縁と月日は末を待て
11
食事中、楓の様子に変わったところは見えなかった。
何もしないようにといった言葉に反感を持ってふてくされるか、もしくは何かを思いつめているような様子が見えるかと思っ
たが、こうして間近で見つめていても目に見えた変化はないように思う。
(納得してくれたのか・・・・・?)
何よりも守られるだけが嫌な楓があのまま引き下がるとは思えないが、下手にこちらから話を振って事を荒立たせたくは
ない。
本来は自身が傍にいたいが立場上無理で、後は津山に気をつけてもらうしか出来なかった。
「そうだ、雅行」
「なんだ?」
食事を終え、組員達はそれぞれ自室や事務所に移動し、残ったのは日向家の一家と伊崎だけになった時、日向組
の前組長である雅治が思い出したように名を呼んだ。
「お前、9日、空いてるか?」
「忙しい」
「何の仕事がある?」
「楓の誕生日だ」
「あ」
迷い無く言い切った雅行を驚いたように振り返った楓は、次の瞬間機嫌が良い猫のように目を細めて笑う。
もちろん、伊崎も10月10日が楓の誕生日だというのは知っていた。
実を言えば、その前後には絶対に仕事が集中しないように9月の中頃からずっとスケジュール調整をしていたが・・・・・ど
うやら、こんなふうにストレートに表現した方が楓は嬉しいらしい。
「正確には一日前だろう。まあ、いい、その日は夜俺と一緒に出かけるぞ」
「親父と?」
訝しげに眉を顰めた雅行に、雅治はフッと口元を緩めた。
「見合いだ」
「はあ?」
「見合いっ?」
叫んだのは楓の方だった。初耳だったらしく、呆然とした表情で雅治を見つめている。
しかし、初耳だったのは楓だけではなかった。雅行はもちろん、伊崎も今この瞬間に初めて聞いた。楓がどうして言ってく
れなかったのだと睨んできても、伊崎もどうしようもない。
「おい、伊崎」
それは楓だけではなく、雅行にとっても大いに引っ掛かることだったらしく、低い声で名前を呼んできた。
「お前、まさか・・・・・」
カエデノモンダイカラメヲソラスツモリカ?
無言の厳しい眼差しがそう言っているように感じ、伊崎は信じてもらうようにきっぱりと言い切った。
「私も今聞きました」
その場にいた視線がいっせいに雅治に向けられたが、一つの組の頭になったほどの雅治はまったく動じた様子を見せな
い。むしろ、自身の悪戯が成功したかのように笑いながら話を続けた。
「伊崎も知るはずが無い。昨日、俺が直接電話を受けて承諾した」
「親父っ」
「大東組の縁続きのお嬢さんだ、お前にとってもいい話だぞ」
その表情は父親としてのものから、厳しいヤクザへと変化する。
「・・・・・俺はまだ家族を背負うのには早いっ!」
「馬鹿言うな!お前は今まで楓のことが心配だからと頑固に身を固めることもしなかったが、楓ももう直ぐ20歳になる。
いい加減、お前も弟離れしろ」
今の時代、雅行の歳でまだ独身というのは珍しいことではないものの、こういった組織を纏めるものとしては少々遅い方
かもしれない。
(・・・・・もしかしたら、私にも・・・・・)
雅行の身が固まったら、次は自分に話を持ってくるのではないか。楓との関係を知らない雅治がそんな行動とることも
考えられるが、楓には仕方ないという言葉は言いたくなかった。
「・・・・・」
楓は自分の部屋でじっと考えていた。
(兄さんが・・・・・結婚・・・・・)
今までも父が勝手に見合い話を持ってきて、仕方なく兄が会ったことはある。だが、
「俺にとって大切なのはオフクロとお前だけだ」
そう言って、その見合い話を蹴ってくれた。
周りから見れば少々行き過ぎな兄弟愛かもしれないが、物心ついた頃からこの日向組の組長という立場だった父はとて
も忙しく、楓と何時も一緒にいてくれたのは兄だった。
ヤクザの家の子供だと苛められた時も一番に駆けつけ、守ってくれたのは兄だ。そんな兄に対し、楓は当然のように深
い愛情を持っている。
しかし、一方ではそろそろ兄の手を離さなくては・・・・・そうも考えていた。
自分には伊崎という大切な存在がいるくせに、兄にも自分だけを見て欲しいと言うのは傲慢なことだ。
もう直ぐ20歳。少しは周りのことも考えることが出来る歳になっているはず・・・・・。
「・・・・・どんな相手だろ」
幾ら上の人間が言ってきたとはいえ、兄に相応しい相手でなければ祝福は出来ない。いや、その前に、今自分が抱え
ている問題を早く解決しなければ。
(どちらにせよ、明日・・・・・)
「楓さんのことをよく見ていてくれ」
今日、家を出る前に伊崎に念を押された。
しかし、津山は言われなくても楓の態度が気になっていた。
「今日は夕方まで大学にいるから、お前もいったん事務所に戻っていたら?」
「・・・・・」
「外で待っているだけなんて疲れるだろう?」
もう直ぐ大学の門が見えるというところで、楓は少し後ろを歩く津山を振り返って言う。その表情にも視線にも、まったく
影など見えないのに、どうしても胸の中がざわめく。
「楓さん」
「ん?」
直ぐに返事をしてくれる楓の顔をじっと見た津山は、身体の横にある手を握り締めた。
「何かありましたら・・・・・」
「・・・・・」
「必ず連絡を下さい」
「津山」
僅かに、楓の瞳の中の何かが揺れたように見える。
「必ずですよ」
「・・・・・うん」
半分強引に頷かせたが、一度約束したことを楓は破る人間ではない。今、彼が何を考えているのかは具体的に分か
らないものの、手助けが欲しいと思えば必ず自分に連絡をしてくれるはずだ。
・・・・・そう、信じたい。
「では、連絡を待っていますから」
「・・・・・行ってきます」
軽く手を振り、楓はそのまま門をくぐって行く。同じ場所に自分もついて行けないことが悔しくてたまらないが、楓を信用
していないと思われるのも辛い。
「・・・・・」
いつもは大学の周りを車を走らせて楓の帰宅を待っているが、今日はどんなに不審者だと思われても直ぐに駆けつけられ
る場所から立ち去ることは出来なかった。
もしかしたら、津山は何か気付いたかもしれない。
それでも楓はあえて誤魔化すことも正直に話すこともせず、津山も深く訊ねてはこなかった。
信頼されているということとは少し違うかもしれないが、それでもせめて例の弁護士と会うまでは見逃して欲しいと思う。
「あ、日向」
考え事をしながら歩いていると、階段を下りてくる顔見知りに声を掛けられた。それに何気なく返答を返した楓は、ふと
気になったことを聞いてみる。
「平井、来てる?」
「平井?見てないなあ。なんだよ、あいつのこと聞くなんて珍しい。きっと喜ぶぞ、あいつ日向の信者だから」
「なに、それ」
例えに思わず苦笑した。どう考えても、自分は色っぽい意味で平井のことを聞いているのではない。
(どんな怪我をしたか、実際に見たかったけど)
もしかしたら、周りに楓に怪我をさせられたと言いふらしているのかもしれないとも思ったが、まだそこまでは噂は広がってい
ないようだ。
仮に誰かと揉め事があったと、それがデマだとしても、たちまち学校中に広まるぐらいには楓は自分が目立っていることを
自覚している。
「楓?」
「あ、うん、何でもない」
腕時計を見下ろすと、そろそろ午前10時を過ぎようとする時間だ。
平井のために講義をサボる気の無い楓は、じゃあと挨拶をして階段を登った。
午前中の授業を受けた楓は、学食で昼食をとった。
時間は午後1時になる頃だ。何時ものように周りには取り巻きもどきがいたが、その中でも平井がいないことは話題になっ
ていた。
楓は自分から話題を出すことはなかったが、それを聞いて僅かに眉を顰める。昨日弁護士まで家に差し向けたくせに、
自分と顔を合わす勇気もないのだろうか。
(ホント・・・・・弱い男)
楓は立ち上がった。
「楓?」
「どこ行くんだよ」
「少し調べものがあるから。じゃあね」
内心の苛立ちは表に出さず、それでもついてくるなと無言の威圧を込めてにっこりと笑みを浮かべ、楓はそのまま図書館
に向かった。
普段でも人影の少ないあそこは、午後からの講義が始まればもっと人が少なくなるはずだろう。
「・・・・・見付かるヘマはするなよ」
事務所に戻っているように言ったが、きっと津山は大学付近にいるはずだ。その津山に見付かるような不手際は起こす
なよと思った。
ただ待っているだけでは能がないので、楓は勉強を続けた。
窓際の、日当たりのよい場所は、幸運にも1人の姿もなかった。
悪徳弁護士になるには勉強してもしすぎということは無く、覚えなければならない知識も多い。出来れば在学中に司法
試験に受かりたかった。
(早く、大人にならないと・・・・・)
日向組のために、兄のために、伊崎のために、一つでも武器になるものを身につけたい。
無心で机に向かっていた楓は、時間の経過が分からなかった。
「・・・・・」
「・・・・・」
(・・・・・靴音?)
静寂が支配していた空間に、僅かな靴音が聞こえて楓はペンを走らせる手を止める。
顔を上げると、本棚の影から何者かが出てくるのが分かった。
「・・・・・」
スーツ姿の見知らぬ男。明らかに学生ではない年齢の、笑っているだろうに鋭い眼差しをしているこの男が、間違いな
く今日会う約束をした相手だろう。
「越智弁護士?」
「ようやく、会えましたね、日向楓君」
「本来なら、会う必要もないんですが」
「・・・・・手厳しい」
越智は目を細めて笑みを深める。一体どうして笑うのか、楓は冷ややかな眼差しを向けた。
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