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 「そろそろ乾杯するか」
 上杉は、まだゴロリと畳に横たわっている太朗の身体をポンポンと軽く叩きながら、笑いを堪えたような声で言った。
太朗がのぼせてしまったのは分かるが、この態度の大半の理由は風呂場での上杉の態度に対する子供っぽい抗議なのだろう。
もちろん、謝るのは簡単だが、さすがに上杉も男の名誉に関わることであったし、ここは簡単に折れてやる気は無かった。
 それに、こうしてさっさと食事を始めようとすれば、食いしん坊な太朗が渋々ながらも起き上がってくるのは予想がつく。
 「・・・・・」
 「起きない奴は知らねえぞ。楽しみにしていた馬刺しも、俺が食っちまおうかな」
 「!」
そう言った途端にバッと起き上がった太朗に、上杉は内心笑ってしまう。
 「俺のこと、心配じゃないのかよ・・・・・」
 「ん?心配に決まってるだろうが」
 「・・・・・そう思えないんだよ、バカ・・・・・」
怒った口調ながら、ジリジリと上杉の横に寄ってくる太朗。その姿があんまり可愛くてたまらずにプッとふき出した上杉は、そのまま
太朗の身体を抱き寄せてしまった。



 「や、やっぱり、入らなくちゃいけませんよ、ね?」
 「・・・・・まあ、そうだろうな」
 暁生の囁くような小さな声に、楢崎は眉を顰めながらも頷いた。
襖の向こうからは賑やかな気配がする。
今ここで、自分達2人が入っていかなくても十分楽しめると思うのだが、このまま部屋に閉じこもっているという選択は・・・・・多分
無理だろう。

 実は、楢崎と暁生は30分程前に宿に着いていた。
直ぐに上杉のもとへと報告に向かったものの、一行が皆風呂に入ったと聞いて、一応は浴場へと向かったのだが・・・・・。
(あの騒ぎの中、入れるわけが無いだろう)
 上杉と太朗の言い合いを聞いて、とても中へと足を踏み込めなかった楢崎と暁生は、そのまま自分達に用意された部屋で一
同が上がってくるのを待っていたのだ。

 「どうしますか?」
 「あの子供達のことも報告はしなきゃならんしな」
 もちろん、後から報告するということも出来るが、楢崎の性格としたらそれも出来なかった。
 「そ、そうですよね」
 「お前も、腹が減っただろう?・・・・・入るか」
 「は、はい」
 暁生が頷いたのを見た楢崎は、一度はあ〜と大きな溜め息をついてから、
 「失礼します」
そう一声掛けて、襖を開けた。



 「あ!!」
 「・・・・・っ」
 楢崎の後ろから恐々と顔を覗かせた暁生は、いきなり上がった声に思わず身体の動きを止めてしまう。
 「あっ」
 「あ〜!」
 「ナラさん!」
 様々な声が上がったかと思うと、いきなり自分達の元へ皆が駆け寄ってきた。
 「・・・・・っ」
(わわわっ)
その勢いに暁生は一瞬後ずさってしまったが、そんな暁生と楢崎を取り囲むように、あの時一緒にバスにいた者達が口々に訊ね
てきた。
 「ねえっ、あれからどうなったっ?」
 「大丈夫でしたか?」
 どうやら、彼らもあの少年達のことがずっと気になっていたらしい。言ってもいいのかと、チラッと楢崎を見上げた暁生は、彼が頷
いてくれたのを見て、
 「え、えっと、ですね」
注目されることに多少緊張しながらも、暁生は自分の見てきたことを必死に説明し始めた。



 暁生の行動を横目で見ながら、楢崎もまずこの中で一番立場が上になる江坂の前へ歩みより、そのまま事後報告をした。
子供達の親にはそれぞれ注意をし、きっちりと謝罪させたということ。
道中、子供の親に金を貸した会社へと乗り込み、その場で借用書を破かせ、秋月から連絡を受けたその会社を管理している
組に後始末を任せたこと。
 「失礼ながら、理事がご自分の名前を出してもいいとおっしゃったので」
 「ああ。それくらい構わない」
 楢崎の名前では通じないだろうが、大東組の幹部である江坂の名前の力は思った以上に大きく、相手の組も、早々にケリ
をつけると真っ青な顔で言っていた。
 「全て綺麗に後始末をつけてから、こちらにそれを報告させるようにしています」
 「分かった」
 労いの言葉は無かったが、これくらいは仕事をしたというほどのことでもない。
ただ、顔に似合わず情の深い楢崎は、2人の少年の感謝の言葉が何よりも大きな報酬だと思っていた。



 「ミスター」
 江坂はアレッシオに簡単に経緯を説明した。けして長くは無い説明に、彼は鷹揚に頷いただけだった。アレッシオからすれば、友
春に関係ないことは基本的に眼中に無いのだろう。
それは江坂も同じ様なものなので、彼の反応の薄さには特に何の感慨も無かった。
 それよりも、あの子供達にとっての良い結果を喜ぶ静の方が気になる。江坂は顔を綻ばせる静を横目で見ながら、上杉を振り
返った。
 「上杉」
 「はい」
 「そろそろ食事を始めるか」
 せっかくの食事だ。静には一番美味しい状態で食べて欲しいと思う。
 「そうですね。おい、タロ、飯だぞ!」
上杉は直ぐに頷いて、まるで犬を呼ぶようにあの子供の名前を呼んだ。しかし、そう言う声も、本人にとっては気にならないらしい。
パッと顔を上げると、周りにいた者達にご飯だってと言い始めた。良くも悪くも、この子供は人を動かすようだ。



 「じゃあ、海藤、音頭とれ」
 「・・・・・私が、ですか?」
 いきなり上杉にそう言われた海藤はさすがに戸惑った。
立場的に言えば、そういうことは江坂かアレッシオがするのが当然だと思ったし、そうでなければ自分よりも年上の上杉がする方が
筋だと思う。
 しかし・・・・・考えれば、江坂もアレッシオも面倒なことには手を出さないタイプだろうし、上杉も・・・・・言わずもがなだ。
(仕方ない)
海藤はグラスを持ち上げる。
 「では、何に乾杯しましょうか」
 「テキトーでいい、テキトーで」
 「ジローさん、ちゃんと考えろよ」
 「海藤が真面目過ぎなんだよ」
 「ジローさんが不真面目過ぎなの!」
 言い合う上杉と太朗を横目で見た後、海藤は少し考えて・・・・・、
 「子供達の勇気に、乾杯」
 「カンパ〜イ!」
色んな意味をこめての言葉に、真琴は笑いながら隣に座った太朗とグラスを合わせた。



 乾杯の後に一気にビールを飲み干した秋月は、少し離れた場所に座る日和に言った。
 「飲むなよ」
 「飲みませんよ〜」
まだ高校生の日和は秋月の言葉に即座に頷いたが、その口調はどこか楽しそうだ。

 「う・・・・・なんか、緊張します」

浴衣に着替え、この宴会場に来る前に、日和はそう秋月に訴えていた。列車からバス、そして温泉へと、ずっと一緒にいてかなり
慣れたとはいえ、酒の入る席はどうしても緊張すると言っていたのだ。
 しかし、実際にこの部屋に入り、他の年少者達と顔を合わせると、その硬さはかなり解けているようだ。
日和が自分以外の人間と打ち解けたように笑い合うのは面白くは無いが、こんないかにもまだ子供だという者達相手に敵意を感
じても仕方が無い。
 「どうぞ」
 「・・・・・すまない」
 じっと日和を見ていた秋月のグラスに、ビールを継いでくれたのは小田切だ。
 「少しは馴染んできましたか?」
 「まあ・・・・・な」
 「お連れさんは、だいぶリラックスしてくださっているようですが」
 「・・・・・ああ」
 「派閥は違えど、こういう場では仲良くしませんか?」
にっこりと笑って言う小田切は、男には勿体無いような美貌の主だ。
だが、どこか油断ならない雰囲気を感じてしまうのは、自分の考え過ぎではないだろうと思った。



 「相変わらず綺麗ねえ、お宅のお姫様」
 綾辻が伊崎の隣に座ると、伊崎は少しだけ目を細めた。
 「ありがとうございます」
口調は礼を述べているのだが、どうも・・・・・その目は笑っていないままのようだ。前から感じていたが、伊崎は楓の容貌を褒められ
ることがあまり好きではないようだ。
(心配ですものね〜)
 同じ浴衣(色違いだが)を着ているというのに、太朗や暁生はどこか子供っぽく見えるのに対し、楓や静はとても男とは思えない
ほどの色香を漂わせている。
真琴や日和も、ふと見せる顔に大人びた面影を見るが、やはりこの2人は飛び抜けた容姿をしているようだ。
 「心配ね〜、あなたも」
 「・・・・・仕方ありません、昔からですからね」
 「まあ、本人がちゃんと自覚しているから大丈夫なんじゃない?」
危ないこともあるだろうけどと、綾辻は胸の中で呟いた。



 酒を飲まされてはならないと、倉橋は忙しく席の間を動き回る。誰も彼も、酒には強い男達ばかりだ、心配する必要は無いだろ
うが、それでも用心にこしたことはない。
 「・・・・・」
 そんな倉橋は、部屋の一番端にいる男に目が止まった。
 「・・・・・」
(確か、小田切さんが連れて来られた・・・・・)
素性は分からないが、小田切が連れてきて、それを上杉も認めているのだ。不審な人間ではない(ここにいる時点でそれは考えら
れない)だろう。
 「飲まれないんですか?」
 「えっ」
 倉橋が声を掛けると、男は慌てたように声をあげた。
 「よろしかったらどうぞ」
 「あ、い、いえ、俺は・・・・・」
 「飲めないんですか?」
 「そ、そんなことは無いんですけど・・・・・」
なぜか挙動不審に視線を彷徨わせた男・・・・・確か、宗岡といったか・・・・・は、本当に困っているようだ。だが、倉橋は自分の何
が男をそうさせているのか全く分からない。
(何を悩むことがあるんだ?)
男の戸惑いの意味が全く分からない倉橋が首を傾げた時、その傍にそっと腰を下ろす姿があった。
 「せっかくだ、いただきなさい」
 「裕さんっ」
 「・・・・・」
(小田切さんのことを名前で呼ぶのか)
小田切にそんな口をきく人間がいるとはとても想像出来なかった倉橋は、先程までとは違った目で宗岡を見つめた。






                                         






宴会の始まり。
次回から徐々に酒が入ってきます。