
「・・・・・飼い犬は警戒心が強いな。あいつにしては毛色が違うような気もしたが、こんな馬鹿っぽい子供を見て気分転換する
のも悪くない気がする」
「・・・・・って、感じ?」
「・・・・・」
(間違いない、あいつは裕さんと俺達(犬)の関係をよく知っている)
しかし、引っ掛かる所もある。
宗岡はあの男を小田切の元飼い犬だったと思っていたが、これまで顔を合わせた他の犬達は皆、小田切への愛情を感じさせて
いたが、あの男の言動は種類が違う。
(なんだか・・・・・蔑んでいるような・・・・・?)
「宗岡さん?」
「あ、ごめん」
考え込んでしまった宗岡を心配そうに見つめてくる太朗に笑い掛けると、バス停までバイクを押して付いて行った。
太朗はもう別の話題を口にしていたし、宗岡もそれに合わせ、バスが来ると気をつけて帰るようにと言って見送る。
「・・・・・」
うじうじと1人で考えても、あの複雑な恋人の真実を自分のような単純な人間が分かるはずがない。今日マンションに戻り、小
田切に直接疑問をぶつけようと決めた宗岡は、そのままヘルメットを被り直すと再びパトロールへと向かった。
太朗との電話を切った上杉は、内線を掛けて小田切を呼んだ。
直ぐに部屋にやってきた小田切は、上杉の顔を見て秀麗な眉を顰める。
「何か?」
何も言わなくても何かあったのだと分かる察しの良さに苦笑を零し、上杉は端的に伝えた。
「現れたぞ」
「・・・・・どこに?」
「タロの前だ」
「太朗君の?」
さすがにそれは予想外だったのか、小田切の眼差しの中に驚きの色が浮かんだ。
しかし、上杉はどうしてほとんど関係の無い太朗の前に姿を現したのか不思議に思ったのだが、相手のことを少しは知っている小
田切は、珍しく苦々しい表情になって溜め息をついた。
「理由、分かるか?」
「馬鹿な人間の思考は理解出来ませんが、多分、本人が私と出会った歳に太朗君が近かったからではないでしょうか。一応、
今の私のことを調べていれば、私の今の上司であるあなたの関係から、彼のことは分かったでしょうし」
「そうだなあ」
上杉も太朗との関係をおおっぴらにするつもりは無かったが、かといってこそこそと隠れるように付き合うのは性格的にしたくなかっ
たので、この世界の人間も太朗のことを知っている者はいるだろう。
(とりあえず、ガードを増やしておくか)
「・・・・・何か、危害でも?」
「いや、お前の犬かと言われたようだぞ」
「私の犬?」
思わず呟いた小田切は、ふっと目を細めて笑った。どういった想像を頭の中に浮かべているのか分からないが、怪しい意味なら
ばともかく、あの太朗を犬に例えるというのは分からないでもない。
「雑種と言われたらしい」
「・・・・・それは、太朗君の愛らしさを分かっていませんね。あの子は可愛らしい柴犬、立派な血統書付きの犬ですよ」
「だから、本人は犬に例えられたのを心外に思っているらしいぞ」
「ああ、じゃあ、太朗君は言葉そのままに取っているんですね?」
上杉が頷くと、小田切はほっと安堵したように息をついた。
(全く、どちらを向いているんだか・・・・・)
もう20年近く前に会ったきりの子供が、どんな風に成長しているのかは小田切も想像が出来ない。しかし、一連の行動を考え
れば、あの飼い主の血を引いているとは思えないほどに愚かだと思えた。
上杉に向かってくるのならともかく、何の反撃する術もない子供の太朗に何をする気だったのか。
(この人なら、何したって大丈夫なんだが)
ちらっと上杉に視線を向けていると、上杉も自分を見ていたらしい。その瞳の中に何か意味を感じ取った小田切は、今の話の中
にもっと別の意味があるのかと表情を改めた。
「・・・・・何か?」
「タロを助けたの、誰だと思う?」
「付けているガードじゃないんですか?」
「お前の忠犬」
上杉の眼差しが自分を探るように見る。
「・・・・・」
「犬の、お巡りさん」
「・・・・・それは、偶然に?それとも・・・・・」
「多分偶然だろ。タロも、それにお前の犬も、芝居なんで出来ないだろうしな。ああ見えてタロも敏い、違和感があったら俺に言
うだろうよ」
上杉の言葉に頷きながら、小田切は頭の中でめまぐるしく考えた。
まさか、相手と宗岡が出会うとは・・・・・。この東京はけして広い街ではないものの、それ以上に人間はかなりの数だ。太朗と、宗
岡と、あの男が出会う確率など、1パーセントもあるわけがない。
「・・・・・これも悪運かもしれませんね」
誰のとは言わない。まさか太朗とは思わないが、宗岡か自分か、今更考えても無駄だろう。
「太朗君は大丈夫なんですね?」
「ああ」
「それならば良かったです」
上杉も宗岡も、自分である程度動ける男だが、太朗はまだ庇護すべき存在だ。その彼が無事で良かったと、小田切はただそれだ
けが救いだった。
上杉の部屋から出た小田切は、直ぐに自分の携帯を取り出した。
「・・・・・」
今、宗岡は勤務中だ。バイクに乗っているかもしれないし、どこかで休憩しているかもしれない。
「・・・・・」
小田切は押し掛けた番号を一度消すと、今度は別の相手に掛けた。
「あ、私です、今よろしいですか?」
電話の相手は、珍しいと言って笑っている。
「今夜会えませんか?少し話がありまして・・・・・もちろん、そちらに合わせますよ。・・・・・ええ、では午後9時に何時もの所で。
ああ、出来れば今日はお1人でお願いしますね」
聞かれたくない話がありますからと言えば、楽しみだと言って電話は切れた。
当人は関係ないと思うだろうし、小田切も考え過ぎかもしれないと思ったが、一応耳には入れておいた方がいいと思った。彼には
自分とは違い、守るべき者がいるからだ。
(私は・・・・・どうなんだろうな)
「・・・・・」
小田切は通話の終わった携帯電話をスーツのポケットに入れ、そのまま自分のオフィスへと向かう。私事でどんな問題が起きよ
うと、やらなければならない仕事は消えてはくれなかった。
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