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 その頃、男湯では・・・・・。



 「はあ〜、いい湯だなあ。他の人間がいねえってのもいいのかもしれねえな」
 広い湯船に伸び伸びと手足を伸ばしながら上杉が言うと、少し離れた場所に入っていた海藤が苦笑を零した。
 「なんだか、年寄り臭いですよ」
 「お前よりは確かに上だが、まだまだ負けてねーよ。身体も、あっちの方もな」
定期的にジムへ行って身体を鍛えている上杉は、もう30も後半だというのに腹も出ていないし、綺麗な筋肉の付いた身体をして
いる。
 もちろん、そうかといって、海藤の身体が劣っていないというのは分かっている。上杉の目から見ても、少し細身だがバランスの良
い筋肉の付き方からして、何か武道をしていたというのは気付いた。
 普段、インテリな雰囲気を持っているだけに、服を脱げばかなりその人物の本質が分かるのだ。
(まあ、意外といえば、あいつも・・・・・)
 上杉はまた少し視線をずらした。
そこにいるのは江坂とアレッシオだ。
アレッシオはハーフということだが、外国人らしく腰が高く、やはり少し日本人の体型とは違う気がした。
もちろん、上杉にも男としてのプライドがあるので、下半身の大きさを比べようとは思わないが、まあ、さすがにイタリア男だなと思っ
たくらいだ。けして、自分が負けているとは思わないが。
 そして、もう1人の江坂。
どちらかといえば頭脳派のこの男が、これほどに身体が出来ているとは思わなかった。
(・・・・・詐欺だろ)



(こんな所で、トモはバスに入っているのか・・・・・)
 アレッシオは広い湯船を眉を顰めながら見つめる。
海外のスパは、水着やアンダーウエアを身に付けるのだが、日本のオンセンというものは全てを脱ぎ捨てて入るものらしい。
 「・・・・・」
 この場に友春がいないだけましかもしれないが、それでもあの子供達は友春の裸身を見ているはずだ。
(・・・・・面白くない)
 「・・・・・ミスター」
そんなアレッシオに、江坂が声を掛けてきた。
 「一応、腰はタオルで隠すものですが」
 「・・・・・なぜだ」
 「・・・・・嗜み、ですか。それに、日本人は羞恥を感じる人種ですし」
 「私は恥を知らない人間ではないが、自分の身体を恥ずかしいとも思っていない。隠す必要はないだろう」
見られて恥ずかしいところなど無いし、ここで自分の命を狙われる危険も無いだろう。
アレッシオは堂々と洗い場を歩くと、そのまま湯船に足を踏み入れようとした。



 「ミスター、湯船に入る前は、一応身体を洗い流すものです。これはエチケットですから、ぜひ」
 言い返される前にこれが普通なのだと江坂が言うと、アレッシオは一瞬視線を向けてきたがそれでも言う通りに身体を流してか
ら湯船に入った。
 「・・・・・」
 江坂は溜め息を押し殺し、自分も静かに湯船の中に入る。
どうしてこんな時まで自分が気を遣わなくてはならないのだと思うが、それでもアレッシオの世話は自分がしなければならないのだと
も分っていた。
 そもそも、けして馴れ合うことが好きではない江坂が、こうして男達と共に大浴場に入るのも、抜け駆けされるのが嫌だからなの
だが・・・・・それは全員一致した共通の思いだろう。
 「エサカ」
 「はい」
 「私は向こうに入ったらいけないのか?」
 「・・・・・」
 駄目ですとは言下には言えなかった。
今回は宿自体を借り切っているということだし、何より向こうも男ばかりで、男同士が同じ風呂に入るのは何の不思議も無いこと
だ。
 しかし、アレッシオがあちらの湯に入るということを、ここにいる誰もが許すわけにはいかないだろう。自分と同じ様に、自分の恋人
を他の男(この場合は抱く側の男だが)の目に触れさせたくはないと思ってしまうのは江坂も同じだ。
(全く、上杉も海藤もなんとも思わないのか?)
 例え仲の良い友人同士だとしても、許容の範囲というものがある。もちろん、江坂も・・・・・。
 「・・・・・」
隣の女湯からは、はっきりした会話は聞き取れないものの、楽しそうに会話している雰囲気が伝わってくる。
(向こうはこちらの雰囲気なんか全く気にしていないだろうな・・・・・)



 頭からシャワーを浴びた秋月は、ブルッと頭を振って水を切った。
 「・・・・・」
(・・・・・大丈夫か、あいつは・・・・・)
人見知りをして、大人しい。そんな日和がほとんど初対面の人間と一緒に温泉に浸かって大丈夫なのだろうかと思うものの、様
子を見に行くことさえしにくい雰囲気がある。
 それぞれの恋人を大切(溺愛しているといってもいい)にしている彼らが、何も言わずにここで待っているのだ、自分だけが隣に行
くことはとても出来ない。
 「どうぞ」
 「・・・・・」
 手持ち無沙汰に顎を撫でると、傍の洗い場に腰掛けていた伊崎が髭剃りを差し出してきた。
 「・・・・・いや、いい」
 「そうですか」
 「・・・・・」
(たしか、こいつは日向組の・・・・・あの日向楓が、まさか自分の組の若頭とデキていたとはな)
大東組とは別組織に属している秋月の耳にも、日向組の息子の美貌の噂は届いていた。実際にこの目で見ると、本当に完璧
だといえる美貌で、本来綺麗なものを好む自分が食指を動かしてもおかしくは無いほどだったのだが・・・・・。
 「そっちの、坊ちゃん・・・・・噂通りだな」
 「・・・・・」
 そう言った途端、静かな表情だった、どちらかといえば女顔といえる伊崎の眼差しに冷たい光が浮かぶ。この男にとって楓がどん
な存在か、それだけでも秋月には察しがついた。
 「秋月さん、うちの坊ちゃんに手を出すのは止めて下さい。彼はああ見えても・・・・・かなり扱いづらいですよ」
 「・・・・・あんたは、ちゃんと扱えてるのか」
 「彼への思いが、他の人間に負けるとは思いませんから」
きっぱりと言い切った伊崎は、じゃあと短く断わって湯船に向かった。



(まさか、楓さんに興味をもったとは思わないが・・・・・)
 伊崎は眉を顰めたまま湯に浸かると、今しがたの秋月の言葉の意味を考えた。
あの男が同行している少年に向ける眼差しは、明らかに愛しい者を見るものに違いが無かった。それは、多分同じ様な目をして
楓を見ている自分だからこそ分かることだ。
 「・・・・・」
 伊崎は溜め息をつく。
こんな風にウジウジと考えていることを知られたら、それこそ楓に自分を信じていないのかと叱られてしまうだろう。こんな思いはここ
で綺麗に洗い流そうと、伊崎はバシャッと湯を顔に掛けた。



 「会長、背中流しましょうか?」
 「ここでまで気を遣わなくてもいいぞ」
 「そんなつもりは無いんですけど」
 綾辻は笑った。
(これはもう性分みたいなものだし)
海藤の背中を流しながら、綾辻は楽しそうに言った。
 「今回の旅はどうでしたか?本当ならマコちゃんと2人きりの方が楽しかったかもしれませんが」
 「そんなことはない。真琴も楽しそうだし、たまにはこんな機会があってもいいだろう」
 「そうですね」
 他の人間が聞けば優等生すぎる答えだと思うかもしれなが、海藤とそれなりの付き合いがある綾辻には、それが海藤の本心か
らの言葉だということが良く分かっていた。
真琴を深く愛する海藤は、先ず真琴のことを考える。彼が楽しいと思うこと、嬉しいと思うことを優先して、それを叶えることに喜び
を感じている。長い間、愛する存在がいなかった海藤にとって、誰かの為に尽くすのはごく普通のことなのだ。
(もうちょっと、我が儘になってもいいんだけど・・・・・誰かさんと同じで)
 「綾辻」
 「はい?」
 「倉橋は大丈夫か?」
 「あー・・・・・どうでしょう?泣かされることはないと思うんですけど」
 隣の女湯で、きっと小田切にからかわれているだろう倉橋の姿が容易に思い浮かぶ。可哀想というよりは、そんな困った表情を
する倉橋を一緒に見てみたいと思うくらいだ。
 「あっちに行っちゃったら怒られるし」
 「・・・・・まあ、仕方ない。他の男達にとっては、お前は危険人物だろうから」
 「もうっ、酷いですね」
(そう思われるのは光栄だけど)
 男としては、安全だと思われるよりはよほどいい。
 「それぞれの部屋にも露天風呂はついていますから、後でじっくり楽しんでくださいね」
 「・・・・・そうさせてもらうか」
苦笑混じりの海藤の言葉に、綾辻は自分こそじっくり倉橋を苛めてやろうと思っていた。



 そろそろ、身体が火照ってきた。
隣の様子が気になるものの、向こうがあがるまで待つのも変かと思い、風呂から上がろうかと上杉はバシャッと顔を洗った。
 「海藤、先にやるか?」
片手で酒を飲む仕草をすれば、付き合いますよと海藤が答える。このままでは身体が茹蛸になるかもしれないと思った上杉が湯
船から立ち上がった時だった。

 ガラッ

 賑やかに引き戸が引かれる音がした。
 「誰だ?」
ここにいる面子を見れば他に誰が入ってくるのかと思う。
(ナラ?・・・・・いや、あいつなら風呂に来るよりも、部屋で待っている可能性が高い・・・・・)
宿の人間だとしても、こんなに賑やかに風呂の中に入ってくることは無いはずだ。
 「いったい・・・・・」
 誰だと呟いたと同時に、

 「お邪魔しま〜す!!」

 「・・・・・っ、タロッ?」
風呂場の中に聞き慣れた元気な声が響き、腰にタオルを巻いただけの裸の太朗が駆け込んできた。
 「お、お前っ?」
さすがに驚いた上杉は、慌てて湯船から出ると大股に太朗の方へと歩み寄る。
その姿を見た太朗は、少し顔を赤くして慌てて顔を逸らした。
 「ちょ、ちょっと、ジローさんってば、隠せばっ!」
 「はあ?」
 太朗の言葉が何を指しているのか、あまりの動揺に一瞬分からなかった上杉も、再びチラッと視線を向けてくる太朗がどこを見
ているのかようやく分って、思わず口元を緩めてしまった。
 「なんだ、スケベだな、タロ」
 「バ、バカ!俺はちょっと確かめたいことがあって来たんだってば!」
 上杉のからかいの言葉に見事に反応した太朗だったが、直ぐに気を取り直したようにそう叫ぶと、なぜかズカズカと湯船の中にい
るアレッシオの方へと近付いていった。
 「ターロ?」
 さすがにアレッシオも突然の太朗の出現に戸惑ったようだが、当の太朗は全くそれを気にすることなく、湯の中に視線を落として
すっげーっと呟いた。
 「ケイのチンチン・・・・・本物?」

その場は、太朗の言葉によって撃沈してしまったかのように・・・・・静まり返った。






                                         






次回で温泉編は終わって、宴会へと続きます。