「う、うん、ごめん」

 真っ青な顔をして立ち上がった瑞希は、そのままギクシャクと綾辻から視線を逸らして立ち上がった。
 「・・・・・」
(意外・・・・・だな)
安斎は隙の無い視線を綾辻に向けながら思った。
利益を考えれば、東條院家をあっさりと切る必要は無いはずだった。これだけ無条件で懐いてきているのだ、言葉だけでも甘く優
しくし、簡単に東條院家の内部に入り込んだ方がずっと得策だろう。
じわじわと長期にわたって金を出させるか、それとも口止め料として莫大な金額を要求するのか、方法は様々かもしれないが、
今回の拒絶の仕方はとても裏の世界に住む人間がすることではないと思った。
 「・・・・・俺、帰る」
 「さよなら」
 引き止める言葉も言わない綾辻に、瑞希は泣きそうに顔を歪めながら部屋から出る。
その後に続こうとした安斎の背に、低い声が掛かった。
 「お前、それでも護衛か」
 「・・・・・」
 「あの子がどんなに頼んでも、ここに連れて来るのは間違いだった」
その声の調子で、どれだけ男が怒りを覚えているのかが感じ取れた。
多分、今回のことで、言わなくてもよい絶縁の言葉を瑞希に言わなければならなかったことが面白くなかったのだろう。
ただ、安斎も何か言うべき立場ではないので、黙ったまま軽く頭を下げた。
 「・・・・・」
そのまま部屋を出ようとした安斎だったが、呼び止めるという感じではない言葉を背中で聞くことになった。
 「こっちの世界の人間は今回のことには関係ない。別の方面から探れ」
 「失礼します」
 安斎は瑞希の後を追った。
今の綾辻の言葉を聞くまでも無く、安斎は綾辻はシロだと思っていた。
彼がもしも恨みや財産狙いで動くとするならば、今というそのタイミングは余りに遅いような気がしていたからだ。
それにやり方は銃撃に爆弾と、あの男が考えたにしては少々乱暴だとも思う。
(あの男なら、もっと上手くやるだろう)
 「・・・・・」
 足早に追い掛けると、エレベーターの前で佇む瑞希の後ろ姿を見付けた。
 「瑞希様」
 「・・・・・」
ここに来るまで、あれほどに高揚していた気持ちは地の底まで沈んでしまったようだ。
よほどあの男の言葉がショックだったのか・・・・・そう思うと、安斎は少し面白くない気がした。
この生意気で傲慢な子供が、大人しい姿を見せるなんて許せないと思う。
 「逃げ出すんですか」
 「・・・・・っ」
 瑞希の肩が揺れた。
 「案外、打たれ弱い」
 「!」
振り向くと同時に、瑞希の拳が安斎の顔に向かう。
しかし、安斎はその拳を軽々と面前で受け止めた。



(こいつっ、護衛のくせに!!)
 なぜ自分に仕える立場の相手にこんなことを言われるのか、瑞希は怒りと屈辱で頬が熱くなるのを感じた。
今の綾辻との対面は、本来なら2人きりで行うことだった。いくら護衛だからといっても、第三者がいる中で綾辻が本音を話したか
というと疑問が残る。
(きっと、こいつを連れて行ったことを怒ってたんだ)
 瑞希は開いたエレベーターに乗り込む。
続いて乗り込んできた安斎がボタンを押して扉を閉めると、密室になったエレベーターの中で瑞希は安斎を睨みあげた。
 「お前、俺は護衛対象だってこと分かってるのか?」
 「ええ」
 「その割には暴言が続くよな。何?お前のボスはそういうのも許すんだ」
誰かを攻撃したくてたまらなかった
大切な思い出の相手からきっぱりと切り捨てられた心の痛みを、そのままぶつけてしまえる相手が欲しかった。
それには、気に食わないこの安斎は最適の人間のように思えた。
 「慰めて欲しいんですか?」
 「なっ?」
 「それならそうと言って下さい。私は無粋な人間ですから、言われないと人の心の機微が分からない」
 「・・・・・っ」
(顔が笑いながら言う言葉か・・・・・っ)
バカにされている気がしてたまらない。
 「お前っ」
 「どうしました」
 「・・・・・」
 「こんな場所で、何を言おうとなさってるのですか?」
 「・・・・・何でもないっ」
 エレベーターは直ぐに1階に着いてしまった。
瑞希は苛立ちを抱えたまま、来る時とはまた別のわだかまりを抱いてビルを後にした。



 綾辻との十数年ぶりの再会は、瑞希にとってはとても苦いものとなってしまった。
思い出の中では優しくて綺麗だった綾辻は、大人の男になってもかっこいいままだったが、自分に対する気持ちはどうやら彼の中
ではとっくに消えてしまった過去のものらしい。
それが残念だし、寂しいとも思ったが、綾辻が今回の件に関して無関係だということが分かっただけでもホッとした。
きっと、安斎ならば、
 「何の根拠でそう思うんですか」
と、嫌味を込めて言うだろうが、瑞希は信じている。
 ただ、それならば、犯人は誰なのだろうか・・・・・初めは全く脅迫状のことも気にしていなかった瑞希も、綾辻が関係したかもしれ
ないと言われた頃からそれがとても気になっていた。
 「・・・・・希様?」
 「・・・・・」
 「瑞希様」
 「・・・・・あ、ん、何?」
 瑞希はハッと顔を上げた。
 「お疲れですか?」
 「いや、ごめん、何でもないんだ。ちょっと、考え事してただけ」
今日は大学の講義も休みなので、瑞希はじっと家に閉じこもっていた。
街に遊びに行く気は起きなかったし、遊びに行くとしてもどうせあの男が付いてくるのだ。
(・・・・・オヤジに呼ばれて行ったけど・・・・・)
家の中にいるということと、柳瀬が側にいることで、安斎も正紀の呼び出しに素直に応じて出て行った。
 「そういえば、柳瀬と2人って久し振りだよな」
 「・・・・・ええ」
 「お前も、あいつ邪魔だろう?」
 「・・・・・正紀様がお決めになられたことですから、私は何も言うことはありません」
 「本当のこと言っていいんだぞ?」
瑞希がそう言っても、柳瀬は穏やかに微笑むだけだ。
もう、十数年も一緒に過ごしてきた柳瀬。出会った時は20代半ばだった彼も、今はもう30も後半になっている。数年前から父か
ら見合いの話もいっているようだが、

 「私は瑞希様をお守りすることに一生を捧げていますので」

そう言って、全ての話を断わってきたらしかった。
その話を聞いた時、瑞希は申し訳ないと思う反面、柳瀬だけは自分を裏切らないと確信した。
肉親である父よりも遥かに近い存在の柳瀬。本来ならば、護衛は彼1人で十分なのだが・・・・・。
 「なあ、柳瀬」
 広いリビングのソファに横になったまま、瑞希は側にいる柳瀬を見上げた。
 「柳瀬はどう思う?」
 「・・・・・犯人のことでしょうか?」
 「うん。ユウが犯人じゃないっていうのは信じてくれるよな?」
 二日前、開成会に乗り込んだ後、瑞希はかなり激しく柳瀬から叱られた。
普段は瑞希に対して甘過ぎるほどに甘い柳瀬があれほど厳しく叱ってきたのは初めてのような気がする。
ヤクザの組にノコノコ行ったことももちろんだが、同行したのが自分ではなく安斎だったということも引っ掛かった部分らしかった。
瑞希もそれに付いては素直に謝り、柳瀬も今後は必ず自分を連れて行くようにと何度も強く言った。
 「そうですね・・・・・少し、短絡過ぎかもしれませんね」
 「そうだろう?」
 「でも、大丈夫ですよ。瑞希様は私が必ずお守りしますから」
 「・・・・・うん」
そこまで大事にされると少しくすぐったい気がする。
瑞希は柳瀬の綺麗な茶色い瞳を見ながら、コクリと子供のように頷いた。



 「では、綾辻は無関係だと?」
 「反応からすれば」
 安斎は正紀を目の前にして答えた。
瑞希が開成会に乗り込んだ2日前、正紀は急な海外からの取引相手と会わなければならなくなった為に、瑞希が家に戻って着
た時は既に不在だった。
瑞希はそんな人だからと諦めたような言い方をしたが、その瞳がどこか寂しそうな色合いだったことが妙に印象に残った。
 「・・・・・そうか。多分、違うとは思ったんだが・・・・・」
 あの日、正紀からは数度安斎のもとに連絡は入った。
そのどれもが瑞希の様子を気にするもので、彼が自ら望んで仕事に出たわけではないということが分かった。
きっと・・・・・この男は不器用なのだろう。
あまりにも巨大な組織を背負っていて、幼い頃から瑞希の側にいることが出来なかったせいか、今になってどう愛情を注いでいい
のかよく分かっていないようだ。
(本当に不器用だな)
 「じゃあ、誰が犯人なのか・・・・・」
 目の前の机には新たな脅迫状がある。
ほとんど毎日送られてくるそれを、単に悪戯として片付けてもいいものか・・・・・そこは正紀も思案のしどころだろう。
 「他にも、クロになりそうな人物がいるんでしょうか」
 「・・・・・父の従兄弟・・・・・郷徳(ごうとく)専務」
 「理由は?」
 「父が亡くなった時、遺言状に名前が無かった」
 「・・・・・それくらいで?」
 「笑って許せないほど、相続する額は桁違いだからな。専務にまでなって支えてきた自分に全く何も残っていないことが不満なん
だろう」
 「・・・・・奥が深い世界だ」
思わず呟いた安斎に、正紀は苦笑した。
 「君も、色々見てきただろう?」
 「・・・・・」
安斎が今までの依頼人の話をするわけもなく、正紀も本当にそんな話が聞きたかったわけでもないらしい。
直ぐに意識を切り替えたように、自分の後ろに立つ高畑を振り返った。
 「報告は上がってきているのか?」
 「いえ、まだ正確な所は」
 「時間が掛かってるな」
 いったい何を言っているのかと安斎が黙ったまま控えていると、正紀がもう一度安斎を見た。
 「1人、身辺調査をしている人物がいる。まだ何の証拠も無いので名前も出せないが、私が怪しいと睨んでいる人物だ」
 「教えてくださらないのですか?」
 「・・・・・私も人間なんだよ」
 「・・・・・」
 「信じたくないこともあるんだ」
そう言って正紀は目を伏せた。
 「瑞希はどうしてる?」
 「色々考えているようです。少し直情的ですが・・・・・素直な方と思いますよ」
 「当たり前だ、私の息子だからな」
瑞希のことを褒められると、どんな言葉よりも嬉しいというように目を細めて笑う正紀。
こんな父親の表情を瑞希は見たことが無いのだろと思うと、安斎はその顔を見てしまったことに、少しだけ後ろめたい思いがしてい
た。





                                 





ボディーガード×お坊ちゃま。第6話です。
犯人はいったい誰でしょう?今まで出ていない人の可能性もありますが(笑)。
親の心子知らずという典型かもしれませんね、瑞希は。