elite
6
無能な人間は相手にしない。
しかし、能力がある者に対し、江坂は耳を傾けることを惜しむことはなかった。それが普段の態度があまり好ましくない相手でも。
そういった相手に限り、こちらが驚くほどの奇抜な提案をしてくることもある。
自分自身、万能だと思っていない江坂は、そんな周りの力も的確に見抜くことこそが己のためにもなると思っているが、今の男
の言葉には驚くというよりも呆れてしまった。
(こんな緊急事態に勝手なことを・・・・・)
相手は離れた場所におり、江坂がその思い通りに行動しなくても確かめることも出来ない状態だ。後からならいくらでも誤魔化
せるし、実際、江坂はリスクを伴う行動を好まない。
ただ・・・・・。
「成田の機能を少しの間止めて欲しいと言ってきた。倉橋、お前ならどうする?」
「お前なら最善の方法を考えられると思ったんだが?それとも、私の手を借りるか?」
そんな風に、相手・・・・・綾辻の思惑に乗ってやったのは、今目の前にいる倉橋を気に入っているからだ。
真面目で、有能で、しかし、どこか不器用な倉橋の意欲が湧くのならば、一言自分が言葉を添えるのは難しいことでもないし、
頭の良いこの男は、きっと自分や綾辻の思っていた通りの行動を取ってくれるはずだ。
「・・・・・」
その時、携帯が鳴った。番号を見た江坂はしんなりと眉を顰めたが、今ここでこの男から掛かってくる電話に出ないという選択
は出来なかった。
「なんだ」
【物騒な物言いですね。もっとソフトにしてもらわないと、私のような小心者は怖くて仕方ありません】
どこが小心者なんだと言い返したかったが、ここでそんなことを言えば10倍は言葉が返ってくることが想像出来て、江坂はすぐさ
ま用件を言うように促した。
向こうも、今が遊んでいる場合ではないと分かっているのか、それ以上の軽口は言わずに用件を伝えてくる。
「それを知っているのは?」
【まだあなただけですよ】
「では、全てが終わるまで沈黙していろ」
【全てが、ですか?】
「饒舌なお前には苦痛かもしれないが、必ず守るように。いいな、小田切」
今日、組長と会う約束をしている小田切は間もなくこの場に来るだろう。そうすれば確実に倉橋に会い、止めていなければベラベ
ラと話しかねない。
(あいつは組の利益というよりも、自分の楽しみを優先する奴だからな)
しかし、一応釘をさしていれば、一先ずあの男は沈黙を守るはずだ。全てが終わった後ならば、何を喚いても構わない。
「橘を呼べ」
「はい」
電話を切った江坂は廊下を歩きながらそこにいた組員に言う。待たせることなく現れた橘に、江坂は素早く言った。
「車を用意しろ。行く先は成田だ」
「・・・・・はい」
橘は一瞬何かを言いかけたが、直ぐに頭を下げてその命に従った。
江坂ほどの立場の人間が、危険かも知れない場所に赴くことは部下としては好ましくないのだろうが、何を言っても一度決めたこ
とを覆さない性格も分かっているはずで、それならば少しでも役に立つ部下を同乗させようと思うはずだ。
「・・・・・」
江坂は時計を見る。
(倉橋は動いたか・・・・・?)
今それを確かめる術は無かった。
江坂が空港に付いた時、状況は緊迫していた。
しかし、まだ日本にいるということ自体がこちら側の優位なのだと、江坂はまだ諦めないジュウを真正面から見据えながら言う。
『ロンタウ、自分の部下を全て掌握していると思うのは自由だが、色恋に目が眩んだ末にうちの有能な人間を傷付けて。どう始
末をつけてもらいましょうか』
そして、海藤達と共にジュウを本家へと連行した。組長の永友にはこれまでの経緯を話さなければならず、その判断を仰がなけ
ればならない。
海藤が撃たれてしまったことは想定外だったが、命に別状がないだけ良かった。
海藤の傷を手当てしている間、江坂は真琴を永友のもとに連れて行く。海藤をかっている永友が、その海藤を骨抜きにしてい
るという男の愛人に会いたいと言っていたので、この機会に会わせた方がいいだろうと判断した。
それは、江坂自身にも関係あることだ。
(組長がこの関係にどんな目を向けるか、だ)
彼が男同士という間柄を厭わなければ、江坂も近いうちに静を永友に会わせようと考えていた。
総本部長という地位になれば、独身という江坂の立場も微妙になってくる。周りから勧められる縁談を断るのは造作もないことだ
が、それが組長からだとすると厄介だった。
だからこそ、始めに自分には愛する者がいるということを知らせておいた方がいいと思っている。
海藤と真琴の関係が認められるかどうか、それが江坂にとっても大きな興味の対象になった。
数時間後、本部の中は先ほどまでの騒ぎが嘘のように静まり返っていた。
ジュウの身柄は系列のホテルに軟禁という形に収まり、海藤も改めて永友にこれまでの経緯を話し、謝罪をした。
これで、ジュウのことはいったん決着が着き、後は襲名式だけを考えればいいという状況が整った。
「なんだ、また帰るのか?」
「はい」
「今日は鮨を食おうと思ったんだが」
「またの機会に楽しみにしています」
組長である自分の言葉に唯々諾々と従わない江坂を、煙たいというよりも面白がっている友永の口調はそれ程深刻なもので
はない。
小田切や綾辻という一筋縄ではいかない男達の手綱を握っているくらいだ、自分の我が儘などは可愛いものだろうと江坂は考
えていた。
「待っている者が居るので」
「・・・・・江坂」
「はい」
「まだ俺に紹介する気はないのか?」
その言葉に、江坂は顔を上げる。知られても構わないように、いや、気付かせるような言動をわざと取ってきたが、今日海藤の
恋人である真琴に会ったことで、江坂の隠している相手を知りたいと思ったのかもしれない。
(・・・・・時期が来たのかもな)
永友は真琴を認めた。その彼の方から切り出したことによって、江坂は仕方なくといった雰囲気を出せる。
「この世界には係わりの無い子ですが」
「お前が決めた子だ、会ってみたいと思ってもおかしくないだろう?」
「物好きですね」
江坂は笑った。
「では、襲名式の日に連れてきますので、目通りお願い出来ますか?」
「ああ、楽しみにしている」
きっと、永友も江坂の思惑には気がついているだろうが、直ぐにそう言葉を返してくる。その言葉に、江坂も深く頷いた。
(静にも承諾させなければな)
何時も帰る時間よりも遅くなってしまったので、江坂は車の中から静に先に食事をしておくようにと言った。
「理事」
「・・・・・」
その電話が終わっても直ぐに、江坂には様々な連絡が入ってくる。その中の三分の二ほどは橘の所で処理が出来るが、後の三
分の一は実際に江坂が出て行かなくてはならないものだ。
今も、香港にいる部下からの連絡があり、小田切の知り合いという相手とコンタクトが取れたことを報告された。ジュウに係わる
ことは一応自らが確認しておきたかったので、江坂はその報告に耳を傾け、的確な指示を与えた。
「襲名式が終われば、その日のうちにでも国外退去させると聞きましたが」
「何時までも爆弾を抱えてもいられないだろう」
「しばらく向こうは慌しいでしょうね」
「組織を纏めることが出来なかっただけだ。自業自得だな」
「・・・・・」
一人の人間に執着してしまい、そのせいで組織内も歪めてしまったことが今回の一連の出来事の発端でもある。江坂はそんな
ジュウを愚かな男だと思った。
江坂自身、静ただ一人に執着はしているものの、それと仕事は分けて考えていると思っている。危険な職業であるが、自分が
しっかりとしていれば、愛する者をその中に巻き込むことは無いはずだ。
インターホンが鳴った。
「あ」
(帰って来た!)
静は急いで立ち上がると玄関に向かった。
時間は午後9時過ぎ。何時もより少し遅い時間で、夕食も別々にとることになってしまった(1人なのでカップラーメンにした)が、
江坂はちゃんと夕食を食べただろうか。
どんな仕事をしているのか分からなくても、彼が多忙だということは知っているので、その体調管理がちゃんと出来ているのかどう
かは心配だ。傍に橘という優秀な人がいるので心配は無いと思うのだが・・・・・。
「お帰りなさい!」
「ただいま帰りました」
自ら鍵を開けて入ってきた江坂は、まるで疲れた様子も無く穏やかに微笑み、そのまま静を抱き寄せてくる。軽く唇を合わせて
そのままリビングに・・・・・と、思っていたが、今日は珍しく江坂がもう一度ドアを開けた。そこには橘が立っている。
「今晩は」
「お疲れ様です」
にっこりと笑って挨拶をしてくる橘につられて頭を下げた静は、そのままスリッパを出そうとした。
「ありがとうございます。ですが、ここで構いませんので」
「え?」
「静さん、明日、橘と一緒に買い物に行ってもらえませんか?」
唐突な江坂の言葉に静は首を傾げた。
「買い物って、江坂さんのものですか?」
「・・・・・いいえ、静さんのものですよ」
「俺の?」
「今度の襲名式の時、静さんには一緒に千葉の本家へと行っていただこうと思いまして。一応、この世界での私の親と会うとい
うことなので、静さんに一番似合う服を選んでもらおうと。いい機会なので、好きなブランドの普段着も選んだらいいですよ」
「え、ま、待ってください、この世界の親って・・・・・」
「大東組組長、永友のことですね」
普段はあまり感情の起伏を表に出さない静の慌てぶりがおかしいのか、そう言った橘の笑みがますます深くなった。
突然のことに静が戸惑っているのは分かったが、江坂はここは強引にでも千葉行きを承諾させるつもりだった。
始めは静にきちんと事情を説明し、その上で永友に会ってもらおうと思ったが、もしかしたら静は考え過ぎて躊躇ってしまうかもし
れない。
ヤクザという存在を怖がるというよりは、江坂の立場を思い遣って遠慮をする可能性が高いので、その前に全てが決定事項な
のだと分からせた方がいいかもしれないと考えた。
「怖いですか?」
普段静が見る自分の部下達とは比べ物にならないほどに圧倒的な存在感のある永友。大企業の御曹司だとはいえ、そちら
の世界には疎い静にとって、大きな負の存在と対面するのはかなりの覚悟がいるかもしれない。
実際に会えば、永友はヤクザの組長らしくない、一見穏やかな壮年の紳士にも見えなくも無いのだが・・・・・。
(どう言えばいいだろうな)
静が素直に首を縦に振るにはどんな言葉が最適だろうか。
「静さん」
「あ、あの」
「なんです?」
「俺、着物着なくちゃいけないんですか?」
「え?」
さすがに想定に無い言葉が出てきて、江坂も一瞬言葉につまった。
「だって、襲名式とか、テレビで見たヤクザ映画ならみんな羽織袴姿でしょう?江坂さんがその格好をするのなら、俺も合わせた
方がいいんでしょうか?」
言葉の前半は江坂に、後半は橘に訊ねるように言った静の言葉に、江坂はようやく彼が誤解していることが分かった。
その上で、静が永友に会うということよりも、その服装を気にしていることに思わず笑みが漏れてしまう。
(本当に、可愛い)
綺麗に取り澄ました表情なのに、言動がとぼけている静は本当に飽きない。
「いいえ、着物でなくても構いませんよ」
橘はチラリとこちらに視線を向けてから穏やかに否定していた。その目がずっと笑っているのは、今は見逃してやろう。ただし、こん
なにも可愛らしい静の姿はあまり見せたくは無いという気持ちは強い。
「橘、連絡は明日にする」
「はい、それではお休みなさい」
言外にもう帰れという江坂の意図を正確に読み取った橘は、丁寧に頭を下げてドアを開ける。
「あ、橘さん」
「彼は忙しいんですよ」
「でも」
「後は私とゆっくりと話しましょう」
自分のその言葉は橘の耳に届いたのだろうか。
ゆっくりと閉じられたドアは、カチャリとオートロックが掛かる音がして、部屋の中は自分達2人だけの世界になった。
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