海上の絶対君主




第四章 愚図な勝者 〜無法者の大逆転〜


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 ラディスラスが真下のバルコニーに下り立つと、ラシェルは窓の側で何かを見ていた。
 「ラシェル」
声を掛けると、ラシェルは眼差しだけを向けてきた。
 「鍵はあるが、どうやら掛けてはいないようですよ」
 「この高さじゃ、盗賊も刺客も入ってこないと思っているのかもしれないな」
 「仮にも一国の王妃ならば、出来るだけ用心をするというのが本当だと思うが・・・・・」
以前、王族の親衛隊長にまでなっていたラシェルの言葉は正当なのだろうが、そこここの国情によって用心の度合いというものは
変わってくるのだろう。
大国であるベニート共和国は、軍事というよりは経済と人材で成り立っているような国だ。進歩が著しい医学分野では、各国か
らの留学生もどんどん受け入れているし、そのせいか他国からの苛烈な干渉などもほとんど無いらしい。
 「じゃあ、簡単に中に入れるな」
 「・・・・・女性の部屋に押し入るのは、多少躊躇いがありますがね」
眉を顰めて言ったラシェルの肩を笑いながら叩いたラディスラスは、バルコニーの端まで寄って綱を引いた。
 「タマ、大丈夫ですか?」
 「あいつも男だし、まあ、俺がしっかりと抱き止めるけどな」



 目の前の綱が揺れた。
 「あ、合図?」
 「そうですね。タマ、大丈夫ですか?」
アズハルの言葉に微かに頷くが、なかなか一歩が踏み出せなくて、珠生は思わず自分の両頬をパンと手で叩いた。

 パシッ

 思い掛けなく大きな音が響いてしまったが、これも自分の勇気を搾り出す為の儀式のようなものだ。
アズハルは何も言わず、イアンも目を丸くしていたが黙っていた。
 「・・・・・よし、行く」
 「大丈夫ですよ。ラディがあなたの身体を受け止めないはずがありませんから」
 「う、うん」
 アズハルに手伝ってもらい、自分の胸元ほどの高さにある手摺を乗り越えると、足の裏の半分ほどの狭い出っ張りに立つ。
今度は綱を身体に巻きつけるわけにもいかないので、とにかく出来るだけずり落ちるといった形にならないといけないだろう。
(こんなんで・・・・・大丈夫なのか?)
手には、滑り止めの為に手のひら部分だけを覆う皮の手袋のようなものをはめてはいるが、これに絶対的な安心感をとても持てな
かった。
 「タマ」
 「い、今行く」
 後ろは既に何も無い空中で、少しでもバランスを崩せば絶対に落ちて死んでしまうだろう。
それでも、自信が無いということは言ってられない。とにかくもう、やるしかないのだ。
(行くからなっ、ラディ!)



 バルコニーから半分身を乗り出すようにして、ラディスラスは頭上を見上げていた。
ほの明るい月明かりで、上のバルコニーの外側に誰かが立っているのはよく分かる。
 「俺を信じろ、タマ」
高さは、ラディスラスの身長の約倍くらいだろう。手を伸ばして、珠生が手摺にぶら下がったとしても、僅かに届かない距離で、ここ
はどうしても珠生に頑張ってもらうしかなかった。
 「ラディ、タマは?」
 「今からだ」
 恐怖感を感じているのはよく分かるが、そうかといって今ここで時間を掛けているわけにはいかなかった。
そろそろ王宮の中でも門番の異変に気付くはずで、そうなれば外の見回りが増えるだけではなく、それぞれの部屋を確認するとい
う作業が始まるだろう。いくら深夜とはいえ、命に関わる問題だ、王や王妃の部屋にも必ずやってくる。
(その前に、王妃を抑えておかなければ・・・・・)
 自分達だけが先に中に入るという選択肢もあるが、そうなれば他の3人の身柄が余計に危険だ。見掛けとは違い、ある程度
腕があるアズハルやイアンとは違い、珠生が無事に逃げおおせる可能性は・・・・・低い。誰よりも大事な珠生を守る為にも、ここ
は彼に勇気を持ってもらわなければならなかった。
 ラディスラスは直ぐに珠生の身体を抱き止めらるようにバルコニーの外側に自分も立つ。そのラディスラスの腰を、ラシェルが内側
から強く抱え込んだ。
 「・・・・・タマッ」
 ギリギリまで出した声で、その名前を呼んだ。
それが後押しになったのか、頭上の人影が揺れ、ラディスラスが腕に抱えている綱がピンと張り詰める。
そして・・・・・。

 ギシ・・・・・

綱が軋む僅かな音が耳に届き、影が下に下りた。
 「よし」
影が面前で揺れる。とにかく、膝まで抱き込めばもう安心だ。
 「ぅ・・・・・」
 小さな呻き声のような声と共に、珠生の身体は着実に下に下りて、いや、ずり落ちてくる。ラディスラス達のように腕の力で綱を
伝ってというよりも、腕を動かさないまま自然に下に落ちてくるようだ。
それでも、何とか踏ん張ってくれれば、このまま上手くラディスラスの腕の中に落ちてくる。
 「タマ、もう少しだ」
 途中で珠生が諦めて腕の力を無くさないように声を掛け、ラディスラスは伸ばした手で珠生の足首を掴んだ。
もちろん、まだこの状態では危険なままで、ラディスラスは綱に抱きついたままの珠生の足を自分の身体の前へと誘導し、ズルズ
ルとゆっくり落ちてくる身体を上手くバルコニーの中へと誘導していく。
 「ラディッ」
 片手でラディスラスの腰を掴んでいたラシェルが、珠生の腰も掴んだ。
その声にラディスラスは腹筋を使って、珠生の身体ごと前のめりになる。
 「着いたぞ、タマ、よく頑張ったな」
 ラディスラスの言葉に、それまでギュッと目を瞑ったままだった珠生がそろっとまぶたを開く。
 「・・・・・つい、た?」
 「ああ。やるじゃないか、タマ」
ラディスラスが強く抱きしめながらそう言うと、珠生の細い腕が縋るようにラディスラスの背中へと回された。



(絶対駄目だって・・・・・思った)
 何とか下のバルコニーにたどり着いた珠生はまだ落ち着かない気分で座り込んでいたが、そうしている間にもアズハルとイアンが
器用に綱を伝って下りてきた。
 「タマ、無事で良かった」
何時もと変わらない優しい笑みを浮かべているアズハルは少しも呼吸を乱していない。見掛けは綺麗なお兄さんだが、彼もまた
海の男なのだと、珠生はしみじみと感じた。
 「中に入るぞ」
 そして、珠生の気持ちが落ち着く間もなく、早速王妃の部屋の中へと忍び込むことになった。もうあまり時間が無いのだ。
 「寝てるかな?」
 「眠っていてくれればいいがな」
ラシェルを先頭に、ラディスラス、珠生、アズハル、イアンの順に、バルコニーに続く窓をそっと開けて中に入っていく。
真っ暗ではなく、そこかしこに明かりが灯されていて、手探りで歩かなくてもいい反面、見付かる危険性も高い。用心に用心を重
ねるように、珠生達は広い居間から寝室へと向かったが・・・・・。
 「誰です?」
 「!」
 不意に、声が聞こえた。
思わず叫びそうになった自分の口を珠生は慌てて塞いだが、ラディスラス達はそれぞれ携えた剣にとっさに手をやる。
 「何者ですか」
 声は、年配の女のものだった。
まさか、王妃が起きているとは思わなかったラディスラスは一瞬思案したようだが、直ぐに剣から手を放し、両手を万歳の形に上げ
ながら言った。
 「騒がなければ、危害を加えることは致しません」
 「・・・・・盗賊?」
 「違いますが・・・・・いや、似たようなものかな」
 「・・・・・っ」
(何馬鹿正直に言ってるんだよ!)
 珠生は、全く誤魔化そうとしない(この状況では誤魔化しようが無いが)ラディスラスに焦れて、その背中から顔を出して寝室の
中を覗き込む。
大きな天蓋付きのベッドの上に起き上がっていた人物・・・・・女性は、そんな珠生の顔に気付いたようで、あらというように首を傾
げた。
 「女の子の盗賊なんて初めて見るわ」
 「お、女?」
暢気な声で、全く見当外れのことを言う相手に、珠生の方こそ呆れてしまった。