春の歓楽



10







(真ちゃん、手加減してくれたらいいんだけど・・・・・)
 昔から祖父の将棋の相手をしてきた真哉は、頭の回転が良くなるからと一時期かなり嵌っていた。
昇級試験などは受けていないのでどのくらいの腕前かは分からないが、よく遊びに来る段持ちの祖父の友人などはかなり強い
と褒めていたくらいだ。
 「大丈夫よ、マコちゃん」
 「え?」
 夜食というわけではないが、軽く摘めるものをと台所にとりにきた真琴は、そのお手伝いと称して一緒に付いて来た綾辻の言
葉に顔を上げた。
 「社長、手加減してくれるから」
 「え?海藤さん、将棋出来るんですか?」
 「お偉いさんはおじいちゃんが多いでしょ?だからお付き合いにね」
 「へえ」
 「将棋だけじゃなくって、碁もチェスもするし、ゴルフからゲートボールまで」
初めて知る話に、真琴の目は丸くなった。
(海藤さん、どっちかっていうとあんまりそういうの苦手そうだけど・・・・・)
権力者に媚を売ってのし上がっていくタイプには見えないと思っていると、まるでそんな真琴の頭の中か見えたかのように綾辻は
その疑問に答えてくれた。
 「ほら、御前が顔の広い方でしょう?その関係でつき合わされるのよ。私だって1日に4回もサウナに付き合わされたことがある
のよ。どうせなら皆いっぺんでって感じ」
 「御前って、海藤さんの伯父さんですよね?」
 「マコちゃんのことも気に入ったらしいから、今年の夏なんかまた呼び出されちゃうかもよ?」
 「・・・・・」
(あの人・・・・・か)
 陽気で明るい、とても話しやすかった海藤の伯父を思い出し、真琴の頬には自然と笑みが零れた。
海藤にとっては母親の兄に当たるらしいが、まるで似ていなかった気がする。
 「マコちゃん、社長と一杯話しなさいよ」
不意に、綾辻が呟いた。
 「話す?」
 「社長は口が軽い人じゃないけど、聞いたことはきちんと答えてくれる人よ。嘘や誇張も言わないしね」
 「・・・・・」
 「この先、もしかしたらマコちゃんにとって理解出来ないことが出てくるかもしれないけど、自分で全て解決してしまわないで、と
にかく社長と話すこと。いい?」
 「は、はい」
綾辻がどういった気持ちでそんなことを言い出したのかは分からず、真琴は少し途惑ってしまった。
それでも、海藤に対する信頼はあるし、何より好きな人とは会話はたくさんしたいと思ってる。
(・・・・・変な意味なんて、ないよね)
自分の取り越し苦労だと言い聞かせながら、真琴は盆の上にお菓子を乗せた。



 「もう1回!」
 真琴と綾辻が離れに戻った時、丁度真哉が膝立ちになって叫んだところだった。
 「どうしたの?」
綾辻が倉橋に聞くと、倉橋は僅かに苦笑を浮かべるとチラッと2人に視線を向けながら言った。
 「社長が二番続けて勝たれたので・・・・・」
 「え?社長が勝っちゃったの?」
 「真ちゃん負けた?」
 この短時間に二番も負けたというのが信じられなくて真琴が声を上げると、やっと真琴の存在が目に入ったという様子の真哉
は悔しそうに声を上げた。
 「おっ、お客さんに華を持たせたんだよ!」
 「・・・・・もう遅いからな。後一番で終わりだ」
 「これがホントの本気だから!」
引きずり出した小さな台の上に再び駒を並べ始めた2人は、互いに姿勢良く正座をして向かい合っている。
祖父に鍛えられた真哉と、伯父達に学んだ海藤は、どちらも行儀作法はきっちりと身につけているらしかった。
 「ねえ、社長手を抜いてないの?」
 「結構強いようですよ。それに、手を抜いたら失礼だと思われてるんじゃないんですか」
 倉橋も多少は分かるらしく、綾辻に簡単に説明している。
その内容は昔から祖父の将棋の誘いは逃げ回っていた真琴には分からないが、なかなかのいい勝負をしたらしかった。
しかし、それは一番だけで、二番は海藤が全くの手加減無しで真哉を追い詰めたらしい。
真琴達が戻った瞬間に聞いた、

 「もう1回!」

と、言う真哉の言葉は、よほどの悔しさから出たもののようだった。
 「社長も大人気ないんだからあ」
 「何事にも手を抜かれない方なんですよ」
綾辻と倉橋の見解は全く相反するもののようで小さな言い合いが続いているが、真琴は再び真剣に勝負を始めた2人を心配
そうに見つめた。



(頭のいい子だな)
 海藤は真哉の動かす駒の動きを見ながら思っていた。
去年の夏、単身で自分達の元に乗り込んできた時も、かなり度胸のある子供だと思っていた。
しかし、こうして半年以上ぶりに会った真哉は、身体付きもかなり大人びてきていて、顔付きもすっきりと丸みが削がれていた。
可愛らしいという表現よりも、少年らしくなったといえばいいのか・・・・・。
(今年中学か・・・・・どんどん変わるな)
 「・・・・・あっ」
 考えながらも迷いなく動かした海藤の手に、真哉は思わず声を上げた。
 「どうする?」
 「・・・・・」
 「降参するか?」
 「まだ!」
子供は苦手だと思っていたが、この真哉は別のようだ。
本人の性格ももちろんだが、真琴の兄弟という理由も大きい。
 「・・・・・」
 何時の間にか2人の前に座り込んでいた真琴は、駒と2人の顔と、忙しく視線を動かしているが、多分どちらが優勢なのかは
分かっていないのだろう。
時折首を傾げ、それでも口を挟まないようにしている様子が可愛い。
 「どうする?」
 手加減して勝たせてやるのは簡単だが、きっと真哉はそうされたことに気付くはずだ。
(泣きはしないだろうが、恨まれるだろうしな)
 「・・・・・」
 「・・・・・」
かなり、時間が空いた。
そして。
 「・・・・・参りました」
悔しげに、それでもきっぱりと言って頭を下げた真哉を見て、海藤は笑みを浮かべながらその髪をクシャッと撫でた。
 「何時でも勝負受けるぞ」
 「・・・・・今度は勝つから!」
 「し、真ちゃん、俺と勝負しよっか?」
 真哉の気持ちを考えたのか、真琴がそう言いながら駒を箱に詰め始めた。
何をするのかと思った矢先、その箱を盤の上にひっくり返す。
 「・・・・・マコ、山崩ししか出来ないんだからなあ」
 「い、いいじゃん!」
 「山崩しなら私も出来るわね!ほらっ、克己も仲間に入りましょうよ!」
 「なぜ私が・・・・・っ」
真剣勝負とは違う遊びへと空気が柔らかく変化していくのを感じた海藤は、口をへの字にしている真哉を宥める真琴を、そして
そうされて嬉しそうな表情になる真哉を、自分も自然と笑いながら見つめていた。