海上の絶対君主




第四章 愚図な勝者 〜無法者の大逆転〜


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 兄がラディスラスから突き出された手紙を読んでいる時、ユージンは呆然とした眼差しを母とラディスラス、交互に向けている。
 「・・・・・ラディ、いったいこれは・・・・・」
 「少しも、疑うことは無かったのか?」
 「え?」
 「お前が兄貴を騙したように、俺もお前を騙すということを」
 「・・・・・考えなかった、な」
あれだけ綿密な打ち合わせをしてからの実行だ。そもそも、ラディスラスを引き込んだのはユージンで、その自分の計画を途中から
ラディスラスの方が変更するとはとても思わなかった。
 「・・・・・参ったな」
 全てが頭の中で考えたとおりにいくわけではない・・・・・ユージンは改めてそう思うと自嘲するしかなかったが、そんな自分の濡れ
た頬を、母が自分の服の袖で拭ってくれた。こんな風にしてもらうのは、母の半分ぐらいの背丈の・・・・・まだ幼かった頃以来だ。
 「母上・・・・・」
 「こんな大切なこと、わたくしも始めから仲間に加えてほしかったわ、ユージン」
 「・・・・・すみません」
 「でも、私もこうしてあなた達を騙したのだから、お互いさまということかしら」
 「・・・・・」
(生きて、いらっしゃる・・・・・)
 この目で見た、赤い血に染まった母の姿。いったいどういう手段を講じたのかは分からないが、自分も兄もあれにはすっかりと騙
されてしまった。
今考えれば、本当に今だから言えるのだが、ラディスラスが容易に誰かを手に掛けるなどありえないはずだ。それも、抵抗も出来な
いような年配の女性を。こんな風に自分に考えさせなかったラディスラスの演技はとても迫真に迫っていた。
 「・・・・・」
 ユージンは深い、深い溜め息をつく。
母は生きていて、兄とも自分の心をさらけ出すように言い合った。こそこそと回りくどい策を講じようとした自分が恥ずかしくも思えて
しまった。
 しかし・・・・・。
 「安心するのは早いぞ、ユージン」
そんなユージンの途切れそうな緊張感を、ラディスラスは一言で刺激した。
 「兄貴が見ている手紙、お前も読んでみろ」



 喉が渇き、頭がガンガンと響いてくる。
ローランは今にも震えそうになる声を、ぐっと腹に力を入れて持ち直した。
 「これは、事実なのだな」
 「俺が更に騙していると思うか?」
 「・・・・・いや、これは確かに叔父上の筆跡だ。・・・・・っ!まさかっ、まさかっ、ここまで考えられていたとは!」
 母の殺害を褒める言葉と、父と自分を暗殺するようにという唆す言葉。
全てが終われば相応の金と、無事な逃走を約束すると書かれてある叔父の真意は、今更考えなくても分かることだった。
 「・・・・・叔父上はお前達を利用し、この国の王座に就くおつもりなのか・・・・・」
 叔父シュバックにとって、自分が不必要な、いや、忌み嫌われている存在だということは知っていた。
幼い頃はなぜユージンは可愛がってくれるのに自分には冷たい態度しか取らないのだと思っていたが、自身の出生のことを知って
その理由がようやく分かった。
 王族としての矜持がかなり強い叔父は、平民の血を持つ者が王位に就くのはどうしても我慢ならないのだろう。
それでも・・・・・命まで奪おうと思っているとは思わなかった・・・・・思いたくなかった。
 「・・・・・っ」
 唇を噛み締め、俯いてしまったローランの視界に、不意に黒い瞳が映る。そこには、先程自分を頭ごなしに怒鳴りつけた少年が
いたが、その手には小さな皺だらけの布が握られて、自分へと差し出されていた。
 「・・・・・何だ」
 「泣いてる、でしょ?」
 「・・・・・涙など流しておらん」
 「別に、笑ったりしないってば」
そう言いながら、自分の顔を無造作に拭いてくる小さな手を、ローランはなぜか拒むことが出来ずに受け入れていた。



(そりゃあさ、自分の叔父さんが自分を殺そうと思ってるなんて知ったらショックだよな)
 珠生はぎこちなくローランの顔を拭いながら眉を顰めた。
自分なら、いったいどんな思いがしただろうか?両親共に身内の縁が薄く、親しい親戚など身近にいなかったが、もしも、昨日ま
で笑っていた相手が、今日・・・・・いきなり殺意を向けてきたとしたら・・・・・?
 「・・・・・もう、よい」
 「え?」
 珠生はローランに手首を掴まれた。
 「あ、ごめんっ、痛かった?」
 「いや・・・・・」
その言葉を否定はするものの、ローランは珠生の手首を掴んだままじっと視線を向けてくる。珠生はその視線の意味が全く分から
なくて首を傾げた。
 「?」
 「・・・・・お前・・・・・」
 「お前じゃないよ、タマキ!」
 「タマ・・・・・キ?」
 「タマ、だ」
 いきなりそう言ってローランの手から珠生の腕を奪ったのはラディスラスだ。
 「ちょっと、ラディッ」
 「タマでいいんだよ」
いきなり何をするのだと言い返そうとした珠生だったが、ラディスラスは言下に却下をしてしまう。なぜか、面白くなさそうな顔をして
いるラディスラスに、珠生は自分が怒られているような気分になってしまった。



(お前の本当の名前なんて教えることはないんだ)
 自分の不機嫌の理由をそう話せば、きっと珠生はそれぐらいと言い返してくるだろう。まだまだ子供の珠生に、複雑な男心を分
かれと言っても無理なのかもしれないが、自分と他の人間が違うということをそろそろ認めて欲しいとも思う。
 それに、ローランが珠生に何を言おうとしたのかは気になるものの、それよりも先にこの謀反の決着をつけなければならない。
話が外に漏れ、問題が大きくなってしまう前に、全てを解決しなければベニートの名前に傷がついてしまう。
(今なら、この王宮内の出来事だけで済むだろうし)
 「ローラン」
 自然と不機嫌な声になってしまいそうな声を何とか抑え、ラディスラスは改めてその名を呼んだ。
 「どうする」
 「・・・・・」
 「このまま、この証拠を手にして捕らえるか?」
 「・・・・・いや、これだけでは、偽装したと騒がれるだけだろう。叔父上は頭のよい方だからな」
 「まあ・・・・・ありえるな」
 たとえ、ラディスラスの行ったことが全て芝居で、他の謀反を企てている人間・・・・・シュバックをあぶり出す為に行ったと言っても、
それが自分を陥れる為の狂言だと言われれば証拠は無い。
いや、この謀反という行為自体は事実だということで、他の身代わりを立てるという可能性もある。
 「叔父上の不正を明らかにするには、叔父上自身の言葉で言ってもらうのが一番確かだ」
 「それはそうだが、その方法はあるのか?」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「ラディスラス、もうしばらくこの芝居を続けてはくれぬか」
 「芝居を?」
 ローランは先程までの苦渋に満ちた眼差しを一変させ、強い決意を湛えた視線をラディスラスに向けてきた。
 「私とユージンがこの部屋に入ったことは何人もの兵士が確認しているはずだ。そのまま、ユージンだけ部屋から出てもらおう」
 「それって・・・・・」
 「私も、お前に殺されるのだ」
 「・・・・・」
 「私が暗殺されれば、残るは父上とユージン。そうなった時叔父上がどういう行動をされ、発言されるか、私は死した立場として
見ていようと思う」
確かに、それが一番手っ取り早い方法かもしれないし、もう王妃を殺害した罪人のはずの自分に、この後幾つもの罪状が重なっ
ても同じかもしれない。
 「あっという間に大悪党だな」
苦笑交じりにラディスラスが呟くと、腕の中で珠生が違うよと言った。
 「ラディはヒーローになれるって!」
 「ヒイロオ?」
言葉の意味は分からないが、その顔を見ていれば褒められているだろうということは分かる。
珠生や仲間に分かっていてもらえていればいいかと、ラディスラスは笑いながらその柔らかな髪をクシャッと撫でた。