静に一瞬でも恐怖を味合わせた人物を到底許すことなど出来ないが、さすがの江坂も目の前の2人の子供を痛めつけること
は出来なかった。
次にはそんな子供を育てた親に対してその矛先が向くのだが、なぜかバスジャックをされた者達皆が庇っている子供達の親に手
を出せば、それこそ江坂の方が非難されかねない。
 それならば、残るはこの子供達にこんなことをさせた原因、つまり、彼らの親にとんでもない利子で(それはまだ調べていないので
はっきりとしないが)金を貸した金貸しにその責任を取ってもらうしかないだろう。
 「秋月」
 他組織の人間とはいえ、立場的には江坂の方が上だ。不遜に名前を呼ばれても秋月は文句を言うことなく、はいと江坂の前
に歩み出た。
 「話は分かっているな」
 「はい。村田ファイナンスには、うちの系列の鳳組(おおとりぐみ)が入っています。先程そこの組長に連絡を取り、今回の件を報
告しました」
 「どう始末をつける気だ」
 「全ての融資をストップさせます」
 「後は」
 「資金が足りなくなったら、別の金融から融資させましょう。もちろん、法外な利息で」
 今までは自分達が借主から甘い汁を吸っていたように、今度は自分達がその立場になってもらうのだ。同業者だからといって取
り立てはけして甘くはならない。いや、むしろ、それまでの膨大な利益を吸い取るかのように、けして簡単には逃さないだろう。
 「簡単にバラすなよ。どんな商売をしようと口を挟むつもりは無いが、この子供達の親と関わったことだけは死ぬほど後悔させろ」
 殺すのは簡単だ。
しかし、江坂は、いや、多分ここにいる男達は、自分の恋人には出来るだけ裏の顔を見せたくないと思っている。ヤクザという、そ
れでなくても世間からは後ろ指を指されるはずの自分を選んで、愛してくれた相手だ。怖がらせたくは無かった。



(つまんねえな)
 久し振りに自分を慌てさせた相手だ。出来れば自分の手で、生きているのが辛いというくらい苛めてやりたかったが。
 「東京湾で遠泳っていうのも面白そうだったんだがな」
(足に重り付きで)
死にもの狂いで浮かんできたら、いったん助けるフリをして・・・・・更なる絶望を味あわせてやるのにと思った。
 「バッカじゃないの?」
呟くような声で言ったつもりだったが、太朗の耳には届いたらしい。さすがに上杉は拙かったかと眉を顰めたが、どうやら太朗は上杉
の言葉をそのままの意味に取ったようだ。
 「東京湾で泳いだら駄目なんだぞ」
 「・・・・・は?」
 一瞬、太朗が言った言葉の意味が分からなくて、上杉は思わず呆けたような声を出してしまった。
 「そりゃ、昔よりは綺麗になったかもしれないけどさ。それに!あの子達を苛めた奴らと泳ごうなんてどういうつもりなんだよ!」
 「・・・・・泳ぐ?俺が?」
 「だって、遠泳って言っただろ?」
 「あ、はは、そうだな、すまない」
(さすが、タロ。裏読みしねえ奴だな)
 悪い悪いと謝りながらも、上杉の顔は笑っている。こんな風にあまりにも素直に返されてしまうと、自分ももしかしたらそんな考え
だったのかもしれないとさえ思ってしまう。
 「何で笑うんだよっ!」
すると、どうして笑うんだとさらに叱られてしまい、上杉は何とか真面目な表情を作った。



(さっさと始末すればいいものを)
 アレッシオは江坂の取る制裁が生温く感じて仕方が無かった。
自分ならば、この世の空気を吸わせるのも勿体無く、さっさと心臓を止めてしまえと思ったが、友春が直ぐ側にいるので不用意な
発言は出来なかった。
(後でエサカに伝えるか)
 前科のないピストルも直ぐに用意出来ると言おうと思ったアレッシオは、
 「ケイ」
と、小さな声で自分を呼ぶ友春を振り返った。
 「・・・・・心配を掛けて、ごめんなさい」
 「お前のせいじゃない、トモ。どこの国にも救いようのない愚かな者がいるということだ。一応ここは日本だし、処分はエサカに任せ
るが、出来れば私のこの手で殺してやりたいと思うほどだ」
愛しいお前に恐怖を味あわせた者を・・・・・そう、アレッシオが言うと、友春は一瞬怯えたような表情を見せた。
それでも、アレッシオの側から離れないのは、自分がその腰を抱いているからだけ・・・・・ではないはずだとアレッシオは思っている。
 「私は、私が愛している者を傷付けられてなんとも思わないほど冷徹な人間ではない」
 「ケイ・・・・・」
 「もちろん、それがトモだからだ」
 「・・・・・」
 「私が怖いか?トモ」
 今までに、自分の権力を個人的な私怨で使うことなど考えた事もないアレッシオだが、友春に関しては自分の持つあらゆるもの
を使うことに迷いは全く無かった。



 資金面から相手の首を絞める。
そんな生温い方法しか取れない自分が悔しかったが、今の時代少しでも違法なことをすれば足元を見られてしまうのだ。
 元々武闘派の人間が多い弐織組系列の組はそうでなくても警察に睨まれることが多く、それは弐織組の中では数少ない経
済ヤクザとしての看板を背負っている秋月も例外ではなかった。
 「・・・・・すまない、日和」
 「え?」
 「俺にはこんなことくらいしか出来ない・・・・・情けないな」
 「秋月さん・・・・・」
 自分にもっと力があれば、他組織の人間に命令などされなくても率先して動けたはずだ。
(弐織組の中ではかなりの地位になったと自惚れていたんだがな)
秋月くらいの歳で、これほどの上納金を納めた者は今までいなかったと、弐織組トップから褒めの言葉ももらっていたが、大東組
では自分くらいの組の規模の所は幾らでもあるようだ。
井の中の蛙とは自分のことだと、秋月は自嘲するしか出来ない。
 「あ、あの、ありがとうございます」
 「日和?」
 「あの2人の為に、秋月さん、動いてくれるんでしょう?秋月さんには全然関係ないことなのに、それでも・・・・・ありがとう」
 こんな言葉しか言えなくて・・・・・と、日和は照れたように俯いてしまう。
 「礼なんて・・・・・お前が言う必要はない」
その姿を見た秋月は、この日和の言葉や姿を見れただけでもいいかと、落ち込みそうになる感情を浮上させる事にした。



 「甘いよなあ」
 「楓さん」
 あからさまに不機嫌な顔をした楓は、この程度で済ませるのかと口をとがらせる。
 「俺を誘拐しようとしたくらいに思い詰めさせたんだぞ?もっときっちり地獄に送ってやればいいのに」
 「・・・・・」
(誰の影響だ、こんな言葉を言われるなんて・・・・・)
溜め息は、楓に隠れて漏らした。
ヤクザの組の次男という立場の楓は荒っぽいことには慣れていて、表面上に聞く江坂と秋月の処罰には面白くないと思っている
のがその表情を見れば分かる。
しかし、もちろん伊崎も江坂達と同じ様に、今の段階ではそれぐらいしか出来ないだろうと思っていた。
 「西原君や苑江君に聞かれますよ」
 「・・・・・」
 あっというように、楓は2人に視線を向ける。そして、仕方ないなというように大げさな溜め息をついてみせた。
 「・・・・・分かった」
 「そうですか」
楓にはヤクザの世界のことには出来るだけ関わって欲しくない。伊崎は不承不承頷いた楓にほっと溜め息をつくと、それでも納得
させられたことが悔しいのか、楓は肘でドンッと伊崎の腹を殴ってきた。
もちろん、手加減はしてくれたようだが・・・・・。



 自分の手を強く握り締めてきた真琴を見下ろした海藤は、心配そうな目に笑みを見せた。
 「お咎め無しというわけにはいかないんだ」
 「・・・・・それは、分かってます・・・・・けど」
真琴も、海藤達の立場を考えると、何も無しということが出来ないということは分かっているようだ。ただ、出来るだけそれは軽いも
のであって欲しいと思っているのがその表情からも分かるが・・・・・。
(これでも、あの人達にすれば随分優しい処罰だがな)
 「海藤さん、あの子達・・・・・」
 「大丈夫だ。どうせ法外な利子を取られているだろうからな、そこを調べれば、多分元金くらいはとっくに払い終えている計算にな
るんじゃないか」

 「そうですか・・・・・」
 「ここにいる人達は、子供に手を出すことは無い」
 「・・・・・はい」
 やったことはどう考えても間違ったことであるし、叱ることはしなければならないだろうが、それ以上のことは多分誰もしようとは思っ
ていないだろう。
 「お前は何も心配しなくてもいい」
海藤の言葉に、真琴は素直に頷いた。
 「はい、信じていますから」
 「・・・・・そんなに信頼されても困るがな」



 どうやら前もった根回しが効いたのか、一番厄介だと思えた江坂やアレッシオも子供達には何もするつもりは無いようだ。
倉橋はそれに安堵して溜め息をついたが、
 「!」
 突然、耳元に吐息が掛かった。
 「どこ見てるのよ」
 「・・・・・何をしているんですか」
 「それだけ?一生懸命克己の後を追っかけて、その上電話で言われたこともぜ〜んぶした私に、そんな冷たい言葉しか言って
くれないの?」
 「・・・・・」
その言葉が、彼・・・・・綾辻特有の芝居じみたものだということは分かっているのだが、それでも彼の言ったことは本当で、こうして
スムーズに話が進んだのもそのおかげだ。
(こんな場所で・・・・・)
 ただ、周りにいるのは海藤と真琴だけではない。他にもそうそうたる組の長達がいるのにと思いながらも、倉橋は微妙に綾辻から
身を離しながら礼を述べた。
 「色々と・・・・・ありがとうございました」
 「それだけ?」
 「それだけ・・・・・とは?」
 「ご褒美にキ・・・・・」
 「それだけです!」
これ以上甘えさせてはならないと、倉橋はぐいっと綾辻の身体を押し退けた。



 目の前の会話をそのまま見逃してもいいのかどうか・・・・・明らかに不審な言葉の羅列に宗岡の眉が一々ひそまっている。
その表情を見ているだけでも楽しい小田切は、自分の横顔に視線が注がれても黙ったままでいた。
 「ねえ、裕さん」
 「・・・・・」
 「裕さんっ」
まるで縋るように自分の名前を言う宗岡に、小田切は十分時間を置いてからちらっと視線を向けた。
それだけで嬉しそうな顔をする宗岡を見ると何だか頭を撫でてやりたくなったが、ここで甘えさせるわけにはいかないと、向ける顔は
わざと不機嫌なままだ。
 「人前で私の名前を呼ぶな。・・・・・で、いったい何だ」
 「今の話、まさか違法なことの相談じゃないよね?」
 「そんなことを私が知るわけが無いだろう」
 「そ、そっか」
 「知っていても、教えないが」
 「ちょっ、ちょっと!」
 いくら宗岡が、自分がヤクザだと知っていても、本当にその顔を見せるわけにはいかない。真面目な男はそれだけでも自分との
関係に悩むのが分かるからだ。
(犬は、ただ可愛がられているだけでいい)
そう思う小田切は無言のまま、そっとその頬を優しく撫でてやった。
 「ゆ、裕さん?」
 「今聞いた話は全て忘れろ。それがお前と私の為だ」






                                         






バスジャック編、ようやく終わり。
次回からは温泉話へ。