5
「・・・・・ここ?」
あまりに驚いたせいか、瑞希の口調は自然に子供っぽくなってしまった。
慌ててポカンと開いてしまった口を閉ざすが、その顔はしっかりと安斎に見られてしまったようだ。
「資料によれば、開成会の本部はここで間違いがありません」
(・・・・・その言い方がムカつくんだっ)
事務的ならばまだ我慢も出来るが、その口調にどこかからかうような響きが含まれているのが、瑞希にはどうしても面白くは無かっ
た。
こんなところも瑞希が安斎を嫌う一因なのだが、安斎は少しも気にしていないらしい。
「・・・・・」
瑞希は無理矢理安斎から目を逸らすと、目の前のビルを改めて見上げた。
(ここにユウがいるのか・・・・・)
そこは、とても暴力団事務所には思えなかった。
高層ビルではないが、スタイリッシュで機能的な外観は、どこかのIT企業でも入っていそうだ。
この中に、あの優しかった人がいる。
あの綺麗な笑みが早く見たいのと同時に、父が抱いているバカらしい懸念も早く払拭したくて、瑞希は堂々と顔を上げたままビル
の正面から入っていった。
(・・・・・全く、無謀なお子様だな)
その後ろにピッタリと付いたまま、安斎は先を行く瑞希を見つめた。
予めの資料として、今回のガードで用心すべき相手のリストは雇用主の正紀から預かっていた。
その中にあった、暴力団の名前。開成会という名前は知らなかったが、大東組という名前は日本でも有名なジャパニーズマフィア
だということは知識の中にあった。
日本でも1、2を争う経済界のトップである今回の雇用主が、そんなジャパニーズマフィアの人間と関係がある・・・・・それはあり
がちな上流社会の黒い部分だと思っていた。
まさかそれが、複雑な血の繋がりとは考えてもいなかったが。
「・・・・・」
(2人、か)
見掛けは普通の会社のようだったが、中に入ると直ぐ、入口付近には2人の男が立っていた。
警備員の制服ではなく普通のスーツだが、その目付きはかなり鋭い。
男達は瑞希・・・・・というよりも安斎の姿を見て、胸元で小さく何かを呟いていた。
(マイクでどこかに知らせているのか・・・・・監視カメラは・・・・・あそこか)
どうやら胸元のマイクから、自分達の来訪に付いて報告をしているらしい。監視カメラだけでは、纏っている空気や眼差しの温度
などは分からないのだろう。
どうやらここは警備もしっかりしているらしいと、安斎はあからさまに警告の意味を持つだろう威圧感を見せ付ける男達から視線を
逸らした。
一瞬のうちにそんなやり取りがあったとは全く気付いていないらしい瑞希は、そのまま受付に真っ直ぐ向かう。
そこには、一流企業にいてもおかしくないほどの美女が2人座っていた。
「東條院だけど、綾辻を呼んでくれ」
「え?」
前置きも無く、受付に座っている女に不遜に言い放つ瑞希。
育ちのせいか、そんな態度は嫌味には映らないものの、それでもこの場所で堂々とその名を言うのはどうかとも思う。
幹部らしいその男は、それなりの地位も権力もあるはずだ。そんな相手に、こんな学生が会いに来るというのはとてもアンバランス
に見えるだろう。
安斎の予想した通り、受付の女はにっこりと笑ったが、きっぱりと申し訳ありませんと言った。
「綾辻は出張でおりません」
「・・・・・出張?」
「・・・・・」
それが、不審な相手に対するマニュアル通りの応対だということは安斎には直ぐ分かったが、世間慣れしていない瑞希はその言
葉を言葉通りに受け取ったようだった。
一瞬、残念そうに眉を顰めたのでこのまま帰るのかとも思ったが、瑞希は安斎が思ったよりも俺様な子供だった。
「じゃあ、ここの社長・・・・・あ、組長か、会わせてくれない?」
「・・・・・」
受付の女の顔から笑みが消える。
暴力団の事務所にいるのだ、それなりに修羅場は潜っているのだろう。
そんな人間の前で、この組の代表を呼びつけたのだ。
(何も知らないっていうのは最強だな)
明らかにあまり良くない状況なのだが、安斎はなぜかこの状況を興味深げに見つめていた。
「社長・・・・・ですか?」
「ああ、綾辻の上司ってのはそいつになるんだよな?組長でも社長でも構わない、とにかく代表を呼んで欲しい」
出来れば、綾辻に会いたかった。
瑞希がまだ幼稚園に入るかどうかぐらいの時に会ったきりだが、何時も瑞希の視線に合わせるように屈んで話してくれ、その口調
も優しく聞き取りやすかった・・・・・と、覚えている。
それから十数年経っているが、あの優しいお兄さんは絶対に変わっていないと信じていた。
だからこそ、綾辻と向かい合い、今回のことを直接訊ねれば、きっとちゃんと答えてくれるはずと思っていたが、不在ならばそれも
仕方が無い。
それならば、綾辻の上司・・・・・つまり、この開成会の組長に会おうと思った。
会って何を言うのかはまだ分からないが、綾辻の人となりは分かるかもしれない。
瑞希は、確かに世間知らずだった。
今まで誘拐や逆恨みから守る為にずっと護衛を付けられ、その護衛の筆頭である柳瀬は、世の中の闇の部分を瑞希には絶対
に見せないようにしてきた。
言葉や態度は生意気で多少乱暴ながらも、瑞希の本質はとても綺麗なままなのだ。
本人はけして認めないだろうが。
「・・・・・」
「なに?その社長もいないわけ?」
「・・・・・少々お待ちください」
1人の女が無表情のまま立ち上がり、少し離れた場所のドアの向こうに消えて行った。
「なんだ、いるんじゃないか」
残った1人は黙って座ったままでいる。
瑞希はふと気付いたように安斎を振り返った。
「ここからは東條院の個人的な話になる。席を外しててくれ」
「いいえ」
「・・・・・聞こえなかったのか?」
「私はどんな時でもあなたの側に控えている存在ですから。石とでも思ってください」
「そんなでかい石があるかっ」
「それでは、空気とでも」
何を言っても、更にその上から言い返す安斎に、瑞希は怒りの為に頬を紅潮させた。
こんな場所で瑞希を1人に出来るはずがなかった。
海外のマフィアやテロ集団から比べれば、日本のヤクザはまだ可愛いものかもしれないが、それでも厄介なものであることには変わ
りはない。
「・・・・・」
安斎はチラッとロビーの右側にあるエレベーターに視線を向けた。
階の表示が下りてきている。
(誰だ?)
まさか、たかが子供の言葉で組長が降りてくるとは思えなかったが、誰か上の人間の登場かもしれない。
瑞希はまだしも、どうやら自分の存在は無視出来るものではなかったようだ。
「・・・・・」
やがて、僅かな音をさせてエレベーターのドアが開く。
さすがにその時には瑞希も気が付いて、視線がそちらに向けられた。
「だあれ〜?私に用がある可愛い子ちゃんって」
「・・・・・」
安斎はほんの僅か、眉を顰めた。
(これが・・・・・綾辻勇蔵?)
資料に添付されていた写真で、今の綾辻の容姿は分かっていた。
まるでモデルのように華やかな容貌でいながら、その眼差しは驚くほどに男っぽかった。
年齢は今年36になるはずだがかなり若く見え、とてもヤクザな商売に身を落としているようには思えなかった。
「あら、可愛い子ちゃんとハンサムじゃない。なに?私に何の用?」
外見とのあまりのギャップ。
甘く低い声で女言葉を使う男を、瑞希も子供のように目を丸くして見つめている。
「ユ、ユウ?」
「私のこと知ってるの?」
「お、俺、瑞希、東條院瑞希だよっ」
「・・・・・ミー君?おっきくなったわねえ」
とても驚いた様子には見えないまま、そう言った綾辻は瑞希を抱きしめた。
ある程度育っている瑞希よりも遥かに長身で、意外にも鍛えていると分かる腕が瑞希の背中に回っている。
「・・・・・よく来たわね」
「ユウッ」
抱きしめ返す瑞希を笑いながら抱きとめている男・・・・・綾辻の視線は、瑞希ではなく安斎に向けられている。
観察するような、威嚇するようなその眼差しを、安斎は黙ったまま受け止めていた。
「ごめんなさい、こういう商売だからアポの無い面会は全部断わってるのよ。まさかあんなチビだったミー君が、1人でここまで来れ
るなんて思わなかったわ」
広い応接間に通された瑞希は、ううんと首を振って謝った。
「いきなり来てごめん。でも、どうしてもユウに直接聞きたくて」
「・・・・・こっちの彼がいてもいいの?」
綾辻は瑞希の後ろに立っている安斎を見ながら言う。
瑞希にしても安斎が側にいない方が込み入ったことも話せると思っているが、部屋から出て行けと言って素直にそうする人間では
ないことも分かっている。
それでも、自分は面白くないのだという意思を見せ付けるように、瑞希はわざと安斎を見ないまま言った。
「あれは石だと思ってて」
「・・・・・まあ、仕方ないわね、東條院のお坊ちゃまですもの」
「それ、嬉しくない」
「そっか、ごめんね」
優しく笑う綾辻は、昔の面影よりもさらに大人でカッコよくなっていた。
ヤクザになっているという父の言葉に多少は不安になっていた瑞希だったが、綾辻の本質が変わっていないと分かると安心して、
再会した喜びがジワジワと沸き上がってくる。
しかし、再会の喜びを噛み締める前に、はっきりしておかねばならないと思った。
「ユウ、1つだけ聞きたいんだ」
「ん?何?」
「ユウは、俺とオヤジの命なんて狙わないよな?」
瑞希の言葉に、綾辻は苦笑する。
「狙ってどうするの?」
「あ、あの、ユウはじいちゃんの兄弟だし・・・・・」
(ユ、ユウ、怒ってる?)
「遺産分け?今更?」
「ユウ、嫌な事聞いてごめん。でもっ」
疑われたことに気分を害しているのだろうと思った瑞希は、慌てて脅迫状のことを説明しようとした。
しかし、瑞希が口を開く前に、綾辻は長い足を組み変えながら先に言った。
「一言だけ言っておくわ。ミー君、私にとって東條院家は全くの他人と一緒なの」
「・・・・・え?」
「母は認知と引き換えに、養育費も手切れ金も貰わずに身を引いたらしいけど、私からすれば、認知みたいに紙切れなんか貰
うより、お金を貰って一切関係無いっていう方がどんなに気楽か知れないわ」
「ユ・・・・・」
「少しだけ、あなたの家にも世話になったけど・・・・・周りから溢れるほどの愛情を貰って育っているあなたを見るのはとても不快
だった。ミー君、私はあなたが嫌いだったのよ」
優しく笑いながら、楽しそうな口調で、綾辻はばっさりと瑞希を切り捨てる。
だが、その笑顔があまりにも魅力的で、瑞希は自分が何を言われているのか直ぐには理解出来なかった。
「分からない?ミー君」
はっきりした反応を見せない瑞希に、綾辻はふっと笑みを消した。
整っている容貌だけに、表情が消えるととても寒々しく、冷酷に見えた。
「こんな所にまで来て、迷惑だというのが分からないのか?」
「・・・・・っ」
「俺と君は全然別の場所で生きている。二度と来るな、迷惑だ」
懐かしく、そして、とても優しい思い出の中の相手に拒絶されるということがどんなに辛く、痛いか・・・・・瑞希は目の前が真っ暗に
なったような気がした。
![]()
![]()
ボディーガード×お坊ちゃま。第5話です。
綾辻さんゲスト出演(笑)。彼の言葉にはそれなりの意味があるんですが、まだ子供の瑞希にはその真意は分からないでしょう。