縁と月日は末を待て




22







 外では高飛車にも見える楓の所作は、見る者が見ればとても綺麗で品がある。今も、祝いの言葉に礼を返し、深く頭
を下げるその姿は、まるで華のように美しかった。
 古参の組員たちは幼いころから楓を知っているので、まるで家族のようにその成長を目を細めて見ているが、まだ若い
者たちの眼差しの中には明らかな恋慕の熱が垣間見える。もちろん、先代組長や、現組長が居並ぶ先であからさまな
気配は見せないようにしているようだが、楓に向けられる思いに敏感な伊崎には一々目につき、そのたびに苦い思いを
味わっていた。
 「楓、祝いは夕方からだぞ」
 「うん、ありがとう、父さん」
 楓のことが可愛くてしかたがない先代組長、雅治は、妻に似ている笑顔を向けられ相互を崩している。
すると、その隣で雅行が大きな溜め息をつくのがわかった。
 「そんな顔をしていられるのも今のうちだぞ、親父」
 「ん?何のことだ」
 「・・・・・いや」
 意味深な言葉の後、雅行の眼差しは伊崎に向けられる。何を言おうとしているのか十分わかっていた伊崎は、軽く頭
を下げて応答した。
(不服でしょうが、約束ですから)
 待ったのだ、この時を。
楓以上に・・・・・楓が自分に対して恋愛感情を向けてくれる以前から、その存在だけを一途に愛し続けてきた伊崎にとっ
て、雅行が出した条件が整うこの日を、一日千秋の思いで待ち続けたのだ。
 もしかしたら、雅治から絶縁されるかもしれない。
組員たちからも、大きな反対が湧きあがるかもしれない。
それでも、伊崎はもう、これ以上待てなかった。
 「お前らも、浮足立つんじゃねえぞ」
 「はいっ」
 雅行が締めて、朝食が再開される。
伊崎と楓にとって、長い一日が始まった。




 今日の講義は出なくてもいいものばかりなので、楓は津山を連れて買い物へと向かった。
本当は家でのんびりと過ごしても良かったのだが、そうすると色々計画をたててくれているだろう組員たちが落ち着かな
いだろうし、主役である自分は席を外した方がいいと思ったのだ。
 「どちらに行かれますか?」
 「ん〜」
 特に当てもなく車に乗ると、津山から行き先を問われる。楓は少し考えて、まずは行きつけの本屋の名前を口にした。
買おうかと思っている本が出ている頃だと思ったのだ。
 しばらく車は走り続け、やがて長い信号で止まる。すると、津山が動き、助手席に置いてあった小さな紙袋を後ろにい
る楓に渡した。
 「これ・・・・・」
 「誕生日プレゼントです」
 「・・・・・ありがとう」
楓はくすぐったい思いをしながらそれを受け取った。
今までも、津山が守人になってから迎えた数回の誕生日にも、彼は誕生日プレゼントを贈ってくれていた。しかし、それは
形に残るものではなく、花束といういずれは枯れて手から離れるものだった。

 「俺なんかが贈ったものを、何時までも側に置いておくのは縁起が悪いですから」

 そう言って静かに笑う顔が印象に残っていた。
しかし、どうやら今回は違うようだ。楓は好奇心いっぱいに紙袋の中から小さな箱を取り出した。
 「・・・・・ネクタイピン?」
 「はい」
 「これって、楓の形なんだ?」
 「・・・・・偶然、見付けて」
 「・・・・・」
(嘘だ)
 こんな変わった形のネクタイピンを偶然に見付けるなんてすごい確率だ。多分、津山は色んな店を回り、この形を探し
てくれたのだろう。彼の思いが詰まっているそれが愛おしく、楓はギュウッと箱ごと胸に抱きしめた。
 「ありがとう、津山」
 「・・・・・いいえ。気が向かれましたら、一度くらい付けてくだされば」
 「バ〜カ」
気が向くなんて、そんな軽い物ではないのだ。津山がどんな想いを抱いているのか十二分にわかっている楓は、動き出し
た車の窓から流れる景色を見ながら言った。
 「恭祐が俺から離れて、代わりにお前が守役になった時、俺、本当に腹が立って仕方がなかった。小さい頃から俺が一
番で、ずっと側にいてくれたのにどうしてって、そんなことばかり考えた。・・・・・でも」
 「・・・・・」
 「今では、良かったって思う」
 「楓さん」
 楓が何を言おうとしているのかわからないのか、津山の声は少し戸惑っているように感じる。
 「俺は自分の立場はわかっているつもりだ。組には直接関係がないようにしてもらっているけど、何時何事かに巻き込ま
れることもあるかもと覚悟している」
今までも、自分が望まなくても危険な目に遭ってきた。その時は、伊崎が助けてくれたが。
 「無鉄砲なだけだった昔と違って、今の俺は相手に立ち向かっていくより恭祐を守る方に意識がいってしまうと思う。恭
祐が俺より強いってわかってるけど、どうしても」
 「わかりますよ」
 「・・・・・でも、お前となら違う。俺は、安心して守られる」
 言葉を変えれば、楓は伊崎の命よりも津山の命を低く考えているのだ。どんなに周りにいる皆が大事だといっても、伊
崎だけは別なのだ。
 「貧乏くじだな、お前」
もしかしたら、本人の前で言うべきことではないかもしれないが、津山はきっと、そんな自分も受け入れてくれるとわかって
いる。
(そう思うのが、傲慢なのかもな)
手の中の箱を見つめた後、楓はシートに深く座りなおして目を閉じる。
津山も邪魔をしないようにか、声を掛けてこなかった。




 今日は事務所に詰めている者は必要最小限で、後の者たちは忙しく母屋を出入りしている。
今夜の楓の誕生祝いの準備だが、多分そんなに人数が集まらなくても十分だろうというのは伊崎も雅行もわかっていた。
それでも、これは日向組にとって、年に一度のお祭りのようなもので誰も諌める者はいない。
 「鮨は予約したかっ?坊ちゃんは赤身が好きなんだ、50人前くらい頼め!」
 「松坂牛は届いたんだろうなっ?今回は抹茶塩で・・・・・」
 「おい、ケーキの担当は誰だ!」
 普段は殺伐とした(それでも、他の組よりはアットホームだが)組事務所の中では、ヤクザの世界に似合わないような単
語が飛び交っていた。
そんな会話を、伊崎は苦笑交じりに聞く・・・・・余裕があればいいのだが、今の伊崎は猛烈な忙しさの中に身を置いてい
る。それは、楓の誕生日に合わせた電話とプレゼント攻撃の対応をしなければならないからだ。
 通常、楓は下心が見えるプレゼントは受け取らない。だが、誕生日だけは別だったし、今回は特に二十歳ということも
あり、高額なプレゼントが朝から組に届いていた。
 「若頭っ」
 「なんだ」
 「また車が届きました!」
 「・・・・・」
ノックも中途半端に部屋に飛び込んできた組員を見据えた伊崎は、続く言葉に思わず沈黙をしてしまう。
 「今度の車種は何だ」
 「ビ、BMWのガ、ガ」
 「1シリーズのガブリオレか」
新車では400万を超す車だ。一千万まで行かないところに、楓の価値観を熟知している相手のいやらしさを感じた。
(楓さんのせいではないんだが・・・・・)
車だけでも、トヨタのレクサス、アルファロメオのジュリエッタに続いて3台目だ。
さすがに桁が違う金額なので素直に受け取れないし、なにより・・・・・楓は無免許だ。これは本人に確認を取るしかない
なと思いながら、伊崎は他のプレゼントの目録にも視線を走らす。
 楓のことを可愛がっている大東組の重鎮たちは金も暇も持て余している老獪な男たちだし、それ以外もなぜか楓の周
りにいるのは裕福な者が多かった。
 幼いころの印象が強いせいか、楓は日向組が貧乏だと思っているようだが、現状は同規模の他の組に比べればかな
り資金繰りは良くなった。だが、伊崎は楓の認識を変えるつもりはない。
 「組長は?」
 「今は母屋に行かれてますが」
 「そうか」
 今日は朝からあまり顔を合わせていないが、彼にも思うところがあるのかもしれない。伊崎は口の中で深い溜め息をつ
いた。
(今頃、楓さんは何を考えているんだろうか)




 書店に行って、それから2件ほどブティックに寄った。
気にいった帽子を見つけて悦に入っていた楓は、ふと鳴ったメールの着信の音に気づき、ポケットから携帯を取り出した。
 「あ、タロだ」
 それは、年下の友人からだ。

 【誕生日おめでと!プレゼントはちゃんと買ってあるからな!】

 「・・・・・馬鹿タロ」
(わざわざ連絡してこなくったって、疑うわけないだろ)
誕生日当日は恋人に譲るから、その週の週末にはみんなで誕生日祝いをしよう。
そう言いだした太朗の言葉に賛同してくれた幾人かの友人たちとは、約束通り今週の日曜日に会う約束をしていた。
プレゼントなんてその時に渡してくれたらいいし、そもそも、祝ってくれるという事実だけでも嬉しいのだが、太朗は後で
楓に文句を言われないためにちゃんと報告をしてきたのに違いない。
 喧嘩友達。そんな言葉がしっくりくる相手だが、多分一番本音で付き合えているのも太朗かもしれないと思った。
 「嬉しそうですね」
バックミラーで見ていたのか、津山がぽつりとそう言う。
 「ああ、タロからだった」
 「・・・・・」
 「わざわざメールで知らせてくるなんて、柄にもなく遠慮してるのかもな」
 今頃、楓が恋人の伊崎と一緒にいるのだろうと思っているのだろうが、気を回し過ぎなのだ。
 「組のみんなに祝ってもらうのも嬉しいけど、タロたちと騒ぐのも楽しみなんだ」
 「そうですか」
楓の家がヤクザだというのも知っていて、同じように男の恋人を持っている。学校での友人たちとは別次元で、楓には大
切で、一生付き合っていきたいと思っていた。
 「・・・・・そろそろ帰ろうか」
 ふと携帯の時刻が目に入り、思ったよりも時間が経っていたことに気づいた。家に戻ってもまだ準備の最中だろうが、少
し早めに帰ってプレゼントの整理も手伝わなければ。
 楓の言葉に頷いた津山が車を走らせ、間もなく家に到着しようとした時、
 「あれ?」
門前に見慣れない車が停まっているのに気づいた。
 「降りないように」
 楓が窓から顔を出そうとする前にそう言った津山が車を降りる。何時の間にか手に携帯を持っているのは、中の組員と
連絡を取るためだろう。
(誰も気づかないのか?)
 町中にある組事務所なので、表に堂々と組員が立つことはないが、それでも門の内側には必ず誰かが待機していて、
周りの気配には気を配っているはずだった。
もしかしたら、自分の誕生日祝いのためにみんな出払っていたのだろうか。そんなことを考えながら津山の背中と停まって
いる車を交互に見つめていた楓の目が、車内にいる人物の横顔を見てあっと目を見張る。
 「あいつ・・・・・っ」
 津山の制止の言葉は、瞬時に頭の中から消えてしまった。
 「おい」
 「楓さんっ」
既に運転席のドアの横に立っていた津山が名前を呼ぶが、楓は足を止めないまま車に近づくと津山を押しのけ、ドンッと
拳で思いきり窓を叩いた。
 「出て来い、悪徳弁護士っ」
 窓越しでも、十分声は聞こえているはずだ。その証拠に、こちらを見ている越智の頬が笑みの形になっている。
 「楓さん、車に」
 「いいんだよ。こいつが用があるのは俺だ」
言われなくても確信していた。その証拠に、越智は軽く出るという合図をしてきたので、楓と津山は身体を避ける。
すると、直ぐにドアを開けて越智が出てきた。
 「こんにちは。わざわざ君が出迎えてくれるとはね」
 「まったく、そんな気持ちはないけど。たまたま、偶然っ、居合わせただけだ」
曲解はするなと睨みつけたが、なぜか越智は楽しげに声を出して笑った。