海上の絶対君主




第四章 愚図な勝者 〜無法者の大逆転〜


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 「あ〜、やっぱり、ああいうのは慣れないな。俺は上流階級の人間じゃないと改めて思い知った」
 ラディスラスは苦笑交じりにそう言うと、その思いを表すように深い溜め息をついた。
つい先程まで、ラディスラスはベニート共和国に新たな道を開かせた英雄として周りを人で囲まれていた。
男達の多くは王族との関係を探るような感じだったが、女達はラディスラスの容姿に目を奪われ、中にはあからさまな誘いをかけ
てくる者達までいた。
(前なら、話のネタに付き合ったかもしれないが)
 港で男を誘う商売女と、すました顔で微笑む貴族の女。裸になればどこが違う、どこが一緒だと、面白半分にその誘いに乗っ
ただろう。
しかし、今のラディスラスにそんな心の揺れはない。
 「何を言う。随分堂々としていたじゃないか」
 「ん?」
 ラディスラスは後ろを振り向く。
 「我が国の姫達の視線を一身に集めていたじゃないか」
 「それは、お前とローランにじゃないか?」
 「私はともかく・・・・・まあ、兄上は仕方が無い」
 「あいつに選ばれれば、未来の国王妃だからな」
今回のことで、ローランの中にあった迷いはどうやら吹っ切れたようで、今の報告でも王の代わりに場を取り仕切っていた。シュバッ
クのことで多少のゴタゴタはあるだろうが、近いうちにローランは現王から譲位をされるだろう。
 すると、次に話題になるのはローランの隣に立つベニート共和国の最高位の女性、王妃の問題だ。
 「許婚とかいたんじゃないか?」
 「以前はおられたが、兄の放蕩ぶりに先方が見切りをつけて、二年ほど前に他国の王子に嫁がれたらしい」
 「今のローランを見たら悔しがるだろうな」
 「兄はしっかりとした信念をお持ちの方だから、お相手も時間を掛けて王妃に相応しい方を選ばれると思う」
 「出来るだけ早くそうしてもらいたいぜ」
(タマに変な興味を持たれる前にな)



 そのまま、ラディスラスとユージンは、珠生達が食事を取っているはずの食堂に向かった。
大広間ではまだ騒ぎが続いているが、そこにもう自分という存在は必要ないだろう。後は、今までのツケの分、ローランに頑張って
もらえばいい。
 「あれ?」
 「終わりましたか?お疲れ様です」
 そこにいたのはイアンだけだ。
ラディスラスはキョロキョロと周りを見た。
 「タマはどうした?」
 「先に休むそうです」
 「休む?」
 「今日は疲れたとかで、寝床を用意してもらいました。今アズハルが付き添って・・・・・」
 イアンが最後まで言う前に、食堂の扉が開いてアズハルが入ってきた。ラディスラスは直ぐに歩み寄ると、いったいどういうことだと
眉を潜めながら訊ねる。
 「怪我でもしてるのか?」
 「いいえ、ただ、もう休みたいと言って」

 「ラディだけ、ずるい!」

 先程、珠生は大人しくしているようにと伝えた時、置いていかれることをかなり怒っていた様子だった。ラディスラスにとってはそれ
は意味のある行動だったが、当の本人にはその真意は伝わっていないのかもしれない。
 どちらにせよ、顔を見ないと安心出来ないので、ラディスラスはそのまま珠生のいる部屋へと向かおうと、アズハルにその場所を
聞こうとしたのだが・・・・・。
 「禁止、だ、そうですよ」
 「何?」
 「女にチヤホヤされて喜んでいるラディは入室禁止だそうです」
 「なんだ、それは?」
全く身に覚えのことに、ラディスラスは呆れた声しか出せなかった。



 「ラディは今更女性と遊ぶとは思えません。タマ、明日はちゃんと顔を見て、改めてお疲れ様と声を掛けてやってください。名目
的にはミシュア王子の為と言っていますが、本当はタマ、あなたの為に今回彼は動いたんですよ」

 優しく髪を撫でてくれたアズハルは、そう言ってから部屋を出て行った。
もちろん、珠生もラディスラスが本当に鼻の下をのばして回りに女を纏わり付かせているとは思っていないが、モヤモヤとする胸の
中をどうしていいのか自分でも分からないのだ。
(あ〜・・・・・もうっ)
 『俺だって、ご苦労様って言いたいんだよ!でもっ、ラディが言わせてくれないんじゃん!』
 給仕をしてくれた召使いの女の子も、ラディスラスのことを褒めていた。嫌われるよりは遥かにましだが、頬を染めて語られるほど
に気に入られてどうするのだ。
(今日はもう、絶っ対にラディの顔は見ないからなっ!)



 アズハルに珠生の主張を聞かされても、ラディスラスは全く納得できなかった。
それでも珠生の部屋に押しかけなかったのは、疲れているという表向きの言い訳も少しはあると思ったからだ。
 「全く、あいつの思考は分からん」
 文句を言いながら酒を飲むラディスラスに、アズハルは苦笑した。
 「女タラシで有名だったあなたが、こんなところで酒を飲んで愚痴っているなんて、今まで遊んできた女性達には信じられない光
景でしょうねえ」
 「・・・・・過去のことだろ」
 「そんなに昔ではないと思いますよ」
 「・・・・・出会いに時間は関係ない」
つい先程は時間のことを言ったくせに、今はそれは関係ないと言う。自分の主張に一貫性が無いことは分かっているが、せっかく
珠生の為にここまでしてきたのに、お疲れ様の口付けももらえないのかと思えばがっかりしても仕方が無いだろう。
 「ラディ、明日は・・・・・」
 「朝飯食ったら直ぐに出る。グズグズしてたら誰に捕まるか分かったものじゃない」
 「あなたが?」
 「タマが」
 とにかく、早く自分の生活の全てである海に珠生を連れて帰りたい。たまの土の上もいいものだが、あまりに長過ぎると無性に
海が恋しくなってしまうのだ。
 「俺達は海賊だ。陸は休息の場になるかもしれないが、生きていく場所じゃない」






 珠生がいなければつまらない。
ラディスラスは早々に自分も宛がわれた部屋に行き、休むことにした。
 アズハル達には朝食を取ってからと言ったが、よくよく考えればその前に出て行った方がいいかもしれない。自分とラシェルの顔は
しっかりと覚えられた上、珠生のことを覚えている兵士達も多いはずだ。顔は見られていないものの、あの爆発の印象は強烈だっ
ただろう。
(背格好であれがタマだって知られたら厄介だしなあ)
 何かの拍子にポロッと、珠生が自分で話してしまう可能性も否定出来ない。その可能性を少しでも少なくする為に、さっさと退
散するのに限る気がした。
 「・・・・・寝るか」
 たった数日間だったが、精神的に結構疲れた。
ラディスラスは柔らかな寝台に横たわると、そのまま目を閉じる。

・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・トントン

 「?」
 扉が叩かれる音がする。こんな時間、自分の部屋に訊ねてくるのはラシェルかアズハルだろうが、いったい何があったのだろうかと
訝しみながら少しだけ扉を開いて廊下の向こう側を見たラディスラスは、直ぐに慌ててドアを大きく開いた。
 「どうしたんだっ、タマっ?」
廊下に立っていた珠生は、情けなさそうに眉を下げて・・・・・小さな声で言った。
 「・・・・・広くて、怖いよ。ラディ、一緒に寝ていい?」