縁と月日は末を待て
12
楓は何人か現役の弁護士を知っている。
それは主にヤクザ関係の者達ばかりだが、正義の味方と言われる職業に付いているとはいえ、その誰もが完璧に清廉
潔白とは思えなかったし、楓自身、将来自分がなる弁護士とは、暗い部分を背負っているだろうと予想はついていた。
今回の越智に関しても、初めの印象から随分悪くて、それなりの人物像を想像していたが、実際に会うとかなり胡散
臭いと感じる。
(大体、目が怪しい)
誠実とはかなり意味の異なる光を湛えた眼は、面白そうに楓を見つめていた。どんなふうな反応を示すかと楽しんでい
るかもしれない。
(・・・・・そっちの思うような反応を返すつもりはないけど)
「・・・・・」
容姿は、想像していたよりもかなり良い男の部類に入るだろう、身長は伊崎ほどに高く、それなりに鍛えているのかスー
ツのよく似合う体格をしていた。
だが、弁護士というのはもちろん外見など関係ない。その手腕がどういうものか、楓はまず相手の思惑を探るべく声を
掛けた。
「ここまで来たっていうことは、多少は話を聞く耳があるっていうことだと思いますけど」
「組事務所に行った時に君には会えませんでしたし。ぜひ一度噂の主をこの目で見たかっただけなんですが」
「・・・・・どこで噂を聞いたんです?」
楓の噂というなら大学内でもありうるが、弁護士の越智が大学にわざわざやってくる用など無い。それならば、噂を聞く
場所は限られている。
(やっぱり、ヤクザの世界に首まで浸っているようだな)
自分の知らない所で自分の噂をされるのは面白くないと思うが、あいにく楓は自分の価値というものを十二分に知って
いて、賛美も妬みもすべて受けとめるだけの覚悟もとうに出来ていた。
「・・・・・」
「・・・・・」
「用件を聞いてもいいかな」
楓が黙ったままでいると、越智の方から話を切り出してくる。
「平井のことですけど」
話を長引かせるつもりはなく、楓はそのものズバリを口にする。それは越智にとって意外だったのか、少しだけ口元が緩
むのが見えた。
「俺を訴えるらしいと聞きました」
「一応、その意思があることを伝えに行っただけなんだがね」
「十分」
平井の頬を打ったのはまったく後悔をしていない。むしろ、どうせ訴えられるのならば拳で殴った方がいっそすっきりした
だろう。非力な自分でも、それなりに効果的な喧嘩の方法を知っているので、楓は自分がやられるとはまったく考えていな
かった。
顔を俯かせることなく真っ直ぐに上げたままの楓をじっと見ていた越智が、なぜか目を細めてクッと声を漏らす。
それが笑みを我慢しているのだと分かり、楓は眼光を鋭くした。
日向組のかぐや姫。
そんな噂を初めて聞いたのはいったい何時だっただろうか。
どんな貢物をしてもけっして振り向かない孤高の麗人がまだ義務教育中の少年だと知った時、越智はきっと誇張された
噂が独り歩きしたのだと思った。
どれほど容姿が整ったとはいえ男だ。妖艶な美女や可憐な少女に到底敵うわけもなく、きっと弱小の組が虚勢を張る
ために振りまいた分かりやすい嘘だろう。
少しでも金を稼ぐために弁護士になり、どんな相手からの依頼も金次第で受け入れていた越智にとって、そんな実体
のない存在に関心は向かず、何時しか記憶の片隅に追いやられてしまったが・・・・・。
金を積まれてあるチンピラの示談を引き受けた時、その相手が日向組だと知ってその噂を思い出し、顔を見てみたい
と思ったのはほんの気まぐれだった。
しかし、思った以上にガードが固く、声さえも聞かないままに仕事が終わってしまい、結局会えない運命なのかと考え
ることを止めようと思った時、顧問をしている会社の役員から、自身の息子の怪我のことで相談を受けた。
これはもう、運命だとしか思えない。
本人から会いたいという電話を貰った越智は、久し振りに気持ちが高揚するのを自覚していた。
人に笑われるのは我慢出来ない。
自分の優位を分かっている相手をどう言い負かすか。目指す弁護士だとしても、楓はここで引くわけには行かなかった。
(俺は、笑われるためにこいつを呼びだしたんじゃない)
「俺は平井の頬を一発しか引っ叩いていない」
「・・・・・」
「それも、平手だ」
「聞いている」
「それを聞いたうえで訴えることを勧めたんですか」
どんな弁護士だと、楓は内心舌を打つ。
「君も弁護士になるつもりなんだよね?だったら、理不尽な依頼にも誠意を持って応えるという意味は分かっていると思
うけど?」
「・・・・・」
(こいつ・・・・・)
いったい、どこまで自分のことを知っているのかと訝しむが、組事務所に堂々と乗り込んでくるところを考えると、ある程度
の身辺調査はされているという覚悟をした方がいい。
だとしたら、いい加減猫を被るのは(これでも)止めた方が早い。
目の前の男も、何時の間にか口調が砕けているし、慣れ合うつもりはないが楓は自分の気持ちが一番伝えやすい言葉
で告げた。
「謝罪する気はない」
楓は声を落として言った。
「暴力という行為が正当化されないことは分かっているが、俺はあの時の自分の行動を後悔はしていない。あんたをこ
こまで呼びだしたのはその意思を伝えるためだ」
自分のことを守ってくれる兄や伊崎の思いが嬉しくないわけでないが、大学生にまでなった今出来る限り自分の足で
立っていたいと思っている。
今回の平井が訴えた件に関しても、きっと楓の知らない間に何らかの方法で話をつけるはずだったのだろうが、自分の
ことだ、自分で始末をつけたかった。
「反省は無いということ、か」
「ああ」
「示談も望まないと?」
「こちらが頭を下げるつもりはない」
示談とは、民事上の争いを裁判によらずに当事者の間で解決することだ。しかし、楓は今更平井と話すことは無いし、
そもそも自分に非があるとは思っていない。
(それよりも、こんなくだらないことで裁判所を動かすなんて経費の無駄遣いだ)
「・・・・・ろい」
「え?」
小さな声で何かを言った越智が、
「・・・・・っ」
(い、今・・・・・っ?)
不意に自分の間合いの中に踏み込まれたかと思うと、そのままグイッと腕を掴まれて引かれる。
突然のことに足を踏ん張ることも出来なくて、楓は不本意にも越智の腕の中に飛び込む形になってしまった。
(楓さん・・・・・)
何時もと変わらない楓の表情に、声。
だが、津山はその中の僅かな違和感を感じ取っていた。
「今日は夕方まで大学にいるから、お前もいったん事務所に戻っていたら?」
その言葉も、普段の楓が言いそうなことだ。実際、勉強熱心な楓はよく残って図書館に行ったり、担当教授の元に質
問をしに行くことも多い。
それなのに、どうして今日は胸騒ぎが鎮まらないのか。
「楓さんからくれぐれも目を離すな」
大学構内に自分のようないかにもヤクザものの風体の男が入ることは許されないと分かっている。
それでも・・・・・。
「・・・・・」
津山は己を阻む大きな門をじっと見上げた。
「・・・・・何、この手」
馴れ馴れしくも自分の腰を抱いている手を今にも振り払いたいが、優男のくせに妙に力がある。
楓は出来るだけ上半身を反って相手から距離を取りながら、それでも視線だけは逃げずに続けた。
「こーいうの、セクハラじゃないのか」
「男相手に?」
「今は男女の違いはないと思うけど」
「ただ、君の身体を支えているだけだって言ったら?」
「俺は支えがいるほど年寄りじゃない」
「・・・・・プッ」
相手の言葉に淡々と答えているだけなのに、越智は何だか楽しそうだ。頬が緩み、目元まで笑みの色が濃くなると、
初対面での冷酷さが随分と薄くなる。
そうなると、越智の容貌が再び際立って見えるが、見惚れるということは絶対に無い。
「とにかく、離せ」
「本当に綺麗だね、君は」
「はあ?」
どうして話がそうなるのかと呆れたが、越智は自分の言葉に納得したように何度も頷いている。
「想像した以上に綺麗な顔をしているのに、それが人形のようにすましているんじゃなくて強い生命力を感じさせるの
がいい。噂なんて誇張がほとんどだが、君に関してだけは考えを改めざるを得ないな」
「だからっ、馬鹿なことを言っていないで手を離せ!」
男に抱き締められて喜ぶゲイではあるまいし、綺麗だ綺麗だと顔ばかりを褒められるのだって面白くない。
人間の価値は内面、心だ。どんなに非難されるような生業であっても本当に心の綺麗な人間はいるし、反対に世間的
に評価をされる職業であっても下種な人間はいる。
今目の前にいる男はきっと後者だ、何時までもくっ付かれていると自分が穢れてしまいそうだ。
「離せ」
重ねて言えば、ずいっと顔が近付けられる。
「・・・・・っ」
(馬鹿がっ、口がくっ付くだろ!)
「お前・・・・・っ!」
「日向組には顧問弁護士はいるのか?」
「・・・・・はあ?」
いきなり何を言うのかと、楓は目前に迫った顔を呆れて見上げた。
「まあ、自分自身が弁護士になるのなら今はいないということかな。大体、高い弁護士費用を払うほどの財力があの
組にあるとは思えないし」
「・・・・・悪かったな」
越智の言う通り、日向組は顧問弁護士を雇う金があるのなら組員に使うという兄の方針があるし、問題が起こった時
は上部組織の大東組から弁護士がくる手筈になっている。
今まではそれで困らなかったし、あと何年かすれば自分が弁護士になって組を守ることが出来るのだ。
「いっとくけど、今回のことでは大東組の力を借りるつもりはないから」
「・・・・・そんな心配はしていなかったけれどね」
「・・・・・あんた、一体何を考えているんだ?」
「ん?何だと思う?」
こっちが訊ねているんだと言い返そうとしたが、きっとこの男にはそんな文句も通じないような気がする。
(・・・・・不気味)
思惑が分からない相手を目の前にするのは何だか疲れて、楓はわざと大きな溜め息をついてみせた。
「わけわかんないよ、あんた」
「話は簡単だ。楓君、手駒を増やしたいとは思わないか?」
「手駒?」
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