海上の絶対君主




第四章 愚図な勝者 〜無法者の大逆転〜


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 扉を閉めた珠生は、ようやくはあ〜っと深い溜め息をついた。
外にはたった2人しかいなかったが、侵入者である自分に何時剣を向けられるか分からない怖さと、セリフを忘れないようにしない
といけない緊張感で、この僅かな時間の間にぐっと痩せた気がする。
 「上出来だ、タマ」
 それでも、顔をグルグル巻きにして隠していた布を取ってくれながら褒めてくれたラディスラスの声に、ようやくここで自分も少しは
役に立てたのかと少しだけホッとした。
 「あれで良かった?」
 「十分だ。タマの目は本当に珍しいものだからな。向こうが畏怖を抱いても全くおかしくない」
 「ふ〜ん」
 珠生とすれば、日本にいればこれがごく普通の目の色で、畏怖といわれても全くぴんと来ないのだが、神秘的な存在と言われ
れば悪い気はしない。
 「本当にタマちゃんは可愛らしいわよねえ。女の子だったらローランかユージンのお嫁さんにしたいくらいよ」
 「お、おーひ様」
 「王妃、悪いがこれは俺のものだから」
 「残念ねえ」
 「・・・・・」
(こ、こんなんで大丈夫なのか?)
 全く緊張感の感じられないラディスラスとジェシカの会話に、さすがの珠生も心配になった。
先程はダメ押しのように部屋の中から衛兵に声を掛けたジェシカは、なんだかずっと楽しそうで珠生達よりも張り切っている。一応
国を相手に喧嘩を売っているのだが、まるでその自覚が無いように見えた。
(俺に心配されるなんて・・・・・ダメダメなんじゃない?)



       


 ユージンは夜着を着たまま椅子に腰掛けていた。
夕べからほとんどその姿勢は変わらず、手元に置いている酒の量も目に見えては減っていない。
(大丈夫か、ラディ)
 今夜、ラディスラス達が王宮に忍び込んで来る。その方法や手筈は予め聞いてはいるが、状況次第では変わると前もって言わ
れていた。
この王宮の守りが脆弱とは思わないが、海賊でありながらかなり頭が切れるラディスラスに敵うかどうかは分からない。
 先程、正門付近で怪しい人物がいたからと衛兵がバルコニーを調べていったが・・・・・。
 「・・・・・」
 その時、部屋の外に慌しい気配がした。
そして。
 「ユージン様!」

 ドンドンドン!

強く扉を叩きながら名前を連呼されたユージンは、ラディスラス達が予定通りに王宮内に忍び込んだことを確信した。
彼らは母である王妃の部屋に忍び込み、何らかの交渉をこちら側としたのだろう。
 「王子!王子っ、お目覚め下さい!」
 何度かその声を聞いてから、ユージンはゆっくり椅子から腰を上げた。
そして、軽く髪をかき乱してから扉を開ける。
 「何事だ?夕べも遅くに叩き起こされたが、まだ起きる時間ではないだろう?」
そう言いながらわざとらしく大きな欠伸をしてみせるユージンの目の前にいる数人の衛兵は、皆青褪めた表情で焦りの色が濃い
ように見える。やがて、その中でも一番年嵩の衛兵が一歩前に踏み出し、強張った口調でユージンに言った。
 「曲者が侵入しました」
 「・・・・・夕べの、あれ?」
 「はっきりは分かりませんが、多分そうだと思います。そして、侵入者は王妃の部屋で、王妃を人質に立てこもりましたっ」
 「母上の・・・・・」
 「王には別に知らせが行っております。ローラン様はご不在で・・・・・っ」
 「直ぐに参る」
 ユージンはいったん部屋の中に戻ると、夜着の上に上着を羽織っただけで再び廊下へと出た。
そして、そのまま足は王妃の部屋へと向けて早足に歩き出し、その後ろを衛兵達が慌てたように追い掛けてくる。
(ラディ、上手くやってくれ・・・・・っ!)



       


 どうやら、自分達の存在は瞬く間に王宮内へと知れ渡ったらしい。
廊下のざわめきはますます大きくなってきた。
 「ラシェル、ここを頼む」
 「はい」
 廊下の扉ももちろんだが、部屋に面したバルコニーの方も用心しておかなければならない。自分達がここに忍び込むのにバルコ
ニーを利用したように、制圧を企む王宮側が同じような手段でここに乗り込んでくる可能性もあるからだ。
ある程度の高さがあるので、大勢が一度にということは無理だろうが、それが1人2人でも面倒なことに変わりない。
それならば、綱を下ろされる前に、梯子を掛けられる前に、こちらが全て見通していることを見せ付けなければならなかった。
 「王妃、ご協力を」
 「ええ」
 ラディスラスはジェシカの手を取ると、バルコニーに通じる窓を開け放って外に出た。
 「おお、いるいる」
 「この高さから見たら、人間というものも小さな小鳥のようね」
案の定、王妃のバルコニーの真下はかなりの衛兵が集まっていた。
梯子を持っている者、綱を持っている者、弓や槍を持っている者・・・・・。
 「皆、あなたが大事なんですね」
 「そうであったら嬉しいのだけれど」
 こんな和やかな会話が交わされているということを知らない衛兵達は、ラディスラスとジェシカの姿を見て口々に何かを叫んでい
る。
王妃の無事を懇願する者も逃げられるわけが無いと威嚇する者もいるが、ラディスラスは大きく深呼吸をしてから低く響く大きな
声で言い放った。
 「俺達の要求に耳を貸さず、無茶なことをすれば王妃がどうなるかは分かっているんだろうな!!」
 「・・・・・!」
 「俺達の仲間はここにいるだけではないっ、既に王都コンラッドの港は抑えている!覚悟して取引の場に出てくることだな!!」
 「まあ、ラディ、悪人のようね」
 ジェシカが小さな声で感心したように呟く。
ラディスラスは苦笑を零した。
 「元々、海賊ですからね、俺達は」



 ラディスラスの宣言が功を奏したのか、慌しい雰囲気は少し治まったように思える。
外を見張るのをラシェルとイアンに任せたラディスラスがもう一度扉の向こうに声を掛けようとした時、それまでの乱暴なものとは違
う丁寧に扉を叩く音がしたかと思うと、
 「私は、ベニート共和国の王、カーロイだ」
 「・・・・・っ」
 「我が王妃の無事の確認と、貴殿達の要求を聞こう。部屋の中には私しか入らぬ、ここを開けてはくれまいか」
落ち着いた、威厳のある声。多分間違いは無いだろうが、ラディスラスは一応ジェシカに確認をした。
 「王妃、この声は」
 「我が王に間違いないわ」
 ベニート共和国の王であり、ジェシカの夫でもあるカーロイ。
本来、この国で一番高貴で価値のある存在の王が、こんな交渉の場に自ら赴くとは予想の範囲外だった。交渉相手にはユー
ジンか大臣達・・・・・当然のようにそう思っていたのだが・・・・・。
(夫婦仲は本当にいいようだな)
 夫がわざわざ来てくれたと、ジェシカの頬にも嬉しそうな笑みが浮かんでいる。
 「よし、王だけ入ってきていただこう」
ここも、大きな山場だ。扉を開けた瞬間、衛兵達が雪崩れ込んできてしまったらそれでもう終わりになってしまう。
(ユージン、頼むぞ)
その為にも、ユージンが強攻策の抑止力になってくれる手筈になっているが、それを確認することはこの場では出来ない。後はお
互いをお互いが信じるしかないのだ。
 「タマ、王妃といろよ」
 最悪、ジェシカの側にいれば直ぐに剣を振り下ろされることは無いだろう。
ラディスラスは一番安全な場所に珠生をやると、アズハルに目線で合図をして、ゆっくりと扉の片方を開いた。