縁と月日は末を待て




19







 顔を上げた越智は、改めて伊崎の顔を見つめる。その表情の中に伊崎の思いを探ろうとしたが、どうやら伊崎は感情を
見事に隠してしまったらしい。
楓のことに関しては、この端正な顔に豊かな表情を見せていた伊崎。どんな心境からその感情を抑えることにしたのだろ
うか。
(これはこれで・・・・・つまらないな)
 人の思いを弄ぶつもりはなかったが、自分の優位に話を進めようとしていた越智にとっては少々物足りなかった。
 「組長もあなたも、本当に楓君に弱いと見える」
 「・・・・・」
 「彼はそれほど魅力的ですか?」
自分自身が楓に興味を抱いていることは置いておいてそう言えば、僅かに伊崎の口元が綻ぶ。
 「それは、あなた自身がわかっているはずだが」
 「・・・・・そうですね」
 ここで否定するほど馬鹿ではないつもりだ。何のために日向組に取り入ったのか知られていて当然なので、越智は誤魔
化すこともなく頷いた。
そんな越智に向かい、伊崎はゆっくりと言葉を継ぐ。
 「私自身がどう思っていようと、組長があなたを受け入れた以上私もそのように扱うつもりです。・・・・・だが」
 そこで、伊崎はじっと越智の顔を見つめた。その口調も表情も大きく変えたわけではなかったが、越智は背中に冷や汗
が流れるほどの威圧感を感じた。
 「楓さんに手を出すな」
 「・・・・・」
(これが、ヤクザか)
 身惚れるほどの容姿や、柔らかな物腰に騙されてはいけない。伊崎は間違いなくヤクザで、自分はそのヤクザが一番
大切なものに手を出そうとしている。
(・・・・・面白い)
自身を賭けてもいいほどの存在を手に入れるためならば、多少の危険など気にしてはいられない。
越智は改めてそう思いながら軽く頭を下げると、ゆっくりと玄関から出ていった。




 越智がこちら側に付いたことで、平井の件はすべてカタがついた。ヤクザの息子に無理な言いがかりをつけ、それを後押
しする弁護士などそう居るはずはない。
 久しぶりに落ち着いた気分で朝食を食べていた楓は、おいと父に名前を呼ばれた。
 「ん?なに?」
 「もう直ぐお前の誕生日だろう?プレゼントは何がいいんだ?」
 「誕生日プレゼント?」
 「お前も二十歳だし、何か記念になるものがいいだろう。時計か?それともパソコンか何か・・・・・」
 「プレゼントねえ」
普段から自分には甘い父だが、こんなふうに大盤振る舞いをしようとするなどとても珍しい。これも、誕生日というよりは二
十歳の記念だと思っているのかもしれないが、楓は物に対してそれほど執着はなく、欲しいものを聞かれても直ぐに何か
は思い浮かばなかった。
 「そーだなー」
(今回の誕生日は別のイベントがあるし・・・・・)
 そう、今回の誕生日でようやく伊崎との関係を父や組員たちに告げることが出来る。薄々知っている母や、黙ってくれて
いる兄以外に、自分の大好きな人を告げる日が早く来て欲しい。
 プレゼントなどいらない、伊崎との仲をちゃんと認めてもらえればと思っていると、
 「親父」
兄が硬い声で口を挟んできた。
 「楓ももう子供じゃないんだ。誕生日を喜んでいるとは限らないだろう」
 「・・・・・」
(兄さん、汚いよ)
 二十歳まで待てと言ったのは兄で、楓も伊崎もその言葉を守ってきたのだ。今更何のかんのと邪魔をされたとしても、こ
れ以上自分たちの関係を黙っている気は毛頭なかった。
 最悪、父に反対をされ、組員たちに拒絶をされたとしても、伊崎と2人で生きていく覚悟は出来ている。そんな自分に
馬鹿馬鹿しい牽制をしないで欲しい。
 「そんなことないよ。誕生日は何歳になっても嬉しいし、特に今回は特別だしね」
 「楓」
 「ね、兄さん」
 兄の顔を真っ直ぐに見詰めながら特上の笑顔を向けてやると、眉間に皺が寄ってしまった。怒らせてしまったらしいが、
そもそも兄が言った言葉が原因だ。
 「プレゼントのリストは考えとく。楽しみにしてるね、父さん」
 甘えるように言うと、父はデレッと頬を弛める。ついでに、聞き耳を立てている組員たちにもにっこりと笑いかけた。
 「お前たちも」
 「はい!」
綺麗に揃った返答に、楓は思わず笑ってしまった。

 食事の場ではそれ以上は何も言わなかったが、もしかしたら兄はあの約束を反故にしようとしているのかもしれないと思
い始めた。何のために約束を守ってきたのか、今頃になって伊崎との関係を認めないような態度をとる兄にちゃんと自分
の思いを言っておこうと、楓は大学に行く前に組事務所に行こうとしている兄を捕まえた。
 「兄さん」
 「・・・・・」
 直ぐに足は止めてくれたものの、なかなかこちらを向いてくれない。
(どっちが子供なんだか)
 「ちょっといい?」
返答は聞かず、兄の腕を掴んで直ぐ側の座敷に引っ張り込んだ。
 「大学はどうした。遅刻するのは許さんぞ」
 低い声で言い、厳つい顔を顰めて見下ろしてくる。若い組員たちならば怖がって顔をひきつらせるだろうが、20年間も
兄弟をやってきて、深く愛されていることを自覚している楓はまったく怖くはなかった。
 「さっきの」
 「・・・・・」
 「あれ、約束はなかったことにってわけじゃないよね?」
 「・・・・・」
 「俺が二十歳の誕生日をどれだけ待っていたのか、兄さんは良く知ってるだろ?ちゃんと、周りには知られないように
努力してきたつもりなんだ、そろそろ許してくれてもいいじゃないか」
 両想いで、同じ屋根の下に暮らしていて、まったく接触を持たないということは無理だ。あけすけなことは言うつもりはな
いが、数え切れないほどのキスもしたし、抱き合った。
 兄は、それさえも許せないと思っているだろう。だが、何も出来ないなんて考えられない。
(それだって、恭祐は兄さんに遠慮して随分断られたっていうのに)
 その気になって誘ったのに、子供じみた軽いキスだけで宥められた時の気持ちは表現しようもないほど空しかった。
それもこれも、兄が伊崎にきつく牽制したからだ。
 「俺も恭祐も、もう腹は括っているから。兄さんがどんなに反対しようと、みんなにちゃんと言うからね」
 「・・・・・親父が何て言うのかわからないぞ」
 「それでも!」
 「楓っ」
 「男ならいったん言ったことを覆すなよっ!」
 楓が言いきると、さすがに兄は言葉に詰まったらしい。それに気を良くした楓は、学校に行くからといって座敷から出た。
ここまで言ったのだ、後は兄がどう考えてくれるかで決まる。そして、きっとわかってくれるはずだと信じていた。




 楓が出ていった後、雅行は大きな溜め息をついた。
あからさまに言ったわけではなかったが、さすが弟というべきか・・・・・自分が今どんな心境でいるかを敏感に感じ取って
いたらしい。
 「・・・・・仕方ないだろう」
 大切な可愛い弟が、男の、それもヤクザの男のものになるのだ。
自身がヤクザだといっても、雅行も世間が自分たちをどういう目で見ているのかはわかっている。だが、大学まで行って、
弁護士を目指すほど頭の良い弟には、どうにかまともな人生を送って欲しかったのだ。
(それが、わからないのか、楓・・・・・)
 初めての恋愛に盲目なのだということは、2人が付き合った年月を考えればもう言えない。自分はもう、当初の約束通
り2人のことを皆の前で認めてやらなければならないのだろうか。
 「・・・・・」
 雅行は再び溜め息をつく。
せっかくの誕生日をどういう顔で迎えてやればいいのか・・・・・能天気にプレゼントのことを訊ねていた父が羨ましいと思っ
てしまった。




 誕生日、前日。
楓は何時ものように大学に行った。明日の講義がないことを知っている友人たちが、前倒しにプレゼントを渡してくれる。
 「ありがとう、嬉しいよ」
 祝われて、嫌な気持ちになるはずもなく。楓が嬉しそうに笑って言うと、誕生日のことを知らない者たちはいったいどうし
たのだと一斉に訊ねてきた。
 楓自身がわざわざ誕生日の日にちを教えたわけではなかったが、何時の間にか周りはそれを知って我先にとプレゼント
を用意してくれたようだ。普段はタダより高いものはないという主義な楓はプレゼントなど貰わないが、誕生日となったら話
は別だ。
特別高いものでなかったら、誕生日プレゼントとして喜んで受け取る。
 実は数日前から、大東組の関係者からもプレゼントが送られてきていた。楓から見れば祖父のような年頃の重鎮たち
からのそれは、彼らの地位に見合った高価なものが多かったが、もちろんそれはそれでありがたく貰った。
 「明日は楓の誕生日だぜ?」
 「嘘っ?」
 「日向っ、それマジッ?」
 「うん」
 楓の誕生日を知らなかった者たちは、焦って何を用意するかと悩んでいるようだ。
(別に、レポート用紙1枚だって構わないけど)
興味のない装飾品よりは、レポートを書く用紙やボールペンを貰った方が断然嬉しいと思う楓はかなりの庶民派だ。
 「俺っ、明日持ってくる!」
 「俺も!」
 数人が誕生日当日にプレゼントを渡すと勢い込んだが、残念ながら明日は講義がないし、何より楓にとっては大切な
日なのでプレゼントを貰うためだけに大学にやってくる気は毛頭ない。
 「ごめん、明日は用があるから」
 「誕生日に用って・・・・・」
 「まさか、恋人?」
 明らかに楓の反応をうかがうような声が聞こえたが、楓はわざとにっこりと笑ったまま明言しなかった。伊崎の存在を大学
の友人たちに言うつもりはないし、そうでなくても回りくどいのは好きじゃない。
 「じゃあ」
 まだざわめいている周りにそう言い置いて、楓は門へと向かう。
出て直ぐに、津山の姿が見えた。
 「お疲れさまでした」
 何時ものように労いの言葉を言ってくれる津山に頷くと、楓はそのまま歩き始めた。平井のことが解決し、もう厳戒体制
は解かれているのでなんだか気持ちまで解放された気分だ。
 「なあ」
 だから、だろうか。楓は車に乗り込んだ途端津山に話し掛けた。
 「明日、何の日か知ってるか?」
 「楓さんの誕生日ですね」
即答されて、なんだかくすぐったい気分だ。
 「・・・・・うん、そうなんだ」
(津山には言っておいてもいいかな)
明日という日が自分と伊崎にとってどれほど大切な日になるのか、ずっと側で守ってくれている津山には誰よりも先に言っ
ておきたかった。
 「津山、明日・・・・・」
 「あなたにとって特別な日なんですね」
 「・・・・・津山?」
 楓は思わず聞き返す。
 「知ってるのか?」
 「・・・・・どんなことがあるのかはわかりませんが、あなたを見ていれば何かあるというのはわかります」
 「・・・・・」
(俺ってそんなにわかりやすいか?)
思わず頬に手をあてたが、考えたら今は伊崎以上に自分の隣にいる津山はその変化にもちゃんと気づいているのだろう。
そして、自惚れでなければ、それほど津山は自分のことを見ていてくれている・・・・・そう思うと、楓はバックミラー越しに自
分を見ている彼の目と視線を合わせた。
 「俺は、ずっと恭祐と共にいると決めている。俺が身体を許すのも、心を預けるのも、恭祐以外はいないんだ」
 「よく・・・・・わかっていますよ」
 どれほど伊崎のことを好きなのか、これまでにも津山には伝えてきた。そのうえでなお、津山が自分へ想いを寄せてくれ
ているというのも知っている。
 津山は本当にいい男で、惹かれてもおかしくないくらいだが、楓はもう子供の頃に伊崎に出会ってしまった。その運命は
絶対に変えられず、他の誰かが入る余地などないのだ。