縁と月日は末を待て




13







 楓は想像もしていなかったことを言いだした越智を睨んだ。
(こいつ、頭大丈夫なのか?)
今自分たちがどういう立場で対しているのか分かっているのだろうか。
元々、楓にとっては心外な傷害事件で告訴をすると事務所まで乗り込んできた男に、どうしても一言言いたくてここまで
呼びだしたことは分かっているはずだ。
 言わば敵同士の自分たちの間で、手駒という言葉が出てくるはずがない。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
楓が冷めた目で見ても、越智は気にしていないように笑みを崩さない。こんな男に察しろというのが無理だと早々に決め
て、楓はきっぱりと拒絶した。
 「あいにく、間に合ってる」
 「はは、確かに君のためなら命だって懸けそうな男たちが周りにたくさんいそうだ」
 「・・・・・」
(男って限定するな)
 まるで、お前は守られる存在だと言われているようで面白くない。
自分が同性にそういった感情も込みで見られているのには自覚があるが、かといってそれを容易に受け入れているわけ
ではないのだ。
 「別にどうでもいいけど、今の言葉は謹んで断るから」
 「楓君」
 「それと、その呼び方は止めてくれる?親しくない相手に名前で呼んでもらいたくな・・・・・っ!」
 それは、突然だった。
今まで(楓の目から見たら)ニヤニヤとしていた越智が一気に間合いを詰めてきたかと思うと、そのまま楓の腰に腕を回し
て抱き寄せる。
それなりに整った、それでも人の悪い表情をした越智の顔が間近に迫った。
 「おいっ」
 いくら人影がないとはいえ、大学内で騒ぎを起こしたくない。
楓は声を抑えて越智を威嚇したが、目の前の男は日本語が通じなかった。
 「俺は、君が気に入った」
 「はあ?」
 「日向組自体には顧問弁護士はいなかったはずだ、俺を取り込めば絶対に得だと思うが?」
 自信たっぷりに言う越智の言葉は、その意味自体に嘘はないと分かっているつもりだ。
多少の問題はあっても、この男ほどの腕があればこれまで伊崎が大東組に頭を下げて頼んできた問題も容易に解決す
るだろうとも想像出来た。
 それでも、この男は身の内に入れるにしては危険すぎる。
(あいつらだって、絶対に反対する)
聞かなくても分かる結果に、楓は出来るだけ声を抑えて続けた。
 「・・・・・あんたを引き入れると、返って問題が起きそうだ」
 「楓君」
 「だから気安く名前を・・・・・」
 「楓さんっ」
 「!」
その声を聞いた瞬間、楓は反射的に肩を震わせた。




 意をけっして大学の門をくぐる。
楓の許可なしにそんなことをしてしまったことを後で叱られるのも承知で、津山は胸騒ぎがただの気のせいだということを
確認するために構内を歩いた。
 外見も雰囲気も、とても大学生には見えない津山を擦れ違う学生たちは奇異や怯えを含んだ目で見つめてくる。
もしかしたら警備員に連絡がいくかもしれないことも考え、一刻も早く楓の姿を見つけなければならないと思った。
(今の時間は・・・・・)
 楓の講義はすべて把握しているため、今の時間は空いていることは分かっている。
そんな時、生真面目な楓はどこに行くか・・・・・考えられる場所は限られており、構内の地図も完璧に頭の中にある津山
の足取りにまったく迷いはなかった。

 そのドアを開けた時、目に飛び込んできたのは驚くほどに多くの本。
視界に人影はないものの、津山は気配を感じ取った。
 「・・・・・」
 「・・・・・あんたを引き入れると、帰って問題が起きそだ」
 「楓君」
 「・・・・・っ」
 そして、それほど奥に行かない場所で、綺麗な、しかし、かなり辛辣な響きの声が耳に届いた。
 「だから気安く名前を・・・・・」
 「楓さんっ」
本当は、今何がこの場で行われているのか様子を見ることが本当だろう。
大学の構内という場所で命の危険にさらされるという可能性は大きくないだろうし、相手を見極めるためにも出来るだけ
自分の気配は消さなければならないはずだった。
 それでも、津山は声のする方へと飛び出してしまった。
それは、自身でも抑えきれない思いからだった。




 組の人間誰にも、常に側に付いていてくれる津山にも、そして一番大切な伊崎にも言わなかった越智との対面。
弁護士と言う地位にいる男が自分に危害を加えるとは思えなかったし、何らかの事が起こったとしても、自分自身で対
処出来ると思っていた。
 しかし、予想の範囲以外の事を言いだした越智に困惑し、どうしようかと悩んでいた時に聞こえた津山の声は、叱られ
るだろうと思っていても、ホッと安堵出来る嬉しい声だった。
 「津山・・・・・」
 「・・・・・」
 声と共に姿を現した津山の表情は、相変わらず無表情と言えるものだった。
しかし、ずっと側にいた楓には分かる。津山は相当・・・・・怒っている。
(ど、どうしよう・・・・・)
 この状況をどう説明しようかと躊躇う間に津山は素早く側に歩み寄ってくると、楓の腰を掴んでいた越智の腕を捻り上
げようとした。
だが、一瞬早く自ら腕を解いた越智は、反対に目を細めて津山を見つめる。
 「これは・・・・・彼のお守りかな?」
 「越智弁護士ですね」
 「津山?」
津山本人は越智と会ったことが無いはずなのに、その言葉は迷うことなく名前を言い当てる。
自分に向かって話される声とはまるで違う、低く冷たい声に、楓は思わず背中を向けている津山の横顔に視線を向けて
しまった。
(津山も・・・・・確かに、ヤクザなんだ・・・・・)
 一般人ならば、その声を聞いただけで委縮するだろうが、さすがにヤクザの弁護を引き受けるような弁護士は頬から笑
みを消すことはない。
 「・・・・・ええ、そうですよ」
その出現に多少驚いた様子は見せたものの、それでも余裕を持って答えた。
 「組長はこちらの弁護士と話し合いをするようにと言われたはずですが」
 「でも、それって日向組の、ではなくて、大東組のでしょう?私はそんな関係性の薄い相手の話をうのみに出来るほど
人が良くないんでね。せっかく当事者が話をしたいと言ってくれたのでこうして会いに来たんですよ」
 「・・・・・」
 「・・・・・っ」
(馬鹿!)
 今の言葉では、楓の方が越智を呼び出したのがバレバレだ。
後が怖いと思いながら楓が舌を打つと、津山はチラッと視線を寄越してから改めて越智と向き合った。
 「それでも、彼は未成年です。保護者の意見は尊重されるべきだと思います」
 「・・・・・楓君」
 「話は終わった」
 津山が来た以上、越智との会話が続けられるとは到底思えない。
それに、言いたいことは伝えたつもりなので、楓は後ろから津山の腕を引いて言った。
 「帰ろう」
 「楓さん」
 「・・・・・後で、ちゃんと説明する」
わけの分からないことを言いだす男とは早々離れた方がいい。
津山も越智の側にいることをよしと思わなかったらしく、軽く一礼してから楓の背中を押しながら歩き始める。
 「楓君!」
 そんな自分たちの背中に、越智の言葉が投げ掛けられた。
 「さっきの話、ちゃんと考えておいてくれ」
 「・・・・・」
反射的に振り返れば、越智は笑いながら軽く手を振ってくる。
(・・・・・振り向くんじゃなかった)
視線が合って、単に喜ばせただけかと思うとげんなりとした気分になった。




 普段は何を置いても自分の味方になってくれる津山だが、今回のことはどうやら内密にはしてくれないらしい。
帰りの車の中でもほとんど会話らしい会話はせず、楓は気まずくなって家に着く早々自室に逃げ込んでしまったが、時間
を置くことなく兄に呼び出されてしまった。
(・・・・・あ〜あ)
 もちろん、今日の自分の行動を後悔はしていないが、心配を掛けてしまったことは確かだし、冷静に考えれば返って相
手方を煽った形になったかもしれない。
 今日は絶対に味方をしてくれないだろうと伊崎の綺麗な顔を思い浮かべながら、楓は鉛のように重く感じる母屋の座
敷の襖を開いた。

 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 上座に座った兄と、その少し下がった右隣に座っていた伊崎は黙ったまま楓を見つめている。
直ぐにでも怒鳴られることを覚悟していた楓は、黙り込む2人にその怒りの深刻さをヒシヒシと感じていた。
(・・・・・どうしよう・・・・・)
 ここで自分から謝れば、今日の行動をすべて否定してしまうことになる。
すると、これからも無条件で守られることを受け入れるということになりそうで・・・・・楓はどうしても素直に頭を下げることが
出来なかった。
 どのくらい、経っただろうか。
3人とも口を開かないまま、まるで根比べをしているような時間が過ぎ、ようやく兄が深い溜め息をついた。
 「楓」
 「・・・・・はい」
 「俺の言った言葉は、その頭の中に残っていなかったというわけか?」
 「・・・・・ううん」
兄の言葉に、楓は首を横に振る。
 「伊崎の言葉も残っていないのか?」

 「万が一、本当に楓さんに謝罪を求めているのだとしても、あなたはまだ未成年だ、責任は親にあると考えるのが普通
です。ですから、楓さん、あなたはもう平井という男に会わないでください」

 自分を思っての伊崎の言葉はもちろん頭の中に残っていた。
それでも行動した自分をどう思ったのか、兄はもう一度溜め息をついた。
 「それで、会った意味はあったのか?」
 「・・・・・っ」
 痛い所を突かれた。
確かに楓は越智に自分の思いを伝えたものの、それで今回の事件が前に進んだとは到底思えない。
そればかりか、妙に男にからかわれて・・・・・皆を騙してまで越智と会った成果がどれほどのものかを説明出来ないもどか
しさに、楓はようやく謝罪の言葉を口にした。
 「・・・・・ごめん」
 「それは、何に対する謝罪だ?俺や伊崎の言いつけを破ったことか?それとも、津山に嘘をついたことか?」
 「・・・・・」
 「楓」
 兄に名前を呼ばれ、楓は顔を上げる。
 「・・・・・勝手な行動をしたことは謝る。でも、兄さん、俺はもう直ぐ二十歳なんだ、背中に匿われるのを黙って受け入れ
る子供じゃない」
それこそ、子供っぽい言い分なのかもしれないが、楓はどうしても兄と伊崎に訴えたかった。