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 襲名式当日。

 江坂は結局橘にスケジュールを変更させ、あの日の翌日に自ら静と服を選びに行った。
始めは、華美過ぎない、それでもスーツを選ぼうと思った江坂だが、考えれば大東組の人間は綺麗な存在というものが好きな集
まりだ。
 いい例が日向組の次男、日向楓(ひゅうが かえで)で、あの弱小の組がここまで本部の恩恵を受けているのはひとえに楓の存
在のおかげだった。本人もそれを自覚しているし、こちらが感心するほどに気の強い性格をしているので、変なことに巻き込まれる
ことはないだろうが。
そう考えると、静を着飾って思い掛けない所から手を出されても困ると、江坂は普段着よりも少しだけランクの上の(それでも高
級ブランドだが)服を選んだ。

 早めに出なければならない自分とは別行動なので、全てを橘に任せた江坂は玄関先まで出迎えてくれた静にキスしながら待っ
ていますよと告げる。
 「何も心配することなどありませんから」
 「はい」
 「本当に大丈夫ですか?」
 「だって、凌二さんがいる所に行くだけだから。俺のことは気にしないでいいですよ」
 そういうわけにはいかないが、静が自分のことを思ってそう言ってくれているのが分かるので、江坂は苦笑を浮かべながらもそうし
ますと言い、マンションを出る。
今日、橘は静につけているので、江坂の隣にいるのは橘よりも以前から江坂に付いていて、最近ではその手足となって国内外に
飛び回っている男、速水(はやみ)がいた。
 「警備に抜かりはないな?」
 「はい」
 襲名式というめでたい日ということももちろんだが、江坂が一番気にしているのはこのどさくさに馬鹿なことを考える人間がいない
かどうかだ。
 いまや日本で最大勢力になりつつある大東組の台頭を面白く思わない他の組織は、今回の襲名式にも神経を尖らせている
はずだ。若返りを図り、見目も悪くない幹部が組織の中枢になったことをマスコミが大々的に知らせてしまえば、さらに他の組織の
弱体化は進むかもしれない。
(そのためにも、この機会に事を起こそうと思う馬鹿な奴がいないとも限らない)
 今回は警察も目を光らせているので大丈夫だとは思うものの(こういう時くらい役に立ってもらう)、江坂は静も連れてくる今日、
万全の上にも万全の警備体制を整えていた。
 「関東近辺からだけでなく、各地域からも腕のたつ者が来ています。今日の襲名式はもちろん滞りなく済むように心得ています
ので」
 「母屋の方の警備も手薄にならないように」
 「承知しています」
速水も、今日静が来ることは知っている。そして、何よりも江坂がその存在を大切に思っていることも理解しているので、江坂も
同じ事を繰り返して言うつもりはなかった。




 座敷がざわついている。
橘から静が無事本家に入り、そこで真琴と楓と会ったと報告があった。真琴が来ることは前もって知っていたが、楓のことは初耳
だ。きっと、この後の酒宴の華と思って呼んだのかもしれないが、今回に限り静の良い退屈しのぎになるだろうと思えた。
 「おお、総本部長」
 「・・・・・今日はご足労いただいてありがとうございました」
 もう、式も始まろうとする頃、廊下で待機する江坂に男がにこやかに声を掛けてきた。
江坂が総本部長になるのを最後まで反対していた長老の1人だが、当日になってさすがに顰め面は出来ないのだろう。
どんなに異論を叫ぼうとも組長である永友が決断したことを覆すには力が足りず、実質組のNo.3になる江坂にこれ以上反発
してもメリットはない・・・・・そう考えたのかもしれない。
 「お前と、海藤。うちも社会的に受け入れられそうな顔になったな」
 「・・・・・」
 「まあ、実務はこっちに任せてくれて安心していい。お前は愛想でも振りまいていろ」
 容姿しか能がない。そう言って江坂を怒らせようとしているのかもしれないが、だとすればあまりにも幼稚な方法だ。第一、そうい
う自分こそ、年齢以上の何の取り得があるのだろうか。
 「もちろん、組のために働かせてもらいますよ」
 「・・・・・」
 「それには、早急に大掃除から始めないといけないようですね。古いものを惜しんでいては引き出しが一杯になる。きっぱりと捨
ててしまうのも悪いことじゃないでしょう」
 「え、江坂」
 「式が始まります。早く席についていただかないと、変に勘ぐるものが出るのではないですか?」
 新総本部長に尾っぽを振る者がいる・・・・・と。
そう耳元で囁いてやると、厳つい顔が真っ赤になり、やがて荒々しい足取りで部屋の中に入っていった。
 「いいんですか?」
 「・・・・・」
 先ほどから気配を感じていた方を見れば、そこには海藤の他、今回新しく理事になる者達が立っている。
 「遠からず切る者だ」
 「・・・・・」
 「能無しは切り捨てる」
 「それは・・・・・」
 「だが、意欲がある者は別だ。本人が無理だと言うまで見捨てない。馬鹿はそれなりに使えるしな」
上杉のようにと言えば、海藤が苦笑を零した。

 「新総本部長、現大東組理事、江坂凌二」
 居並ぶ長老達の前で、江坂は背筋を伸ばして永友の前に座った。刺すような視線を全身に感じる江坂は、思った以上に自
分は平静であると思っている。ここにいる者はけして皆が味方というわけではない。江坂が少しでも失態を犯せば、即座に非難
の声を上げ、その座から引き摺り下ろそうとする者もいるだろう。
 しかし、江坂は恐れることは何もなかった。信念と自信を持てば、落ちることなどありえない。
(まだ、私には先がある)
ようやくここまで・・・・・とは、思っていない。自分はまだこの後も上を目指して進むつもりで、今回の総本部長という地位はその途
中経過でしかないのだ。
 「・・・・・」
 一度深く頭を下げ、顔を上げて永友を見る。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
にっと笑った目の前の男の笑みは、引きずり落とせるものならばしてみろとでも言っているようだ。
(いずれ・・・・・)
 自分がそちら側に座ってやる。
そう思った江坂も口角を上げた。

 襲名式が終わり、酒宴が始まった。
元々、江坂は待たせている静がいるので長くここにいるつもりはなかったが、永友の目配せに気付いてすっと腰を上げる。
 「帰りたいんだろう」
 「まあ、出来れば」
 どうせ上辺だけの返事を返しても永友には分かっているだろうと、江坂は率直に頷いた。思ったとおり、永友は苦笑しながら、ち
らっと座敷の方へ視線を向けながら言葉を続ける。
 「残念だが、後一時間は付き合ってやれ。皆、総本部長と渡りをつけたいだろうしな」
 「・・・・・」
 「ああ、その前に、例の、お前の秘蔵の花を見せてもらうか。早く済ませておいた方がお前も帰りやすいだろう」
 「恐れ入ります」
 確かに、先に永友に紹介を済ませておけば、後は時間を見計らって帰るだけだ。
江坂はその申し出に同意すると、傍に控えていた橘を呼んだ。




 久し振りに会った真琴と楓。
2人共元気そうだったが、真琴はここしばらく大変なことがあった・・・・・らしい。らしいというのは、その理由を事細かに知っているわ
けではなく、あくまでも簡単な事実だけを江坂から聞いただけだが。
それでも、無事な姿をこの目で見れたことに安堵した。
 さすがに、ヤクザの本拠地にいるのだから緊張するかもと思ったが、見知った顔があったうえ、居合わせた綾辻の軽口にも助けら
れて不思議なほどに緊張はしていない。
(あ、そっか。凌二さんがいるからか)
 傍にいなくても、同じ空間に江坂がいることはとても心強く、静はこんな時にも江坂のことを考えている自分に少しくすぐったくなっ
てしまった。

 そんな時、ふと問い掛けられた真琴の質問に、静は少しだけ考えた。
 「悩まなかった?」
それは、相手がヤクザだということだけでなく、今回のようにもっと地位が上がることについてもだろうが、その答えはきっと真琴も分
かっているんではないかと思う。
 「仕方ないよね。俺が江坂さんを好きになっちゃったんだし。怖いという思いよりも、傍にいたいって気持ちの方が大きいから。真
琴だってそうだろう?」
 そして、もっと割り切っている答えももらえた。

 「この世界の男達なんて単純なんだ。強いか、弱いか。それだけで一生が決まる」
 「そう。だから、もっと強くなるために上の地位を欲しがるんだ。あの2人だってそうだと思うけど」
 「だから、暴走しそうになったら止めてやればいいけど、それ以外は勝手にやってろって放し飼いにしておけば十分」

おっとりとした真琴の傍にいるととても居心地がいいが、綺麗で強い楓といると自分までそんな風に思えるから不思議だ。
江坂と出会わなければ知りえなかった大切な親友。静はその言葉に素直に頷くことが出来た。
 「あ、そうだ、真琴。今日、荷物を送ったから」
 「え?」
 「海藤さんのお祝い」
(喜んでくれるといいけど)
 「あ、お、俺もっ」
 「え?」
 「俺も、江坂さんへお祝い送ろうと思って!その、ちょっとバタバタしちゃってまだ用意出来てないけど、絶対に送るからねっ」
 「ありがとう、きっと彼も喜ぶよ」
(真琴が選んだのかあ、何だろ?)
実際に贈ってもらうのは江坂だが、何だか静もドキドキと楽しみになってくる。2人して顔を見合わせていると、横から楓もプレゼン
ト贈るからと騒ぎ出した。
 実際に役に就いたのはそれぞれの恋人なのだが、何だか自分達のプレゼント交換みたいだなと、静はさらにおかしくなって目を
細めて笑った。




 「楽しそうですね」
 橘が迎えに行き、連れて来た静の顔は楽しそうに綻んでいた。普段があまり表情が変わらないだけに、江坂はよほど友人達と
の時間が楽しかったのかと思い、少し妬いてしまいそうになる。
 「江坂さんの話も色々出来たし」
 「私の?」
 その場に橘がいるせいか、いや、場所柄も考えて苗字で呼んでいるのが少し寂しく思ったものの、その口から出た次の言葉に、
さすがの江坂も一瞬言葉に詰まった。
 「ええ。惚気話」
 「惚気・・・・・」
 「だって、江坂さんのことを知っている2人だから、誤魔化すこともなく話せるでしょう?」
 「それは・・・・・聞いてみたかったですね」
 「内緒です」
 今から大東組の組長に会うということを伝えたのに、どうやら静はあまり緊張をしていないようだ。その度胸の良さを頼もしく思い
ながら、目の前のドアの前に江坂が背中を支えるように進む。
 「いいですか?」
 「江坂さんがお世話になっている人だし、一度ちゃんと挨拶をしたいと思ったから」
 「まるで、私の妻のようですね」
 からかうように言うと、さすがに静が恥ずかしそうに俯いた。その染まった頬を見つめながら、江坂はドアを叩き、失礼しますと声を
掛けて中に入った。
 「組長」
 「ああ、きたか」
 ソファに座っていた永友は笑い、それでも観察するような鋭い目を静に向けながら立ち上がる。
たとえ組長でも、静を傷付ける言動をすれば黙ってはいないという意志を伝えるように江坂も視線を返しながら、傍にいる静を紹
介した。
 「小早川静、今大学4年生です」
 「これは・・・・・お前も人のことが言えないほど面食いだな」
 楓を可愛がっていることを非難したことはないが、呆れた様子は見せたのかもしれない。そのことを今持ち出されてもと思うが、
言葉を変えれば静がそれほど、楓と比べても見劣りしないほどの容姿の持ち主だと認められたのだろうと理解した。
 「別に、彼の容姿で選んだわけではありませんが」
 「お前ならそうだろうな」
 永友は静の近くまでやってきた。
 「大東組組長、永友治だ」
 「小早川静です、始めまして」
 幼い頃から父親にパーティーに連れ出されていた静は、政財界の重鎮といわれる人物との挨拶にも慣れているのだろう。
ヤクザといえど一つの組織のトップに立つ永友に向かい、落ち着いて綺麗な会釈をしてみせる静を見て、永友はちらっと江坂に視
線を向けてきた。
 「上等だな」
 「ありがとうございます」
当然だろうと思いながら江坂は微笑んだ。