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(え、映画じゃない、よな?)
目の前の座席にしがみ付きながら、太朗は今起こっていることが現実なのかどうか悩んでしまった。
さっきまで、上杉達と美味しいラーメンを食べて、今から楽しいバスでの旅路が待っていたはずで・・・・・それが、どうして自分達若
者側だけ(上杉は年寄りじゃないと怒るかもしれないが)ここにいるのだろう。
「ど、なってるんだ?」
太朗の呟きが聞こえたのか、その前の座席に座っている真琴が小さな声で呟いた。
「太朗君、騒がない方がいいよ。ここは倉橋さんに任せていた方がいいと思う」
何時も穏やかな真琴の口調が、今は緊張しているように聞こえる。その緊張感に太朗も伝染したように緊張して、目はバスの運
転席付近に立っている男達にいっていた。
(あれ・・・・・ナイフ?)
運転手のすぐ側に立っている背の高い方の男の手には、バンダナのようなもので隠しているが細長いシルエットのものが握られ
ている。
「これ、いったい何?マコさん」
何がどうなっているのか、思わず呟いた太朗に向かい、真琴は少し躊躇っていたようだが・・・・・やがて前よりももっと声を落として
言った。
「・・・・・俺も、信じられないんだけど・・・・・バスジャックなんじゃないかな」
「ばすじゃっく〜っ?」
「た、太朗君っ」
驚きのあまり大声を出し、その上立ち上がってしまった太朗に、侵入者であるうちの背の高い方が顔を向けた。
「そこっ、私語はするなって言ったろ!」
(・・・・・バカ)
1人で大騒ぎをしている太朗の後ろで、楓は眉を顰めながら口の中で毒づいた。
こういう時、騒げば騒ぐほど相手は興奮するものだということは想像すれば分かることで、《バスジャック》などと口にするなどもっての
ほかだろう。
(まあ、あいつに視線がいっている間に・・・・・と)
楓はポケットに入れていた携帯を取り出した。
「・・・・・」
チラッと視線を前に向けると、バスジャックらしい2人組みは太朗の方を向いている。楓は顔は上げたまま、指だけで短縮ボタンを
押した。
もちろん、相手は伊崎の携帯だ。会話は出来ないまでも、この車内の様子を何とか外部に知らせようと思う。
(それにしても、こいつら・・・・・プロじゃないよな)
どう考えても手際が悪い。自分達の中の誰かを、例えば自分を狙っている敵対する組とか、金持ちの静を狙う金目当ての奴
ならば、もう少し考えて行動するはずだ。
(動きも、素人に見えるし・・・・・)
「・・・・・」
楓がこんな風に落ち着いて行動出来るのは、小さな頃から何度も誘拐されかけたことがあり、それなりの対処方法を兄や伊崎
に教え込まされていたからだ。
ヤクザという家の特殊性もあり、非現実なことに慣れているのだが・・・・・。
(あ・・・・・)
斜め前を見た楓は、どうやらこんな場面に慣れているのは自分だけではないことが分かった。
「・・・・・」
(太朗君、大丈夫かな)
静は太朗が目を付けられないかと心配しながら、その指は携帯の短縮を押していた。相手はもちろん江坂だ。
(電話が通じていれば、こっちの状況が分かるだろうし・・・・・)
金銭目当ての誘拐もされかけたことがある静は、こういう時に自分がどうすればいいのかをシミュレーションしていたからだ。
「おいっ、お前ら静かにしてろよ!」
「ね、ねえってば!」
「お前は黙っていたらいいって!」
「・・・・・」
(なんだか・・・・・あんまり危機感を感じないんだけど・・・・・)
走る密室の中で、明らかに支配される側の自分達の方が不利なはずなのだが、静は命の危険というものを少しも感じてはいな
かった。
確かに、いきなりバスが発車して、見知らぬ男が2人現われたのには驚きはしたものの、その後の行動がどうも・・・・・。本来なら、
携帯も没収されなければならないのではないだろうか?
(倉橋さんもいるし、俺達は大人しくしていた方がいいかも・・・・・)
相手を刺激せずに、この流れを見ていた方が倉橋の邪魔にもならないだろう。
静はちらっと携帯を見下ろして、再び視線を目の前の男達に向けた。
(どうしよう・・・・・)
「ど、どうしよう・・・・・」
「・・・・・」
自分の心の中の声をそのまま耳で聞いた友春は顔を上げて、その声がどこから聞こえたのかと探した。
「どうなるんだ・・・・・?」
「・・・・・」
(あの子・・・・・)
それは、自分より年下の、今日会ったばかりの少年・・・・・日和の声だった。
まだ高校生だと言っていた彼は、同じ高校生の太朗や楓よりも大人しい印象で、友春はどこか自分に似ているなという親近感
を抱いていたくらいだった。
「・・・・・大丈夫だよ」
「え・・・・・」
思わず、小声でそう言うと、日和はパッと自分の方を振り返った。
「ちゃんと、助けが来るから」
「で、でも・・・・・」
「今は静かにしていよう?」
「・・・・・はい」
怖いのはもちろん自分もなのだが、多分この日和はこういうことに全く免疫が無いのだろう。まだアレッシオと出会ってからの自分の
方が、波乱万丈な日々を過ごしてきただけに多少は落ち着いていられるかもしれない。
(アレッシオ・・・・・)
それに、絶対に助けが来るということを信じることが出来たので、友春は両手をギュッと握り締めて、動揺する気持ちを必死で抑
えていた。
「警察みたいな事を言うなよ、おっさん!」
「警察みたいってなあ!俺は!」
「落ち着いてください、宗岡さん」
自分は警察官だと目の前の男に言おうとした宗岡は、冷静な声で言葉を挟んできた倉橋の鋭い眼差しに声が詰まってしまっ
た。
(・・・・・警察官だって言うなってこと、か?)
ヤクザに命令されるのはおもしろくないが、言葉を遮られたせいで少し気持ちが落ち着いてしまうと、確かに警察という言葉は犯
罪者を興奮させるかもしれないと思い始めた。
(ここにいる子達は俺が守らないといけないのに・・・・・っ)
確かに不本意な旅行ではあるが(小田切との旅行自体は嬉しいのだが)、バスジャックされたのが、あのヤクザにしては大人で
自分よりも格上に見える男達ならまだ話は違うが、ここにいるのは高校生や大学生といった守るべき一般市民ばかりなのだ、自
分が盾にならなくてどうするかと、宗岡は職業意識以上に強い正義感に駆られていた。
「・・・・・まあ、落ち着け」
「興奮してるのはそっちだろ」
「・・・・・要求を聞こう。金か?」
「・・・・・」
「こんな事をして、仮に金を取ったとしても、無事に逃げられると思ってるのか?お前らは知らないだろうけど、このバスに乗るはず
だった奴等は只者じゃないんだぞ?」
(そうだよ、こんなことをして、こいつら絶対に命が無いって)
自分で言いながら、宗岡は目の前の男達の命が心配になってしまった。
どうやら組織的な犯行にはとても見えないし、2人だけの犯行だとしたらそう時間を置くことも無く男達はこのバスの乗客の少年達
の保護者に捕らわれてしまうだろう。そうなったら、命の保障などとても出来ない。
(どうする、早めに投降させて警察で保護するか・・・・・いや)
宗岡の視線は、自分の少し前に立つ倉橋に向けられた。
(こいつがいるんだった・・・・・)
倉橋は更なる馬鹿なことを言いそうな宗岡を一喝すると、再び目の前の男達を見た。
不安感はもう抱いていなかった。どう見てもこの男達は素人だ。
「あなた達・・・・・大学生?それとも、もしかしたら高校生ですか?」
「・・・・・」
「今の段階でも、とても子供の悪戯だというだけで片付けられませんが・・・・・このまま長引いてもあなた達の不利になる結果に
なりますよ」
「・・・・・脅しか」
「ただの脅しに聞こえますか?」
日本でも屈指のヤクザの組の組長クラスに、イタリアマフィアの首領。彼らの恋人を怖がらせたというだけで、この男達の運命は
見えているのだが・・・・・どうやらかなり若い、それも子供のようにも見える男達に、倉橋は救済処置をとってやった方がいいのでは
と思ったのだ。
「・・・・・」
倉橋の言葉に動揺しているのかどうか、サングラスとマスクではその表情の変化は良く分からないが、その足が落ち着き無く揺れ
始めた。
そして・・・・・。
「ようちゃん、もういいよ」
不意に、小柄な方が長身の男の腕を掴んで言った。ちゃんと声を聞くと、想像していたよりもかなり若いというか・・・・・。
(全く子供じゃないか・・・・・?)
そう思った倉橋の想像通りの顔が、バスの中に晒された。
「ちゅ・・・・・中学、生?」
サングラスとマスクを取り、パーカーの帽子を取った小柄な男は、どう見ても中学生にしかみえない可愛らしい少年だった。
真琴は、最初に彼らを見た時、随分大柄で、恐ろしい雰囲気をしていると感じたのだが、それが自分の突発的な出来事に対
する恐怖心が見せたのだということに気が付いた。
もちろん、驚いたのは真琴だけではなかったようで、太朗達も、そして倉橋や宗岡も、想像していなかった少年の素顔に唖然
とした表情になっていた。
「ごめんなさい!ようちゃんがこんなことしたの、僕の為なんです!警察に捕まるのは僕だけにしてください!」
「翼(つばさ)!これをやるって言い出したのは俺だろっ!お前は最後まで駄目だって言ってたじゃないか!」
そう言って、背の高い方の男もサングラスとマスクを取った。
小柄な少年と比べれば遥かに大人っぽく、身体も大きかったが、それでもどう見ても高校生だろう。
「あの・・・・・何があったのか、良かったら教えてくれない?」
彼らの雰囲気から、とても冗談や遊びでバスジャックのような真似をしていたとは思えず、真琴は思わず座席から立ち上がって
そう言った。
長身の少年の方は眉を顰めたままそっぽを向いたが、小柄な少年の方はどうやら本当に覚悟を決めたようだ。
「僕、若月翼(わかつき つばさ)といいます。僕の父さ・・・・・父が、変な所から借金してしまって、その会社の人が返してくれっ
て毎日のようにやってきて・・・・・」
「違うだろ!そいつら、今は男でも金になるからって、お前に変なことしようとしたじゃないか!あの時俺がお前の家に行かなかっ
たら、お前、男にレイプされてたんだぞ!」
「そんな・・・・・」
真琴は思わずそう呟いた。
身近にそんな借金の取立てにあうような人物がいないので想像しか出来ないが、こんな、どう見ても中学生にしか見えない少年
を犯そうとするなんて酷過ぎると思う。
「どうしても、来週中に金を作らないと、あいつら今度こそ本当に翼を連れて行くって言ったんだ。高校生の俺達に、1000万な
んて金は作れないし、銀行強盗なんて直ぐに捕まると思ったし・・・・・そんなこと考えてたら、丁度、ロータリーにこのバスが停まるの
が見えたんだ。こんな豪華なバスに乗るんならきっと金持ちだと思ったし、バスなんて密室だから、運が良ければ捕まらなくて逃げら
れるかもと思ったんだ・・・・・」
方法は確かに間違いだが、そこまでしなければならないほどにこの2人は追い詰められていたのだろう。
何とかしてやりたい・・・・・自然にそう思った真琴の耳に、落ち着いた倉橋の声が聞こえてきた。
「その金貸しの名前を教えてくれませんか?」
「え?ど、どうして・・・・・」
「子供に間違ったことをさせようとしたんですからね。君達への説教は後回しにして、そちらから片付けましょう」
「倉橋さんっ」
「子供を追い詰めるやり方は、私は好きではありません。きちんと注意をしなければ」
どうやらその金貸しに頭にきたのは、真琴だけではなかったようだった。
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バスジャックの犯人・・・・・へへ、無理矢理ですか(笑)。でも、本当にそれなりの相手をぶつけてしまったら長くなっちゃうので。
メインはあくまでも温泉旅行。
旦那様方も子供にそんな酷い罰は与えないでしょう、きっとみんな庇うでしょうし。