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何をどうしていいのか、今この瞬間自分が何も出来ないことに江坂は苛立っていた。
(私達を狙ってか、それとも静を・・・・・?)
静以外の子供に、こんな誘拐紛いのことをされる立場の者はいなかった。江坂は静が彼らと親しくなる前に、予め身辺調査をし
ていて、その背景が極普通だと(楓の事情は特殊だが)確認していて知っていた。
彼らに付いている男達は普通ではなかったが、それでも恨みを買うということは少ない方だと、男達を統治する立場の江坂は分
かっている。
もしも、自分のせいで静に掠り傷でも負わせてしまったら・・・・・そんな焦燥を感じていた時、江坂は胸に入れていた携帯が震
えたことに気付いた。
「!」
考える前にそれを取り出した江坂は液晶を確認した。
「・・・・・っ」
「エサカ」
「静からの電話です」
まさか、連れ去られた静が直接電話を掛けてくるとは思わず、江坂は常に無い動揺を晒してしまったが、アレッシオも焦っているの
でそんな江坂の動揺に気付かないようだった。
「何が聞こえる」
「・・・・・」
江坂は少しの物音も聞き逃さないように、息を殺して電話の向こうの気配を探った。
どうやら静は江坂の携帯に電話を掛けた状態で、鞄か上着に携帯を隠しているのか細かな音が聞き取れる感じではなかった。
しかし、江坂はどんな些細な情報でも車内の様子を感じ取ろうと、断片的に聞こえてくる会話をずっと聞いている。
(向こうは何人だ・・・・・?)
そして・・・・・。
「・・・・・子供?」
「どうした」
電話の向こうの声に江坂が思わず呟いてしまうと、アレッシオは訝しげに眉を顰めた。
何も出来ず、ただバスの後を追いかけるだけの自分が情けなくて、楢崎は拳を握り締めたまま、ただ真っ直ぐに目の前のバスを
見つめていた。
(いったい、どこの組織だ、こんな無謀なことをする奴等は・・・・・っ)
羽生会も含め、大東組内では大きな揉め事は今は無く、敵対する組織とも今は冷戦状態だ。今、なぜか同行している別の
派閥、紅陣会若頭である秋月の所は分からないが、それでも楢崎の耳に入るような出来事は無かった。
ヤクザの世界でも今の経済不況は深刻な状況で、どこかと戦争をするよりは自分達が生き残ることを考える方が優先であり、
どちらにせよこんな無茶苦茶なことをしでかす相手に心当たりは無い。
「・・・・・」
「・・・・・」
隣に座る綾辻の気配も、かなり張り詰めている。
「綾辻、車を前に回して・・・・・」
無理矢理にでもバスを止めた方がいいのではないか。
多少強引だが、このまま指を咥えてバスの尻を追い掛けているよりもいいのではないかと楢崎が提案しようとした時、車の中にい
きなり能天気なドラえもんの歌(楢崎はそれが何の曲か知らなかった)が流れた。
「な・・・・・」
「俺の携帯です」
バッと胸元を探った綾辻は、液晶を見て目を見張り、素早く通話ボタンを押した。
「克己っ、無事か!」
「克己・・・・・って」
(倉橋のことか?)
まさか、バスジャックをされているバスの中から携帯が掛かってくるとは思わなくて、楢崎はいったい何があったのかと綾辻の口元を
じっと見つめる。
「・・・・・え?」
すると・・・・・なぜか、厳しかった綾辻の表情が、驚きの表情へと変わっていった。
「・・・・・はい、では、怪我は無いんですね?」
携帯に向かって何度も念を押すように言っている伊崎に、秋月は思わず自分も身を乗り出した。
「日和はっ」
その焦った口調に、伊崎は直ぐに日和の安全を訊ねてくれる。
「・・・・・じゃあ、沢木君も含めて、誰も怪我人はいないんですね?・・・・・良かった」
その呟きは秋月にも重なるものだった。
(無事だった・・・・・)
いきなり掛かってきた伊崎への電話。それがどうやら伊崎の守るべき相手、日向組の次男楓からだと分かった時、伊崎と同様に
秋月も緊張した。
伊崎は初め何度も声を掛けていたが、どうやら電話は繋がっているだけで向こうからの返答は無かったようだった。それでも向こ
うの大きな反応は聞き取れていたようで、伊崎は真剣な顔で聞き入っていた。
そして・・・・・しばらくして、楓の方から声をかけてきたらしい。
「・・・・・はい、聞いてみますが、九州だったら大東組よりも弐織組の・・・・・」
「・・・・・」
(弐織組がどうしたんだ?)
自分の上部団体の名前が出て、秋月の眉間に深い皺が寄った。いったい、電話の向こうでどんな話が・・・・・いや、バスの中で
何が起こっているのだろうか。
「はい、分かりました。あ、楓さん・・・・・気をつけて」
それから直ぐに伊崎は電話を切ると、隣に座る秋月を振り返った。
「秋月さん、九州で顔の利く組をご存知ですか?」
「九州で?」
どうしてそんな話になったのか、秋月は怪訝な声音で問い返した。
海藤の携帯が鳴った。
「海藤」
「綾辻からです」
自分達よりも一瞬早く車を追い掛けて行った綾辻と楢崎。自分達の乗った車からは遠くにバスの影は見えるものの、その中はも
ちろん分からない。
だが、もっと近くにいるはずの綾辻には何か見えているのかと、上杉は海藤の横顔をじっと凝視した。
「どうした」
自分と同じ様な厳しい表情で電話に出た海藤だったが・・・・・向こうの話を聞いているうちに次第に表情が変わっていった。
(何の話をしているんだ?)
少し呆れたような、それでいて安堵したような表情。いったい何が起こっているのかと、上杉は海藤の携帯を横取りして自分が直
接聞きたい衝動にかられてしまう程だった。
「・・・・・分かった」
それ程長い時間の会話ではなく、海藤は電話を切る。
上杉は直ぐに声を掛けた。
「何があった?」
「バスをこの先のショッピングセンターの駐車場に誘導して停めるそうです」
「相手を捕まえたのですか?」
そう聞いたのは小田切だ。
そう言えば、今、バスの中には倉橋と小田切の犬である宗岡が乗っているはずだ。仮にも警察官の端くれのあの男が犯人を取り
押さえたのかと上杉も思ったが、海藤の返事は全く思い掛けないものだった。
「条件があるそうです」
「何だ、金か?幾らだ」
「いいえ、条件は、私達が犯人に対して絶対に手を出さないという事・・・・・だ、そうです。これは、真琴だけでなく、バスに乗って
いる全員の意思だそうで、それが約束されないのならバスから下りないと」
「・・・・・はあ?何だそれは」
その言葉だけ聞いていれば、まるでバスに乗っている者達は犯人を庇っているとしか思えない。上杉は困惑し、小田切も珍しく
眉を顰め、更なる海藤の説明を待つ。
すると、海藤自身もまだ納得がいかないというような表情で口を開いた。
「犯人は、高校生だと」
「はあ〜???」
「とにかく、今から車を降りてくる方々は、君達の想像も出来ないような立場の方達ばかりだ。本来は君達は無傷で帰ることは
出来ないはずだし、それ相応の代償を払ってもらう必要がある」
淡々とした倉橋の言葉に、どう見ても中学生にしか見えない翼と、岩本陽平(いわもと ようへい)と名乗った少年達は真っ青
な顔色になった。
「おい、子供達にそんな言い方は・・・・・」
「あなたは黙っていてください」
「お、俺は警・・・・・」
続けて言おうとした宗岡の口を、倉橋は手の平で強引に封じる。
「それも口にしないように。それを言ったら、この子達はますます危うい立場になりますから」
バスジャックはかなり重い罪だ。警察が関係すれば、幾ら未成年とはいえ、その罪を免れる事は出来ない。
(ヤクザが出てきても・・・・・それ以上の問題だが)
本来、このバスに乗っていた者達の恋人達の立場を考えれば、この犯人の少年達が何の咎めも受けないでいられるということは
考え難かった。
仮に、海藤や上杉、伊崎が許したとしても、江坂やアレッシオ、そして秋月がそのまま見逃すかと思えばとても頷けない。
ただ、この犯人の少年達の話にいたく同情した真琴達は、それぞれの恋人に絶対に手を出さないでくれと頼もうと話し合って、
その旨を携帯で伝えてしまった。
(そんな事が出来るのは恋人だからだろうが・・・・・)
真琴達がこれだけ行動するのならば、多分この犯人の少年達に制裁が加えられることはないだろう。しかし、悪いことは悪いこと
だと、きちんと大人が叱ってやらないといけない。
「あなた達の立場は同情しますが、そうかといって今回のような手段はとても褒められるものではありません。いいですか、子供が
して許されることにも限度があるということをきちんと自覚をしなさい」
「・・・・・ごめんなさい」
「・・・・・」
翼は深く頭を下げて謝ったが、陽平は口を真一文字に引き結んでなかなか謝罪の言葉を言わない。
そんな陽平に、倉橋は視線を向けた。
「謝る言葉を知らないんですか?」
「・・・・・どうせ、このままじゃ翼が変態に連れ去られる事は決まっちまったんだっ。謝ってどうなるんだよ!」
「よ、ようちゃん!」
「翼っ、このまま俺と逃げよう!」
「だって、だって、父さん達が!」
「あんなクソオヤジなんか捨てちまえよ!」
この陽平という少年が、翼という少年の事をどんな風に思っているのか、さすがに倉橋も気付いてしまった。
だが、そうならば尚更、こんな風に逃げることは許さない。
「クソガキ」
「なっ・・・・!」
バシッ
かなり遠慮の無い平手打ちを陽平の頬にくらわした。
細身だがさすがに大人の力だ、構えることも出来ないままにそれをくらった陽平はその場に尻餅をついて呆然と倉橋を見上げてき
た。
「逃げる、どうしようもない、関係ない。最近の子供はよくそんな言葉を言いますが、私からすれば全て負け犬の遠吠えと一緒
ですね」
「・・・・・っ」
「今の彼らの話を聞いていなかったんですか?君達の行動を許し、自分達を心配している相手にも君達の身の安全を願って
いた彼らの言葉を。感謝して素直に受け入れる事は出来ないんですか?」
「・・・・・で、でも、俺達は・・・・・」
「方法が無いと直ぐ諦める事も止めなさい。せっかく私達のバスをジャックしたんです、それを最大限に利用することを考えるほど
にずる賢くなりなさい」
翼という少年の家族を苦しめている金融会社は、どうせ暴利な金利を取っている悪徳な所なのだろう。どれ程の規模なのかは
分からないが、こちらにはイタリアマフィアまでいるのだ(関係ないかもしれないが)、何も出来ないということは無い。
倉橋は僅かな笑みを頬に浮かべて言った。
「子供は子供らしく、素直に大人の力を借りなさい」
倉橋の言葉に、バスの中は静まり返ったが・・・・・。
「倉橋さんって、意外に熱血だなあ」
感心したように呟く太朗の言葉が耳に入ってきたが、倉橋はあえて無視することにした。
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次回でバスジャックの話は解決。
そして、温泉旅行へと続きます。