海上の絶対君主
第四章 愚図な勝者 〜無法者の大逆転〜
3
※ここでの『』の言葉は日本語です
「お前は・・・・・変わらんな」
整った容貌に苦笑を浮かべて珠生の頭に手を置いたイザークを、ラディスラスは苦々しい思いで見つめた。
(こんな時に会うか?)
今から自分達がしようとしていることと、一国の海兵大将という地位にいるイザークがあまりに遠過ぎる気がする。
そうでなくても、海賊の討伐を任としているイザークはいわば自分達の敵で、本来ならこんな風に言葉を交わすことさえするはず
のない関係なのだ。
(ラシェルの知り合いで無ければなあ)
数年前まで、ジアーラ国の王子であるミシュアの親衛隊長をしていたラシェルとイザークは上司部下の間柄で、今だミシュアに
関しては立場を超えて連絡を取り合っている。
今回も、多分治療を受けたはずのミシュアの様子を見に来たというところだろうと、ラディスラスはさりげなく珠生の腕を掴んで自分
の方へと引き寄せながら考えていた。
「・・・・・」
イザークは一瞬そんなラディスラスの行動に視線を向けてきたが、やはりミシュアのことが気になるのか、再びラシェルに視線を向
けて話しだした。
「本当にもう大丈夫なのか」
「今のところは、一応、らしい。今から傷が塞がるまではまだ安心出来ないそうだ」
「・・・・・」
「ただ、今は医者も側にいてくれるし、追っ手から逃げるという精神的な負担も無いはずだ。俺は、きっと病は完治されると信じ
ている」
実際にノエルの治療を自分の目で見たラシェルは、あれ程のことをほとんど1人の手で成し遂げたノエルをかなり信用しているらし
く、ミシュアを残して再び船に乗る時もそれ程に心配した様子は見せなかった。
ラディスラスも、見掛けは凡庸だが確かな腕のあるノエルを信頼している。
(あいつがいれば、ミシュアも大丈夫だろう)
「それで、金額は?」
「金額?」
「治療代だ。私も払うと言っただろう」
「・・・・・ああ、確かに」
「海賊の一員であるお前の金で、王子の命が助かったなどと考えたくは無い。どれ程掛かったか分からんが、費用は全て私に
出させてくれ」
「・・・・・」
「・・・・・」
ラディスラスとラシェルが顔を見合わせている。
(直ぐ言ってあげればいいのに)
珠生にとってイザークは、少し頭は固いものの食べ物も奢ってくれる優しい男だ。海賊であるラディスラス達とは立場が真逆らしく
て仲良くなど出来るはずもないらしいが、それでもこんな大事なことは直ぐに教えてやってもいいだろうと思う。
(まさか・・・・・ぼったくる気か?)
多分、相場など分からない治療代をもしかして吹っかける気なのかもしれない。そう思った珠生は3人の間に割って入ると、イ
ザークを見上げながら言った。
「20万ビス」
「・・・・・」
イザークは珠生を見下ろす。
「少なく言ってないか?」
「本当だって!じっぴと、おかし代言ってた!おさけはね、あんまり好きじゃないんだって。おかしいっぱい食べれたらうれしー言っ
てたんだよ」
ミシュアの容態が落ち着いた時、ラディスラスはノエルに治療代を聞いた。
そこにはラシェルもいたし、珠生の父も知っておきたいからといて、珠生も関係者の一員として話し合いに参加していた。
誰も治療代の相場など知らなかったし、大国の王族にも所在を捜される程の腕の持ち主であるノエル。彼がいったい幾らと言う
のか、他の人間は分からないが珠生はドキドキとしていた。
「ん〜・・・・・まあ、あんたらは金を持っていそうだしなあ」
ニヤッと笑ったノエルに、その時嫌な予感がしたのは珠生だけではないはずだ。
それでもラディスラスは軽く頷きながら言った。
「ああ、幾らでも言ってくれ」
「ラ、ラディッ」
(カッコつけ過ぎだって!)
珠生が慌てたようにラディスラスの腕を引っ張るのと、
「20万ビス」
ノエルが楽しそうに言うのはほぼ同時だった。
「・・・・・20万ビス?そんなものでいいのか?」
「ああ。この際、少し道具も新しくしたいし、好きな菓子も腹いっぱい食べたいしね。ん?高かった?」
「・・・・・」
(20万ビスって・・・・・20万ってことだよな?)
この世界共通の通貨ビスは、1ビスが日本の1円という、珠生にとっては計算しやすい単価だ。それで考えたとしても、あれ程の
手術をして治療費が20万とは、あまりにも安い気がする。
(桁間違えてんじゃないのか?)
珠生の感じた不安はラディスラスも感じたのだろう、眉間に皺を寄せながら言った。
「計算間違いじゃないか?」
「いーや」
「本当に、20万ビス?」
「金持ちにはもっと吹っかけているが、今回は俺にとってもいい勉強になったしな。それに、ミシュアは素直で可愛いし、タマは、ま
あ違った意味で可愛いし。可愛い子からは金は取れないって」
実費は貰うけどなと言いながら、ノエルはあははと笑った。
どういう意味で自分のことを可愛いと思ったのかは気にはなるが、それでもかなり安くしてくれたことには変わりない。
そのノエルの好意は、イザークにも知らせないといけないと思った。
「ラディ、ボッタクッちゃ駄目だって!」
「ボッタク?俺達は別にこいつから金をふんだくろうとは思ってないって。思いがけず金額が安かったし、こいつに出してもらうことも
ないかって思ってな」
「本当にそんな金額なのか?」
イザークが聞き返したのはラシェルだった。ここにいる誰よりも正確な答えが引き出せる相手として選んだのかもしれないが、多分
それは正解だと珠生も思う。
「本当だ。だから、お前は・・・・・」
「いや、俺も出させてくれ」
「イザーク」
「王子を見つけ出したのも、医者を見付けたのも、全てお前達がしたことだ。私は心配していると口では言いながら何も出来な
かった・・・・・。せめて、治療費くらいは出したい」
「イザーク・・・・・」
「偉い!聞いたっ?ラディ!」
ラシェルに向かって頭を下げながら言うイザークが何だかカッコよく見えて、珠生はラディスラスの背中をバンバンと叩いた。
「イザーク、男!」
「・・・・・こいつは男だろう?」
「そーいう意味じゃないって!」
「どういう意味だ?説明してみろ」
「・・・・・ラディ、感じ悪い!素直にそーだなって言ってくれたらいーのに!」
自分の意見に頷いてくれず、意地悪な問い掛けをしてくるラディスラスに珠生は憤慨しているが、それがどうしてなのかという理
由までは考え付かなかった。
ラディスラスが、あまりにも珠生がイザークのことを褒めるのが面白くないと思っているなどと・・・・・想像出来ていない。
「意地悪い!」
「俺はどうせ意地悪な男だって」
「その言い方がやだ!」
「はいはい」
2人はどちらも引かない言い合いを続けていたが、周りからすればそれは立派な痴話喧嘩だという事を、珠生はもちろんラディスラ
スも全く気付いてはいなかった。
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