海上の絶対君主
第四章 愚図な勝者 〜無法者の大逆転〜
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※ここでの『』の言葉は日本語です
厳しいラディスラスの問い掛けに、扉の向こうからは年配の男の声がした。
「朝食を持ってきた」
「朝食?」
思わず呟き返したラディスラスは仲間を振り返った。ラシェルもイアンも険しい表情をしている。
(こんな時に食事を運んでくるか?)
たった今、王妃の惨殺体(あくまでも芝居だが)と、次にあんな爆発を見せ付けられた王宮の者が、その犯人に対してわざわざ
食事を運んでくるとは思えなかった。
(・・・・・罠か、それとも・・・・・)
ラディスラスはラシェルに頷いて見せた。ラシェルは扉の影で剣を握り締め、イアンがゆっくりと片方だけ扉を開ける。
「・・・・・よお」
そこに立っていた男を見て、ラディスラスはマスクの中で思わず笑みを浮かべた。夕べ見た顔がそこにあったからだ。
「これを」
部屋に面した廊下には、少し離れた場所に何人かの兵士が立っているものの他には人影は無い。どうやらあの爆発は思った
以上に恐れを抱かせることに成功したらしかった。
(上出来だ、タマ)
ラディスラスは男が差し出した果物の盛り合わせが入っている籠を受け取る。
「我が国の自慢の果物だ。ゆっくりと見て味わうが良い」
「分かった」
言葉短く答えると、直ぐにラディスラスはイアンに扉を閉めさせた。そして果物を出して籠の中を覗いてみれば、案の定手紙が忍ば
せてある。男・・・・・ツバイは、やはりシュバックの使いでやってきたのだ。
素早くその文面に目を走らせたラディスラスの口元には皮肉気な笑みが浮かんだ。
「ラディ」
「証拠は揃った。あとは皇太子が動くのを待つだけだ」
王妃の部屋の扉の前で、ローランは大きく深呼吸をした。
たった、1日で、自分を取り囲んでいた状況はがらりと変化してしまった。数年掛けて被っていた仮面は脱ぐことを余儀なくされた
が、ローランは自分の独りよがりな思いのせいで結局義母を死なせてしまったことを深く後悔していた。
血が繋がっていなくても、本当の母のように叱り、愛してくれた優しい人に、最後に礼を言うことも出来なかった。
これ以上の後悔はしたくない。ああすればよかったと思うことはもうたくさんだ。
それならば、今の自分の地位を最大限利用して、ローランは義母の仇を討とうと思った。
「皇太子、ローランだ。ここを開けて欲しい」
「・・・・・」
「交渉をしに来た。私以外の者は人払いをしてある」
その言葉を信じたのかどうか、少しだけ時間を置いて扉が開かれた。
背の高い、布で顔を覆った男がこちらを見ている。
「お前1人か?」
「そうだ。改めてお前達と交渉がしたい」
「・・・・・」
「父上・・・・・ベニート共和国の王からは、先程全権を委ねていただいた。今の私はただの皇太子としてではなく、既にベニート
共和国の王と同等の立場にいる者として見てもらおう」
「・・・・・なるほど」
唯一見える男の目が細められた。
まるで笑われているような気分だったが、ここで短気に怒りだすことはしてはならない。気分を害して男が扉を閉めてしまえば、それ
だけ交渉が長引いてしまう。仇を討つのが・・・・・遅くなる。
「分かった、では・・・・・」
「お待ち下さい!」
男がローランを招き入れようと身体をずらし掛けた時、いきなり声がしたかと思うとユージンが駆け寄ってきた。
「私も同席させてください!」
「ユージン!お前まで来てしまったら・・・・・っ」
自分に何かあった後のこの国をどうするのだという思いを眼差しに込めたまま、ローランは弟を強く睨み付けた。
この言葉を言ってしまえば自分が相打ちも覚悟していると向こうに悟られてしまうので口に出せず、声にならない声を察するように
と、同じ目線の弟の顔を見るが、敏いはずの弟は今回は一歩も引かなかった。
「お願いします、兄上」
「ローラン」
「・・・・・どうぞ。こちらとしては2人の王子がいてくれた方が助かる」
「・・・・・っ」
ローランは口の中で舌を打つと、そのままユージンに背を向けて部屋の中に入る。
その後に当然のように、ユージンが続いて入ってきて・・・・・扉は閉められた。
昨日までは出来るだけ目くらましをする為に、部屋の中の明かりは落としていたし、窓の吊り布も下ろしたままにしていた。
しかし、もうそんな気遣いは無用だろう。
「ようこそ、2人の王子」
ラディスラスは楽しそうに笑いながら顔を隠していた布を取った。いや、死角になる寝台の陰にいる珠生以外の者達も皆顔を晒
した。
その行動を訝しげに見ていたローランは、ラディスラスの顔をじっと見て・・・・・きつく眉を寄せた。
「・・・・・以前、町で会ったように思うが」
「そうか?」
「・・・・・ユージン!」
「・・・・・」
「お前の友とは、王宮に盗みに入り、王妃を殺害し、更なる武器を持って我が国民を危険に晒す者なのか!」
やはり、ローランは町中で会ったラディスラスの顔を覚えていたらしい。自分が凡庸な容姿ではないと自覚していたラディスラスは
当然予想していたことだった。
「兄上・・・・・」
「そればかりではないっ、この者は海賊の長をしておろうっ?お前は何時そのような輩と出会ったのだ!」
「おいおい」
たて続けにユージンを責めるローランに、さすがにラディスラスは言葉を挟んだ。
「このような輩って、まあ、確かに王子様から見れば俺達は野蛮な人間だろうが、そう言うあんたはどうなんだ?聞けばここ数年
の放蕩生活で、ろくでもない連中と付き合っていたと聞くが、どこでどう知り合った?」
「・・・・・っ」
「弟を責めるのもいいが、先ずは自分が今までしてきたことを考えてみたらどうだ?」
さすがに、ローランは黙ってしまった。自分のしてきたこととユージンの生活を責めることと。どちらがより悪いかなどと比べるようなも
のでもないだろう。
ローランは拳を握り締めたまま何度も深い呼吸を繰り返している。まだ口からついて出そうな文句を押さえ込み、冷静にラディス
ラスと対峙しようとする姿勢が見えた。
(確かに、悪い人間ではないんだろうがな)
頭が固過ぎる・・・・・その一言に尽きる。
そして、弟の方は・・・・・こちらもまた、柔軟過ぎる考えの持ち主だ。
しかし、だからこそこの国は、この2人がお互いに補い合えば素晴らしく発展するだろうと思えた。
「ラディ」
そんな風に考えていたラディスラスは、ユージンに名前を呼ばれて視線を向けた。
「・・・・・」
その喉元に、何時の間にか剣先が向けられている。
「・・・・・これは?」
「今回のことは確かに私がお前に頼んだことだが、母上の命を奪ってくれとは言わなかった。ここで、私は母上の仇を取らねばな
らないことを・・・・・残念に思う」
「・・・・・」
(へえ、真面目な顔をすれば、やっぱり王子様らしいな)
普段よく見せていた真意の読めない曖昧な笑みでは無く、上に立つ者の毅然とした表情を見せればさすがに王子だと思えた。
ラディスラスが剣を突きつけられていても暢気にそう思えたのは、余裕というか、開き直りに近い心境だったが、
「ラディ!」
「・・・・・っ、タマッ?」
自分の名前を叫びながら、いきなり剣の前に飛び出してきた珠生を見ればさすがに焦ってしまった。
「危ないだろうっ」
とっさにその腕を掴み、自分の腕の中に隠すように抱きしめれば、下から真っ直ぐな眼差しが向けられる。
「だって!だって、ラディ、助けなきゃって!」
「タマ・・・・・」
危険を顧みずに自分を助けようとしてくれた珠生の言葉に、ラディスラスは叱る言葉を飲み込んでしまった。
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