CHANGE












 約束の時間きっかりに何時ものバーに行った小田切は、直ぐにカウンター席に座る目的の相手の姿を見付けた。
いい加減なように見えて、こういう、時間にはきっちりとしているところのある相手に思わず笑みを漏らし、小田切はゆっくりと店の中
に入って行った。
 「ハイ、お久し振り」
 「お元気そうですね。少し前、何やら忙しいようなご様子で」
 「ええ、もう予想外のことに疲れちゃったわよ〜。でも、これで本部の風通しも良くなったんじゃない?」
 私は行かないけどと笑うのは、女言葉だが立派な男だ。
大東組系開成会幹部、綾辻勇蔵(あやつじ ゆうぞう)。古めかしい名前には似合わず、本人はモデルのように容姿の整った華
やかな男だ。
 同じ系列の、それも幹部という立場からか親しくさせてもらっているが、実は他にも自分達を結び付けている要因があった。
それが今回の呼び出しの用件でもあるのだが。
 「来年の春はそっちのボスも忙しくなるかもしれないわよ?」
 「うちは面倒なことは嫌がるんですけど」
 「今回は逃げられないんじゃない?」
 「・・・・・そうですね」
 夏が過ぎた頃、大東組の理事は1人欠けていた。
対外的には病気による引退という風に通達書が回ってきたが、小田切は綾辻から詳しい事情を聞いていた。
 元々、名前ばかりの脳のない相手と会話することが嫌でさっさと本部を飛び出した小田切は、その後で最年少理事に昇格した
江坂凌二(えさか りょうじ)と組長がかなり内部改革をしたことは知っている。
 それでも、まだしぶとく利権にしがみ付いている古狸もいたようだが、今回のことでどうやらそんな彼らも覚悟を決めなければならな
いらしく、来春にでも大幅な改革がなされる・・・・・そんな噂が流れていた。
 「それで?今日はどんな楽しい話なのかしら?」
 「あなたにとっては、あまり面白くない話かもしれませんが」
 「え?何、怖いわあ」
 「・・・・・私の、飼い主だった方のことで」
 「・・・・・」
そう切り出した途端、にこやかだった綾辻の眼差しに強い光が宿ったのが見えた。




 綾辻にとっては、見知らぬ、ただ自分という存在のタネを作っただけの男という意識しかない父親。
母とどうやって出会ったのか、どうして自分を作ったのか。子供の頃は色々と考えて悩む時期もあったが、今の綾辻にはどうでもい
いことになっていた。
 いや、大人になり、自分の立場を理解出来るようになってからは、綾辻自身も相手の力を上手く利用することもしてきた。
それでも、綾辻にとって父は・・・・・いや、東條院という家の力は、自分とは無関係・・・・・そういうスタンスでいる。
 「末っ子が出てきまして」
 「末っ子?」
 「分かっているだけでも、12人の子供がいるでしょう?ただ、認知しているのは正妻の産んだ長男で現当主の正紀(まさき)氏だ
けですけど」

 古く、家柄の良い家系は複雑なものが多いが、東條院はその最たるものだろう。
日本でも有数の東條院財閥の直系である綾辻の父親だった男は現当主の祖父にあたるが、真面目な彼は家督を息子に譲っ
た後、老いらくの恋で孫ほどに歳の違う綾辻の母親と恋に落ちた。
男は産まれた綾辻を本当は東條院家に迎え入れたかったらしいが、煩わしい家督争いを嫌った綾辻の母親は、認知だけを望ん
で、後の全ての権利を放棄した。
今となれば、その母の決断は正しかったと思う。

 それとは正反対に、綾辻の父の息子にあたる先代は、かなりの遊び人で、正紀を産んだ妻の前に2人と結婚し、1人は病死、
もう1人は子供が生めないからと離婚していた。
 3人目の正妻との年齢差はその時で15歳。30も後半に差し掛かって初めての子供、正紀が産まれてから、男は次々と女を
囲い、不思議とその後は子も出来た。

 出来た子供は12人だと聞いたが、もしかしたら男の知らないところでもう数人は子供がいたかもしれない。財産争いの揉め事を
避けるために認知はせず、それぞれの相手には相応の金を渡すという業腹な男だった。
 その中でも、家柄がいい数人の子供は東條院の事業に参加している者もいるらしいし、実を言えば分家の娘相手にも関係を
持っていて、その子供は別の男の子として認知をされたらしいという話も聞いたが・・・・・。

 「どの子を言ってるのか分かんないわ。私には関係ない話だもの」
 「母上は海外にいらっしゃるんでしたか」
 「遅い青春を謳歌しているらしいわ。なかなか日本にいないから克己にも紹介出来ないし」
 最愛の恋人を、大切な母親に会わせたいというのはごく普通な考えだと思うが、当の恋人はなかなか頷いてくれない。それもじ
れったく思っていた綾辻は、じっと自分を見つめてくる小田切の視線に気付いた。
 「あなたは、全く東條院の力を脅威に感じていないようですね」
 「今更よ。私は綾辻、東條院じゃないもの」
きっぱりと言い切った綾辻の気持ちに少しの迷いも無かった。




(皆が皆、あなたのような考え方だったら、ね)
 東條院の力は表の政財界だけではなく、裏の闇の世界にもかなり浸透している。
その末端にでも席を置けは、それだけでもかなり甘い汁を吸うことも出来、普通ならばしがみ付くのが人間らしいと思えるが、綾辻
という男はたった1人で、その力に対抗しうるものを身に着けていた。
(・・・・・あの子供に見せてやりたいくらいだな)
 何を考えているのか分からないが、今頃ノコノコ姿を現した彼の末っ子に言ってやりたい。
 「まあ、あなたはそう言うかもしれないと思っていましたが」
 「何かあった?」
 「どういう理由からかは分かりませんが、私の前に現れようとしていまして」
 「・・・・・」
 「実際に私が会う前に、太朗君の方に姿を現したんです」
 「太朗君の?」
太朗のことも当然知っている綾辻は、その時になって初めて驚いたように声を出した。
 「私はいいんですが、他に飛び火すると少々申し訳なく感じてしまいますよ」
 「太朗君っていうのはちょっと、ね。・・・・・どうする?探りましょうか?東條院の内情、多少なら分かるから」
 「・・・・・よろしいんですか?」
 「こっちに飛び火しないようにしたいし」
 それを期待して綾辻と会ったわけではないが、彼の方からこんな風に言い出してくれたのはありがたかった。
小田切も調べられないことはないのだが、今は自分自身が動くと余計に相手を刺激しかねないし、その真意が分かるまでは対策
も取り辛い。
 しかし、綾辻ならば今はノーマークだし、彼自身東條院の血筋であることには間違いはなく、協力する人間が内部にいても不思
議ではなかった。
 「強力なコネがあるから、明日・・・・・そうね、明後日の朝、連絡する。いい?」
 「お願いします」
軽く頭を下げた小田切は、目を細めて笑みを浮かべた。
 「今夜誘って良かった」
 「早く、またノロケを言うだけにしたいわね」
 「ああ、そういえば面白い薬が手に入ってんですが、どうします?」
 「面白いって、どんな?」
 「とても可愛くなる薬ですよ。前のより強力で」
 「可愛く・・・・・かあ」
 端整な頬を緩め、空を見つめている視線の先にはどんな妄想が膨らんでいるのだろうか。まさか、あのストイックな美人の恋人を
裸に剥いて、散々啼かせてとか・・・・・傍目からは想像も出来ないはずだ。
 「どうです?あっちの方は?」
 「最近慣れてきてくれたんだけど、やっぱり羞恥心は消えないみたい。そんなトコも初心で可愛いんだけど」
 弾む綾辻の言葉に、小田切はふと自分の犬のことを思い出した。
太朗を助けてくれたという彼は褒めてやらなければならないだろうし、きっと太朗の口から自分の名前が出たことで、悶々として帰り
を待っていることだろう。
 「・・・・・もう少し、飲みますか?」
 「ええ、せっかくだし」
 呼び出して来てくれた綾辻をそのまま直ぐに帰らせることは出来ず、小田切はそれから一時間ほど、綾辻の惚気話に付き合って
やった。




 マンションに着いたのは、もう午後11時半に近い時間だった。
インターホンを鳴らさずに鍵を取り出そうとした小田切は、いきなり中から開いたドアに少しだけ身を引いて視線を向けた。
 「危ないだろう」
 「お帰りなさいっ」
 「・・・・・ああ」
(本当に犬みたいな奴だな)
 気配だけで小田切の帰宅を知ったのか、それとも玄関先で今か今かと待っていたのか、どちらにせよ飼い犬・・・・・宗岡が自分
の帰宅を待っていたことは確かだろう。
 「・・・・・」
 小田切は黙ったままリビングへと向かう。宗岡もその後についてくるのだが、大柄な男が直ぐ後ろにいるのは鬱陶しくて、小田切
はソファの上に鞄とコートを放り投げ、後ろを振り向いて宗岡を見上げた。
 「・・・・・っ」
 突然小田切が振り返ったので相当びっくりしたのか、宗岡は2、3後ずさる。そんな男をしばらく黙って見つめていた小田切は、
 「んっ?」
いきなり手を伸ばして宗岡の首を抱き寄せると、そのまま舌を絡める濃厚な口付けを仕掛けた。

 チュク

 始めは戸惑っていたらしい宗岡だったが、直ぐに小田切の身体を抱きしめると、更に深く自分の舌を差し込んで絡めてくる。
テクニックよりも勢いが勝っているような口付けは、男の想いの強さそのままのような感じで、小田切はしばらくは目を閉じてその口
付けを甘受していた。

 「・・・・・」
 やがて、お帰りの挨拶にしては濃厚な口付けを解くと、小田切は宗岡を見つめながら言った。
 「何か聞きたいことはあるか?」
 「・・・・・ある」
 「・・・・・」
 「今日、公園で太朗君が絡まれていて」
 「お前が助けたそうだな、よくやった」
にっこりと笑いかけてやれば、宗岡はその辺りの事情を小田切がもう把握していることが分かったらしい。大体、あの場で太朗は上
杉の電話に出たのだし、その補佐である自分が知っていてもおかしくはない・・・・・そう考えたようだ。
 「あの男、東條院広郷っていう奴、も、もしかして・・・・・」
 「・・・・・」
 「もしかして、裕さんの、い、犬?」
 「犬?」
(あれが、私の?)
 いったい、どうしてそんな風にと思ったが、きっと東條院の口から犬がどうこうという話を聞いたのだろう。
宗岡自身、小田切がよく犬、犬と例えるので、小田切と関係があるらしい男=犬という図式が頭の中に浮かんだようだが、実際
に相手に会ったことが無いとはいえ、小田切にも好みというものがある。
 「違う」
 「ち、違う?」
 「私は、犬は可愛い方がいいんだ」
 「か、可愛いって・・・・・」
 自分がよく犬と言われている宗岡は、可愛いという言葉にどうも複雑な思いを抱いたようだ。確かに、外見だけで言えば宗岡は
男らしいといっていい容姿だが、その性格は小田切の目には子犬よりも愛らしく映る。
 「哲生」
 「な、何?」
 「少し周りが煩くなるかもしれないが、お前は私の声だけを聞いていればいい。雑音は一切耳に入れるな、いいな?」
 「・・・・・」
 「いいな?」
 宗岡は返事をせず、そのまま小田切の首筋に顔を埋め、唇を寄せてくる。このまま抱く気なのだと分かったが、今日ばかりは小
田切も待てということは言わなかった。
(早く・・・・・始末をしないとな)
 自分の意図しないところで勝手に動き回る虫は早く追い払わなければと思いながら、小田切は目の前の男のトレーナーの中に
手を入れて、自分からも更なる官能を高めてやることにした。