海上の絶対君主




第四章 愚図な勝者 〜無法者の大逆転〜


プロローグ



                                                          
※ここでの『』の言葉は日本語です






 優しい腕が珠生の身体を抱きしめた。
 『珠生、無理だけはするんじゃないよ?』
 『うん』
 『危ない目に遭いそうになったら、アーディンさんを楯にして逃げなさい』
常の父ならば言いそうにない言葉に珠生はふふっと笑い、自分からも父に抱きつきながら言う。
 『分かった。ラディでもユージンでも足蹴にして、俺だけは絶対帰ってくるから!』
実際、そんなことは無理だとは思っている。もしも、ラディスラスが追い詰められるほどの危機に陥ってしまったら、珠生だけが逃げ
るなど絶対に不可能だろう。
それでも、愛する息子を見送る父には安心する理由が必要だったし、珠生も自分には絶対に帰る場所があるのだと自分に言
い聞かせる必要があった。
 『大丈夫だって、父さん。俺は悪運強い方だし、ラディだって俺様だけど頼りになるとこあるし。きっと、王子が起き上がれるのが
先か、俺達が戻ってくるのが先か、いい勝負になると思うって』



       


 大学1年生の水上珠生(みなかみ たまき)は、故郷の不思議な言い伝えのある洞窟にひょんなことから足を踏み入れ、その
まま不思議な世界へと呼ばれてしまった。
中世ヨーロッパの雰囲気に、剣や海賊、そして王様などがいる世界。
 海に流されていた珠生を救ったのも、海賊船エイバルの若き船長、ラディスラス・アーディンだった。
彼は言葉も分からぬ異邦人の珠生を保護してくれたが、それには良からぬ思いもあったらしい。
男同士というのに強引に求愛され、なぜか身体まで重ねてしまったが、今もって珠生は自分の気持ちをちゃんと認めようとはしな
かった。

 死んだと思っていた父瑛生(えいき)との再会に、ラシェルの元の主人であるジアーラ国の王子ミシュアとの出会い。
重い病のミシュアを助ける為にベニート共和国へやってきた珠生達は、そこでベニート共和国の第二王子ユージンと出会った。
彼の助言で高名な医師ノエルを見つけ出すことが出来、ミシュアの手術は成功して彼は生を長らえることが出来た。

 しかし、ノエルの情報と引き換えにして、ラディスラスはユージンとある密約を交わした。
血の繋がらない兄であるローランの王位継承のこと。彼は現王の実子であるユージンに王位を継がせる為に放蕩者を装っている
が、ユージンは真実優しく思慮深い兄にその考えを思い直して欲しいと思っていた。
その為にも、一度国を危機に陥れ、兄の愛国心を奮い立たせよう・・・・・そんな壮大だが馬鹿馬鹿しい考えで、世に名前を轟
かせている海賊、ラディスラスの力を欲したのだ。

 ミシュアの手術が成功した今、ラディスラスはその約束を守る為に、国を巻き込んだ兄弟喧嘩に加担することを決意し、当然の
ように珠生もラディスラスと行動を共にすることを決めた。

そして今、珠生達はその準備の為に動き出している・・・・・。



       


 まだ予断を許さないミシュアの容態だったが、王都に近い場所にいては万が一のことがあってはならないと、日を選んで船で1日
移動し、王都とは山一つ隔てた港町へと移動させた。
ここにはノエルの助手を務めた若い医師がおり、比較的気候も温暖で静養にはいい場所だった。
 ローランの友人でもあるノエルには事情を話し、彼も面白がって片棒を担ぐことを約束してくれ、ミシュアのことも任せてくれと言っ
た。見掛けは冴えない男だが、多分彼がそう言うのならば間違いはないだろう。
 ミシュアとはこれから彼がしばらく住むことになる家で別れ(事情は話していないが、かなり心配そうな顔をされてしまった)、今まさ
に港で珠生は父と別れの言葉を交わしている。
二度と会えないなどと2人共思ってはいないが、それでもお互いが心配なことには変わりなかった。
 『父さん、王子をしっかり看病してよ?今度俺が戻ってきた時には、堂々と喧嘩出来るように』
 『喧嘩?』
 『当たり前じゃん!大事な父さんをもってっちゃおうとしてる奴なんだからさ』
 『珠生・・・・・』
 『俺が許すって言うまで、ヘンな事なんかしないでよ?まあ、父さんはラディとは違うと思うけど』
 『・・・・・じゃあ、絶対珠生達に戻ってきてもらわないと困るね』
 『ちょっと複雑だけど・・・・・そーいうこと』
 多分・・・・・近い将来、珠生はミシュアを父の愛する人として紹介されるだろうとは覚悟をしていた。
ずっとミシュアに付いている父の様子を見れば、どんな風にミシュアのことを思っているのか嫌でも感じ取れてしまう。
(母さんのことを思うと複雑だけど・・・・・父さんもずっと1人だったんだし・・・・・)
何より、珠生が一番大事だと言ってくれた。2番手を誰かに譲ることくらい・・・・・それくらいしてもいいかもしれないと思った。



 「アーディン」
 イチャイチャと別れを惜しんでいる珠生親子を少し離れて見ていたラディスラスは、瑛生に名前を呼ばれてゆっくりと2人に歩み
寄った。
(相変わらず仲のいい親子だな)
 しばらく別れてしまう・・・・・それも、かなり危ないことに巻き込んでしまう自覚があるラディスラスは、今日ばかりは何時までも瑛
生から離れようとしない珠生に文句を言うことも出来なかった。
 「なんだ?」
 そんな瑛生から名前は呼ばれたのだ、穏やかな彼が自分にどんなことを言うのか、ラディスラスは頭の中で色々と考えながら前
に立つ。
 「本当は、珠生を連れて行かせたくはないんだけど」
 「・・・・・ああ、そうだろうな」
 「でも、本人が行くつもりになっているし、君も、珠生を放すつもりはないんだろう?」
 「ああ」
どんなに危険な場所だとしても、自分の側から放しているよりはずっとましな気がしていた。離れていたら、珠生に何があっても助
けに行くことも出来ない。
(そんなのは真っ平だからな)
 「歯、食いしばって」
 「え?」
 不意に何を言うのかと思った瞬間、かなりの衝撃が腹に入った。
鍛えている自分はまだ情けなく倒れることはなかったが、それでも瑛生の見掛けを裏切るような重い拳に、ラディスラスは思わず声
を詰まらせる。
珠生も側で驚いたように目を見張っていた。
 「エーキ、何を・・・・・」
 「大事な息子を取られるんだ、少しぐらい厳しい父親の顔もさせてもらわないと」
 「と、とーさん?」
 「珠生、嫌なことがあったらすぐに戻っておいで。父さんは何時でも珠生を受け止めるから」
 「う、うん」
 いきなりの父の行動に面食らったような珠生も、そう優しく言ってもらうと弱いらしく直ぐに頷いてみせる。
(全くこの親子は・・・・・引き離して正解だ)
何時もは思慮深く、大人としての冷静な意見を持っている人物だと思っていたが、そんな大人の男でも息子の恋愛事情では多
少事情が変わってしまうようだ。もっとも、息子が男と付き合っていると分かって、心から祝福する人物などいないかもしれないが。
 「珠生には、危ないことがあったら君を楯にして逃げろと言ったが・・・・・構わないね?」
 「・・・・・ああ」
 「じゃあ、アーディン、珠生をよろしく頼むよ」
 「エーキ」
 「私は何も出来ないから」
 「・・・・・」
(これが言いたかった・・・・・のか?)
 珠生とミシュアを量りに掛け、結局は体調的に問題のあるミシュアを選んだものの、瑛生にすれば珠生のこともミシュアに劣るこ
となく大切な愛しい存在で、これからの行く末が心配でたまらないのだろう。
 「・・・・・任せろ、エーキ。絶対タマには傷を付けない」
 「アーディン」
 「今度戻ってきた時には、もっと熱々なところを見せ付けてやるって」
 「ラ、ラディ!何言ってんだよ!」
 ひとしきり笑いが零れ、いよいよ珠生達はエイバル号へと乗船し、再びベニート共和国の王都がある港町へと戻る。
見送るのは瑛生1人で、珠生は何時までもエイバル号へ向かう小船の中から手を振っていた。
 「・・・・・タマ、今ならまだ戻れるぞ」
置いて行く気はなかったが、あまりに淋しそうな横顔の珠生にそう言うと、振り向いた大きな目は何を言うんだとラディスラスを睨ん
できた。
 「絶対行く!」
 「よし、行くぞ!」
既に今この瞬間から、大国を中からかき回す壮大な兄弟喧嘩が始まっている。
(絶対、俺達はタダでは負けないぜ、ユージン)



どんな風に大国を荒らしてやるか、ラディスラスの頭の中では既に様々な作戦が渦巻いていた。