縁と月日は末を待て




24







 「すご・・・・・」
 「坊ちゃんの記念すべき日ですからね」
 古参の組員が目じりに皺を作りながら笑い掛けてくれる。その言葉にくすぐったい思いを抱きながら、楓は目の前の光
景を見つめた。
 襖を外し、日向組一同が集えるほどの場所には、所狭しと料理が並んでいる。
誕生日らしいというよりは、楓の好きな和食をメインとした料理で、顔馴染みの魚屋からは立派な舟盛りも届いた。 
ヤクザの組ではあるが、日向組は地元で昔から立ちあげている老舗の組で、他とは違いきちんと共存している。
 特に、楓の美貌は幼い頃から有名で、周りの商店街の店主たちも楓に対しては自身の子供や孫のような温かな思い
を抱いてくれているようだ。
 「今度、ちゃんとお礼を言わなくちゃな」
 可愛がってくれる人々の顔を思い浮かべながら呟くと、そこに父と母、そして兄もやってきた。
 「揃ってるな」
居並ぶ顔ぶれを見て言った兄が、差し出されたビールの入ったグラスを持ちあげる。それに倣い、組員たちもそれぞれが
乾杯の用意をした。
 「今日は日向組の次男、組長である俺の弟の楓がめでたく二十歳になった。少々危なかしいが、これでこいつも大人
の仲間入りだ」
 朗々と祝いの言葉を言う兄を、楓はじっと見つめる。
ギリギリまで完全に許してくれてはいなかったが、今からどんなことを言うのか・・・・・伊崎を追いつめることを言われたら
即座に反撃しようと、無意識のうちに居住まいを直していた。
 「楓を祝って、ここは無礼講にと言いたいところだが、お前たちが酔う前に大事な話がある」
 そう言った兄は、隣に座る楓に視線を向けてくる。
 「・・・・・そうだな?楓」
最後に、確認するように言う兄は、もしかしたら違うと否定して欲しいのかもしれない。しかし、楓は兄の視線から目を逸
らさないまましっかりと頷いた。
 「うん」
 「・・・・・」
 楓は立ちあがった。
朝とは違い、住み込みと、通い、それと準構成員も含めた日向組、40人の視線が一斉に自分に向けられる様はかな
りの威圧感があったが、ここにいるのは自分の家族のような組員たちばかりだ。
 自分の愛する者を告げるのに恐怖なんて感じないと、意図的ににっこりと笑んで見せる。その瞬間、空気がざわっと揺
れるのがわかる。楓は一度大きく深呼吸をしてから口を開いた。
 「今日はありがとう。こんなふうにみんなに祝ってもらうのが一番嬉しい。みんなは俺の家族だから・・・・・はは、厳つ
い顔の親父や兄貴が大勢いるけど」
 その言葉に、一同から笑い声があがる。
この笑みが、今から自分が言うことを聞いても消えなければいい。そう願いながら、楓は1人1人の顔を見ながら続けた。
 「その、大切な家族に、大事なことを伝えたいんだ。俺は・・・・・」
 「楓さん」
 楓の告白は、伊崎の言葉によって遮られる。
 「恭祐?」
 「続きは、私の方から」
 「え・・・・・」
 「言わせて下さい」
少し離れた所に座っていた伊崎は、立ちあがると楓の側にまでやってきた。
伊崎が言うよりも、自分が言った方が反発が少しでも少なくなるのではないかと思っていたが、伊崎はすべての責任を
楓1人に背負わせるつもりはなかったようだ。




 「今日はありがとう」
 楓が挨拶を始めた時、ふと向けた先で温かな視線と目が合った。
楓の母親である椿は、すべてを理解してくれた上で励ますように微笑んでくれている。楓に良く似た綺麗なその表情に、
伊崎はすっと緊張が解けるような気がした。
 一方で、組長の雅行は厳しい表情を崩さない。今、この瞬間でも怒鳴って口を挟みそうな勢いだが、約束を破るとい
うことは出来ないらしい。
(・・・・・わかっています)
逃げることなくこの席を用意してくれた雅行のその眼差しは、楓1人にすべてを押しつけるのかと非難しているようだった。
楓の信奉者揃いと言ってもいい組の連中に2人の関係を伝えるには、楓の口から説明した方が非難は少ないだろうと予
想出来た。
 しかし、伊崎自身、責任は年長者の自分が背負うものだと思っている。誰もが欲しがる楓を己だけのものにするのだ、
どんなに反発されようとも覚悟は出来ていた。
 「続きは、私の方から」
 楓の言葉を遮って前に進み出た自分を、楓は心配そうな眼差しで見つめている。その目を真っ直ぐに見て笑みを向け
ると、伊崎は組員に向き直った。
 「皆に伝えたいことがある。ここにいる日向楓さんと、俺は・・・・・付き合っている」
 「・・・・・」
 楓の手が、腕を強く握ってくる。その温かさと強さに、伊崎は力を貰った。
 「お前たちの中にも、楓さんに特別な思いを抱く者もいるだろう」
 「きょ、恭祐?」
 「それでも、彼はもう、俺のものだ」
その場にいる全員、楓の家族も含めた全員に恨まれても、罵られても、今のこの気持ちが伊崎の素直な思いだった。
思いが通じ合ってからのこの3年間、関係を隠し続けている間に感じていた醜い嫉妬。その気持ちをこれで綺麗に解消
出来るとは思わないが、それでもこれだけ大々的に宣言出来たことで少しは安心だ。
 「・・・・・」
 しばらく、誰も何も言わなかった。
こんな男に楓をと、湧きあがる反感を必死に抑えているのだろうか。
 だが、誰に何と言われようと、隣にいる楓がいればいい。そう思いながら伊崎が自身の腕を掴んでいる楓の手をしっか
りと握った時だった。
 「やっぱりなあ」
 古参の組員、渋井から声が上がった。
 「シブさん・・・・・」
楓も祖父のように慕う彼は、強面の顔に穏やかな笑みを浮かべて言った。
 「私らみんな、気づいていましたよ。坊ちゃんの伊崎に対する気持ちは、見ていてあからさまでしたしね」
 「う・・・・・ほんと?」
 「ええ。ただ、坊ちゃんも伊崎も、組長も何も言わないんで、私らも何も言わなかった。そうだろ、お前ら」
 「悔しいけど、若頭はカッコいいしな」
 「坊ちゃん、若頭の前じゃすごく可愛く笑うし」
 「伊崎も、坊ちゃんの前では顔が崩れてたしなあ」
 「え?気づいてないって思われてたのか?俺たち」
 渋井の言葉を皮切りに、組員たちは口々に自身の思いを吐露し始める。
楓の言動で薄々は気づかれていると思っていたが、どうやら感情を抑えていると思っていた自分自身もかなりあからさま
だったようだ。
何とも言いようのない気持ちで楓を見下ろすと、彼も組員たちの反応に戸惑っている。
 普段は洞察力の鋭い、頭の回る楓も、事、自分自身の恋愛に関してはまるで鈍いらしい。
(いや・・・・・俺もだ)
組を抜け、楓を連れ去ってもいいという覚悟までしていたというのに、どうやら自分も恋愛に関しては馬鹿で臆病だったの
かもしれない。




 「今さら、若頭とは兄弟みたいな関係でしたって言われる方が驚きますよ」
 組員のその言葉に、楓は頬が熱くなる。兄に言われてから、これでも人前では必要以上にベタベタしないようにしていた
つもりだが、どうやら自分の気持ちはみんなにバレバレだったらしい。
 しかし、彼らの顔には呆れや笑いが込められているものの、その中には嫌悪や怒りの色は見えなかった。皆が祝福して
くれている・・・・・そんな思いに、涙がこみ上げてきそうだ。
 「恭祐」
 「・・・・・恥ずかしいですね」
 伊崎も同じようなことを思っているのか、端正な顔に苦笑が浮かんでいる。
 「もっと早く言っても良かったな」
 「ですが、組長との約束でしたから」
 「そうだよ、そもそも兄さんが・・・・・あっ!」
兄のことで文句を言おうとした楓は、いきなり目の前を横切った手に目を見張った。
 「伊崎っ、てめぇっ、俺の可愛い楓に手をつけやがったのかっ?」
 「と、父さんっ?」
 その手の主は、父だった。
今の今まで父のことを忘れていた楓は、その剣幕に返って驚いていた。他の組員たちは伊崎とのことを温かく認めてくれて
いるのに、どうして父はこんなに怒っているのか。
 楓が驚いている間に、父は伊崎を引き倒し、その腰に体格の良い身体を乗り上げて襟首を掴んだ。
今は引退しているが、まだその眼光から力は消えていない。それどころか、殺気を含んだ眼差しで見据えている様子は、
まるで敵対している相手に向けられるもので、そのうえ、細身の伊崎に対して、父は圧倒的に大きく見えた。
 「父さんってばっ、恭祐から退けよ!」
 「黙れっ、楓!おいっ、伊崎っ、いつからだっ?いつから楓とっ!」
 「に、兄さんっ」
 楓の腕では、とても父を動かせない。楓は直ぐに兄に助けを求めた。
 「父さんを止めてくれよ!」
 「・・・・・やだね」
 「え・・・・・」
 「俺も、親父と同じ気持ちだからな」
 「・・・・・もう!」
わからずやな父と兄を止めるのは、母しかいないかもしれない。
 「母さんっ!」
 「しばらく、黙って見ててあげて。少ししたら気が済むはずよ」
必死に名前を呼んだのに、母は苦笑しながらそんなふうに言う。とても、父を止めてくれる様子はない。
 「シブさんっ」
 「まあまあ、坊ちゃん、相談役の好きにさせてやんなさい。おい、お前ら、俺たちは一足先に坊ちゃんの二十歳の祝いを
させてもらおうや」
 「「はいっ!」」
 「ちょっと〜!」
誰もまともに自分の言葉を聞いてくれなくて、楓は苛立ったように叫んだ。




 突然伸びてきた大きな手が自分の身体を引き倒した。避けれないことはなかったかもしれない。だが、伊崎は逃げよう
とは思わなかった。この、雅治の激情が、楓を思うが故だと骨身に染みてわかっているからだ。
 雅治も、そして、雅行も、どんなに楓を愛しているか、短くはない年月日向組にいた伊崎にわからないはずがない。
意識的にこの世界から遠ざけ、普通の幸せを歩むようにと願っていた父親と兄の思いを踏みにじり、ヤクザで、しかも男
である伊崎が大事な楓を奪ったのだ。
 「黙れっ、楓!おいっ、伊崎っ、いつからだっ?いつから楓とっ!」
 「・・・・・」
 「伊崎!」
 周りはすでに賑やかに騒ぎ始めて、自分たちに注目しているのは楓と雅行くらいだ。嘘を言う必要など、なかった。
 「・・・・・3年、前からです」
 「3・・・・・っ、あいつが高校の時からかっ?」
 「はい・・・・・いいえ、俺が楓さんを好きになったのは、そのずっと、前からです。気が付いたら、幼い楓さんを愛するよう
になって・・・・・楓さんから、想いを返してもらったのが、3年前です」
 「てめえっ!」
 「父さん!」
楓が必死に雅治の腕にしがみついて止めようとするが、体格の違いからとても無理で、かえって細い身体が吹き飛ばされ
そうだ。
 何時もなら、楓のことを良く見ている雅治も頭に血が上っているようで、自分を止めようとしているのが楓とはまったく気
がつかないらしい。
 「煩い!」
 大きく振った腕が楓を打とうとした瞬間、伊崎は雅治の身体を撥ね退け、その腕を掴んで反対にねじ伏せた。
 「・・・・・っつ」
 「落ち着いてください、相談役」
 「伊崎!」
 「俺をいくら殴っても構いません。ですが、楓さんにはどうか手を上げないでください」
 「・・・・・楓?」
ようやく、雅治の目に楓の姿が映ったらしい。雅治の身体から力が抜けたのを感じ、伊崎は直ぐに拘束を解いた。
それまで、こちらに構わない様子だった組員たちも、何時の間にか息を潜めて成り行きを見守っている。
 「恭祐・・・・・」
 伊崎は、不安そうな顔で自分を見ている楓の頬をそっと撫でた。ここにいる誰でもなく、自分だけを心配してくれるこの
愛しい人は、親が何と言おうとすでに伊崎のものだった。
 しかし、そのことにただ喜んでいればいいとも思っていない。この場合、自分が一番悪いのはわかっている。おとなしく、
その拳を受けようと思ったが、
 「みっともねえぞ、親父」
割って入ったのは、雅行だった。