春の歓楽



12







 和真の口調はあまりに穏やかで、海藤はまるで自分が小さな子供になったような気がする。
塾を開いているらしいが、子供相手にも、きっとこんな風に優しく言い聞かせるように話すのだろうと思った。
 「真琴は知ってるんでしょう?」
 「・・・・・はい」
 「あの子は私の子供だけど、1人の人間でもあるんですから。その真琴が納得しているのなら、たとえ親でも私は口を出すべき
じゃないって思ってます」
 「・・・・・」
 「間違っていることは手を上げてでも止めなければならないのが親でしょうけど・・・・・」
 「・・・・・」
 「だって、海藤さん、真琴と別れてくださいって言って、別れてくれますか?」
 「・・・・・いえ・・・・・申し訳ありません。それだけは・・・・・出来ません」
 「そうでしょうね。こうして実家まで頭を下げに来てくれるくらいだし、あなたが真琴をどんなに大切に思ってくれているのかよく分
かります。それにね、私は実際にあなたがどんなことをしているのか、自分の目で見たわけではない。あなたがたとえ法を犯すよう
なことをしても・・・・・最悪、人を殺めたとしても、それを私達が知るすべはないし、知りたくもありません」
静かに笑んでいる和真の口から零れる言葉はかなりシビアで、海藤は和真の心の中の世慣れた大人の部分を垣間見た気が
する。
しかし、それでも十分海藤に気を遣ってくれているのは分かった。
 「真琴が笑っていてくれれば、私達はあなたを《いい人》だとずっと思っていられるんですよ。・・・・・多分、かなりエゴイスティック
な考えでしょうけど」
 「・・・・・」
 「それが親というものではないかな」
 「・・・・・」
(親・・・・・か)
 海藤にとって、親・・・・・というのと、家族というのがどういったものなのか、今もって理解は出来なかった。自分にとって両親は親
という名前だけで何の意味も無く、兄弟といっても腹違いで交流さえも無い。
血が繋がっているという事に意味は見えず、それよりもはるかに自分の部下の方が身近に思えるくらいだった。
しかし・・・・・今自分の目の前で話している和真には、何も繋がるものは無いはずなのに温かい何かを感じる。
 「西原さん・・・・・」
 「でも、大勢を従えるカッコイイ海藤さんを見たい気もしますけどね」
少しずれてるかもしれないと言いながら笑う和真に、海藤はただ頭を深く下げるしかなかった。



 海藤が離れに戻った時、綾辻と倉橋は反射的にその顔を見て・・・・・やがて明らかにホッとしたように緊張を解いていた。
 「誰がいたんですか?」
 「父親だ」
 「マコパパですか」
 「綾辻っ」
言い方が不謹慎だと倉橋は睨むが、綾辻はまあまあとそれを笑顔で抑え、笑みを含んだ視線を海藤に向けたまま言った。
 「話したんですか?」
 「外側だけな。目を付けられても困る」
 「そうですよねえ」
 「・・・・・でも、多分全部分かってるような感じだったな。その上で、目を瞑ってくれるようだ」
 「・・・・・愛されてますね、マコちゃん」
 「ああ」
大事に大事に愛されて育ったのだろう真琴。
しかし、今度からは自分が真琴を大事に愛していかなければ、この家族から真琴を攫っていく申し訳が立たない気がした。
(こんな風に思えるのも真琴のおかげか・・・・・)
誰かに対して、何かをしなければならない・・・・・利害が全く無い上でのその行動は、まさに真琴と出会わなければ経験し得な
かったことだろう。
 「ここに来て、良かった」
 「はい」
 「ええ」
それは海藤だけではなく、綾辻や倉橋も感じた思い。
 「普通って言うのも、結構楽しそう」
 「あなたは絶対に普通にはなりえませんよ」
 「ひどい〜」
海藤の雰囲気が柔らかいのにホッとした2人は、軽口を叩き合えることを嬉しく思っていた。



 早朝5時・・・・・。
真哉は眠い目を擦りながら起き上がると、昨夜のうちに用意していたデジカメを手に部屋を出た。
(絶対に崩れる瞬間があるはずだし・・・・・っ)
昨夜、将棋に負けたからという子供っぽい理由からではないと堂々と言える。
夏に会った時も、今回も、少しも崩れたところを見せない海藤の弱み・・・・・いや、違った部分を見たいと思ったのだ。
あれだけカッコイイ男が、凄い寝相をしていたら・・・・・それを写真に撮って真琴に見せてやったら・・・・・今は海藤だけを真っ直
ぐに見ている真琴も、え〜っと思うこともあるかもしれない。
その時の真哉の頭の中には、2人が一緒のベットで寝ているだろうという可能性は全く無かった。



 「・・・・・何しとる」
 「!じ、じいちゃんっ」
 こっそりと庭を横切ろうとした真哉は、いきなり声を掛けられてビクッと身体を震わせた。
そこには祖父の真介が、日課のジョギングの格好で怪訝そうに真哉を見ている。
 「え、え〜と、ちょっと・・・・・」
 「ちょっと?なんだ」
 「・・・・・は、離れに行こうと思って・・・・・」
 「離れは客が寝ているだろう。こんな早くに言ってもまだ寝てるだろうに・・・・・いったい、何を企んでる?」
まだまだ怖い存在の真介の追及に、真哉は自分の目論見を話してしまうしかなかった。
きっと叱られるだろう・・・・・そう思ってうな垂れた真哉の耳には、思い掛けない真介の声が聞こえた。
 「面白いな」
 「じ、じいちゃん?」
 「あいつら、酒にも強かったしな。1つぐらい弱みを掴んでこっそりマコに教えてやろう」
 「う、うん!」
 思いがけず強い味方を得た真哉は、真介と共にこっそり離れに近付いていく。まだ空は暗く、カーテンも開いていなかった。
 「寝てるな」
 「うん」
木造の離れのドアは、どんなに気をつけても音が鳴ってしまう。
真哉は縁側の1つだけ鍵が壊れているガラス戸から入った方が音が響かなくていいかと、真介と顔を見合わせて頷き、ゆっくりと
手を掛けたが・・・・・。

 
ガラッツ

 「!!」
 「あ〜ら、真ちゃんにおじい様。おはようございますぅ〜」
開いたガラス戸から顔を覗かせていたのは綾辻で、綾辻は2人がどんな意図でここに来たかまるで知っているかのようににっこりと
笑って言った。
 「玄関から入ってくれたらいいのに。早朝ジョギングのお誘い?」
 「あ、いや、な、真哉」
 「う、うん」
さすがに子供でない真介は気まずそうに視線を彷徨わせていたが、ふと思いついたように綾辻に言った。
 「お前、剣道出来るって言ってたな?丁度いい、手合わせ願いたい」
 「私と?」
綾辻は少し困ったように笑った。
 「おじい様、大丈夫ですか?私、勝負事に手なんか抜けないんですけど」
 「望むところだ!」
 「あらあら、困ったわねえ」
言葉とは裏腹に、綾辻は楽しそうだ。
寝起きの顔もカッコいいんだなと、真哉は自分の企みが既に崩れてしまったことにガッカリとしていた。