縁と月日は末を待て
20
楓は口元を緩めた。こんなにいい男にここまで思われ、本当に自分は幸せ者だ。
「津山」
「はい」
「何があっても、お前は俺の味方だな?」
愛情で繋がっている伊崎や、同じ血で繋がっている兄とは違う、明らかな主従関係である自分たち。だからこそ、確かな
信頼がなければお互いを信じることが出来ない関係。
楓は、この先も津山に愛情を向けることはない。それでも、津山は自分のことを・・・・・。
「はい」
「・・・・・兄さんや、恭祐が俺のすることに反対しても?」
「私にとって、唯一の存在はあなただけです」
「・・・・・うん」
その返答に満足したことがわかったのか、津山はそれ以上言わずに車を発進させた。
もしかしたら、酷いことをしているのかもしれない。いや、津山の自分に対する想いを知っているのに、それを受け入れる
気などないくせに、楓は自身の武器にもなる存在を手放すことは考えられなかった。
多分、そんな楓の気持などとうにわかっているだろう津山は、それでも楓を一番に考えてくれている。
(・・・・・恭祐・・・・・)
無性に、伊崎が恋しくなった。
自分が愛するのは伊崎だけだと、自分自身に確認させたい。
(俺を、もっと・・・・・もっと、愛してくれよ・・・・・)
誰よりも強い想いを向けて欲しい。自分が伊崎に向けている想いと同じくらいの想いを自分にも向けて欲しいと考えな
がら、楓は窓の外を流れる風景に視線を向けた。
「なあ、坊ちゃんへのプレゼント、考えたか?」
「まだだ。何が欲しいのかまったく見当がつかないし」
事務所に入ろうとした伊崎は、漏れ聞こえてきた若い組員の話声に思わず足を止めてしまった。
「高いものを欲しがる人じゃないからなあ」
「それこそ、飴玉一個だって絶対に喜んでくれるって。だから、もっと嬉しそうな顔をさせたいんだよ」
日向組は今時珍しく、一つ屋根の下で組長一家と組員が暮らしている。だから、ではないが、随分と結びつきが強く、ま
るで大家族のようだった。
その中でも、美しい楓を特別な目で見る若い組員は後を絶たない。もちろん、組長である雅行や若頭の伊崎の厳し
い目が不埒な真似を絶対に許さないが、想う気持ちは自由だ。
(・・・・・プレゼントか)
そんな組員たちが、楓の誕生日を祝いたいという気持ちを、伊崎は止めることは出来なかった。楓の気持ちが自分にあ
るという確固たる自信があるのもその一因だが、何より楓が家族のように大切にしている組員を私的理由で退けることな
ど出来ない。
狭い自身の気持ちに苦笑しながら事務所に入ろうとした伊崎は、ふと気配を感じて振り向いた。
「組長」
「どうした?」
「・・・・・いえ」
ドアの前で立ったままでいた伊崎を横目で見た雅行は、漏れ聞こえてきた中の声に耳を傾けたらしい。
「あいつら」
眉を顰めたのは、事務所番の最中に呑気なことを話していると思ったからかもしれないが、このくらいの気分転換はあっ
てもいいと伊崎は思う。
四六時中気を張り詰めているなど、なかなか普通の人間には出来ない。
組員たちを庇おうと口を開き掛けた伊崎に、視線をドアに向けたまま雅行がふと零した。
「楓に、啖呵をきられた」
「・・・・・楓さんに?」
「約束は守って欲しいと念を押された。俺は・・・・・」
「組長」
自分たちの関係を公にする。楓同様、伊崎もこの日を待ちに待っていたが、一方で楓を溺愛する雅行の複雑な思いが
理解出来ないということもなかった。
(それでも、俺たちは・・・・・)
「伊崎」
「はい」
われ知らずに緊張していたのか、返した返事は少し掠れている。だが、雅行はそのことを指摘はしなかった。
「何度も言ったが、俺はあいつに普通の幸せを味あわせてやりたい。いくら、お前たちが想い合っていたとしても、男同士
だ、普通の恋愛とは違う」
「・・・・・わかっています。ですが・・・・・っ」
「・・・・・ったく、どうして・・・・・」
それ以上は、雅行の口からは出てこない。
唇を噛みしめ、強く拳を握りしめた雅行は、やがて顔を上げるとそのままドアを開け放つ。
「お前ら、サボってはいないだろうな」
「く、組長っ」
突然の雅行の登場に、若い組員たちは音を立てて椅子から立ち上がると直立をしている。それに一瞥を投げかけた雅
行は、そのまま自室へと足を向けた。
「・・・・・」
その後を追うように、伊崎も事務所内へ足を踏み入れる。しかし、組長室に入るのは躊躇われた。雅行の苦悩をこれ
以上深めることになってしまうからだ。
自分たちの恋は、誰からも祝福されるようなまっとうなものではないのかもしれない。それでも・・・・・。
(俺は、楓さんの手を放さない)
雅行や、楓の両親に恨まれても、組員たちに嫌悪されても、互いを選ぶということに後悔はしなかった。
大学から帰ると、楓はそのまま母の部屋へと向かった。
母が退院をした時、再び倒れてしまうことを恐れて時間があればその様子を見に行っていたが、体調が安定している今
もその習慣は止まらなかった。
「ただいま〜」
「お帰りなさい」
陽の当たる縁側に置かれた籐の椅子に座っていた母は、にこやかな笑みを楓に向けてくれる。
兄と自分、二十歳を過ぎた2人の子持ちとはとても思えない儚げな母は、それでも随分血色がよくなった。
父が組長の座を兄に譲り、引退したことも気持ちの負担を軽くしたのかもしれない。いや、本当は兄が組長の座に座
ることも心配でたまらないのだろうが、代々の家業のようなものだ、そこは諦めているのかもしれない。
「調子、どう?」
「大丈夫よ。やあねえ、何時までも病人扱いをして」
「だって、心配だし。・・・・・父さんは?」
「出掛けたわ。楓の誕生日プレゼントを買いに行くって」
「え〜」
子煩悩な(楓に限ってらしいが)父がしそうなことだが、きっと、2、3人の組員を引きつれて行っているに違いない。
いったいどんな買い物をするのかと心配だが、そうと決めた父を止めるのはなかなか難しいので、楓はどうかバカ高い物は
買ってこないようにと祈るしかなかった。
そして、楓は改めて母の横顔を見つめる。
(絶対・・・・・わかってる、よな)
「・・・・・ねえ、母さん」
自分の伊崎に向ける気持ちも、伊崎が自分を想う気持ちも、母はちゃんと理解してくれている。
「・・・・・私は、楓さんとお付き合いさせて頂いています」
以前、母の入院先で、伊崎はそうきっぱりと口にしてくれた。楓は嬉しくてたまらなかったし、母もそんな自分たちの関係
を容認してくれた。
しかし、それと、自分たちの関係を組員皆に発表するのはわけが違う。話は身内の恋愛話では収まらず、もしかしたら
もっと大きな問題へと発展しかねない。
(俺と付き合っている伊崎について行きたくないって奴も出るかもしれない)
まだまだ、男同士の恋愛というものを、何の偏見もなく受け入れる世の中ではないだろう。いったいどんなことになってしま
うか、兄には自分の意思は変わらないと宣言したものの、楓も不安を感じていた。
「明日の、誕生日なんだけど・・・・・」
「楓も二十歳になるのねえ」
「・・・・・うん」
高校生の頃は、二十歳になるのは遥か先だと思って焦れて、焦れて、そんな条件を出した兄を恨めしくさえ思った。
だが、実際にこの数年間は、今から考えると自分にも伊崎にも必要な時間だったと思う。この時間があったからこそ、楓は
伊崎への変わらぬ想いを自覚したし、伊崎に深く愛されている自信も持てた。
「・・・・・明日、言う」
「・・・・・」
「やっと、みんなに言えるんだ」
家族のように大切な組員たちに、隠し事をしているのはやはりつらい。
この気持ちから逃れるために2人の関係を公にしてしまうのはきっと自分勝手なことだと自覚していたが、それでも楓は一
刻も早く互いを互いのものだと皆にわかってもらいたかった。
「そう」
「反対しない?」
「あなたが頑固だっていうのは知っているもの。みんなは知らないかもしれないけど、きっとお兄ちゃんよりも楓の方が我が
強いわね」
そう言った母は、椅子の前に膝をついた楓の髪を優しく撫でてくれる。
「自分の彼への想いに自信があるのなら、楓、今になって思い悩むのは止めなさいね。何時までも不安定なままだと、
お兄ちゃんはきっとこの話をうやむやにしてしまうわよ」
「・・・・・ありうるかも」
自分たちの間に亀裂が生まれるのを待っていた兄だ。どんな些細なことであっても、気持ちのブレを見付けてしまうとあ
の条件はなかったことにと言いかねなかった。
「俺、迷ってないよ?恭祐だって、多分・・・・・」
「それなら、何の問題もないわね」
何でもないことのように言う母は、もしかしたらこの日向組の中で一番肝が太い人かもしれない。
「・・・・・うん、問題ない」
(早く、明日が来ないかな・・・・・)
少なくとも、母は味方になってくれる。そう思うとなんだか心強かった。
「・・・・・」
(眠れない)
明日のことを考えると勉強も手に付かなかった楓は、早々にベッドに入ることにした。
しかし、それで直ぐに眠りに落ちれるわけでもなく、楓はベッドの中で何度も何度も寝返りをうつ。
「ん〜」
頭まで被っていた掛け布団を撥ね退けて部屋の時計を見上げれば、時刻はそろそろ午前0時になるところだった。
後数分で、待ちに待った誕生日だ。
「・・・・・恭祐、今日は当番だったっけ」
夜に事務所番をする数人の中に伊崎の名前があったなと思っていると、枕元に置いていた携帯が鳴った。
(こんな時間に?)
いったい誰だろうと思いながらそれを手にすれば、そこには今頭の中にあった人物の名前がある。楓は慌てて置きあがると
焦って通話ボタンを押した。
「恭祐っ?」
『お休みでしたか?』
「う、ううん、起きてた」
何時もなら勉強をしている時間だ。伊崎もそれを知っていて、こんな時間に電話を掛けてきたのだろう。
「どうしたんだ?」
組に何かあったのだろうかと思いながら問い掛けると、電話の向こうで微かに笑う気配がした。いったいなんだと、楓の眉
間に皺が寄る。
『一番に、あなたに言いたくて。・・・・・楓さん、誕生日、おめでとうございます』
「恭祐・・・・・」
まさか、こんなにも嬉しいサプライズを伊崎がするとは思わなかった。
楓のことが一番だという伊崎だが、こと組のことに関しては生真面目で、仕事中に私用を挟むようなことはしない。
こんなふうに、事務所番をしている時に、それがたとえ電話であったとしても祝いの言葉を言ってくれるとは思わなかった。
『楓さん?』
「・・・・・ありがと」
嬉しい。嬉しくてたまらない。
記念すべき誕生日を誰よりも一番最初に伊崎に祝ってもらったことが嬉しかった。
『いよいよ今日ですが・・・・・大丈夫ですか?』
「カミングアウトのことを言っているなら問題ないから。ちゃんと、覚悟は決めてる。・・・・・お前は?」
『もちろん、私もですよ』
「・・・・・だったら、何の問題もないよな」
『ええ』
少し笑い合って、伊崎は少し抜け出しただけだからと直ぐに電話を切る。時間としてはほんの1、2分のことだったが、
楓の心は随分と軽くなった。これならば眠れそうだ。
「おやすみ、恭祐」
明日、出来れば一番にその顔を見たいなと思いながら、楓はベッドにもぐり込むと目を閉じた。
![]()
![]()