海上の絶対君主




第四章 愚図な勝者 〜無法者の大逆転〜


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 「しかし、ラディ、王妃を殺害したとなると、この部屋に閉じこもっている状態の私達はすぐさま攻撃されるのではありませんか?
助けなければならない人質がいないことだし」
 そう言いながらアズハルがしていることといえば、差し入れの赤い果物を押し潰し、王妃に貰った布で絞っているという作業だ。
それはもちろん血の代わりで、近くで見れば当然偽物だと分かるだろうが、遠目ならば赤く染まった衣を見れば、今の現状からし
ても血だと思われるだろう。
 「そうね、あなた達が危ない目に遭うのは嫌だわ」
 王妃ジェシカは死体役を務める為に、顔や首筋、そして手などに白粉を塗っている。血の気の無い顔を演出する為だが、それ
を珠生が手伝っているのが微笑ましい。
 「確かに、ここじゃ逃げ場がありませんよ。どうするんですか」
 ラシェルはイアンと共に、窓の外を警戒しながらも、眉を顰めて訊ねてくる。
ラディスラスは、それぞれの分担がきちんとなされているのを見つめながら、それが一番困っているのだと正直に打ち明けた。カッコ
をつけて隠していても、皆の命が危険に晒されてしまうのはやはり避けたい。
 「ユージンにも黙ったままでいるからな。もしかしたら、奴も爆発しかねない」
 「ラディ」
 呆れたように溜め息を吐くラシェルに、大げさに肩をすくめて見せた。
 「仕方が無いだろう。敵を欺くには味方から。そうでなくても、皇太子はユージンに対して複雑な感情を抱いているんだぞ?名ば
かりではなく、本当の兄弟として、同じ思いを抱いて欲しいじゃないか」
 「それが憎しみというのも虚しいですが」
 そう言いながら、アズハルは絞った汁を王妃の服に付けていく。さすがに医者だ、その量や飛び散り方も本物のように見えた。
 「さて・・・・・どうするかな」
 「ラディ、俺のひみつへーき使う?」
 「・・・・・は?」
突然、珠生が顔を上げて、得意そうな表情を見せた。
 「俺、ひみつへーき作ったんだよね。それ、使わない?みんなびっくりだよ」
 「何だ、それは」
 「ふふふ、ひみつ」
 そうほくそ笑むと、珠生は準備準備と言いながら、部屋の隅に置いてあった自分の背負ってきた袋の中を探り始めた。
(いったい、何をする気なんだ?)
何をするのか、その物自体を見ていないので、どこまで信頼していいのか分からないが、これ程言うのだから多少は自信があるも
のなのだろう。
(タマに任せて・・・・・いいのか?)
 それでも、他の方法を考えている時間は無い。
シュバックとの約束の時間は今朝だし、このまま篭城を長引かせたら、港にいる仲間を討伐する為に他国の支援を要請されると
いう可能性もある。
 血を流さない謀反というのは、相手はもちろん自分達もそうなのだが・・・・・。
(・・・・・賭けるか、タマに)
 「よし、頼むぞ、タマ」
 「りょーかい!!」



       


 「きゃあああ!!」

 部屋の中から女の大きな悲鳴が聞こえたと、王妃の部屋の前で警備していた衛兵がローランを呼びに来たのはそろそろ空が明
るくなるという頃だった。
 直ぐにジェシカの部屋に駆けつけたローランは、激しく扉を叩きながら叫ぶ。
 「開けろ!母上に何をした!!」
 この部屋の中にはジェシカしか女性はいない。その母が悲鳴を上げるような出来事があったのかと思うと、ローランは今にも心臓
が爆発するかのように鼓動が早まってしまった。
 だが、どんなに扉を叩いても中からの応答は無い。
このまま扉を破壊するしかないのかと思っていたローランは、
 「王妃様!!」
外から、悲鳴のような声とどよめきが上がったことに気付き、身を翻して中庭へと急いだ。



 ・・・・・その情景を、現実だと受け止めていいのかどうか・・・・・。
 「母上・・・・・?」
バルコニーに、黒ずくめの服を着、顔も布で隠している長身の男が立っていたが、その腕には、昨日から捕らわれの身になってい
るジェシカがいた。
 いや、それは、いるといってもいいものかどうか。真っ白の夜着の胸元から腹までを赤く染め、顔は血の気が無くなってしまってい
る・・・・・動かない母がいた。
 「は、母上は・・・・・生きて、おられるの、か?」
 呆然と、呟くような小さなローランの声は、男の耳にも確かに届いたらしい。
 「早く投降しろと説教じみたことを言われたんでね、少し脅して大人しくしてもらおうと思ったんだが・・・・・手が滑った」
 「手が・・・・・滑った?」
握り締める拳が震える。大切な母の命を、なんでもないように言われることは我慢出来なかった。
 「母上っ?」
 その時、ユージンも庭にやってきて、バルコニーの様子を見ると一瞬で青褪めた。
 「な・・・・・んて、こと・・・・・」
 「ユージン、お前と父上の判断は間違いだった。盗賊は盗賊、人の命など簡単に奪い去る!」
 「兄上、待ってください、これは、これにはっ」
 「お前の言葉はもう聞かぬ!大切な母の命を奪われて、のうのうとこの地に立っている自分が口惜しいほどだ!!」
 「ローラン、このようなことになったのも、全て現王と、お前達兄弟が不甲斐無いからだな」
 「お、叔父上っ」
どこからこの光景を見ていたのか、シュバックは数人の側近を後ろに従え、皮肉そうな笑みを浮かべながらそう言った。
ユージンが直ぐに2人の間に割って入ろうとしたが、ローランはその身体を押し退け、真正面からシュバックと対峙する。
 「何がおっしゃりたいのですか、叔父上」
 「お前達にこのベニートを任せることは到底出来ない。今すぐ兄上には王位を降りて頂き、暫定的に私が王の代行を務める」
 「叔父上」
 「仕方が無いだろう。お前は王位に就く気は無く、ユージンも兄上兄上とお前の後を追っている。どちらにせよ、そんな甘い弟一
家に、このベニートを任せられるわけが無いであろう」
 「・・・・・っ」
 「ツバイ、部屋に押し入る準備をしろ。王妃を殺した大罪人だ、皆首を落とし、晒し者にするように」
 「はっ」




 思った以上に、あの盗賊の男は上手く動いてくれた。後は口封じに皆殺しにしてしまえば、自分の行動を兄や甥達が知ること
も無いだろう。
この大国を自分の自由に出来る・・・・・シュバックの口元が緩みかけた時、
 「そこ、みんなどいてー!!」
 「?」
いきなり聞こえてきた子供のような声に、シュバックだけではなくローランもユージンもいっせいに視線を上げた。




 「・・・・・なんだ?」
 ローランが見つめた先のバルコニーには、最初の男と王妃の姿は消え、代わって、長身と小柄な子供のような人物が2人、並
んで立っていた。
 「これ、危ないよー!ほらっ、みんなよけて、よけて!」
子供は、長身の人物が手に持っている小さな玉のようなものを指差しながら叫んでいる。いったい、それの何が危ないのか分から
ないが、王妃の無残な姿を見た後だということで、兵士達は自然と大きく動いてしまった。
 「おいっ!」
 逃げるのかと、ローランが苛立った時、
 「投げて!とーくだよっ?」
 「了解」
男の手から小さな玉が投げられ、人気の無い場所に落ちたそれは、一瞬後にバンッと大きな音と共に、白い煙と土が破裂した
かのように高く舞い上がった。
 「!」
 初めて見るその光景に、その場はしんと静まり返る。
 「やった!成功!」
 「タマ・・・・・」
あまりの衝撃に、ローランは耳元で唖然としたように呟いたユージンの言葉を、上手く聞き取ることが出来なかった。