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 そこかしこから響く楽しそうな子供の笑い声に、宗岡は内心自分はどうしたらいいのかと焦っていた。
暢気に笑うことは出来ないし、かといってあからさまにその場を立ち去ることも・・・・・ちょっと怖い。それは、周りのヤクザな男達が
怖いというよりも、直ぐ傍にいる、綺麗でつかみどころのない恋人が怖いのだ。
 「・・・・・」
 チラチラと視線を隣に座っている小田切に向けるが、綺麗な顔は何時ものように穏やかな微笑を浮かべたまま(それが怖いのだ
が)冷酒を口にしていた。
(そういえば・・・・・裕さんって酔わないよな)
 付き合い始めて数年、けして短い時間ではなかったし、今は同棲もしているが、宗岡は今まで小田切が酔った姿を見たことが
なかった。何時だって、誰といても、けして乱れない。
 ここにいる子供達ではないが、酔った小田切というのも見てみたい気がした。
 「どうした?」
 「・・・・・え?」
意識していないまま、じっとその顔を見ていたらしく、小田切の視線が真っ直ぐに自分に向けられている。宗岡は焦る気持ちをご
まかすように、傍に置いてあったビールを一気にあおった。
 「テツオ」
 「あ、い、いや、あの子達、未成年なのに酒を飲んじゃって・・・・・」
 「・・・・・面白くない男だな」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
(し、失敗したかも・・・・・)
 小田切の顔は笑っているが、自分を見ている目は笑っていない。いや、それどころか自分から視線を逸らして立ち上がり、その
ままニヤケた男のもとへと席を移してしまった。
(裕さ〜ん・・・・・っ)
どう謝ったらご機嫌を直してくれるのか、宗岡は頭の中で必死になって考えた。



 綾辻は隣に座った小田切を見て、ふとその向こう側に視線を向け・・・・・苦笑を浮かべた。
(ワンコ、イジケちゃってるじゃない)
 「いいんですか?」
 「いいんですよ」
そっけなく答えるわりには、小田切の笑みは楽しそうだ。きっと、あのワンコは小田切のこんな顔を知らないのだろう。
(しかたないか。他の人間に、自分ちのワンコを自慢するのと、ワンコに向ける顔は違っちゃうものね)
 「本当に気の毒」
 「人のことを言えるんですか?」
 「え?」
 「どう考えても、彼の方が気の毒な気がしますけどね」
 そう言う小田切が見ているのは、綾辻がこの世で一番可愛いと思っている男だ。
その男・・・・・倉橋は、今酔ってしまった子供達に冷たい水を差し入れている。そうしろと言われなくても動いてしまうのは、もう性
格だからとしか言えないだろう。
 「今日は酔わせないんですか?」
 「最近ガードが堅くって。それらしいものも口にしてくれないの」
 今までの何度かの失敗のせいか、倉橋はかなり用心深くなっている。今日も、乾杯の時のビールでさえ口をつける真似をしただ
けで、実際に喉をも通過していないだろう。
(酔った克己、可愛いのに)
 常に自分を律し、冷静沈着でいようとする倉橋。せめて恋人である(倉橋は直ぐに頷いてくれないかもしれないが)自分の前で
は、もう少しだけ気を抜いてくれてもいいと思うのだが、こういった飲み会の場合は絶対に無理だともう諦めていた。
 「・・・・・じゃあ、私がお手伝いしましょうか?」
 「え?」
綾辻が問い返す前に、小田切はもう立ち上がっていた。



 「倉橋さん」
 突然後ろから声を掛けられ、倉橋の手が止まった。もちろん、声でその相手は分かったものの、その人物が一体自分に何の用
があるのか想像するだけで嫌な予感がしたのだ。
それでも、無視することはとても出来ず、倉橋は覚悟を決めて振り向いた。
 「どうされましたか?」
 その間数秒。とても自分が困惑しているとは覚らせないと思っていたのに、振り返って見た小田切の顔は楽しそうに笑っていた。
 「せっかくですから、倉橋さんも楽しんでもらいたくて」
 「・・・・・私にまで気を遣ってくださらなくても・・・・・」
 「実は、あれが退屈をしていましてね」
 「・・・・・あれ?」
 「ええ。なかなか周りと馴染めないらしくて。でも、真面目そうに見えるあなた相手なら、きっと緊張しないと思うんですよ」
小田切の眼差しの先には、彼が同行した若い男がいる。
確かに小田切の言うように居心地が悪そうな感じだが、その話相手に自分を指名しようとする小田切の思惑が分からなかった。
 お互いに深く知っているとまでは言わないが、それでも何度か私的にも会っている小田切。そうでなくても観察眼の優れたこの
男は、倉橋の性格はよく分かっているはずだ。
見知らぬ相手に気安く声を掛け、酒を酌み交わすことなどとても出来ないと分かっているはずなのに、どうしてわざわざ自分に声
を掛けてくるのか分からない。
 「あ、あの・・・・・」
 「あなたなら、あれも安心して任せられますし」
 「・・・・・」
 「お願いしますね」
まだいいとも言っていないのに、小田切はもう決定事項のように笑った。



 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・あの、どうぞ、飲まれてください」
 自分に酒を勧めてくれる男は・・・・・とても綺麗な顔をしていた。
一見柔らかで、艶やかな容貌の小田切も、男とは思えないほどに色気がある人だと思っているが、この・・・・・倉橋という男も、無
表情なのに目だけは不安そうな色になっていて、どこか守ってやりたくなるように感じてしまう。
(この人もヤクザなんだな・・・・・)
 しかし、とてもそうは思えず、どちらかといえば自分の方側の人間のように思えて、宗岡も他の男達に思うような複雑なものはな
く、かえって自分も倉橋に対して酒を勧めた。
 「いえ、私は・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・では、少しだけ」
 倉橋は宗岡の注ぐ冷酒を、一瞬だけ見つめてから口に運ぶ。あまり飲みたがらないので下戸かと思ったが、どうやらこの冷酒の
味は気に入ったらしかった。
 「・・・・・美味しい」
 「水が美味しいと、酒も美味しいですよね」
 「ええ、本当に」
 倉橋は喋る方ではなかったが、宗岡は一度好印象を持った相手に対しては屈託なく話すので、傍目にはヤクザ幹部と警察官
だが、思ったよりも違和感なく会話をしていた。



 「あ」
 チラチラと2人を気にして視線を向けていた綾辻は、ふらっと身体を揺らした倉橋を見て思わず立ち上がった。もちろん、少し離
れていた場所にいた綾辻は間に合わず、傍にいる宗岡がしっかりとその身体を抱きとめた。
(・・・・・面白くない)
 あの犬が小田切の飼い犬だと分かっていても、倉橋の身体に他の男が触れるのは面白くない。
眉を顰めて傍に近寄ろうとした綾辻は、何時の間にか隣にいた小田切に笑いかけられた。さすがに飼い主の余裕か、2人の様子
を見ても動じた風は無い。
 「嫌じゃないんですか?」
 「犬が、犬好きな人間に懐いていったって、何とも思うことも無いでしょう?」
 「・・・・・そのわりきりが素敵」

 傍で見た倉橋の顔は、思ったよりも赤くなっていた。
視線を向けた先には、冷酒の空いた瓶が5本ほど。ほとんどが宗岡が飲んだはずだが、倉橋にすれば度が過ぎたほどの酒量だっ
たのかもしれない。
 「克己」
 「・・・・・はい?」
 ゆっくりとした動作で顔を上げた倉橋は、普段絶対に見せないような笑みを口元に浮かべていた。どうやら、今日の酒は倉橋に
とっては楽しかったもののようだ。
(私とじゃないってとこが、面白くないんだけど)
 「気持ち悪くない?」
 「・・・・・いーです、よ?」
 「・・・・・」
 「あやつじ、さん」
 眼鏡の奥の瞳が、綾辻を捉えて嬉しそうに細められる。絶対・・・・・普段は見られない姿だ。
 「・・・・・っもう、可愛過ぎ!」
綾辻は倉橋の可愛らしい表情を他の人間に見せないように、その身体をギュウッと抱きしめる。倉橋は抗うことなく、コテンとその
肩に額を当ててきた。



 人目のある中で綾辻に寄り添う倉橋・・・・・これは完全に酔っている。
(やっぱり、酔うと無防備になるんですよねえ。まあ、今日はここにいる顔ぶれは安全パイばかりでしょうけど)
小田切はくくっと笑ったまま、じっと綾辻と倉橋の2人を見ている宗岡の傍へと腰を下ろした。
 「お前は酔っていないのか?」
 「・・・・・あれくらいじゃ、酔いませんよ」
 そう言って振り返った宗岡の顔は何時もと変わらなかったように見えるが、小田切には宗岡の目が少し据わっていることに直ぐに
気付いた。
 「テツオ」
 「大体、ここに俺を呼んだのは裕さんなのにっ、どうして俺の隣にいないんですかっ?俺、俺、こんなとこに1人で・・・・・っ」
 「ああ、すまなかったな」
 宗岡はここぞとばかりに小田切に寂しさと不満を訴え、そのまま小田切の膝の上へと突っ伏した。そして、もう放さないというよう
にその膝に抱きつく。
 「裕さん〜」
 「今日はもう、お前と一緒にいる」
 この後は、もう自分の存在も必要ないだろう。後は、律儀にもちゃんとこの宴会にまでついてきた可愛い飼い犬に、甘いご褒美
をあげることにしようと思った。






 (一部)賑やかな宴会は続いていた ----------------- 。

 「あのねえ、男がパンツの一つや二つ、見られたからって何て言うんだよ!」
 仁王立ちになって叫ぶ楓に、お子様達の無責任な声援が飛ぶ。
 「楓さんっ」
 伊崎はそれを抑えようとしたが、楓に力ずくでという方法は取れず(後で文句をいわれるのに決まっている)、ただ、これ以上に乱
れないことを祈るしか出来ない。
しかし、そんな伊崎の祈りのような思いとは裏腹に、楓はいきなり浴衣の帯を解くと、そのまま一気に脱いでしまった。
 「!」
 「どーだ!俺はねー、こんな顔してるけどー、痩せてガリガリってわけじゃないんだぞー!」
 真珠のような光沢の滑らかな肌は、楓が言うようにしなやかで瑞々しく、けして女のようには見えなかった。ただ、それは伊崎だけ
が知っていればいいことで、ここで他の男達に見せることは無いだろう。
 「かえでー、きょうのぱんつ、なにー?」
 「タロ、お前はなーんにも知らないんだな。これは、ビキニブリーフ!ワインレッドはきょーすけの趣味なんだよなー?」
 「・・・・・」
 「そーなの?いしゃーさん?」
 「きょーすけも、俺とお揃いだよなー?ただし」
 「・・・・・っ」
楓はいきなり伊崎の浴衣の裾をペラッと捲った。
 「きょーすけは、黒」
 「いしゃーさん・・・・・でかいなあ」
 太朗がどこを見てそう言っているのか想像したくない伊崎は、極力冷静に浴衣の裾を直す。
そこへ、ちょうど良く救世主が現れた。
 「でもさー、でかいとそんなちっちゃーぱんつに入らなくない?」
 「ターロ、お前、大丈夫か?」
 上杉はペタンと座っている太朗の頬を大きな手で撫で、腰を屈めて顔を覗き込んでいる。好奇心旺盛な子犬を一発で黙らせ
るその手腕に、伊崎は尊敬の眼差しを向けるが、もちろん、太朗は大人しいだけの子犬ではなかった。
 「あー!もしかして、ジローさんがぼくさーぱんつなのは見せびらかすため?自分がでっかいの、自慢したいんだろー、このひきょー
ものめ〜」
 「別に、自慢しているわけじゃねえ。でかいのは当然のことだしな」
 太朗の言葉が酔った上でのことだというのは分かっているものの、それに堂々(平然)と答える上杉に、伊崎は自分と違った余
裕を見てしまった。






                                         






次回くらいで宴会も終わります。
後もう少し・・・・・。