海上の絶対君主
第四章 愚図な勝者 〜無法者の大逆転〜
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※ここでの『』の言葉は日本語です
先端を折っているとはいえ、かなりの勢いでぶつかったのだ。
ラディスラスは珠生の身体に傷が出来なかったかと、確認するつもりで服を捲り上げた。
「ちょっ」
「・・・・・赤くなってる}
「え?・・・・・傷、なってる?」
「・・・・・いや、多分大丈夫だろうが・・・・・」
色白の珠生の肩の付け根辺りに出来た赤い痕。多分傷にはならないだろうが、それでも周りの肌との色の違いが痛々しくて、ラ
ディスラスはそっとその痕に指先を触れて珠生に頭を下げた。
「すまなかった、タマ」
「ラ、ラディ、謝ることないよ?俺、大丈夫だし」
「・・・・・うん、そうだけどな」
それでも、掠り傷一つ負わせないと珠生の父瑛生に宣言したくせにこの結果だ。たとえ今の出来事が予想外のことであっても、
それに対処しなければ今後も同じようなことが無いとも限らない。
(・・・・・よしっ)
ラディスラスは顔を上げると、乱れた珠生の服を治してやり、一瞬強く抱きしめた。これを教訓として、注意が散漫にならないよ
う、そして、自信過剰にならないようにしようと自分自身に言い聞かせた。
「ラディ」
「・・・・・」
「ラディ、俺、ホントに大丈夫だよ?」
「・・・・・ああ、分かった」
高ぶっていた自分の感情が落ち着くと、ラディスラスは足元に落ちていた矢を拾い上げ、それに括り付けられていた手紙らしきも
のを取って開いた。
「・・・・・」
その瞬間、ラディスラスはチラッと辺りに視線を向けた。
その紙は珠生とラシェルも覗いているが、ジェシカはアズハルが付き添って隣の寝室で休んでいる。狭くは無いもののずっと部屋の
中にいる為に、神経が疲れてしまわないようにとのアズハルの意見からだ。
(この文章を王妃が見なくて良かった・・・・・)
「何書いてる?」
話すことはかなり自由が利く珠生だが、文字を読むのはまだまだらしい。特に、この手紙は筆跡を誤魔化そうとしているのか、か
なり癖があり、ラディスラスも読むのに苦労してしまった。
それでも、読み進めていくと、頬に皮肉気な笑みが浮かぶ。予想していた通りというか、それよりも早くあちらは動き出したようだ。
「・・・・・どうやら引っ掛かったようだ」
「え?」
手紙に書かれていたのは、王や皇太子とは別に接触を図りたいということだった。
「今夜、窓の外には自分の配下しか置かないので、そのまま下に下りて交渉をしないかと書いてある。ラシェル、その間ここを頼
むぞ」
「俺が行きますよ、その方が・・・・・」
「いや、俺が行く。黒幕が出てくるかもしれないしな」
「しかし、これには・・・・・」
「いいな?」
珠生には読めない文章も、ラシェルには読み取れているはずだ。この手紙には今夜のことだけではなく、隙を見て王妃の命を奪っ
てくれないかとも書かれてあった。
そんな思考をしている敵の本心をきちんと確認しておきたい・・・・・もちろんその思いもあるが、危険な仕事に大事な部下の命を
晒すことは出来ないと、頭領としての立場を強く意識したものでもあった。
そして、その夜。
夜も更け、廊下の向こうの気配もかなり少なくなったと感じた頃、ラディスラスはそっとバルコニーに通じる窓を開けた。
「ラディ」
「数は少ない」
「気を付けて」
「ラディ、危ない思ったら、直ぐ逃げてきてよ」
「ああ、分かってる。ラシェル、タマを頼むぞ。タマも、軽々しい行動はしないように、いいな?」
「うん」
頷いた珠生の返事を信じて、ラディスラスはバルコニーから綱を垂らした。そして、身軽にバルコニーの外側の僅かな突起に足を置
くと、
「行って来る」
そう言い残して、バッと綱を使って下りていった。
「・・・・・っ」
「タマッ、出るなっ」
ラディスラスの行方を姿が見えなくなるまで見送りたかった珠生だが、ラシェルはそんな珠生の腕を掴んでその行動を許してくれ
なかった。
日中の矢の件もあり、ラシェルが警戒していることは分かるが、珠生は何も出来なくてここにいる自分が情けなくなる一方だ。
(危ないことはみんなラディ達に押し付けちゃって、俺、本当に何も出来ないでここにいるだけでいいのか?)
「・・・・・」
「タマ?」
いきなり立ち上がった珠生にラシェルが声を掛けてきたが、珠生は振り返らずに部屋の隅に行くと、ここに来る時に自分が背負っ
てきた袋の中を探る。
「何をしてるんだ?」
「ひみつへーきの準備」
「秘密兵器?」
「うん。何時役立つか分かんないから」
本当は使わないくらい平和な解決が出来ればいいのだが、万が一、念の為ということだ。
(それに、本当に成功するのか、ちょっとだけ知りたい気もするし)
綱を使って一気に下まで下りてきたラディスラスに、取り囲んでいた数人の兵士は一瞬静まり返ってしまっている。
(こんな芸当、乗組員達なら皆出来るんだがな)
日々船に乗っているラディスラス達にとって、食料である魚を獲る為や、船に襲い掛かる時、あの高い船首から海に飛び込むこと
は容易にしていた。つまり、高さには強いのだ。
もちろんここは陸地で、もしも下りるのを失敗すればそのまま地面に叩き落されるということになるが、ラディスラスはそんなことを恐
れることは無かったし、自分自身が失敗するとも思わなかった。
「ここに、ツバイという奴がいるか?」
手紙に書かれていた案内役の名前を言うと、兵士達の中で一際体格の良い中年の男が歩み出てきた。
「私だ。こうしてここにいるということは、我らの提案を飲んだという解釈でいいな?」
ある程度の地位にいるらしい男の物言いは傲慢だ。
ラディスラスは布で顔を覆っていたが、出ている目だけは笑みで細めた。
「条件次第ということだな」
「・・・・・付いて来い」
「ここからあまり離れた場所は遠慮したい。それと、夜が明けるまでに俺が戻らない場合、送られてきた手紙を王か皇太子に提
示させる手筈になっている。このまま俺を殺して口封じしようと思っても無駄だ」
「・・・・・」
ツバイの顔が顰められた。
手紙には手掛かりを残していないつもりだろうが、改めてそう言われればもしかしてという思いが浮かんでくるはずだ。
(これで、簡単に俺を殺せないな)
先制攻撃はどうやら功を奏したらしい。
「この近くに兵士の詰め所がある」
「相手は?」
「行けば分かるだろう」
「・・・・・まあ、そうだな」
ユージンの言葉からすれば、そこにいるのは彼らの叔父にあたる男のはずだ。しかし、もしかしたらその代理のような人間が登場
してくるかもしれない。真意を知るには当人に会うのが一番いいのだが・・・・・。
(いなかったら、何とか誘い出すように話を進めるか・・・・・)
「そこだ」
「・・・・・」
そこは、ジェシカの部屋が辛うじて見える庭の隅にある小さな小屋だった。
まず、ツバイが中に入り、来ましたという報告をしている。どうやら、ツバイの上司、つまり、黒幕はいるようだ。
「入れ」
(相当な自信家だな)
顔を見られても構わないと思っているのは、どうせ最後はラディスラス達を始末する気なのかもしれない。ラディスラスは用心しなが
ら小屋の中に足を踏み入れた。
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