elite
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ヤクザの組のトップ。
いったいどんな人なのだろうと想像はしていたが、目の前にいる相手は歳からすればとても若々しく、厳しい眼差しを持っているが
一見すれば企業のトップと同じような風格を感じた。
(凌二さんはこの人の下に付いてるのか)
「江坂とは長いのか?」
座るように言われ、同時に出された茶に視線を向けた時、何気ない風な永友の言葉に静は顔を上げる。
「大学1年の時からなので、3年くらいです」
「今は一緒に暮らしていると聞いたが」
「はい。江坂さんにはとてもよくしてもらっています」
何だか、プロポーズをしにきた男を見定める父親のようだなと思ってしまい、静は思わず口元を緩めた。
若いが地位のある立場の江坂は組織の中でもとても苦労しているのではないかと(本人は全くそういったことを見せないが)思って
いたが、こんなふうに彼を思ってくれる人が傍にいるのならばそんなに心配することはないのかもしれない。
「・・・・・」
「・・・・・?」
なぜか、じっと凝視をされたので首を傾げると、永友は目尻に深い皺を浮かべて江坂に笑い掛けた。
「やっぱり、美人の笑顔はいいな」
「・・・・・」
「妬くな。色っぽい意味じゃないぞ」
「分かっています」
憮然とした表情で永友に応えを返す江坂を見て、普段は見ることの出来ない彼の様子に静は幸せな気分になってまた笑ってし
まった。
静と永友。
外見はともかく、中身も全く違うはずの2人なのに波長が合うのか、江坂の目の前で2人の会話は続いている。それは主に静の
大学生活だったが、永友の表情は組員が見たら目を見張るくらい穏やかなものになった。
(・・・・・全く)
静に敵意を抱かれるよりは遥かにましだが、いくら組長とはいえあまり親しくなっても困る。そうでなくても楓を気に入っているほど
の面食いである永友には、これ以上に静に近付くことは許したくなかった。
「そうか、江坂はあんたにだけは甘いようだな」
「そうでしょうか?」
「・・・・・」
(どうしてそんな結果になるんだ)
確か、食べ物の好き嫌いの話をしていたはずだが、どの言葉で永友はそう思ったのだろうか。
そろそろここを辞そうと思っていたが、自分の言動のいったい何が引っ掛かったのかが気になってしまい、江坂は組長と永友に声を
掛けた。
「いったい何を根拠にそんなことをおっしゃるんです?」
「簡単だ、お前が好き嫌いを言わないから」
「・・・・・そうでしたか?」
江坂は静を振り返る。
「私は苦手と良く言っていると思うんですが」
「そうですね。でも、どんなに苦手でも、一応食べようとしてくれるじゃないですか」
確かに、そうだったかもしれない。せっかく静が作ってくれたり選んでくれた料理を嫌いだからの一言で退けることはとても出来ない
からだ。
もちろん努力しても食べられないものはあるし、どうしても見た目だけで遠慮をしたいものはある。会合や接待などでそれらが出た
時は、遠慮なく下げさせる江坂だが、静が相手だと一口だけでもと箸を付けた。
「お前は俺との会食でも、堂々とアナゴは嫌いだから鰻に変えろとか言うだろ」
「当たり前でしょう。嫌いなものをわざわざ口にする必要性を感じません」
「な?こういう奴なんだ、江坂は」
「でも、組長さんと仲良しなんですね。俺、もっと殺伐とした関係なのかなって思ってたんだけど、こんな風にアットホームなら心
配無いです」
「・・・・・静さん」
「組長さんも思ったよりも怖く無かったし」
良かったと笑う静の言葉は本来は永友を揶揄する言葉になるのかもしれないが、あまりにも嬉しそうに笑う静に江坂は訂正を
しないでおくことにした。後で永友に何を言われようと、静の笑顔を守るためならば構わない。
それに。
(多分、そんな風には思っていないようだしな)
元々、小さなことにこだわらない人物だとは思っていたが、永友は静の言葉は何が気に入ったのかずっと笑い続けている。
このままではここに泊れと言い出しかねないと、江坂はさっさとこの会談を切り上げることにした。今日は静を永友に面通しさせる
のが目的で、それ以上の進展を望んではいない。
「静さん、組長はまだ所用があるので、私達はこれで失礼しましょうか」
これ以上、可愛い静を見せたくは無かった。
「いいんですか?」
組長である永友がまだ何か用事があるとすれば、江坂も本当は残らなくてはならないのではないだろうか?
「終わるまで待ってますよ?」
「私の方はもうすることは何もありませんし。返って残っていると他の者が気を抜いて飲めないでしょう?」
「あ・・・・・そうですね」
確かに、上司に当たる江坂がいると落ち付かないだろうとは思う。
さらに深く考えれば、その頂点に立つ永友がいればもっとやりにくいのではないかと気付いたのかもしれないが、今の静は外見か
らはそう見えないもののやはり緊張していたのかもしれない。
「組長、それでは私はこれで失礼をします」
「江坂」
「明後日、改めてご挨拶に伺いますので」
「・・・・・?」
(どうして明日じゃないんだろう?)
江坂が1日日をあけたわけは分からないものの、永友が苦笑しながら頷いたということは問題が無いのだろう。
今日これほど華やかに式が行われたので、もしかしたら明日は皆が休むのかもしれない。
「江坂」
「はい」
「海藤といい、お前といい。全く、反対し難い相手を選んだもんだ。今度は夕飯が一緒にとれるくらい時間の余裕を見て遊びに
来い、いいな」
「考慮します」
にこりとも笑わずにそう言った江坂は軽く頭を下げると、そのまま静の腰を抱くようにして部屋から出た。
「あ、あの、江坂さん」
「どうしました?」
「いいんですか?」
そう言いながらも、江坂が本当に聞き返していないという雰囲気は分かった。
(ほ、本当に帰るのか?)
自分の挨拶は及第点を貰えるのか。
永友への挨拶があんなにおざなりでもいいのか。
もう一度宴会の席に戻らなくてもいいのか。
聞きたいことや疑問はあるものの、部屋を出た江坂は歩みを止めること無く進み、そのまま静が案内されてきた母屋の玄関の方
へと向かう。
「あ、あのっ」
このままでは本当にここから帰ることになりそうだったので、静は江坂の腕を引いてもう一度声を掛けた。
「俺っ、さっきの部屋にもう一度戻りたいんですけどっ」
「・・・・・どうしてです?」
怒ってはいないが、江坂の声が少し硬くなった気がして、静は自分が変なことを言ったのだろうかと心配になってしまった。
「俺っ、さっきの部屋にもう一度戻りたいんですけどっ」
「・・・・・どうしてです?」
唐突にそう言いだした静に、江坂は不機嫌が声に出てしまわないように抑えるのが大変だった。
そうでなくても永友とにこやかに話していた静を見ているのは面白く無く、早く2人だけの空間に戻りたい江坂にとっては静がそん
な風に抵抗する意味が分からなかった。
ここには静が気にするものは何も無いはずだ。それとも・・・・・。
(私の目が届かないところで何かあったというのか?)
「真琴と楓君がまだいるだろうし」
「・・・・・ああ、あの2人ですか」
ようやく、江坂は静が待っていた部屋に別の人物達がいたことを思い出した。
「あの2人はもういませんよ」
「え?」
真琴は海藤と共にジュウの元に行っただろうし、楓の方は酒宴の席に呼ばれているはずだ。部屋に戻っても誰もいないということ
を告げれば、静は残念そうに顔を曇らせた。
「ちゃんと挨拶をしたかったんですけど・・・・・」
「また改めて連絡出来るでしょう」
「そう、ですね」
まだ心残りだという様子を見せる静の耳元に江坂は顔を寄せる。
「私は、早くあなたと2人だけで祝いたいんですが?」
「・・・・・っ」
そして、意識して声を低く呟くと、抱いている腰が戦慄いたのを感じた。静が自分の声を好きだというのを十分承知したうえで、わ
ざと欲を滲ませたのだが、その意図は身体に正確に伝わったらしい。
「行きましょう」
再び歩き始めた江坂に、静は今度は待ってと言わなかった。
部屋から少し離れた場所で橘と合流し、江坂はそのまま母屋の玄関から外に出た。
本部の方から出ると、まだマスコミや警察が煩いという判断からだ。既に大東組のNo.3として顔を売った自分はともかく、静だけ
はそういった煩わしく不快な視線から守らなければならない。
「橘、あれは向かったのか?」
「多分。到着すれば連絡するよう手配しています」
「・・・・・」
海藤がジュウとどういう決着を付けるのか気にならないというわけではないものの、傍に静がいる時に余計なことを考えたくなかっ
た。それに、海藤のことはあまり心配しなくてもいいだろう。
「疲れませんでしたか?」
この独特な空気に当てられなかっただろうかという配慮なのか、橘が静かに問い掛けている。それに、ありがとうございますと前
置きした静が答えた。
「少し緊張しましたけど、案外平気でした」
「そうですか」
「父によく連れて行かれたパーティーに似た雰囲気だったし」
「・・・・・」
(やはり慣れているということか)
表と裏という違いがあるにせよ、政財界も随分胡散臭い世界だ。それと今回のヤクザの集まりを同じように思ったらしい静に思わ
ず笑みが零れたが、
「江坂さんが傍にいてくれたし」
続く思い掛けない惚気に、さすがの江坂も笑みが苦笑に変わってしまった。
久し振りに会えた真琴と楓に何の挨拶もしないままだというのが気になって仕方が無かったが、先程の場所にいないとなると広
いこの敷地内で姿を捜すのは難しそうだ。
(2人には後でメールしよう)
「ありがとうございます」
後部座席を開けてくれた組員に礼を言って乗り込むと、当然のようにその後に江坂が乗り込んでくる。
助手席には橘が乗り込み、そのまま車がゆっくりと動き出した。
「静さん」
「え?・・・・・っぷ」
いきなり後頭部を抱き寄せられて江坂の胸に押しつけられた。
強い力ではないので引きはがすことは出来そうだが、彼がどうしてそんな行動を取ったのか不思議で、一応そのままの格好で訊
ねてみる。
「あの」
「写真を撮られてはいけませんから」
「写真?」
「あなたの綺麗な姿を下種な人間に見せたくもありませんしね」
何だかあまりいい響きでない言葉を聞いた気がするが、髪を撫でてくれる江坂の手の動きはとても優しい。静は頭はあげない方
がいいかもしれないと自分でも思い、そのままの姿勢で江坂に言った。
「俺、江坂さんが偉くなったら、もしかして変わるかもしれないと思ったんです」
「変わる?私が?」
「でも、そんなこと無かった・・・・・安心しました」
高い地位に昇り、周りもそんな目を向けるようになると、やはり江坂は仕事優先になってしまうかもしれないと思っていたが、今
感じるのは江坂の自分に対する強い独占欲。
彼にとって一番大切なものが何なのか、それを抱き締めてくれる手が、優しい声が教えてくれた気がした。
(心配なんかしなくったっていいみたい)
「変わるわけが無い。少なくとも、あなたに関しては」
「江坂さん・・・・・」
「早くあなたと2人になりたい」
車の中は2人きりで無いのに、江坂はそんな恥ずかしいことを平気な声で言ってくる。本当は、江坂ほどの立場になれば止めた
方がいいと言った方がいいとは思うものの、静は嬉しさの方が先に立ってしまい、自らもぎゅっと江坂の腰に手を回して強くしがみ
ついてしまった。
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