海上の絶対君主




第四章 愚図な勝者 〜無法者の大逆転〜


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 「ラディッ」
 あまり大きな声を上げてはならないのは分かっていたが、それでも珠生は部屋の中に入ってきたラディスラスの姿を見て思わず駆
け寄ってしまった。
 「ただいま、いい子にしてたか?」
 相変わらず自分を子供扱いするラディスラスの口調には少しも変化は無く、珠生はラディスラスの交渉が上手くいったのだと思っ
て安堵した。どちらにせよ、こうして無傷で戻ってきてくれたのが嬉しい。
(ん・・・・・?無傷?)
 パッと見た感じでは傷は負っていないようだが、もしかしたら目に見えないところを傷付けられている可能性はある。
珠生はラディスラスから身体を離すと、いきなりその服の裾を捲り上げた。
 「タ、タマ?」
 珠生の突然の行動に面食らったのはラディスラスだけではなく、他の3人も何をしているのだというような視線を向けてきたが、そ
んなものには一切構わず、珠生は逞しいラディスラスの上半身に視線を注いだ。
(傷・・・・・ない)
 次は下半身だが、この高さまで上ってきたことを思えば怪我をしているとは考えにくい。さすがにズボンを脱がせることは出来ない
ので、珠生はラディスラスを見上げながら真正面から訊ねた。
 「怪我、無い?」
 「ああ、怪我。無いぞ」
 その言葉で、ようやく珠生が何をしているのか分かったラディスラスは、ますます深い笑みを口元に浮かべると、珠生の身体を強
く抱きしめた。



 可愛い珠生に心配をしてもらうという嬉しさにしばらく浸っていたいラディスラスだったが、時間を考えればそんな悠長なことはして
いられなかった。
それでも珠生を腕に抱きしめたままラディスラスはその場にいる者達の顔を見て、ふとその視線を奥に向ける。
 「王妃はお休み中か?」
 「ええ。全て納得済みとはいえ、やはり精神的な緊張は著しいでしょうから。ラディが部屋を出て行く時から一度も目覚めてはい
ませんよ」
 「そうか」
 ラディスラスは安堵した。今から話すことは出来ればジェシカの耳には入れない方がいいだろう。ラディスラス自身、王妃らしくな
いおおらかなジェシカのことを考えると、出来るだけ悲しい思いはさせたくない。
 「王弟の名前は、確かシュバックと言ったな?」
 「ええ」
 「じゃあ、間違いない。俺はそいつと会った」
 そう前置きをしたラディスラスは、シュバックの言った条件を口にした。
 「100億ビスと、王妃が持っている宝飾をくれるらしい。後、港まで無事に逃がしてくれるそうだ」
 「条件は?」
 「王と王妃の命」
 「・・・・・!」
ラディスラスの隣で珠生が息をのんだ。一瞬、聞かせない方が良かったかもしれないと思ったが、きちんと今の状況を話して聞か
せることも大事だろう。真実を隠していても、何時かボロが出てしまうはずだ。
ラディスラスは珠生の肩をしっかりと抱き寄せると、これから自分達がしなければならないことを話し合うことにした。



       


 荒々しく扉が叩かれる。
寝台に横になることもなく椅子に座って考え込んでいたユージンは、それが誰なのかと大体の見当は付いていた。
 「・・・・・」
 外にいる相手に誰だと訊ねることも無く、ユージンは扉に向かうと鍵を開ける。
外側から荒々しく扉を開いて姿を現したのは、予想通り兄のローランだった。
 「兄上・・・・・いかがされましたか」
 ユージンの頬に浮かんでいるのは本当に笑みだ。
先程、ローランが疲れきっている父を部屋まで送って行くのを見た時、父の口から何らかの話がローランに伝わるだろうと思ってい
た。
ラディスラスは名前も言ったし、顔も見せたと言っていた。
印象に残る容貌のラディスラスのことをローランにどう説明するのか、そして、ローランが以前町中で会ったラディスラスと盗賊を結
びつけることが出来るか、それはユージンにとっても賭けのようなものだ。
 出来れば今はまだ自分達の計画のことは知れらたくないし、そうならばどうやって話を誤魔化すか・・・・・ユージンは曖昧な笑
みの中に様々な思いを隠して、険しい表情の兄を見つめた。
 「お前に聞きたいことがある」
 「私に?」
 ローランは扉を閉めた。
部屋の中に2人きり。兄の放蕩生活が始まってから、ローランが自分の部屋に訪ねてくるのは久し振りのような気がした。
 「お前・・・・・盗賊を知っているな?」
 「何をおっしゃられているのですか、兄上。私が奴らを知るはずも無いではありませんか」
 「・・・・・父上が対面した盗賊は、海賊船エイバルの頭領、ラディスラス・アーディンだと名乗ったらしい。我らはその者の顔を見
知っているわけではないが、それでも堂々とした態度と見惚れるような容姿だという噂の海賊。私が町でお前の友人だと紹介さ
れたあの男も、確かに女が寄ってきそうな容貌であったし、名も、ラディと呼んでいたな?」
 「・・・・・」
 「部屋の中には、体格の良い男が4人、そして、子供のような背格好の者が1人いたらしい。これが、あの時の少年ではないの
か?」
 たて続けにぶつけられる疑問をじっと聞いていたユージンは、兄の言葉の中に確かな証拠らしいものが無いことが分かった。
確かに、町で会ってしまった時、「ラディ」と名前を呼んだが、類似した名前が全く無いということは無い。
それに・・・・・。
 「父上はその少年の顔を見られたのですか?」
 「・・・・・いや、薄暗く、あの特徴的な黒い瞳は見ていないらしい」
 「それならば、同一人物だとは言い切れないのではないですか、兄上。世の中には不思議と似通った特徴を持つ者がいるもの
ですよ」
 ユージンはそう言い切るしかない。
まだ、もう少し、もう少しだけ、真実が知られるのは早い。



 「ユージン・・・・・」
 可愛い人形のような、それでいて社交的な弟。
血が繋がっていないと分かっても、それまでの愛情が直ぐに失われるということは無かった。いや、むしろ血が繋がっていないのに自
分を兄と慕ってくれるユージンが可愛くて、絶対にこの弟を王座に就かせようと決意した。
 しかし、昔は無邪気だったユージンは、今では自分と対峙しても少しも遜色が無いほどの大人になっている。
ローランは一筋縄ではいかなくなった弟をじっと見つめた。
 「では、今回のことにお前は何の関係も無いと?」
 「はい」
 「私に誓えるか?」
 「誓うまでも無いでしょう」
 「・・・・・」
(なぜ、そこで誓わない?)
 微妙にズレを感じるが、かといってそこを追求してもおかしいとはっきり言えるわけでもない。
ローランは溜め息を付いた。血が繋がっていないくせに、頑固さは自分とよく似ている。
 「一応、お前の言葉を信じよう」
 「兄上」
 「今は、早く母上を救い出すことが大切だ。盗賊を捕らえるのはその次でいい」
大切な義母を早く・・・・・そう思いながら部屋から出て行こうとしたローランの背に、ユージンが不意に声を掛けてきた。
 「兄上」
 「何だ」
 「・・・・・お気をつけてください」
 「何に気を付けるのだ?」
 「・・・・・敵は、外からだけとは限りませんので」
 どういう意味なのかとローランは振り返った。
盗賊が更に王宮の中を引っかき回す・・・・・いや、そんな意味ではないだろう。
 「・・・・・お前、どんな情報を持っている?」
ローランはじっとユージンを見つめた。小さな可愛い弟は、何時の間にか自分とほとんど同じ目線になっている。それでも、昔から
の兄弟の上下関係は見掛けくらいで消えることは無かった。
 「言え、ユージン」
 「・・・・・」
強い意志を持つ兄の目に睨みすえられ、ユージンは僅かな苦笑を浮かべた。