縁と月日は末を待て












 ようやく伊崎とキスが出来た。
もちろんそれだけでは伊崎不足が解消されるわけではなかったが、楓は唇を離して熱い眼差しで自分を見つめてくる伊
崎の瞳ににっこりと笑いかける。自分だけでなく、伊崎も欲情しているのが嬉しかった。
 「浮気しなかったか?」
 「していませんよ」
 「女がいる店には?」
 「・・・・・行きました」
 もちろんそれが伊崎が要求したのではなく、相手側が気遣って連れて行ったのだろうということは分かる。それでも、その
事実は楓には面白くないものだ。
 「側に座られましたが、もちろん私から話しかけることはありませんでしたよ?」
 当たり前だ。伊崎には自分という恋人がいる。そこらの女に負けない美貌を自覚している楓に、女に負けるというマイナ
スな思考はなかった。
楓の目が届かない所でも伊崎が嘘を言わないということも信じている。ただ・・・・・面白くないのだ。
 変な酒を盛られて、勝手に押し倒されていないだろうか、伊崎が出張するたびに考えてしまうのは、もう楓の癖のような
ものだった。
 「・・・・・お土産は?」
 これ以上口を開いても自分の我が儘だけを言いそうだったので楓は話題を変える。ただし、眉間の皺はなかなか消え
そうになかった。
 「・・・・・はい」
 「なに?」
 手に持っていたあまり大きくは無い紙袋。楓は首を傾げながら手を差し出した。
出張をすると伊崎は必ず組長である兄や組員達への手土産とは別に、楓だけの土産を買ってきてくれる。それは食べ
物だったり、小物だったりするが、楓は特別なものという意識が強くてとても嬉しく思っていた。
今回も、九州か、それとも大阪、どちらのものかなと思いながらその包みを開く。
 「・・・・・人形?」
 「博多人形です」
 「あー、聞いたことがあるけど、それって女の人形なんじゃないのか?」
 「それも有名ですが、いくら人形でも楓さんの側に美しい女がいるのはいい気持ちがしませんので」
 「・・・・・でも、招き猫ばっか、5匹もいる?」
 言葉は呆れたようなものだったが、楓の頬からは笑みが消えなかった。少々妬きもち焼きだと自覚している自分と同じ
ように、それが人形相手でも妬くといってくれた伊崎の言葉が嬉しい。
(よく見たら、可愛いじゃん)
 「後で部屋に飾る」
 「ありがとうございます」
 「馬鹿。礼は俺が言ってるの」
 紙袋を足元に下ろした楓は、再び伊崎の首に両腕を回した。
 「楓さん」
 「このまま戻るなんて言わないよな?」
もう、兄に挨拶をし、事務所に顔を出した伊崎は自由時間のはずだ。後は自分に構うのに時間を使えばいいだけだろ
うと、楓はそのまま自分がベッドに倒れこむのに伊崎も道連れにした。
 「・・・・・」
 だが、とっさに肘をついて楓に体重をかけないようにした伊崎の余裕が面白くなかった。
 「恭祐」
じっと目を見つめると、伊崎は苦笑を浮かべた。
 「まだ、風呂に入っていないので」
 「そんなのいいよ」
 「ですが、旅先で汚れていますから」
 楓にとっては伊崎の汗さえも愛しいと思えるのに、どうしてそんなことを言って焦れさすのか分からない。
しかし、伊崎は本当にこのままセックスに雪崩れ込む気はないらしく、ベッドから身を起こして寝転がったままの楓に優しく
笑い掛けた。
 「それに、夕食もまだでしょう」
 「・・・・・」
 「組長や相談役に、いったいどうしたんだと心配されかねない。いえ、組長ならば私達が何をしていたのか見当が付い
て憤慨されるんじゃないんですか?」
 そんなことはないと言い返すことは出来なかった。
確かに、自分たちの関係を知っている兄だったら、戻ってきたばかりの伊崎が顔を出さなかったり、楓が夕飯の席に出な
かったら必ず疑いを抱く。
 それはそれで間違いではないのだが、後もう少しで誕生日を迎えるという時に無駄に怒らせたくはないとも思った。
(俺と恭祐の邪魔ばっかりして・・・・・)
兄が自分のことを愛し、心配してくれているのはよく分かっている。兄がセーブしてくれなければ、自身の恋情が暴走して
しまいかねないということも。
それでも、少しばかりイラついてしまうのは仕方が無いだろう。
 「楓さん」
 「・・・・・分かった」
 少しきつい言い方になってしまったが、楓は伊崎の言葉を受け入れた。
 「でも、夜になったら来いよ」
 「ええ」
 「・・・・・今度は逃がさないから」
呟くように言うと、伊崎が身を屈めてチュッと耳元にキスをしてくる。
 「私も、一刻も早くあなたを味わいたいですよ」
 「・・・・・馬鹿っ」
逃げるくせにそんなことを言うなと、楓は精一杯伊崎を睨んだ。




 夕食時、母屋には組長一家と、今事務所にいる組員達、総勢二十人ほどがずらりと並んだ。
仕事で遅くなる者達は後で個々に事務所で食事をすることになっている。
 「仕度は出来たな」
 全ての準備が整ったのを見て、組長の雅行が手を合わせた。
 「いただきます」
 「「「いただきます!!」」」
日向組に来てから伊崎は初めて大勢で食事をするという体験をしたが、思いのほかそれはとても楽しいものだった。
日常はすれ違って会えない者と顔を合わせたり言葉を交わすのは、1人きりで黙々と物を口に運ぶよりもよほど健康的
だ。
それに・・・・・。
 「母さん、これ食べて」
 「いいわよ、ここに入れて」
 「おふくろ、楓を甘やかさないでくれ。楓、お前も椎茸くらい食えるだろ」
 目の前で繰り広げられる日向一家の姿を見ると、冷たかった自身の家庭を思い出して苦い思いがするものの、それ以
上に幸せな気分になる。
それは多分、ヤクザということで家族や世間から排他された組員達も同じだろう。
 良く似た美しい面差しの親子は、見ているだけでも至福の思いに浸れる。出来るだけ厳しくしようとしている雅行の顔
さえも、どうしても緩んでしまうようだ。
 「いいじゃん、母さんの栄養にもなるんだし」
 「それは屁理屈だ」
 「いいのよ、雅行。楓は私の体を考えてくれているんだから」
 身体の弱い楓の母、椿(つばき)は、退院してからも定期的に通院をしている。
既に組長の座を息子に譲った雅治は愛妻の側につききりで、強面の彼が椿と折り紙をしたり、庭弄りをしている姿は、そ
の昔ヤクザの組長だった男とはとても思えない。
 「あ、この明太子美味しい!」
 「ん?・・・・・ああ、美味いな」
 「みんなも遠慮せず食べろよ。でも、明日の俺の朝食分は残しておくように」
 笑いながら言う楓に、組員達も笑いながら頷く。この光景だけを見れば、とてもここがヤクザの組であるということは信じ
られなかった。




 夕食を済ませた伊崎は大浴場に向かった。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
脱衣所で服を脱いでいると、中から津山が出てきた。無言で会釈をしてきた津山に頷いて見せた伊崎は、丁度そこに
2人きりしかいないことで口を開く。
 「楓さんに変わったことはなかったか?」
 「いいえ、何もありませんでした」
 「そうか」
 頭も切れ、腕もたつ津山に任せておけば心配ないことは分かっていても、そう確認して否定されたら安心する。
楓に対し、自分と同じような思いを抱いている男・・・・・それは、常に楓の側にいられない伊崎にとっては一番憎い存在
でもあるが、彼以上に任せられる男はいなかった。
 そのまま服を脱ぎ、タオルを腰に回して浴槽に入ろうとした伊崎は、
 「若頭」
不意に呼び止められて振り向いた。
 「楓さん、嬉しそうでした」
 「・・・・・」
 「若頭が戻られるのをずっと待たれていましたよ」
 淡々と言う津山の言葉の中にはどんな思いが込められているのか分からないが、彼がこうして楓の様子を伝えてくれる
のはきっと楓のためだろう。
 「・・・・・ああ」
 「それに、誕生日がもう直ぐだと」
 「誕生日・・・・・」
その言葉に伊崎は笑った。自分が一日千秋の思いで待っているその日を、楓も同じように待ってくれているのだ。
 ようやく、堂々と楓との関係を口に出来る。それがたとえ世間的に認められないものだとしても、身内である組の人間に
は隠し事をしたくない。
それは、幼い頃から楓を可愛がってきた組員達への誠意だと思うのは・・・・・もしかしたら自惚れかも知れないが。
 「お前は・・・・・」
 「・・・・・」
 「あ、いや」
 自分でもどうして呼び止めたのか分からないまま、伊崎は浴室に入った。
(俺が津山の立場だったら・・・・・)
あんな風に冷静に、楓の幸せだけを願えるのかどうか・・・・・考えたくもないそれに、しばらく思考が奪われてしまった。

 古い母屋の廊下を歩くたびに、少し軋む音がする。
静まり返った中聞こえるそれに、誰か気付いている者はいるのだろうか。
 「・・・・・」
 目の前のドアをしばらく見つめていた伊崎は、やがて2回小さくノックをした。

 トントン

すると、まるで待っていたかのようにドアが開かれる。
 「遅い」
パジャマ姿の楓に笑った伊崎は、そのまま部屋に入ると後ろ手に鍵を閉めた。誰かに見られる恐怖のためでは無い。
楓の裸身を誰にも見せたくないという独占欲のためだ。
 「楓さん」
 「・・・・・」
 名前を呼んで腕を伸ばすと、楓が抱きついてきた。香るシャンプーの匂いを堪能しながら首筋に唇をおとす。
 「ん・・・・・っ」
直ぐに我慢できないように背中に回った手に力が込められた。
 「自分で慰めなかったんですか?」
 「だ、だって・・・・・っ」
 反応の良さをからかうと、楓はむずがるように身体を揺らす。焦らしてばかりはいられないと、伊崎はそのまま楓の身体を
抱き上げてベッドまで運んだ。
我慢できないのは楓だけではない。伊崎も、楓に飢えている。
 「・・・・・」
 「・・・・・早く、キスしろ」
 「あまり煽ると、明日立てなくなりますよ」
そんなことになれば雅行に責められるのは自分だなと思いながら、伊崎はいいからと目を閉じた楓の唇を奪いながら、パ
ジャマのボタンに手を掛けた。