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 目の前で赤い肉を美味しそうに食べ始めた太朗を見て、友春は自分の膳を見下ろした。
(確か・・・・・馬刺し、だっけ)
熊本では名物らしいそれを、太朗はずっと楽しみにしていたらしく、美味しい美味しいと食べている。隣にいる上杉の分まで手を
出している様子は微笑ましいが、自分はと思うと・・・・・少し、違う。
(どうしようかな・・・・・)
 肉を全く食べないというわけではないが、友春はどちらかと言えば魚の方を好んで食べる。肉は、血の滴る・・・・・というものは苦
手で、何時も中まで火を通してもらっているくらいなのだ。
 「・・・・・」
(あ、ケイも?)
 友春は、チラッと見た隣のアレッシオの前の馬刺しも手を付けられていないことに気がついた。
 「・・・・・ケイ、それ、食べないんですか?」
 「これは馬の肉だろう?屋敷で飼っている姿を思い浮かべるととても無理だな」
 「・・・・・」
冷酷無比なマフィアの首領とは思えないような言葉。しかし、なぜか友春はその言葉を聞いて嬉しくなった。
(優しいんだ、ケイ・・・・・)
自分の飼っている馬を思って馬刺しが食べられないアレッシオが可愛く思えて、友春は思わず頬に笑みを浮かべてしまった。



 「熊本って言えば、太平燕(たいぴーえん)も有名ですよね?」
 「・・・・・タイピー、エン、ですか?」
 いきなり笑顔で静に話し掛けられた江坂は、グラスを傾けていた手を思わず止めてしまった。
(何だ?タイピーエンというのは・・・・・)
初めて聞く名前に、江坂は無表情の下で焦った。全ての食べ物を知っているわけではないが、それでも静の振ってくれた話題に
直ぐに答えられないのは悔しい。
 「・・・・・静さん、それは・・・・・」
 「俺も食べたことは無いんですけど、ヘルシーですっごく美味しいんですって。食べてみたかったけど、ここじゃちょっと無理でしょう
ねえ」
 残念と笑う静はほんの思い付きで言ったのかもしれないが、江坂は残念と静に言わせた自分が情けなく、急いで今静の言った
ものを用意しようと思う。
 「静」
 その時、ちょうど斜め向かいに座っていた真琴が静を呼んだ。
 「あ」
 「どうぞ」
いってらっしゃいと静を促した江坂は、静が席から立つと同時に、
 「綾辻」
この中では、一番雑学がありそうな男の名前を口にした。



 「あ、からし蓮根」
 「静、食べたことがある?」
 「父さんがお土産に貰ったのを食べたことがあるよ。そっか、熊本はこれも有名だったっけ」
 「ね?静なら食べたことがあるんじゃないかなって思ってたんだ」
 まるで自分のことを自慢するように真琴は笑った。

 様々な海の幸、山の幸が並んだ料理。海藤と知り合ってからかなり珍しいものも食べてきた真琴だったが、さすがに馬刺しやか
らし蓮根は始めての経験だった。
 「・・・・・」
 ふと見ると、楓も難しい顔をして皿を見つめている。
 「楓君、馬刺し初めて?」
 「・・・・・うちは高級なものに縁がないから」
 「楓さん」
隣にいる伊崎が苦笑しながら諌めるが、真琴は少しもその口調に自嘲めいた響きは感じなかった。ただ、食べたことが無い。それ
がたとえ卵焼きでも、フカヒレでも、楓は同じような口調で言っただろうと思う。
 「太朗君は馬刺しを楽しみにしてたみたいだけど」
 「あいつは口に入るものは何でもいいと思う。本当は焼いて、ソースかケチャップをつけた方がお子ちゃま口には合うと思うけど」
 「あー!!聞こえたぞ!」
 席がそれほど離れておらず、大きさも普通だった楓の言葉は、太朗の耳にはちゃんと届いたらしかった。
太朗はしっかりと手に馬刺しの皿を持ったまま、ズカズカと真琴と楓の傍まで来ると、いきなり楓の皿の馬刺しを箸で掴んで自分
の皿にのせてしまう。
 「おいっ」
 「食べないんなら貰ったっていいだろ」
 「それなら、こっち食えよっ」
 「こっち?・・・・・何、これ、蓮根に何詰まってるんだ?半生のタマゴ?」
 「・・・・・」
 2人の会話を黙って聞いていた真琴は思わずぷっとふきだした。黄色いから単純にタマゴだと思ったのかもしれないが、その発想
の柔軟さには感心してしまう。
 「太朗君、これ、からし蓮根だよ」
 「からしっ?こんなにからし塗って、罰ゲームか何かっ?」
 「はははっ」
真琴は我慢出来ずに腹を押さえて笑い始めた。



(・・・・・楽しそう・・・・・)
 乾杯の時の席から既に皆(ほとんどが年少組みだが)動いている。だが、暁生はやはり自分だけ場違いな感じがして、楢崎の
傍から離れることは出来なかった。
 「暁生」
 「・・・・・」
 「仲間に入れてもらったらどうだ?」
 「え?あ、え?」
 何時の間にか、ぼうっと彼らを見ていたのだろうか・・・・・苦笑しながら言う楢崎に、暁生は慌てて首を横に振る。誰が誰の恋人
だとかはよく分からないが、楢崎にとっては立場が上の者がほとんどだろうし、そんな楢崎の為にも自分が失敗など出来るはずが
なかった。
(大人しく、ここで座ってたら失敗なんかしないし・・・・・)
 「アッキー!こっち、こっち!」
 「・・・・・っ」
 そんな暁生を、太朗がおいでおいでと手を振りながら呼んだ。
暁生はあっと、思わず楢崎を振り返る。
 「行ってこい」
 「で、でも」
 「アッキー!」
 「ほら」
 「・・・・・ちょ、ちょっとだけ、行ってきます」
 いったい、彼らは何を話して楽しそうに笑っているのか知りたい気がして、暁生は立ち上がった。
すると、隣にいた楢崎もビールの瓶を持って立ち上がる。
(あ・・・・・お酌しに行くんだ)
自分の為にずっと座っていてくれたのかと思うと嬉しくなって、暁生の頬は自然と緩んでしまった。



 「で、誰が最初に食べるかって話になってさ」
 「は・・・・・あ」
(どうして、俺までその仲間に入ってるんだろ・・・・・?)
 大人しく自分の前に並べられていた料理に箸をつけていた日和は、嵐のようにやってきた太朗に攫われて席を離れてしまった。
そこにいたのは、バスジャックというありえない経験を一緒にした面々で、真ん中の畳の上には料理の皿が1つ置いてあった。
黄色の詰め物がされたそれは、多分・・・・・。
(からし蓮根?)
 「静は食べたことがあるんだって。だから、食べれないことはないみたいだけど」
 「なんだよ、それ〜。俺は少しだけ珍味好きなの」
 にこにこと笑いながら真琴が言うと、それに少しだけ反論する静。ほんわかコンビの掛け合いは妙に緩やかで、日和はハアと惚け
た答えをするしかない。
 「子供味覚のタロは絶対無理」
 「あっ、鮨だってワサビ抜きの楓には言われたくないぞ!」
 元気な太朗と、綺麗な楓の会話はまるで嵐のようだが、本人達は周りのことなど全く気にしていないらしい。
 「僕も、辛いのは苦手っていうか・・・・・母親が京都の出身だから、薄味が好きだし・・・・・」
大人しそうな友春も、出来れば食べたくないなとニュアンスで伝えている。
 「お、俺が食べますよ?」
 ここは自分しかいないというように言う暁生に、太朗はだ〜めと人差し指を振った。
 「ここはジャンケンだって、ね?」
 「・・・・・まあ、それが平等かも」
 「僕、弱いんだけど」
 「俺っ、最初にパー出しましょうか?」
 「そこっ、インチキは無し!」
日和はじっとからし蓮根を見下ろす。
(別に、俺が食べたっていいんだけど・・・・・辛いの好きだし)



 「・・・・・」
 海藤は上杉が差し出してきた瓶を見て眉を潜めた。
 「もう酒、ですか」
 「ああ。ビールなんて水じゃ酔えねえだろ」
浴衣の前を肌蹴た上杉は、悪戯っぽく笑って海藤に酒を注いできた。どちらが酒に強いかなど今まで考えたこともないが、海藤
も上杉もそれなりだろう。
(酔わなくてこの調子か)
 上杉が機嫌がいいのは、この開放感からか、それとも恋人である太朗が傍にいるからか。多分、後者の方が割合が大きいか
もしれないが、こういう席だ、楽しまない方がおかしいだろう。
 「少しは何か腹に入れておいた方がいいですよ」
 「ん?」
 「悪酔いしても介抱しませんから」
 「酔うわけねえだろ、楽しい夜が待っていると分かっているのに、なあ」
 「・・・・・」
(全く、この人は・・・・・)
 海藤は言い返そうと口を開きかけたが、自然とその唇に笑みが浮かぶのが分かってしまう。どうやら、浮かれているのは上杉だけ
ではないようだ。
 「その夜に、役にたたなかったらどうするんですか?」
珍しい海藤の軽口に一瞬目を瞬かせた上杉だったが、直ぐにニヤッと笑って見せた。
 「分かった、分かった。そうなったら、せっかくの旅の楽しみが半減になるからな」
 「・・・・・」
簡単には参ってくれない上杉に、海藤は苦笑を零した。



 「綾辻、タイピーエンとは何だ」
 「・・・・・は?」
 いきなり名前を呼ばれ、いきなりそう聞かれて、さすがに綾辻はいったいどこからその言葉が出てきたのかと不思議に思ってしまっ
た。
しかし、江坂はそれ以上に言葉を継ごうとはせず、そのまま綾辻の答えを(不機嫌そうに)待っている。
(タイピーエンて、あの、タイピーエン、よね)
 「えっと、中国の郷土料理っていうか・・・・・まあ、簡単に言えば、春雨スープの具沢山版ってとこですか」
 「・・・・・それは有名なのか?」
 「熊本は結構有名なんじゃないですか?私は東京で食べましたけど」
 綾辻の好みからしたら、もう少しパンチがある方がいいというか・・・・・まあラーメンの方がいいということだが・・・・・それでも、美味
しかったように思える。
(あ、そうだ、あれってヘルシーだし、今度克己を連れて行ってあげようかしら)
食の細い倉橋にはピッタリかもしれないと、綾辻は早速頭の中で都内の店の場所を確認し始める。
 だが、その思考を切り裂くように、抑揚のない声が割り込んできた。
 「用意させろ」
 「・・・・・え?」
 「静さんが食べたがっている。急いで用意させろ」
 「用意って、簡単に言いますけど、この旅館でいきなり・・・・・」
 「出来るな?」
 「・・・・・させたらいいんでしょ」
出来ないといって、それをそのまま受け入れる男ではない。出来なければ、出来るように動けと言われるのは目に見えていた綾辻
は、諦めたような溜め息をつきながら立ち上がった。
(厨房の人間になんて言おうかしら・・・・・)






                                         






私はからし蓮根は食べたことはありません。やっぱり辛いんでしょうか?
次はもう少し酒が入って乱れた姿を・・・・・(笑)。