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 涙が・・・・・出そうだった。
しかし、それは恐いという恐怖よりも、悲しみ・・・・・何だか無性に悲しかったことから感じる思いだ。
(俺を・・・・・いらないのか)
常に父と行動を共にする高畑は、瑞希にとってはそれほど近しい存在ではなかったことは確かだ。それでも、瑞希にとって高畑は
確かに敵ではなかったのだ。
 「瑞希様」
 「・・・・・やしいっ」
 「・・・・・」
 「お前の、思惑を・・・・・読みきれなかった、のが!悔しい!」
 そう、一番近い感情は、そう呼ぶものが一番近いかもしれない。
たとえ今ここで高畑の手によって命を落とすことになっても、多分恐怖で叫ぶよりは怒りに震えて命を終えるだろう。
 「私が、あなたの信頼を裏切ったのが?」
 「父さんを裏切ったことだ!」
 「・・・・・」
 「父さんは誰よりもお前を信頼していたし、心を許していた!その父さんの気持ちを裏切ったお前が・・・・・っ!」
 瑞希が正紀の名前を出すと、さすがに高畑も表情を消した。
多分、高畑も覚悟をしているのだろう。
今ここで瑞希の命を奪い、仮にそれが高畑の仕業だと誰にも分からなかったとしても、きっと彼が再び正紀の側につく事はないだ
ろう。
瑞希が知る高畑はそんな男だった。
 「・・・・・もっと早く、あなたと話をすれば良かったのかも知れませんね」
 自嘲交じりにそう言いながら、高畑はゆっくりと瑞希の側に近付いた。
 「あなたを知れば、私の気持ちも変わっていたでしょうに」
大きな手が、華奢な瑞希の首に押し当てられた。
 「残念です」
少しでも力を入れれば、あっけなく瑞希は呼吸を止めてしまうだろう。
その覚悟をした瑞希が思わずギュッと目を閉じた時、

 バタッ!

 激しく扉が蹴り開けられる音と、
 「瑞希さんっ!」
自分の名を呼ぶ声がして、瑞希は目を閉じたままグシャッと顔を歪めた。
(来て・・・・・くれた・・・・・)



 会長室まで直通で行ける役員専用エレベーターに乗り込んだ安斎は、睨むように光る階数を見つめていた。
(絶対に、ここにいるはずだ・・・・・っ!)
高畑の行動範囲はごく限られたものだ。
今はたとえ仮だとしても正紀が入院をしている状態なので都内から出ることはないだろうし、何より正紀に対して会社に行くと継げ
たのだ。
どんな時でも正紀に誠実でいようと思っているはずの高畑が、誤魔化す為に会社の名前を出すとは思えなかった。
いや。
 「・・・・・」
(俺が来ることを・・・・・?)
もしかしたら、安斎をここに導く為にわざと正紀に伝言をした可能性も考えられる。
罠か。
それとも、他に意味があるのか。
それを知る為にも、安斎は早く会長室に向かわなければならなかった。

 「瑞希さん!」
 「・・・・・っ」
 はたして・・・・・瑞希はそこにいた。
多分間違いはないだろうが、ここ以外にいた場合のことを考えるとホッとして、安斎はごく小さな溜め息をついた。
 しかし、瑞希の首にはまだ高畑の手が掛かっている。
(銃は・・・・・間に合わないか)
普通の人間ならまだしも、高畑はかなりの訓練をこなして来た人物だ。安斎がスーツの内側にひそませている拳銃を取り出して
撃つのと、高畑が瑞希の命を奪うのと、その早さは本当に切迫したものになる。
 それならばと、安斎は先ず高畑に話し掛けた。
 「こんな場所で、彼に何をするおつもりですか?」
 「・・・・・やはりあなたは優秀なガードだ」
 「・・・・・」
 「余計なことは考えず、先ずは一番最初の可能性から潰していく。簡単そうに見えて難しいことですね」
揶揄ではないようだった。
心から安斎の動きに感心したように言う高畑に殺気は感じられない。
しかし、依然片手は瑞希の首にあるままなので、安斎は警戒を解くことなくゆっくりと部屋の中に入っていった。
 「望みは、何だ」
 犯罪を犯す者には、必ずある目的。
例えそれが無差別な殺人であっても、殺したいということは立派な目的なのだ。
安斎の目からすれば高畑は今回の事件から最も遠い人物だといっても良かった。東條院家が全てだという高畑にとって、正紀の
存在が至上だという高畑にとって、幾ら瑞希が我が儘な人間だとはいっても、手に掛けるほどの憎悪を抱くとはとても思えなかった
のだが、自分が気付かない何らかの動機があったのだろうか。
 「私が望むのは、何時でも正紀様の幸せです」
 「彼を殺して、東條院氏に幸せなど来るのか?」
 「・・・・・」
 「東條院氏は、自分の血を継いだ者が殺されても涙も流さないような、人の命を軽んじる人なのか」
 「違う!」
 「子供が死んで、その殺した相手があんただとしたら、東條院氏はどう思うだろうな」
きっぱりと言い切ると、高畑は黙って瑞希を見下ろして・・・・・。
 「!」
ゆっくりと首から手が外れたのを見た瞬間、安斎は動いて瑞希の身体を自分の腕の中に抱くと、そのまま部屋の入口付近で立
ち止まった。
腕の中に、瑞希の身体が納まった。
 「瑞希さん」
 「・・・・・っ」
 何時も、あれだけふてぶてしく、自己主張も激しかった瑞希の目が、涙をいっぱいに溜めて縋るように安斎を見上げている。
こんな風に、誰かに救いを求めようとすることが瑞希にとってはどれだけプライドを折る事か、短い付き合いの安斎にも良く分かって
いた。
 「私の名前を呼んでくれましたか?」
 そんな瑞希はらしくない。
安斎はわざとからかうように言った。
 「そのくらい大人しい方が可愛らしいですね」
 「・・・・・」
瑞希は複雑そうな顔をし、ちらっと高畑に視線を向けた。
 「・・・・・柳瀬は?」
 「押さえています。今回のことの全貌は把握していなくても、片棒は担いでいたようですから」
 「・・・・・そうか」
 「どうされます?」



 「どうされます?」
 それは、高畑を指しての言葉だろう。
安斎が来てくれ、その大きな胸に抱かれた瑞希は、先程まで感じていた恐怖や怒りが、こちらが笑えるほどに小さく萎んでいくのが
分かった。
高畑に対して、自分が怒りを感じるのは筋違いだと瑞希は思ったのだ。
(高畑は・・・・・父さんのものだ)
 元々今回のことは、瑞希の東條院の人間としての自覚の無さを警告する為に始まったようなものだった。
そこで自分が変わっていたら・・・・・多分、今回のことは無かったのだろうということは確信出来る。
 「高畑」
 瑞希は、まだ多少震えている声でその名を呼んだ。
 「お前の処分は、父さんに任せる」
 「・・・・・あなたが告発しないんですか」
 「俺には、そんな資格は無いからな」
子供は家を選んで生まれるわけではない。
しかし、生まれてしまったからには、その運命を受け入れなければならないはずだった。
(俺が子供だったから・・・・・)
 「瑞希様」
 高畑が自分を見つめる視線の中には、先程まで感じていた蔑みの光も何も無い。
瑞希は一度目を閉じ、再び視線を上げて、はっきりと言った。
 「俺は・・・・・お前を嫌いじゃなかった。父さんとお前の絆を、ずっと、羨ましく思ってたよ」
 「・・・・・」
静まり返った部屋の中、3人はしばらくの間誰も動くことは出来なかった。



 安斎に抱かれてエレベーターに乗っても、瑞希は文句も言わず大人しくしていた。
これは地下の駐車場直通なので、このまま誰にも会わずに車に乗って立ち去ることが出来る。殺人未遂のような恐ろしい行為が
あったことなど、誰も知らないままで・・・・・。
 「・・・・・柳瀬」
 エレベーターを下り、安斎が乗ってきた車の助手席に乗せられて車が走り出した時、瑞希はまるで幼い子供のようにその名を口
にした。
 「柳瀬・・・・・俺のこと・・・・・嫌いだったのかな」
 「・・・・・」
 「だから、高畑に協力して、俺を・・・・・」
 「多分、違いますよ」
柳瀬を庇うつもりは無いが、それだけははっきりしていると安斎は言った。
 「柳瀬はあなたを大切に思っています。今回のことも、あなたの命を奪うつもりで高畑に協力したわけではないと思いますよ」
 「だったら・・・・・」
 「あなたが欲しかったんでしょうね」
 「・・・・・俺を?」
 「こんな犯罪紛いのことをしてしまうほど、彼にとってあなたは特別な存在だったのでしょう」
 「・・・・・」
 この言葉の意味を、瑞希は正確に捉えただろうか。
これ程に目立つ容姿をしているのだ、多分今までも同性から言い寄られたことはあっただろう。
ただ、それがあれほど信頼していた柳瀬も抱いていたと思えは・・・・・きっと、複雑で、混乱してしまうのも・・・・・。
 「安斎」
 不意に、瑞希が名を呼んできた。
 「はい」
 「お前も、俺にそんな価値があると思うか?」
 「・・・・・あるから、誰もがあなたを欲しがるんじゃないですか?」
 「そんなのっ・・・・・」
 「瑞希さん」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「家には、戻らなくていい」
 「・・・・・東條院氏の病院に行かれますか?」
 「・・・・・いや、このままどこかホテルに行こう」
 「・・・・・」
余りに意外な言葉に、安斎は思わずブレーキを踏んで瑞希の顔を見てしまった。
たった今までしていた会話の流れから、瑞希がいったいどういった意味でホテルに行こうと言ったのかが分からなかったからだ。
 「瑞希さん」
 「お前は嫌だろうが・・・・・俺を汚してくれ」
 「・・・・・あなたを抱けということですか?」
 「俺は・・・・・柳瀬を手放すことは出来ない。でも、このまま柳瀬と、何も無かったような顔をして一緒にいることなんて・・・・・出
来ないよ。それなら、あいつと、俺自身も・・・・・罰を受けなくちゃいけない」
 「罰?」
 「俺がそんなに綺麗な存在じゃないってことを、柳瀬に見せなくちゃ・・・・・。それに、俺自身も・・・・・変わらないと・・・・・」
 「俺に抱かれれば、あなたは汚れるとでも?」
 「柳瀬に、俺もただの人間だと分かってもらえる」
 「・・・・・」
(この子は何を・・・・・)
瑞希がどうしてこんな決意をしたのか、安斎には分かるはずがない。
自分が抱いたくらいで、瑞希が汚れるなどとも思えない。
それでも、その言葉を笑い飛ばすことも諌めることも出来ないほど、安斎自身瑞希に興味を持っていることを否定出来なかった。





                                 





ボディーガード×お坊ちゃま。第10話です。
柳瀬への罰と、自分が変わる為に、安斎に関係を求めてきた瑞希。思い込んだら一直線のお坊ちゃまですので(苦笑)。
でも、そろそろ終盤です。