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表面上は変わらない日々。
しかし瑞希は確実に神経をすり減らしていた。
(いったい何時まで続くんだろう・・・・・)
普段家にいない父がずっと側にいるのは途惑いを感じる以外にないし、ガードとして側にいる安斎はとてもうっとおしかった。
瑞希は何度も外出する時だけの護衛でいいと訴えたが、父は笑いながらも頑として頷かず、それを盾にして安斎はずっと瑞希の
側についている。
昔からずっと付いていてくれた柳瀬が嫌な思いをするのではないかとも思うのだが、主人・・・・・この場合は父だが・・・・・に逆らう
ことは出来ないようだ。
そんなある日、事態は大きく動いた。
「行ってくるよ」
今日は午後からの講義しかなかった瑞希は、嫌々ながらも父の見送りに玄関先までやってきた。
表情は憮然としたままだったが、その瑞希の行動は父も嬉しかったらしく、何時もよりも表情を柔らかくして軽く手を上げる。
「週末には香乃(かの)さんの所に行こうか?」
「・・・・・」
入院している母の名前を出すのも珍しい。
「瑞希」
「・・・・・分かった」
大好きな母の見舞いに行くのが嫌なわけは無いので、瑞希は表情を変えないまま頷いた。
「約束だよ」
そう言って、父が玄関から一歩足を踏み出した時、
ブシュッ
「!」
「瑞希様、伏せて!」
何があったのか、瑞希は全く分からなかった。
ただ、目の前でスローモーションのように倒れていく父の姿を見て大きく叫ぶ。
「オヤジ!!」
「正紀様!」
鈍い音がしたと同時に、父がその場に崩れ落ちた。
一瞬の出来事に呆然とする瑞希の身体をとっさに自分の影に隠したのは安斎で、その手には何時の間にか銃が握られていた。
いや、安斎だけではない。正紀の護衛兼秘書である高畑の手にも拳銃が握られていて、倒れた父の身体を自分の身体で隠す
ように守っていた。
「オヤジ!オヤジ!父さんっ!!」
「彼を中に」
安斎はそう言って瑞希の身体を柳瀬に引き渡す。
しかし、瑞希は倒れた父が心配で心配で、柳瀬の腕を必死に引き離そうとした。
「離せっ!離してくれよ!父さんが!!」
「瑞希様っ、危険ですからすぐ屋敷の中にっ」
「やだ!離せってば!父さん!父さん!!」
高校に入学して以来、自分に全く無関心(瑞希はそう思っていた)な父に反発するように『オヤジ』と呼ぶようになったが、パニック
になった今は昔通りの呼び方になってしまった。
「柳瀬!」
「私はっ、あなたを守らなければなりませんっ!」
「離せよ〜〜〜!!」
瑞希は泣きながら叫んだ。
自分がただ泣き叫ぶしかない間に、周りの優秀な男達は素早く動いていた。
何時の間に連絡したのか、10分も経たないうちに救急車がやってきて父を搬送して行き、何人もの警備員達が屋敷の警護を
強化するように立った。
瑞希は父と一緒に救急車に乗って病院まで行くと主張したが、安全の為にも屋敷の中にいた方がいいと言われ、同行したの
は高畑だった。
「瑞希様・・・・・」
一緒に病院に行くことが出来なかった瑞希は自分の部屋に閉じこもって、ただ・・・・・泣いていた。
父とあのまま会えなくなるのではと、怖くて仕方が無かったのだ。
(俺・・・・・ちゃんと顔を見ていなかった・・・・・っ)
多分、今頃は警察が来て調べているところだろう。
会社の役員達も緊急に駆けつけてくるかもしれない。
(俺は何も出来ない・・・・・)
この東條院家を嫌っていた瑞希は、父のことにもその仕事にもまるで興味を持っていなかった。
いや、父に対しては、言葉とは裏腹に愛情を欲していたのだが、仕事は本当に分からないので対応することなど出来ない。
東條院家現当主の子供は自分しかいないのに、その自分が何も出来ずにただここで泣いているしか出来ないのだ。
「瑞希様」
瑞希の好きなココアを持ってきてくれた柳瀬は、そのまま座り込む瑞希の側に膝をついた。
「ベッドで横になられてはいかがですか」
「・・・・・」
「瑞希様」
「・・・・・と、さん・・・・・どう、なんだ?」
生きているのか死んでいるのか、どう聞いたら良いのか分からない。
瑞希は泣いて子供のように頬を濡らしている顔を柳瀬に向けた。
「と・・・・・さん・・・・・」
「まだ、高畑から連絡はありません」
「・・・・・俺・・・・・いっちゃ、駄目、だよな」
「・・・・・ええ」
「じゃあ、誰か・・・・・あ、安斎、安斎に様子を見に行ってくれって頼んでくれ!柳瀬っ!」
話している途中も、ボロボロと涙を流し続ける瑞希。
柳瀬はそっと手を伸ばすと、指先で涙を拭った。
玄関先に立っていた安斎は、階段から降りてくる柳瀬の気配に気付いて顔を上げた。
「様子は?」
「・・・・・泣いている」
その報告をするのも悔しいというように眉を顰めた柳瀬。瑞希に対する護衛以上の独占欲に、安斎は内心感心していた。
(これ程想っていて・・・・・よく手を出さなかったな)
柳瀬ほどの男なら、瑞希のような子供を口先で騙すのは容易なことだったはずで、心も身体も簡単に手に入れることは十分出
来たはずだった。
それをしなかったことが、更に柳瀬の思いの深さを表すような気がする。
「怖がって部屋から出ようともなさらない」
「・・・・・」
屋敷の中は、瑞希が怖がっているような警官の姿は無い。日本でもトップクラスの要人の一大事だ。そう簡単に表ざたには出
来なかった。
全ては病院に行っている高畑が手配しているので、詳しいことはさすがの柳瀬も分からないらしい。
とにかく、表面上は信じられないくらい何時もの屋敷と変わりが無かった。
「瑞希様が、病院に行って正紀様の容態を見てきて欲しいそうだ。電話では詳しい様子は分からないだろう」
「私に?」
「お前にだ。瑞希様は屋敷から出られないし、その瑞希様に付いている私も動けないからな」
「・・・・・」
(そういうことか)
多分、柳瀬は屋敷に瑞希と2人でいたいのだろう。
それはセクシャルな意味ではなく、瑞希が頼る相手は自分しかいないのだと思わせる為だ。
あまり賛成すべきことではないが、、安斎も確かめたいことがあったので、柳瀬の言葉は都合が良かった。
「分かった。連絡は?」
「私の携帯の方に」
「・・・・・」
頷くと、安斎はそのまま柳瀬に背を向ける。
焼け付くような視線がしばらく後を追ってきていた。
そして・・・・・。
病院にやってきた安斎は、面会謝絶札が掛かった特別室の前に来た。
表には2人の護衛が立っていた。
「安斎だ」
「・・・・・」
ちらっと安斎の顔を見た男は、黙ってドアを二度叩く。
すると、鍵を開ける小さな音がして、中からゆっくりとドアが開いた。立っていたのは、高畑だ。
「・・・・・どうぞ」
「・・・・・」
まるでホテル並みの設備が整っている特別室を真っ直ぐ歩き、奥のベッドへと向かった。そこには生死の境を彷徨っている正紀
が目の前に・・・・・。
「ご苦労だね」
・・・・・寝てはいなかった。
何時もと変わらぬ真意を覆い隠す微笑を浮かべた正紀は、自分の顔を見るなり溜め息を付いた安斎に笑いかけた。
予想はしていたが・・・・・安斎はその眼差しに少し非難の意味を込めて口を開いた。
「お元気そうで」
「想像が付いていたんだろう?」
「消音銃の音がおかしかった。撃たれたにしては、血しぶきが飛んでいなかった。撃たれて直ぐ高畑氏があなたを抱きこんでしま
い、傷の具合も分からないまま病院に」
「それで?」
「それに、幾ら危険かもしれないとはいえ、瑞希さんが病院に同行することを拒んだ。今生の別れになるかも知れないのに、その
判断は少々おかしいでしょう」
「ふっ・・・・・まあ、君には分かると思ったから、事前の説明も省かせてもらった」
「・・・・・そうですか」
それ以上何も言えなかった。
ガードである自分はまだある程度の知識があるので予想が出来たものの、全く素人の瑞希にとっては今回の銃撃(芝居だと分
かったが)はかなりの衝撃を受けたことだろう。
性質の悪い冗談だということでは済まされない今回の事をどう説明するするつもりなのか、安斎は黙ったまま正紀の次の言葉を
待った。
「君に伝えていなかったのは悪かったが、私も焦っていたんでね」
「・・・・・」
「柳瀬に、真相を知らせるわけにはいかなかった」
「・・・・・柳瀬?」
「君も気付いているんだろう?柳瀬の行動の不可解さを」
「・・・・・」
「あれはもう10数年も瑞希に付けているが、何時の間にか瑞希に対して盲目的な愛情を抱くようになっている。それが父性愛
に満ちたものならば歓迎なんだが・・・・・」
「意味は、少し違うようですね」
正紀の懸念は安斎も感じ取っていたものだった。
柳瀬は、瑞希に近過ぎる。あの位置はどう考えても護衛という範疇以上のもので、瑞希に付くようになってからそう時間が経って
いない安斎でも、その愛情の種類を疑ってしまうほどだった。
(長い間付いているうちに育ったのか、それとも不意に目覚めたのか・・・・・)
海外で暮らす期間が長かった安斎は、ゲイというものも身近に感じている。安斎自身も、ゼックスの相手に選ぶのは女だけでは
なかった。
クライアントやその関係者とも、全く関係を持ったことが無いと清廉潔白なことは言わない。ただ、さすがに未成年者を相手にはし
てこなかったが。
(・・・・・分からなくもない。その手の男でなくても、あの子には人を惹きつけるものがある)
正紀のように頂点に立つ者の輝きではまだないものの、危うい何かを感じさせるのだ。手を出したい、征服したい何か、を。
「・・・・・全てが、柳瀬の仕業だと?」
「いや、あいつは瑞希の幸せだけを考えている。瑞希にとってよりよい条件を探っているうちに、多少道を踏み外したきらいはある
が、今回の一連の事件には直接関わりは無いだろう」
「それならば、なぜ今回のことを?」
「あいつが連絡をするのを待っている。今回の黒幕にな」
「・・・・・」
「きっと、動くはずだ」
安斎はじっと正紀を見つめ、その後に側に控えている高畑に視線を向ける。
本当に影のように、黙って正紀に寄り添っている高畑の真意は、さすがの安斎も想像が付かなかった。
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ボディーガード×お坊ちゃま。第7話です。
そろそろ、終わりの予感も感じさせます(苦笑)。個人的に柳瀬みたいな立場は好きなので、あんまり可哀想な目には遭わせたくないんですけどね。
瑞希と安斎、どういう風に絡ませようか、もう少し考えてます。