縁と月日は末を待て
14
「お前の言いたいことは分かった。だがな、楓。お前が黙ってやらかしたことで、結果俺たちがどう思うのか、そこまで考え
ていたか?」
「・・・・・っ」
楓は唇を噛みしめた。
もちろん、自分のすることで周りがどういう反応をするのか考えなかったわけではない。日向組の息子という立場、そして、
周りからどれほど可愛がってもらっているかを自覚していても、どうしても黙っていることが出来なかった。
しかし、そんな風に思って行動すること自体子供っぽいものかもしれないと、楓は兄の言葉に反論も出来ずに俯くしか
ない。
(俺がしたこと・・・・・間違っていたっていうのか・・・・・?)
今は無事に家に戻ってきているが、それも幸運だったからということなのか。
膝の上で拳を握りしめていると、
「組長」
それまで黙っていた伊崎が口を開いた。
まるで百万の味方を得たような嬉しさに、楓はパッと伊崎を見つめる。しかし、その眼差しは自分ではなく、真っ直ぐに
兄を見ていた。
「そこまでにしてあげて下さい」
「伊崎、お前、またこいつを甘やかすつもりか?」
「いいえ、そういうつもりではありません。ですが、楓さんもきっと分かっていらっしゃるでしょう」
兄のように怒るではなく、淡々とした伊崎の口調にかえって楓は背中に冷や汗が流れる。
まさか、ここで伊崎に見捨てられるとは思わなかったが、もしかしたら・・・・・そんな恐れが急速に襲いかかって来たのだ。
「・・・・・分かってくれたらいいんだがな」
兄の諦めたような言葉が耳に残り、楓はもう反論することも出来なくなってしまった。
結局、自分は何時も同じ失敗を繰り返しているのかもしれない。
自分の意地だけで行動し、後になってその浅はかさを指摘され・・・・・。自分では成長していると思っていたのに、この分
ではとても大人に近付いたとは言えないかもしれない。
「・・・・・」
兄に下がるように言われた楓は、廊下で待機していた津山の前で立ち止まった。
「津山」
「はい」
「・・・・・ごめん」
それ以上、どう言えばいいのか分からない。
彼を騙した形で越智に会ってしまったこと自体、今となっては申し訳ないと思うし、彼が来てくれたからこそあの対面は終
えることが出来た。
誰かの力を借りなければならなかったことを悔しいと思っていた気持ちはかなり鎮まり、今では申し訳なさの方が大きい。
「いいえ」
言葉数の少ない津山は、ただそう言って頭を下げてきた。
彼のせいではないのに、兄や伊崎から叱責がいっただろうと思うとさらに肩身が狭かった。
「どちらに行かれますか」
「・・・・・部屋に戻る」
今は早く眠ってしまいたい。
楓は重い足取りで部屋に戻った。
随分重い足取りで楓が出て行くのを、伊崎はじっと見送った。
楓がこちらを見ていたのは分かっていたが、視線を合わせて言葉で助けることは今はとても出来なかった。
(本当に、何も無かったことが奇跡かもしれないのに・・・・・)
楓が越智と会ったことを知った時、伊崎は自分が事務所にいることが悔しくて仕方がなかった。
どんなに注意しても、楓が自分で動く可能性があったことは分かっていたはずなのに、まさかこんなにも早く行動するとは
思わず、伊崎の警戒の目も届かなくて・・・・・。
「伊崎」
伊崎が顔を上げると、雅行は軽く顎で合図を送ってくる。どんなに楓に厳しいことを言っても、溺愛といってもいい愛情
を楓に抱いている雅行は冷たくなりきることは無い。
「・・・・・」
そして、その役目を自分に託してくれることを感謝した伊崎は、一度深く頭を下げてから立ち上がった。
これから、楓にどんなふうに言えばいいのだろうかと考える。言葉で言っただけでは、あの自立心が強く、見掛けによらず
好戦的な楓を押さえることは出来ない。
(楓さん・・・・・)
部屋をノックした時、直ぐに返答は無かった。
それでも、今楓がここにいることは確実なので、伊崎はもう一度ノックしてから入室の許可を求めてドアを開ける。
「・・・・・」
部屋には鍵が掛かっておらず、見渡した中、ベッドが人の形に膨らんでいた。どうやら潜っているようだ。
「楓さん」
「・・・・・」
「楓さん、顔を見せて下さい」
重ねて言っても、楓はなかなか出てこない。この反応はある程度予想が出来ていたので、伊崎は部屋の鍵を掛けた後、
ベッドの側まで歩いていってあいているスペースに腰を下した。
そして、そっと膨らみに手を置けば、手の平にビクッと震えが伝わってくる。
「悔しいんですか?」
「・・・・・」
「組長の言葉に反論出来なかったことが。自分では、今回の行動に自信を持っていたんでしょう?」
「俺はっ、心配掛ける気なんかなかったっ」
くぐもった叫び声が返ってきた。
それは、伊崎も、そして雅行も分かっている。楓が進んで心配をかけようと思っているわけではなく、きっと雅行や組のた
めに自分から動こうとしただろうということも。
だが、相手は百戦錬磨の弁護士だ。楓がいかに強い意志を持っていようと、思いもよらぬ方向に引っ張られてしまう可
能性もあった。
(あの男は油断ならない)
だからこそ、今回は楓に心身ともに分かってもらわなければならない。
「・・・・・」
伊崎は黙ったまま掛け布団の中に手を差し込むと、細い楓の腕を掴んで引きあげた。
突然のことに抵抗することも出来なかったらしい楓は、そのまま上半身を掛け布団から引き出され、驚いたような眼差し
を向けてくる。
「本当に・・・・・あなたの目は綺麗で、とても力がある。このままでは私は何も出来ませんね」
「きょ、すけ?」
伊崎が何を考えているのか予想が付かないのか、楓の声が不安げに揺れた。それに目を細めて答えた伊崎は、グイッ
と自身のネクタイの結びを緩めて解く。
今、自分がどんな顔をしているのか・・・・・伊崎は苦い思いで微笑んだ。
「しばらく、暗闇の中で我慢していて下さいね」
「ちょっ、ちょっと、恭祐!」
突然圧し掛かられた楓は、いくら相手が恋人だと言っても怖くて身体が引いた。
しかし、伊崎はそのまま逃がしてはくれず、楓はあっという間にネクタイで目隠しをされてしまった。
「何するんだよ!」
「大人しくなさい」
「お、大人しくなんて出来るわけないだろ!」
こんな風に押さえこまれ、目隠しまでされて従順に受け入れるほど自分は気が弱くない。第一、視界が遮られてしまう
と不安でたまらなかった。
耳に届く声は伊崎のものだし、匂いで分かるコロンは何時も伊崎が付けているものだ。
何より、自分をこうして押し倒すことが出来るのは伊崎しかいないが、今日はなんだか今までとは何かが違う。
(どうしてだよっ!)
伊崎の腕を拒むつもりは無かったし、もちろん叱責もきちんと受け入れるつもりだった。それなのに、伊崎はいったい自
分に何を求めようとしているのか、まったく分からなくてどうしたらいいのか頭の中が混乱する。
「見えなくて怖いですか?」
「こ、怖いなんて・・・・・っ」
「じゃあ、このままで構いませんね」
言葉尻を押さえられ、楓はギュッと唇を噛みしめた。怖くは無いのだ、相手が伊崎だと分かっていれば。
ずっと声を掛けられるのもいいし、優しい指先を感じるのもいい。ただ、だから、自分を抱いているのが伊崎だとはっきと分
からなければ嫌だ。
「これっ、取れよ!」
内心は不安と恐怖で一杯になっていたが、楓の口からはそんな言葉しか出てこない。
こんな時、何時もは楓の言葉に優しく応えてくれる伊崎は、今日に限ってまるで耳に届いていないとでもいうように強引
に事を進める。
楓は抵抗するために身を捩った。
「止めろって!」
「どうして、あなたの言うことをきかなければならないんです?」
「・・・・・え?」
「あなたは、私達の言うことをきいてくれないのに」
「・・・・・っ」
まただ。話は結局そこに戻り、楓は反論しようとした声が喉に張り付いてしまう。
(これが・・・・・罰?)
心配を掛けてしまった、何度言われても危ないことに頭を突っ込んでしまう、自分に与えられる罰なのか。
真っ暗な視界の中必死に伊崎の気配を探ると、いきなり唇を塞がれてしまった。
楓の視界をネクタイで遮り、両手首を一つにして押さえこんだ。
力を緩めれば直ぐに解けてしまう拘束。しかし、初めこそ激しい抵抗を示していた楓は、今は伊崎を押し返そうとはしな
い。
もしかしたら、自分でも今回の行動を後悔しているのかもしれないが、今楓を許すことは出来なかった。
「ん・・・・・っ」
伊崎は楓の首筋に唇を落とす。そして、次第に鎖骨へと移動させた。楓は身体のどこもかしこも甘くて、伊崎は何時も
夢中になって味わう。
華奢な身体に乗り上げている形になるので何時もとは違う身長差になっていて、伊崎の腹に楓の下半身が当たってい
た。何時もなら感じ始めているはずが、押し上げてくる感触は・・・・・ない。
(楓さん・・・・・)
これは、セックスではないのかもしれない。身体を重ねはするものの、その根底にある2人の感情は明らかに違う。
愛しい楓に触れるのに愛情以外の感情を感じたくは無かったが、今日ばかりは伊崎は固い決心を崩せない。
「・・・・・」
「・・・・・や・・・・・っ」
押さえ付けていない方の手でジーパンのファスナーを下し、下着の上からペニスを愛撫すると、さすがに腰を引こうとし
たのかスプリングが揺れた。
「触っているのが誰か、分かっていますか?」
耳元で囁くと、楓は首を竦める。
「きょ、すけっ、だろっ」
「本当に?」
「な、なに・・・・・」
「こうして話しているのは私でも、あなたに触れているのは私ではないかもしれませんよ?」
いいんですかと言えば、楓は嘘だと喘ぐように繰り返した。視界を覆っているネクタイを外して確かめたいのだろうが、伊
崎が押さえこんでいるのでそれは無理だ。
「恭祐っ」
「・・・・・」
「きょう・・・・・!」
楓の声をキスで封じる。これ以上訴えるような声を聞いたら、伊崎の方が降参しかねなかった。
(ここで止めたら意味がない・・・・・っ)
確かに、楓は強い。だが、その強さが通用しない相手は世の中に何人もいる。
だからこそ伊崎は、雅行は、楓をそれらから守ろうとするのに、当の本人が自ら危険に飛び込むようではどうしようもない。
「・・・・・っ」
(誰もに欲しがられているということを・・・・・自覚して欲しい)
それだけ楓には価値があるのだと、分かって欲しい。
「恭祐!」
酷いことをしようとしている伊崎の名前を、助けを求めるために叫ぶ楓。
「まだですよ」
(今日は、あなたを泣かせることになってしまうが・・・・・)
それもすべて楓を思うが故だと、楓自身には分かって欲しいと伊崎は切実に思っていた。
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