縁と月日は末を待て




23







 この余裕が本当に憎らしい。
もっと文句を言いたいところだが、変に上げ足を取られるようなことも出来ないので、楓は一度大きく深呼吸をした後、わ
ざと淡々と言った。
 「いったい何の用だ?もう俺なんかに用はないと思うけど」
 「そうでもないな」
 「はあ?」
 その言葉に眉を顰める。楓も察しの悪い方ではない。ただ単にからかうために、一応弁護士と言う肩書を持つ男がここ
までくるとは思えないし、何か自分に対して言いたいことがあるのだろう。
(わざわざ聞いてやることもないけど)
 普段なら、無視した。たとえ良いことでも、反対に悪いことでも、この男の口から出てくる言葉をそのまま信用するほど
近い相手ではない。
ただ、今日は誕生日だ。それも、楓にとって大きな意味を持つ日だ。こんな日くらい、嫌いな相手にも寛大になってやって
もいいと思った。
 「楓さん」
 「待ってろ」
 近づく越智に津山は鋭い声を掛けてきたが、楓は短い言葉で制するとじっと相手の出方を待つ。
やがて、楓の目の前まで越智はやってきた。相変わらずブランドもののスーツに身を包んだ長身の男は嫌みなくらい男
前だが、その頬に浮かんでいる笑みは気にいらなくて楓は視線をきつくする。
 「で、何の用?」
 「これ」
 「・・・・・」
意外にも、越智ははぐらかすことなく助手席を開けると、その席に置いてあった紙袋を楓に差し出してきた。
いったい、どういう意味だろうか。
 「今日は誕生日だったろう?おめでとう」
 「・・・・・」
 「なぜ知っているのかって聞かないのかな?」
 「聞かなくても想像がつくよ」
 今回のことで、越智は自分のことをかなり詳しく調べたはずだ。日向組のこともそうだが、基本的な知識・・・・・誕生日
や血液型なんかの情報も簡単に手に入れただろう。
(プライベートの侵害だってーの)
 文句を言ったところで、外に出ている情報を手に入れることが駄目だとは言い切れない。それくらいなら知られてもたい
した問題ではないと思うものの、知られた相手はなかなか人が悪かった。
 楓はチロリと越智の顔を見て、続いてその手が持っている紙袋に視線をやる。気持ち的には受け取るなんて絶対にご
めんだが、ここで言い合いをする方がダメージが大きそうだ。
 「もらっておく」
 「受け取ってくれるのかい」
 意外だと言う思いそのままの男の表情に、楓は口の中で舌を打った。
 「受け取らなくてもいいわけ?」
 「いや、嬉しいが、あまり期待もしていなかったんでね」
 「あ、そ。じゃ、用が終わったら帰ってくれない?」
 「わかった」
越智は背後にいる津山を見、それからもう一度楓の顔を見てから運転席に戻る。本当に、ただこれを楓にくれるためだけ
に来たようだ。
 運転席に乗った越智は助手席の窓を開けて軽く手を上げてくる。それを見て、楓はあっと声を掛けた。
 「ありがとう、これ」
 「・・・・・どういたしまして」
嫌な相手からでも、一応プレゼントをくれた礼を言う。楓にとっては当たり前の行動だったが、越智はなぜか嬉しそうに目
を細め、クラクションを鳴らして走り去った。
 「・・・・・何なんだ、あれ」
 いったい、何がしたかったのだろう。
越智の気持ちを考えたが想像出来るわけもなく、楓は手にした紙袋を覗く。そこには綺麗に包装された包みがあった。
 「楓さん」
 津山も側にやってきた。楓はその前で包装を解く。
 「・・・・・万年筆?」
幾らかなんて、まったくわからない。それでも、随分高価なものだとはわかる。
弁護士になった時使えということなのだろうか・・・・・そう思いながら、ふと万年筆の下に小さな紙切れがあるのが見え、
それを見た楓はムッと口を歪めた。
(これ、ケー番か)
 直ぐにわかった数字の羅列。それが誰のものなんて考えなくても良いだろう。
まるでチープなナンパをされた気分でその紙きれを捨てようとした楓だが、ふと考えてそれを紙袋の中に入れた。今、あ
の男に何の用もないが、将来役に立つことがあるかもしれない。
 「帰るか」
 一連の楓の動きを見守っていた津山は、その言葉に軽く頷く。きっと、今の出来事は兄か伊崎に話が行くだろうが、楓
としては何の後ろめたいことはなかった。




 「坊ちゃんのお帰りですっ」
 事務所の中に掛け込んできた組員の言葉に顔を上げた伊崎はそのまま立ちあがった。
 「母屋か?」
 「はい」
 「行ってくる」
これまで受けたプレゼントの目録を伝えに行かなければならない。しかし、もちろんそれは建前で、伊崎は楓の顔が見
たかった。誕生祝いまで後数時間、もう一度2人の気持ちをしっかりと確かめ合いたいと思ったからだ。
 母屋に向かっていた伊崎は、その途中で津山に会う。基本的に、母屋に楓がいる場合は組事務所にいることが多い
津山は、伊崎の姿を見て深く頭を下げてきた。
 「お疲れ様です」
 「ご苦労だった」
 何時ものように短い会話の後、そのまま母屋に向かおうとした伊崎の背に、今日は珍しく津山が声を掛けてきた。
 「若頭」
 「どうした?」
こんなことは珍しい。もしかしたら楓に何かあったのかと、伊崎の表情が引き締まる。
 「先ほど、門の前であの弁護士に会いました」
 「・・・・・弁護士?」
 その瞬間、伊崎の頭にある男の姿が浮かんだ。
簡単には引かないと、ヤクザに向かって堂々と喧嘩を吹っ掛けてきた相手。伊崎の表情で津山も読み取ったのか、さら
に声を落として続けた。
 「楓さんの誕生日プレゼントを持ってきたようです。渡したら直ぐに帰ったんですが・・・・・」
 「楓さんは」
 「受け取られました」
 「・・・・・」
(あれだけ嫌っていた男から?)
 伊崎はわかったと低い声で言ってから、そのまま母屋に向かう。
どうして、楓はあの男からの、越智からのプレゼントを受け取ったのだろうか。普段は理由がない、嫌いな相手からのプ
レゼントは受け取らない楓。何か心境の変化があったのかと、妙に胸の中がざわついた。

 母屋に入って直ぐ、伊崎は組員に楓の居所を聞く。自室に戻ったらしい楓を追いかけてドアをノックすると、中から返答
があった。
 「失礼します」
 ドアを開けると、ちょうど部屋着に着替え終えた楓がこちらを向く。伊崎の姿を見て柔らかい笑みが頬に浮かぶのを見
て、伊崎は少しだけホッとした気分になった。
 「お帰りなさい、楓さん」
 「ただいま。どうしたんだ?」
仕事の最中に伊崎が楓の部屋を訪ねることは滅多にない。嬉しいが、何か問題があったのだろうかと心配になったのだ
ろう。
伊崎は後ろ手にドアを閉め、その場から動かずに訊ねた。
 「越智が来たそうですが」
 「・・・・・津山に聞いたのか」
 楓の頬から笑みが消え、眉間に皺が寄る。
 「何を頂いたんですか?」
 「万年筆」
 「万年筆、ですか」
それは、なかなか判断が難しいものだ。良いものでは何十万もするものがあるし、リーズナブルなものも、もちろんある。
そのものによって相手の本気度というものを量りたいが、それを楓が見せてくれるかどうかはわからない。
 「楓さん」
 「心配しなくても大丈夫だから。あの男に関してはちゃんと距離を取るし、心配することはないって」
 「それは、私に黙っていろと」
 「・・・・・信用して欲しいだけだ」
 伊崎の目を真っ直ぐに見て言う楓に、何かを誤魔化すという意図は読み取れない。
ここで、無理にでも自分に任せろと言うと、楓のことを信用していないということになってしまうだろう。もちろん、そんなつ
もりはなく、伊崎は頷いた。
 「わかりました」
 今日で、二十歳になった楓を、ちゃんと自立した大人として扱うと決めたばかりだ。何かあったらもちろん自分が前に出
るが、楓が求めるまでは悔しいが見守っているしかない。




 「これが、プレゼントのリストです」
 伊崎は紙を取り出し、楓にプレゼントの説明をしてくれる。思った以上の人数から、思ったより高価なプレゼントの数々
を貰い、楓はこの後のことを考えて頭が痛くなるばかりだ。
 いや、頭が痛いのはそれだけではない。伊崎に越智と会い、その上黙ってプレゼントを受け取ったことも知られてしまっ
た。楓自身、他意はないので知られても構わないと思っていたはずだが、いざ伊崎の複雑な表情を見ると自分の行動が
正しかったのかどうか悩んだ。
(受け取らない方が良かったのかな・・・・・)
 でも、今受け取らなくても、あの男なら他の方法を考えそうだ。それならば、大勢の中の1人という認識のうちにしてい
た方がいいと思った。
(俺にとっては、意味がないんだし)
 「そして、こちらが保留にしてあるリストです」
 「・・・・・車?」
 「さすがに、直ぐには受け取れませんでした」
 「当たり前だ。いったい、何を考えてるんだか」
 可愛がってくれるのは嬉しいが、少し常識というものを考えて欲しい。
 「こちらの対応は、組長にご相談されてからの方がいいと思いますよ。個人的なことなので、組に何かあるということは
ないでしょうが、今後のことも考えた方がいいので」
 「わかった」
それは、楓も同意見だ。いらないと言うのは簡単だが、それにも言い方があるはずだ。その辺りは直情的な自分の判断
より、組長としての兄の意見も聞きたい。
 「それでは」
 「えっ?」
 不意に、伊崎はそう言って楓から離れた。
 「もう、戻るのか?」
せっかく来てくれたのに、もう戻ってしまうのかと、無意識に伸ばした手が伊崎の服の裾を掴む。
その楓の手に自身のそれを重ね、伊崎は身を屈めて穏やかに言った。
 「まだすることがありますので」
 「・・・・・」
(怒って、ない?)
 さっきの、越智のことが残っていないかと急に心配になり、このまま伊崎を部屋から出したくなくなった。もう少しだけ、
ここに、側にいて欲しい。
 しかし、それを素直に口には出来なかった。言ってしまったら、越智に対応した自分の行動すべてを後悔しなければな
らなくなってしまう。
 言葉の代わりに、楓はそのまま伊崎の首を抱き寄せた。唇を重ねようとした、その時、
 「んんっ」
いきなり後頭部を抱き寄せられたかと思うと、伊崎の方から深いキスをされる。直ぐに押し入ってきた舌に、必死に自分
からも自らのそれを絡め、部屋の中には艶めかしい水音が響いた。
 「・・・・・ぁ」
 しばらく、濃厚なキスが続き、唇が離された時は楓の腰は抜けそうになって、伊崎がしっかりと抱きとめてくれていた。
 「大丈夫ですか?」
 「ば、かっ」
何を言ったらいいのかわからなくて、とにかくそう言うと、伊崎が嬉しそうに笑う。馬鹿と言ったのに笑われたなんて、いっ
たい伊崎はどうしたのか。
 「甘えてくださって、ありがとうございます」
 「・・・・・え?」
 「彼のことは、楓さんを信じていますから」
 「・・・・・」
 「ただ、何かあったら絶対に私に相談してください。1人で暴走しないということだけ、約束してくれたら、私は何も言う
つもりはありません」
 ズルイ言い方だ。だが、楓の気持ちを一番わかってくれる言葉でもあった。
頷く代わりに、楓は伊崎の首に噛みつき、軽く歯をたてる。少しくらい慌てる伊崎を見ても罰は当たらないだろう。