『容態は一言では申せません。ただ、今は生きていらっしゃるということは確かです』



 安斎からの電話は柳瀬が出た。
直ぐに瑞希は代わってもらったが、安斎の言葉からは詳しい父の容態は全く分からなかった。
生きている・・・・・そんな言葉だけを言われてもどうしていいのだろう。
(どうして行っちゃ駄目なんだ・・・・・?)
電話口でも病院に行っていいかと聞いたが、安斎は一言でその願いを切り捨てた。安斎曰く、

 『あなたがいらっしゃっても、現状に変化はありません』

と、それだけを言われた。確かに自分が行っても役立たずだろうということは分かっているが、家族なのだ、とにかくその顔が見たい
と思うのは不思議ではないはずだと思っていた。

 トントン

 その時、ドアがノックされた。その相手が誰だか分かっていた瑞希は、立ち上がってドアを開けようともしないままベッドの端に腰
掛けているだけだった。
 「瑞希様」
ドアを開けて中に入ってきた柳瀬は、ベッドに座っている瑞希の前に立った。
 「・・・・・お飲みになられていないんですね」
 「え?」
柳瀬の視線を追うと、そこには先程柳瀬自身が持ってきてくれたココアの入ったカップが手付かずのままあった。
 「・・・・・ごめん、せっかく入れてくれたのに」
 「入れ替えてきましょう」
 「ううん、これでいい」
これ以上柳瀬に手間は掛けさせられないと、瑞希は冷えてしまったココアをそのまま口にする。
何時もより少し甘味が強い感じがしたが、一度口にすると喉が渇いていたのかそのまま一気に飲み干した。
 「・・・・・ごめん、柳瀬」
 「瑞希様が謝罪されるようなことは何もありませんよ」
 「でも、俺、手ばかり掛けちゃって・・・・・」
(口で何を言っても、1人じゃ何も出来ない子供なんだ・・・・・)
悔しくて悲しくて、瑞希はそのまま目を閉じてしまった。



 肩に感じていた重みが更に増した。
柳瀬はそっと身体をずらすと、そのまま胸の中に倒れこんできた瑞希の身体を大切そうに抱きとめる。
 「瑞希様」
何度か耳元でその名前を呼んだが、瑞希はいっこうに目を開けようとしなかった。
普通ならば、ここで何かあったのだと慌ててもおかしくは無いのだが、柳瀬はこれを予想していたので少しも動揺することなく、瑞希
の身体をそのままベッドに横たえた。
 「瑞希様・・・・・」
 幼い頃から、この我が儘で、寂しがり屋な主人の側にずっとついていた。
母親が病気がちで、父親は仕事でほとんど家に居ないという環境の中で、瑞希は傍目からはかなり捻くれた性格に見えるだろう
が、柳瀬に対しては素直で無邪気な子供だった。
 「・・・・・」
(私だけの、瑞希様なのに・・・・・)
 不思議と、初めて会った時から柳瀬は瑞希をただの子供だとは思えなかった。煩くて、生意気だけの子供とは違い、瑞希はな
ぜか柳瀬にとって特別な存在だった。
もちろん、最初から肉欲を抱いてというわけではない。だが、守るべき可愛い子供が、育っていくうちにどんどん綺麗になっていく様
を間近で見て、その上、その相手が自分にしか懐かなかったら・・・・・。
泣くのも笑うのも、自分の前だけの変化だと知れば、それだけでも愛おしいと思うようになってもおかしくはないだろう。
 そのまま、ずっと2人でいられると思っていた。
 あまりにも近過ぎたせいか、愛しいと思う気持ちと、抱きたいと思う気持ちはなかなか結びつかなかったが、誰も割り込まないと
思った2人の関係は、安斎という異分子が入ってきたことで変わってしまった。
 安斎は、かなり出来る男だ。
簡単なプロフィールを高畑から渡されたが、その華々しい経歴には目を奪われるものがあった。
自分が1人だと思っている瑞希は強い人間に弱い。それは肉体的にというよりも精神的な意味あいの方が大きかったが、安斎は
瑞希の中に強烈な存在感を見せ付けた。
 柳瀬は、焦った。
瑞希にとって特別な位置に居るはずの自分が、安斎にとって換えられてしまうと思った。
だから・・・・・・
 「瑞希様」
 そっと、頬に触れた。
柔らかな丸みを持っていた頬はすっきりと細くなっていたが、その手触りの良い肌は子供の頃から変わらない。
綺麗で愛しい、たった1人の自分の主。
 「ゆっくりお休みください」
 聞こえていないのは分かっていたが、柳瀬は眠っている瑞希にそう呟くと、そのまま僅かに開いている厚めの唇にキスを落とした。
瑞希が起きていれば、絶対に出来ない唇を合わせるキスだ。
 「・・・・・」
そのキスとも言えないキスを直ぐに解くと、柳瀬はそのまま瑞希の部屋から出て行った。



(・・・・・来た)
 病院から割合と直ぐに戻ってきていた安斎は、そのまま屋敷には入らずに外から中を見張っていた。
安斎の任務は瑞希を守ることで、それがこんな風に外にいればその任務さえ全う出来ないのだとは分かっていたが、柳瀬が側に
いれば瑞希の安全は保障されているという絶対の安心感があった。
 「・・・・・」
 それから、そう時間は経たないうちに、屋敷の中から車が出てきた。運転していた者の顔はしっかりと見えた。
(彼を置いてどこに行くんだ?)
険しい表情のその相手を見て、安斎もフルフェイスのヘルメットを被り直すと、跨っていたバイクのアクセルを強く踏み込んだ。
屋敷に居る瑞希の身柄は、既に正紀が手配したガードがきちんと付いているはずで、今の安斎の最優先事項はこの車の後を
追うことだった。



 車が止まったのは、正紀が入院しているはずの病院だった。
 「・・・・・」
固い顔をして車から降りたのは柳瀬だ。
本来ならば瑞希の側にいなければならないはずの彼がなぜここにいるのか・・・・・それだけでも怪しい行動と言っても良かった。
(病室に行くつもりか?)
正紀が心配で様子を見に来たという割には、その表情には殺気に近いものがある。
 どういう意味か・・・・・注意深く見ていると、柳瀬がスーツのポケットから携帯を取り出した。
 「・・・・・」
離れてはいるが、顔は見える距離。
安斎はそのまま柳瀬の唇の動きを読んだ。

 【・・・・・シンデハイナインデスカ】

(当主の容態か)
どうやら電話の相手と正紀の容態に付いて話しているらしい。
しかし、そこで安斎はふと考えた。こんな風に柳瀬が正紀の容態を聞くことが出来る相手は誰がいるだろうか?
病室の前に立っている普通の護衛では無理なはずだ。
家族である瑞希も家にいる。
(それなら・・・・・)

 【エエ、ミズキサンニハクスリヲノマセテ、イマハヘヤデネムッテイマス。ワタシハドウシテモジブンノメデタシカメタクテ】

(薬?)
 トクッと、安斎の呼吸が乱れた。
薬で眠らせられたらしい瑞希。なぜか嫌な予感がする。

 【アノトキイッタコトバハマモッテクダサルンデスヨネ、タカハタサン】

 「!」
その瞬間、安斎はバイクを反転させて急発進した。
(まずいっ、予想外だった・・・・・!)



 柳瀬が連絡を取っていたのは高畑だった。それ自体に、問題があるとは言えなかった。
ただ、普段はほとんど接触が無いように見える柳瀬と高畑があんな風に連絡を取り合っていること自体が引っ掛かった。
(薬を飲ませて眠らせているとも言ってた・・・・・っ)
あんな風に冷静に、薬を飲ませたことを報告するだろうか?
そして、『死んではいないのか』などと不吉なことを言うだろうか?

 正紀は、柳瀬が一連の事件に噛んでいると言っていた。
それは瑞希に対して行き過ぎた愛情がそうさせたのだとも言っていた。
しかし、言葉を変えれば・・・・・いや、目線を変えれば、東條院家にはもう一組、異常に密接な関係を持っている者達がいること
にもっと早く気付くべきだった。
 「・・・・・そっ」
 何時も影のように正紀に寄り添っていた高畑。
瑞希がどんな態度をとっても、冷静に受け止めていた高畑。
彼にとっての主人は正紀だけで、本当に彼を大切に思っていることは安斎にも感じられた。
その高畑が正紀を狙うようなことを企むかと思えば首を傾げざるをえないが、これが正紀ではなく瑞希をターゲットとしていたらどう
だろうか?正紀を狙ったのはあくまでも見せ掛けで、本当は瑞希だけを狙ったとしたら?

  普通に考えれば、自分の大切な主人の大切な1人息子を手に掛けようとは思わないだろう。
だが、瑞希は誰の目から見ても正紀に反発し、東條院家というものを嫌っていた。
いや、安斎の目からすれば、瑞希はぎこちないまでも正紀に対して愛情を求めていたが、正紀側に立つ高畑にはそんな瑞希の
気持ちは分かりにくいものだったかもしれない。
柳瀬が瑞希を溺愛しているように、高畑も正紀を盲目的に慕っていたとしたら・・・・・正紀に反抗的で、東條院家の役に立たな
い瑞希を排除しようと思ってもおかしくは無いのかもしれない。



 東條院家にバイクを乗りつけた安斎は、そのまま瑞希の部屋に駆け込んだ。
部屋の前には正紀が手配したはずの新しい護衛の姿は無い。それも当たり前だろう、正紀が手配したといっても、その命令は全
て高畑を通して行われるはずで、その高畑が命令を握り潰してしまえばそれまでだ。
ノックもせずにドアを開けたのに罵声も飛んでくることは無く、部屋の中はしんと静まり返っていた。
 「瑞希さん!」
 返事はない。
そして・・・・・ベットにも瑞希の姿は無かった。
(薬を飲ませていると言っていたな・・・・・そのまま連れ去られたか)
 思い掛けない正紀の芝居のせいで、瑞希の側から離れることになってしまったが、それも、高畑が正紀を唆せてやったことかもし
れない。
自分を瑞希から離し、柳瀬を呼び出して、その間瑞希を攫っていく。
 「・・・・・」
 考えたのは一瞬だった。
安斎は再び屋敷の外に向かいながら、あらかじめ教えられていた高畑の携帯に電話を掛けてみた。
・・・・・出ない。
続いて、正紀の携帯にも掛けてみた。
病院だからどうかとも思ったが、何コールかの呼び出しの後、正紀は電話に出た。
 『どうした?』
 電話番号から、安斎からの電話だと直ぐに分かったのだろう。
前置きも無く聞いてきた正紀に、安斎も前置きなく聞いた。
 「高畑さんは側にいらっしゃいますか?」
 『高畑?会社に行ったが』
 「ありがとうございます」
安斎は直ぐに電話を切った。
高畑が病院にいないのならば、自ら動いた可能性が高い。正紀に会社へと向かうことを告げたのならば、それほど遠くには行って
いないのかもしれないと、安斎は瑞希がいったいどこに連れ去られたのか頭をフル回転させて考えた。





                                 





ボディーガード×お坊ちゃま。第8話です。
ようやく黒幕の正体が見えてきました。
もう、8話・・・・・次回はある程度一連の話には結論が出そうですけど、安斎と瑞希の関係はどうなんだろ(苦笑)。