9
(い・・・・・た・・・・・)
頭が重くて仕方が無かった。
幼い頃、高熱が出た後によくこんな痛さが襲ってきていた。
そんな時、決まって瑞希の側にいてくれたのは柳瀬だった。少し冷たい手で何度も額や頬を撫でてくれた手を、瑞希は忘れたこと
は一度も無い。
たった一度、たまたま家にいた父親が様子を見に来てくれた時、思わず柳瀬の名前を呼んでしまったらしいが、そんなものは何
時も側にいてくれなかった父が責める筋合いではないだろう。
「・・・・・ん・・・・・」
どんな時も、たった1人、絶対に味方になってくれていた柳瀬。
瑞希は無意識にその名を呼んだ。
「や・・・・・せ・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
(お・・・・・れ?)
重い瞼を、ゆっくりと開いてみた。
起きたくないと頭のどこかで思っていたが、少し硬く狭いベッドが気になって、もう一度深く眠ろうという気が起きなかった。
「・・・・・え・・・・・?」
(ここ・・・・・どこだ?)
高い、天井があった。
眩しいほどの灯りに一瞬目を閉じてしまったが、何度か瞬きをして回りの様子を伺うと、なぜかどこかのオフィスのような場所の、
上等な革張りのソファに横たわっていることが分かった。
「・・・・・なんで?」
自分は、自宅の、自分の部屋にいたはずだった。
確かにベッドに腰を下ろしていたが、それならば自宅のベッドに横たわっているのが本当だ。
まさか自分が寝入った隙に柳瀬が自分を移動させたのかとも考えたが、柳瀬がそうする意味が無い。
「・・・・・」
瑞希が訝しげに眉を潜めながら身体を起こした時、その背中から声が掛かった。
「お目覚めですか、瑞希様」
「!」
いきなり背後から掛かった声に、文字通り飛び上がらんばかりに驚いた瑞希は反射的に後ろを振り向いた。
広いデスクに肘を突いて腕組をしながらこちらに視線を向けていたのは・・・・・。
「・・・・・高畑?」
「なかなかお目覚めにならなくて、柳瀬が薬の量を間違えたのかと思いましたよ」
「・・・・・何を言ってるんだ?」
無理な体勢で横たわっていたのか、身体を動かすたびにギシギシと痛むが、瑞希は弱みを見せないように真っ直ぐに顔を上げて
高畑を見つめた。
(どうして高畑が?それより、ここはどこなんだ?)
瑞希の疑問が聞こえたかのように、高畑は事も無げに答えた。
「ここは本社の会長室ですよ」
「本社?」
本社の会長室なら2、3回は足を運んだことがあるはずの場所だった。
しかし、瑞希はその装飾類にも、間取りにも、全く見覚えが無かった。それは、瑞希がそれだけ父親の仕事に、父親自身に目が
いかなかった証拠でもあるだろう。
ただ、瑞希はそれよりもなぜ自分が知らないうちにこんな所に運ばれてきたのかを知りたかった。
「・・・・・ここに連れて来たの、お前?」
「ええ」
「柳瀬は?あいつは知っているのか?」
「さあ。私があなたをここに連れて来た事は知らないでしょうね」
「・・・・・」
(こいつ・・・・・何考えてるんだ?)
嫌な予感がする。
背筋に冷や汗が流れるような、ゾワゾワとした嫌な気持ちがどんどん大きくなってきた。
これまで父の護衛兼秘書として付いていた高畑を知ってはいるが、自分とは余りに接点が無さ過ぎて、考えれば長い会話もした
ことが無いと思う。
ただ、何時も影のように父の後ろに佇み、冷めた視線を向けられていたという印象はあった。
(柳瀬が知らないって・・・・・大丈夫、落ち着け・・・・・)
長い間瑞希に仕えていた柳瀬は身内意識からおかしいとは思わないかもしれないが、あの安斎ならばあらゆる可能性を考えてい
るはずだ。
高畑のことを怪しいと思っているかは分からないが、どんなことをしても瑞希を捜し出そうとするだろう。
護衛である柳瀬とは違い、安斎はガードというプロだ。プロのプライドに懸けても、きっとこの場に駆けつけるはずだ。
(何だ、俺・・・・・あいつのこと疎ましいって思っていたのに・・・・・)
安斎の事は嫌いだ。
ただ、あの男のプロとしての腕は嫌でも信じられた。
それでも、あの男が駆けつけてくるまでは少し時間が掛かるかもしれない。その間、自分が何をすればいいのか・・・・・瑞希は一
度大きく深呼吸すると、真っ直ぐに高畑の目を見つめ返した。
「俺に、何か言いたいことがあるのか?」
前置きも無くそう切り出した瑞希に、意外にも高畑は苦笑を漏らした。
何時も生真面目な顔をしている印象で、多分瑞希の前では笑ったことが無い高畑のその笑みに、瑞希は驚くというよりも途惑っ
てしまった。
「そんなに頭の回転はよろしいのに・・・・・なぜお父様のご事情を察することがお出来になられないのですか?」
「・・・・・どういうこと?」
「正紀様があなたや奥様のことを大変大事にされていることはご存知でしょう?その上、あの方の肩には何万もの社員と、東條
院家という大きなものが圧し掛かっておられる。本来ならば、そんな正紀様を気遣うのが本当では有りませんか?」
「・・・・・」
「あなたは自分から正紀様のお仕事を手伝うと申し出たり、東條院家の次期跡取りとしての自覚を持ったりと・・・・・様々なこ
とが出来たと思うのですが?」
「そ、そんなの、俺の勝手じゃないか!」
「そうですね。確かにそれはあなたの勝手かもしれませんが、それなら私があなたに失望するのも私の勝手ということですね?」
「高畑・・・・・」
(何を・・・・・言ってるんだ?)
瑞希はソファの上で後ずさった。いったい、高畑が何を言っているのか全然分からないからだ。
これまで高畑がそれほど強く自分に会社のことを言ってきた覚えは無かったし、滅多に家にいない正紀に反抗する様子もほとんど
見ることは無かったはずだ。
たまに口ごたえをしている所を見ても、苦笑していたという印象しかない。
「瑞希様、あなたがもう少し馬鹿か、それとも大人の言いなりになるような人形だったら良かったのに」
「・・・・・」
「だから、少々危ない目に遭ってもらったんですよ」
「・・・・・高・・・・・畑、お前・・・・・?」
(今までのこと、まさか、お前・・・・・が?)
「お前・・・・・だったのか?」
「疑われなかったことが不思議ですよ」
高畑は笑った。
高校に入学する時、父親から自分の勤めている会社社長の息子が同じ高校に入学してくるという話を聞いた。
初めは自分とはあまり関係のないことだと思っていたが、主席入学ということで新入生代表として壇上に上がった正紀を見た時、
高畑は強烈に惹かれるものを感じた。
正紀は、黒い噂もあるものの、政財界で名を馳せている名家の子息とは思えないほど穏やかで、庶民的な少年だった。
すっきりと整った顔に何時も微笑を浮かべている様は、王子と騒がれたものだ。
取り巻きといわれる者達も多かったが、正紀は誰彼と区別することなく対峙し、初めは遠巻きで見ていた一般の生徒達も何時
しか正紀の回りに集まるようになった。
そんな正紀がなぜ自分に目を止めたのか、高畑は今でもよく分かっていない。
単に親が正紀の父が経営する会社で働いているというだけではないだろが、ある日の昼休み、屋上で1人で昼食を食べていた
高畑の前に突然現れた正紀は、
「君と友達になりたいんだけど」
そう、ストレートに言ってきた。
まるで小学生のように単純で、それでいて真摯な響きのある言葉。
高畑は一瞬返事をすることも忘れて、ただ目の前の少年を見つめることしか出来なかった。
それから、大学、そして会社に就職する時も、高畑は正紀の隣にずっと立っていた。
側にいて正紀を知れば知るほど、高畑はこれ程に思慮深く、懐の大きな人間はいないと思い知り、ずっと彼の側にいたいと思う
ようになった。
ご学友というほど家柄はいいわけではなかった高畑は、正紀の隣に立つに相応しい人間になる為に、経済から法律までくまなく
学び、身体も鍛えた。
そんな高畑の努力を正紀はきちんと受け止め、自分の右腕としての地位を与えてくれた。
それは正紀が妻を娶っても、正紀の父親が死んで彼が東條院家の当主になっても変わらなかった。
・・・・・瑞希という存在さえなければ。
瑞希が正紀に反発する気持ちは分からないでもなかった。
誰もが、自分よりも優秀な相手と比べられたら腐ってしまう気持ちはあるだろう。
しかし、瑞希は見た目も頭も卑下する必要は無いほど恵まれていた。
本来ならそれを父親である正紀を、いや、東條院家を発展させる為に使えばいいものを、瑞希は子供っぽい反抗心で正紀の
言葉を真正面から聞こうともしない。
なぜ、正紀の事を労わってくれないのだろう。
世間の荒波と真正面からぶつかり、東條院家という重たい名前を守っている正紀を、どうして支えようとしてくれないのか。
表面上は何も無い風を装いながら、高畑は苛立っていた。
何も言わないで苦笑を零す正紀がもどかしかった。
ただ息子というだけで、何の努力もしないのに正紀に愛される存在の瑞希を羨ましく・・・・・憎らしく思うようになってきた。
高畑としても、生まれた時から瑞希を知っている。
正紀の血を受け継いだ瑞希を可愛いと思った時もある。
だが、成長した瑞希は、とても手に負える子供ではなくなっていた。
東條院家にとって、正紀にとって必要でないのならば、いっそこの存在を消した方がいいのではないか。
そんな思いに囚われるようになった高畑は、それでも初めは瑞希に対しての警告だけに止まっていた。
正紀の名前を出したのは、彼はこういった脅迫には慣れていたので初めから気にしないと分かっていたからだ。
しかし、瑞希の名前をみた正紀は思いのほか動揺してしまい、瑞希の為にプロのガードを雇ってしまった。
華々しい経歴のその男をかわすことは容易ではない。
それでもそれほど瑞希の身を案じている正紀に礼の一つも言わず反抗し続ける瑞希。
もう、いらないかもしれない。
こんな風に正紀の足手まといになる人間は、初めからいないと思った方がいい。
その切っ掛けを、高畑はじっと待っていた。
「あなたはあんなにも正紀様に愛されているのに・・・・・ただその愛情を貪るだけで返そうともしなかった。1人でずっと孤独な戦い
を続ける正紀様を支えようともせず、ただ自分の立場に苛立って反抗するだけで・・・・・本当にあなたは子供ですよ」
「た、高畑、お前・・・・・そんなに父さんの事・・・・・」
「正紀様は私の全てなんですよ、瑞希様。私には正紀様にとって負になるものは全て取り除く義務があるんです」
「・・・・・そ、それが、俺って事?」
「今まで十分時間を差し上げませんでしたか?」
「高畑、俺は・・・・・」
「後のことはご心配要りません。正紀様はしばらくは悲しまれるでしょうが、直ぐに私があなたのことを忘れるようにしたいと思いま
すよ」
瑞希は、初めてといってもいい恐怖を感じていた。
高畑はけしておかしくなったというわけではなく、冷静に瑞希に対している。
父親が信頼し、瑞希にとっても近くに感じることは無かったものの、幼い頃から知っている相手が今までの脅迫や、一連の自分を
狙った行為をしていたということが深く心に圧し掛かる。
「そんなに・・・・・俺が憎かったのか・・・・・」
「先に、あなたの方が私達の手を離したんです」
苦笑混じりの高畑の言葉を、瑞希は呆然と聞いていた。
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ボディーガード×お坊ちゃま。第9話です。
正紀パパ第一の高畑。彼のしようとしていたことはかなり偏ってはいますが、これが彼にしたら正義なんでしょう。
あ〜、まだ続いちゃいます(苦笑)。